ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
2017年08月16日(水) |
「ローサは密告された」 |
人生初のフィリピン映画でございます。ブレまくりの画面、演技しているんだかどうかわからない俳優たちに、やっぱり技術的には映画後進国なのかと、当初は感じていましたが、終わってみれば、これ全部計算だったんですね。社会派ドラマですが、先行きわからないサスペンスとしても秀逸で、世話物的な人情もたっぷり。社会の闇・怒り・哀しさ・情・ペーソスがごった煮ながら、全然食傷せず。圧倒されるも、いいもん見せて貰った元気も貰える作品。監督はプリランテ・メンドーサ。
マニラのスラムで駄菓子店を営むローサ(ジャクリン・ホセ)。電気工事師の夫はぐうたらで、子供四人との生活は苦しく、副業で麻薬も扱っています。毎日をあくせく暮らすローサ一家でしたが、突然警察の手入れがあり、夫婦は逮捕されます。
冒頭簡潔ですが、ローサの人隣、家族、周囲の関係を上手に描写しています。 買出し先の大手スーパーで、小銭のお釣りが切れていて、代わりに飴を差し出され、ごねるローサ(これはフィリピンでは、よくある光景なんだとか)。なのに、雨は降っていますが帰りはタクシー。タクシーはローサたちが住む一角が来ると、入るのを拒み、降ろします。三輪タクシーは入ってくれたのに!と怒るローサですが、多分白タク扱いのタクシーだったのでしょう。ここから先は危険だと、暗示しています。
家に帰り、どたばたと仕入れたものを収めるローサ。夫はと言えば、二階でクスリ。文句を垂れるも、さほど気にしていない様子のローサ。日常なのでしょう。夕食は安い露店で仕入れ、その後は金がないと、薬の売人には払いを待って貰うのに、大っぴらに街頭でやっている賭博にも興じる彼女。
うーん、ド底辺(笑)。これは負の連鎖。クスリに手を染めるのは一時だけとしよう。少しずつお金を貯め、自転車かリヤカーを買い、タクシーを使わず、買い食いせず自炊をして、借金はしない、もちろん賭博も。これで少しは生活は整うはず。そして何より、夫にはちゃんと働いて貰う!ローサの日常は大いに間違っています。なのにあっけらかんと、バイタリティ溢れる逞しさに思えるのは、なんなんだ?これは、フィリピンの現状に一角にある、確かな真実であると共に、ローサたちは、きちんとした暮らし、教育を受ける機会がなかったのだと、描写していると感じました。いわゆる負のスパイラルです。
警察がもう、どうしようもない腐敗。しょっ引いて行くのに、令状も逮捕状もないなと思っていたら、正式な手続きを踏まない違法な逮捕でした(これもちゃんと描いている)。ローサ夫婦は、賄賂の「獲物」だったわけ。この人たち、警察官じゃなくて、暴力団じゃないの?と言うくらい、えげつない「取調べ」と、お金の要求。もう唖然とします。極めつけは、上納金まであること(笑)。警察は、もう立派なやくざです。
釈放にはお金が足らず、ローサの指示で金策に走る上の子三人。長男は家にあるテレビを高く売りつけるのに必死。長女は親戚知人に袖にされたり、罵詈雑言浴びせられたり。しかし、ここで血の繋がった者の、情の濃さも感じさせる演出が心憎い。そして美少年の次男は。この子のしている事の是非より、「相手」を待つ間の演出に、監督の真意があると思いました。すっかり警察への怒りはどこへやら、ローサ家族の絆の深さに、感激してしまいます。
ローサは決して涙を見せない。そんな彼女がラストでほんの僅か涙ぐむ。それはかつて苦しかったけど、希望のあった生活への郷愁なのか、もう後戻りできない哀しさなのか。きっと両方でしょう。
ドゥテルテ大統領は、麻薬撲滅にやっきになっていますが、売人を取り締まるより先に、警察を取り締まった方がいいんじゃないの?これを観た人は、みんなそう思いますよ。
貧困にあえぐ人々は、誰もこの状態を、社会が悪い!と怒らないのが不思議でした。夫も、いい年の長男も、ぐうたらしているように見えますが、これも仕事がないのでしょう。その上を行くしたたかさで生きなきゃいけない人々を、愛情を持ち描いています。その代わり監督が、フィリピン政府や世界に問うたのでしょう。
セミドキュメンタリーのように見せるため、あえて稚拙な部分を残した作風ですが、それも綿密に計算されたものだったと思います。この監督、しばらく注目したいです。お勧めの作品です。
|