ケイケイの映画日記
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2016年09月25日(日) |
「オーバーフェンス」 |
「そこのみにて光り輝く」がとても良かったので、今回監督は違いますが、同じ原作者・佐藤泰志が原作だと言うので、とても楽しみにしていました。「そこのみにて〜」で唯一不満に感じた、四半世紀前の原作の古臭さは全く感じる事無く(脚本は同じ高田亮)、今を反映させながら、普遍的な心に染み入る人間模様を描いており、それは後半に行くほど、とても希望に満ちた豊かなものに変貌していきます。監督は山下敦弘。
東京で大手ゼネコンに勤めていた白岩(オダギリジョー)。今は妻子と別れて故郷の函館に帰り、失業手当を貰いなら職業訓練校に通っています。学校と一人暮らしの自宅を往復するだけで、展望もなく、たた過ぎて行くだけの毎日です。学校には老若の同級生がおり、距離を測りながら、付かず離れず付きあう白岩。ある日同じクラスの代島(松田翔汰)に連れられたキャバクラで、ホステスの聡(蒼井優)と知り合います。
これも出演者・原作・監督しか知らなくて観に行ったので、優ちゃんのバックヌードやキレた様子を表す体当たりの演技に、「怒り」の宮崎あおい並みにびっくり。最初はユニークな可愛い子だと思われた聡は、エキセントリックな性格で、ふとした弾みで発狂したような状態になります。地雷が何か、周囲にはさっぱりわからないはず。実家暮らしながら、彼女の住む離れには、冷蔵庫も調理台や流しもある。「親にこれ以上迷惑をかけたくないの」と言う彼女から、娘の気質に振り回され、ほとほと疲れた親が透けて見えます。それでも捨てきれず、母屋から見守ると言う体制を取った聡の両親。私はいい親だと思います。それを聡はわかるから、迷惑かけたくないんだよ。
この手の子にはお決まりの、リストカットの痕が、彼女には見られません。その代り誰とでも寝る子だと思われている。ヤリマンと称されますが、それは違うと思う。生の証しをセックスに見出しているのだと思いました。女性が誰とでも寝るのは、私は自傷行為と同じだと思う。
対する白岩は、仕事ばかりで妻子を顧みなかった事で、出産間もない妻が異変をきたし、離婚。誰もが享受出来るはずだと思っていた日常を失った時、一気に世界が灰色になります。俺は最低の男だと言う白岩ですが、仕事や妻子を失った事実だけで、本当の意味はわかっていない。
別れた妻(優香)の父親からの手紙で知る、離婚のあらまし(この声が塚本晋也かな?)。朗々読み上げられる文章は、娘を守る父親の愛情に満ち、白岩は夫・父として失格であると、娘婿に引導を渡す威厳に満ちている。白岩に欠けていたのは、この覚悟です。彼の人生には、本当の意味で妻子はいなかったのですね。見事に再生した妻と再会し、白岩はその事を思い知る。
そこには、聡の存在も大きかったと思います。自分を持て余し男に依存しては傷ついていたであろう、メンヘラのキャバ嬢の聡。対する白岩は、現在無職でバツイチ。全てを失っています。でも妻を守れなかった悔恨を抱え、人生の酸いも甘いも苦さも知った今の彼なら、聡を再生させられると思ったのでは?聡は多分本当の意味での、人生は知らない。一回り以上年上の彼なら、それが出来るはず。自分の新たなスタートの伴奏に聡を選んだのは、私は元妻への贖罪もあったと思います。決して今の落ちぶれた状態に似つかわしい女だからでは、ありません。
様々な理由を抱えた生徒たち。学歴も年齢も職歴も全く違う。小競り合いを繰り返しながらも、その場の空気に馴染んで行こうと修正していく生徒たち。それは社会を嫌と言う程経験しているからだと思いました。最後まで馴染めなかった森(満島真之介)との違いは、そこだと感じました。彼らの多くは、必死に底辺に落ちるまいと、頑張っている人たちだと私は思う。彼らのエピソードの積み上げが、この作品に、とても豊かな情感を齎しています。
聡が鳥が好きなのは、自由に飛べるからかと思います。伸びやかに鳥の真似をしながらダンスする彼女には、自分の心の不自由さと対照的でした。現実ではこの呪縛から聡を救うのは、白岩でも難しい。本当は再生した妻とよりを戻す方が、現実的です。でもいいじゃない、やってみれば。傷ついたって、実りのある傷と、そうではない傷があると思う。そこに支える人がいる有難さ、その事を知るだけでも、人生は豊かになると思います。私もこの作品のように、草野球のホームラン一つに、いつまでも喜べる人間でありたいと思います。
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