ケイケイの映画日記
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1946年、終戦からたった半年後に、新潟県の佐渡島でおきた、イギリス機不時着からの数週間の実話を元に映画化した作品。とにかく気持ちの良い涙をいっぱい流す作品で、鑑賞後は心が洗われた気分でした。監督は油谷誠至。
1946年の1月、佐渡島の高千村の海岸に、イギリスの飛行機がエンジントラブルのため、不時着します。それはイギリスの要人を乗せていたダコタと言う飛行機でした。終戦からまだ半年、村人たちは様々な葛藤を抱えつつ、飛行機の修理が済むまで、パイロットたちを精一杯もてなそうと決めます。
「イギリスは紳士の国だから、大丈夫」「ちょっと前まで、鬼畜米英と言っとっちゃじゃないか」と、村長(柄本明)を中心に、イギリス兵たちの処遇をどうしよう?と、村の要人たちの会議は喧々諤々です。会議の中で、「終戦じゃない。敗戦じゃ」と言う言葉が、とても重く響きます。敗戦国として、戦勝国のイギリス兵を丁重におもてなしするようにとの、上からのお達しも、唇を噛みたくなったでしょう。
でも村長が受け入れようと決めたのは、娘千代子(比嘉愛未)と幼い息子から、「困った人は助けなきゃ」の言葉があったから。そんな簡単な事か?と、普通ならツッコミの一つも入れたくなるのが、不思議な事にこの作品、とても素直に受け入れられるのです。これ以降も、重い内容のプロットは、ベタな展開なれど暗く沈む直前に拾い上げ、村人の善意の行動には胸が熱くなり、全編とても清々しいのです。描き方に押し付けがましさがないのですね。
当時の村人の皆さんは、ここに描かれる以上に屈託や葛藤があったはず。身内を亡くした人も、いっぱいいたはずです。しかし、それはイギリスとて同じだと描き、何故戦争がいけないのか?一人一人が考えて行かねばならないと、現代の感覚を忍ばせているからだと思いました。それを村人たちの成長として描いていたので、ストンと胸に落ちたのだと思いました。
善人ばかりが出てくる中、足を負傷し障害者になった健一(窪田正孝)だけが、「お国のために死ねと言われた」と、頑なです。エリート軍人だった彼は、負傷と敗戦で人生が一変したのですから、この気持ちもわかる。しかしクライマックスで、健一を愛する千代子が、「健一さんが足を怪我して村に帰って来た時、私は嬉しかった。もうこれで戦争に行かなくて済むと思ったから」との言葉に、「俺が怪我して嬉しがったのは、母さんと千代ちゃんだけじゃ」と、涙ぐみます。千代子の言葉は、愛する夫や息子、恋人を持つ、世界中の女性の気持ちです。だから二人だけじゃないの。息子が戦死した敏枝(洞口依子)の心を溶かしたのも、イギリスで息子の帰りを待つ母親と、その母を想うイギリス兵の存在です。
千代子と健一を観て私が想起したのは、「清作の妻」のお兼と清作。アプローチは違えども、同じ事が言いたいのだと感じます。
もう一つ印象的だったのが、村人の好意に胸を熱くさせ、思わず英語でお礼のスピーチする機長に、通訳をさえぎり高橋(ベンガル)が、「何を言ったか、よくわかる」と言うシーンです。もちろん彼は英語はわかりません。だけど、機長が心から自分たちに感謝し、言わずにおられない気持ちは、充分汲み取れるのですね。同じ土地で寝食を共にすると、文化の違いを超えて、お互いが見えてくる。そして結局人間の感情や善悪には、国境はないのだと、頭ではなく肌や心で感じるのでしょうね。その気持ちが、本当に素直に観客にも入ってくる作りです。
涙を流すのは心が浄化されて、健康にも良いのだと、何かで読みました。切ない涙や哀しい涙も良いですが、この作品は思い切り泣いたあと、自分も登場人物たちと同化して、清々しい人になれたと、ちょっと錯覚してしまう作品です。佐渡の海が何度も映されて、荒々しくも力強い風景を見せてくれます。その力強い波を一つ超えるごとに、人々の恩讐も海の向こうへ消し去ってくれるのでしょう。とても心の健康に良い作品です。
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