ケイケイの映画日記
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2013年10月25日(金) 「魔法少女まどか★マギカ」(前後編)




新作の「叛逆編」が明日から公開と言う事で、前作に当たるこちらをリバイバル公開中で、見逃していたので駆けつけました。画像はちょっとましですが、どこから見ても可愛い萌えキャラ集団の、オタクさん御用達のアニメみたいでしょ?ところがこの可愛い女子中学生たちを使い、彼女たちに解りやすい背景を背負わせ、平易な言葉で人生哲学を語らせるのです。冒頭の学園モノの愛らしさから、お話はどんどんダークサイドへと落ちて行き、愛と正義、希望と絶望、怨みと祈り、喜びと哀しみ。人は何のために生きるのか?魂とは?その器とは?人の持つ全ての感情を刺激され、考えさせられた四時間でした。監督は宮本幸裕。総監督は新房昭之。掛け値なしの傑作です。

鹿目(かなめ)まどか。両親と弟と暮らす平凡な中学生女子。同級生のさやか、仁美と仲良しです。ある日ほむらと言う美少女が転校生として編入。「家族が大事で、今の生活に満足しているのなら、それを大切にしなさい」と謎めいた忠告をします。しかしさやかと一緒の時、まどかはある不思議な出来事に巻き込まれ、そこで上級生のマミと、キュウベぇと言う人間の言葉が話せる動物と出会います。マミは世の中の不吉な事や天変地異などを引き起こすのは、魔女の仕業で、自分はその魔女を倒すのが役目の魔法少女だと言います。キュウベぇは契約を結んだ少女を、魔法少女にする力を持っています。契約とは、一つだけどんな願い事でも叶うが、永遠に魔女と戦わなくてはいけないと言う事。まどかとさやかは、キュウベぇから魔法少女にならないか?とスカウトされますが・・・。

元は深夜に帯で放送していたアニメを、劇場用に再編集した作品です。びっくりしたのは、画がすごく充実している事。魔界の様子は思いもよらぬ表現で、邪悪な不思議の国のアリスと言う感じ。シュールでポップで悪趣味。でも蠱惑的でもあり。気恥ずかしいような可愛いキャラと、とてもマッチしています。

魔女の怨念で作り出す世界という設定ですが、人生には疲れや哀しみを感じる時、「魔が差す」「魔が入る」と言う状態がしばしば起こります。それを指しているのだと思いました。自殺しようとする人々が「さぁ、一緒に。向こうの側では楽になれる」と、まどかに微笑む様子は、魔界の蠱惑性と合致しています。

そんな魔女と命懸けで戦っても、魔法少女たちの活動は人知れずで、友達もなく自由な少女らしい生活とは、無縁です。よく考えてからと二人に諭すマミは、その辛さを知っています。同時にこの思いを分かち合える友を欲し、心では二人に魔法少女になって欲しいと願う様子がいじらしい。願い事=奇跡との等価交換とは言え、あまりに過酷だからです。

特筆すべきは、彼女たちが魔法少女になったきっかけは、全て自分以外の人のためなのです。親だったり友人だったり、恋しい人だったり。しかし純粋なその自己犠牲の思いは、皆彼女たちを裏切り踏みにじって行くのです。堪らない思いで観る私。何故ならそれは、予想できた事だから。当初は愛と正義のためであると、胸を張っていた彼女たちは、段々と疲弊していきます。

人生経験の浅い、自分の人生さえおぼつかぬ少女が、他人の為に自分を犠牲にしたら?当初は歓喜だけだったのが、恋心敗れるさやか。でも中学生の彼女たちに、先に何が待つのか、想像できなくて当たり前。あなたの腕を治したのは私よ!と、恋しい人には言えない辛さ。そして親友との三角関係。敗れた恋心は、やがて裏切られたと解釈するでしょう。私のように年が行った者は、希望が叶わなかった時、受け入れたり諦めたりして、その状態で待つ事を知っています。そして時間が癒してくれる。それは時が解決すると言う事。しかし彼女たちは、その年数を生きていない。だから希が絶たれたら、絶望しかない。そして絶望の向こうには怨みと言う情念が待っている。

ここにキュウベぇの真の狙いがあったわけ。「ここ(地球)では大人になる前の女の人を、少女って言うんだよね。だから魔法少女は、大人になると魔女になる」と言うセリフが、前編の最後に流れて、椅子から飛び上がるほど驚愕しました。(三男に言ったら「お母さん後編まで20分待っただけやろ?俺はアニメやったから、一週間待ったんやで」と、その時の焦る気持ちを吐露される)

ここから後半。彼女たちが与えられたソウルジェムと言う宝石のような物。これに秘密があり、キュウベぇは彼女たちが邪悪な魔女へと変化する瞬間を待っていたわけ


サンリオキャラの「シナモン」みたいで、可愛いでしょ?こいつが諸悪の根源。と言うか、実は地球外生命体なのですね。「契約の時、そんな事は聞いていない!」と怒る少女たちに、「聞かれなかったから答えなかった。今の状態は何ら契約の不履行はない」と言うキュウベぇ。確かにそうなのだ。騙したのではない。少女たちが浅はかだったのですね。ここに大人の女と契約するのではなく、人生経験の浅さ、純粋さ短絡さなど、効率の良さを求めて、ターゲットを少女にした理由があるのでしょう。

キュウベェの語る「世の摂理」は、確かに統合性がある。「家畜を可哀想と思うかい?」と言った件など、なるほどと思います。しかし納得できないのは、人間としての感情です。感情を持たないキュウベェには、それがわからない。この冷酷にして冷徹な姿は、地球人にもいそうですよね。

お話は順番に主役が代わり、それぞれの背景が語られます。さやかやほのか、途中で出てくる佐倉杏子も、しっかり描かれます。私が好きなのは、杏子ちゃん。彼女も父親を思い魔法少女になったのに、今は独りぼっちの身の上。ドライで生々しい魔法少女観を語り、さやかと敵対しますが、その実、今度はさやかの為に身を投げ出すのです。魔法で盗んだ物を常に食す姿は、生への渇望だと思いました。そうして生きるのが、彼女なりの父への鎮魂なのかと思いました。

謎めいてクールなほむらの想いにも、とても泣かされました。誰よりも魔法少女のルールを熟知している彼女は、何度跳ね返されても希望を持ち続けます。それはまどかへの想いです。誰かを心から思う、その崇高な気持ちが、誰ひとりとして報われない。本当に居た堪れない。これが現実なのか?と、涙を流しながら観ていた私に、救世主が現れます。それがまどか。何度も「誰かのために」と、魔法少女になろうとする直前、ほむらに阻止されていました。

私がまどかに感じたのは、自己犠牲ではなく、無償の愛です。自己犠牲とは、自分の幸せや欲望を捨て去る事。そこに自分自身の幸せはあるのか?しかし無償の愛を捧げる事は、自分も共に幸せになる事じゃないでしょうか?他人のためだけに生きる人生は虚しい。でも自分の為だけに生きる人生は、もっと虚しい。自分を愛し、心から愛す他者の存在を持つ。そこに充実した人生があるのじゃないかと思いました。

キュウベェはまどかの力の大きさを、くり返し起こる経験がそうさせたと言いますが、私は違うと思う。ほむらのまどかへの祈りの深さが、彼女を大きくさせたのだと思うのです。

思春期の子を持つ母娘の描写も、とても印象的です。中学生とは、自分の世界の中心が家庭や親ではなくなる時期です。子を信じるというのは、簡単なようで、とても難しいもの。しかし遅かれ早かれ、子は親から巣立つものです。その見極めに、自己中心的ではなく、他者を愛せる子になっているか?とても重要な分岐点に感じました。まどかの選択は、親にとっては哀しいものですが、でもこの結果は、お母さんの子育ては正解だったんですよ、と言う証でもあると思いました。

いっぱい書いたけど、まだ物足りない。でもこのくらいで。関西は今夜深夜に一挙放送があり、関東地方は11月4日です。(ここをクリック!)この感想を読んでピンときた方、是非録画されますよう、伏してお願い申し上げます。

では来週には新編「叛逆の物語」観るからね!


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