ケイケイの映画日記
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2013年02月28日(木) 「世界にひとつのプレイブック」




本年度アカデミー賞主演女優賞(ジェニファー・ローレンス)受賞作。主人公のパット(ブラッドリー・クーパー)は双極性感情障害(躁うつ病)の設定で、私のように精神科に勤務する者には、物凄く感慨深い思いがこみ上げる作品ですが、それを知らずに観れば、予定調和に事が運ぶ出来の良いロマコメ程度。これがオスカー主部門に軒並みノミニーとは、はて?と思っていたとき、学生時代アメリカの情勢に精通してた講師の先生の言葉が蘇りました。「日本もこれから数十年後、アメリカのように歯科より精神科が増える時代が来る」と言う言葉。幸か不幸か、その時代は到来していませんが、それだけ精神病は、日本よりアメリカではより身近な病だと言う事で、私の思いは、本国アメリカの人たちと共有していたという事でしょう。日本での宣伝や解釈は、微妙に違うと感じるので、今回はネタバレ気味に書きます。繊細な内容になるので、未熟な私よりもっと精神科に精通していらっしゃる方で、「それは違う」と思われる方、遠慮なくご指導ご鞭撻お願い致します。監督はデヴィット・O・ラッセル。

高校教師のパット(ブラッドリー・クーパー)は、妻の浮気の浮気現場に遭遇し、相手の男性に暴力をふるい、司法取引で精神病院に入院となります。母(ジャッキー・ウィーバー)の尽力で、何とか退院とはなったものの、妻には逃げられ仕事は解雇。あれは一時の感情が制御出来なかっただけと、薬物治療を拒否し、あげく接見禁止令まで出ているのに、心身を回復すれば妻は必ず戻ってくると思い込んでいます。そんな彼を心配した友人のロニー(ジョン・オーティス)は、パットを夕食に招待します。そこに現れたのは、彼の妻の妹のティファニー(ジェニファー・ローレンス)。彼女もまた、心身を壊していました。何かとパットの気を引くことを持ちかけるティファニーですが、妻との仲を取り持つと言われ、ダンス大会のパートナーになる事を承諾します。

パットは妻の浮気が原因で、ティファニーは夫の死のショックが原因で病を得たと、宣伝などでは解釈されています。しかしパットはそれ以前に、妄想や激しい感情の高ぶり(校長と喧嘩と表現されている)などが語られるし、後述でステファニーも、「夫とのセックスで感じなくなっていた。自分を構うことで精一杯。なのに夫は子供を欲しがっていた」と語ります。これは二人共、以前から発病していたと考えて良いと思うのです。疲弊した心身を精一杯奮い立たせて、社会人としての責任を全うしていた時に起きた衝撃的な出来事は、単に引き金だったと感じます。

これは誰にでも当はまる事で、日常の生活で問題なければ治療の必要はありませんが、生活に支障をきたして来た時は、心身がサインを出しているはずです。それに気づかず、もう少しもう少しと頑張ってしまうと、状態は悪い方に加速するという訳です。何度も出てくる「サイン」と言う言葉は、この作品でキーワードかと思います。

躁転した状態のパットの描写が絶妙。夜中に急に騒ぎ出し、両親(父・ロバート・デ・ニーロ)は叩き起され、その喧騒に近所まで巻き込みパトカーまで出動します。躁転した患者さんの騒ぎ方は、本当に尋常じゃありません。はしゃいでマックス陽気になるかと思えば、とにかく攻撃的に人を罵る時もあり。同じ人がです。そして夜は眠れない。彼らには彼らの全うな理由があり、誰も悪くはないのです。病がさせる事なのですが、しかし世話する家族はたまったもんじゃありません。冷静さを欠いて当たり前。
「人生、ここにあり!」で、精神病患者の入院が廃止されたイタリアで、「患者が家に帰ってきて、今度は家族が発狂しそうになった」と言う医師の言葉は、家族の心労を思いやった言葉なのです。笑える作りになっているはずが、私にはとても笑えず、涙がこみ上げてきました。大げさでも何でもない、リアルな描写でした。

感情の起伏が抑えられず、激情型のティファニー。二人は薬物治療を拒否していますが、むくむ、太る、やる気がなくなるなどの副作用を理由にしています。薬品名を出し盛り上がる二人に思わずクスクス。何度も「あなたと付き合いたい」とサインを出すティファニーに気づかぬパットは、デートの最中、「俺はあんたみたいな変態じゃないし。俺の方がず〜とまし」発言。これには場内一人で爆笑してしまいました。いやいや何を仰るパットさん。五十歩百歩か、あんたの方が上でっせ。これはよくある事で、自分を病気だと思っていない患者さんでも、他人が「おかしい」のはわかるのです。「あの人、変やで・・・」と、私も時々患者さんから聞くのですが、「いやいや、あんたの方がずっと変やし」とも言えず、「そうですかね〜、私はあんまり解かれへんわー」と答えたりしています(笑)。ティファニーはこの発言に激昂し、凄まじい反応をしますが、これも何かよくわかるので、笑ってしまいました。

この二人は、所謂「病識がない」状態です。適切なカウンセリングと薬物治療が必要なのに、それを拒否または嫌々通っている状態。精神科薬の副作用は、上記に書いた以外にも、便秘・胃痛・振戦などがあり、その副作用を抑えるため、またお薬が出されます。飲みたくない気持ちはとてもわかる。それでも服薬して欲しいのです。パットが自分の状態に気づき、早くに服薬していたら?浮気相手を半殺しになるまで痛めつけなかったと思います。それは「理性」です。精神疾患を患うと、不測の事態には感情失禁が起こり、収集がつかない事があり、他人から見れば、近寄りたくない危険な人に見えるはず。数々の副作用があっても、服薬は私は患者さんに、「人間らしさ」を取り戻させるものだと思っています。

実家に飾ってあった兄と自分の写真が、自分だけ外されいるのを確認するパット。父にとっては不肖の息子なのでしょう。しかし父は血の気が多く、アメフトのスタジアムで乱闘騒ぎを起こし、今じゃお出入り禁止。パットとの親子の絆を確認する手段が「懸け」とくりゃ、まぁ大した親父さんです。しかししみじみと、「お前とどうやって関われば良いのかわからない。父さんを許して欲しい」と言う素直な親心を聞くと、ホロホロしてしまいます。根は良い人なのです。

パットは「僕は父さんに似たんだ」と言います。確かに素因は受け継いでいるのでしょう。ならば何故父と息子は違うのか?パットの場合、環境が病気を誘発したのでしょう。よく精神病は遺伝だと言われます。高血圧、ガン、などは、皆大っぴらに「我が家の血筋」と言うのに、精神病の血筋は、ともすれば「汚い血」の様に言われ、あまり人には言えないものです。もちろん気持ちはすごくわかります。しかし、パットと父の違いを観て、その素因があっても発病するしないは、環境や出来事だと思ってもらえたら、と思うのです。だからパットは、ストレス満開のロニーを気遣うのです。

実は監督の息子さんは、やはり躁うつ病なのだとか。それで描写がリアルなのですね。そして監督もこの作品のデ・ニーロのように血の気が多く、ハリウッドではトラブルの多かったとか。そう思うと、この作品は、至らなかった父としての息子への詫び、ハリウッドへ「悔い改めます」の懺悔と感じるのです。正に負うた子に教えられ、と言う事でしょうか?

夫の死後会社の同僚全部と寝たため、解雇されたティファニー。夫の事故は自分のせいだと、責めていたと思います。手当たり次第と言うのは、夫婦の関係に水をさした原因がセックスだったからなのでしょう。とにかくコミュニケーションが不全で、一生懸命なのに、結果は相手を振り回しているだけのティファニー。そんな彼女のついた「嘘」は、日頃が激情の様子なので、パットを思いやる心が胸に染みます。アンジェリーナ・ジョリーがこの役を熱望していたそうですが、私は若いジェニファーが演じる事で、未熟な痛々しさと純粋さの両方を感じられたので、彼女が適任だと思いました。主要キャストは全てオスカー候補でしたが、作品を代表してと言う意味で、彼女が一番ふさわしいと思います。

忘れちゃならないのが、お母さん。子供を溺愛する過保護ママと宣伝に書いていますが、本当に映画観て書いているのかと。息子が患っていた事は知らなかったはずの母。まずは精神科患者の家族としてビギナーです。そんな母が、我が手で息子を何とかしたいと思うのは当たり前。ちゃんと裁判所で手続きを踏んでいるし、許可も貰っているのだから、過保護だなんて、言われる筋合いはないです。子供を見守るなんて芸当、ず〜と後から出来るもんです。裁判所の採決の時のお達しが、きちんとカウンセリングに通い服薬する事でした。それを母は決して忘れません。渋々でもパットが受診に繋がったのは、彼女のお陰です。そしてあの親父。賭け事で熱くなったのは、今回が初めてではないはず。この夫を支えて家庭を守ってこれたのは、彼女が賢い妻・優しい母であった証拠です。それを表現したのが、団欒の場には必ず登場する、カニの唐揚げだったんでしょう。

退院はさせたものの、アクシデントに「やっぱり退院させるべきではなかった」と泣く母。親の気持ちもぶれています。しかしその母を見つめるパットの悲しげですまない表情を見逃さないで欲しいのです。彼もまた、親に申し訳ないと思っている。お母さん、あなたの息子は冷血漢ではありません。心優しい息子なんです。

劇中でカウンセリングと服薬の必要性をきちんと説き、ダンスによる運動のお蔭で、熟睡し規則正しい生活が出来る様になっていきます。そしてダンス大会に出場すると言う目標でやり甲斐が出来る。二人共生き生きする様子は、精神科患者のお手本のようです。薬は患者を決して廃人にするものではありません。調子が良くなり、減薬していく患者さんを、私は確かに知っています。そうやって頭がすっきりしてきたパットは、ティファニーのサインに気づき、新たな目標ができた今、妻に対しての固執は、間違ったものだったと気づいたのでしょう。精神疾患に完治はなく、寛解もあまりないのが現実。きちんと病識を持ち医師に診てもらう、その重要性が作品に盛り込まれているのは、本当に感激しました。

一見ハッピーエンドのような結末は、ほんの一歩踏み出しただけ。二人は失業中のままだし、周囲も同じです。しかし幸せそうな二人の顔を観て下さい。幸せだと感じられる、その事が大事だと思います。トルストイの「アンナ・カレーニナ」の出だしは、確か「幸福な家は似かよっているが、不幸な家はそれぞれ異なる」だったと思います。文豪に物申して大変恐縮ですが、現代は幸せの形も異なると思うのです。人間は不完全なもの、人生は皆が欠落を抱えて生きています。人と比べない自分なりの幸せを求め生きて行く、その尊さを教えてくれる作品です。


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