ケイケイの映画日記
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2009年度カンヌ映画祭「ある視点」部門受賞作品。アカデミー外国映画賞にも、ノミネートされたギリシャの映画です。清楚かつクラシックな題名と反語するようなR18指定に食指が動き、観てきました。全編ブラックな笑いに包囲されつつ、謎がいっぱいの作り。はっきりとは描いていないのですね。普通に観てたら、ただのマジ〇チ家族のホームドラマです。それだけでは余りに勿体ない面白さだったので、今回全編ネタバレで検証したく思います。監督はヨルゴス・ランティモス。
プールや森のような庭のある大邸宅に住む富豪家族。構成は両親と長男・長女・次女。しかし家を出られるのは父親だけ。両親は家の外は汚らわしく恐ろしいものだらけと子供たちに教え、学校にも行かせず、一歩も外に出さずに育てていました。従順に育った子供たちは親の言いつけを守っていましたが、年頃になった長男の性処理のため、クリスティーナと言う女性を父が連れて来た事から、子供たちに変化が起こります。
「高速道路」は「強い風」、「お電話」は「塩」など、全くめちゃくちゃな単語の意味を学ぶ兄弟の姿が冒頭で映されます。奇妙さ全開。俗世間の物は存在を教えたくないのでしょう。その後の子供たちが遊ぶ様子も、熱湯に指を入れて誰が最後まで持ちこたえるか、クロロフィルムを嗅いで、どちらが先に目覚めるかと言った類の、身体痛めつけ系。人形の手足をハサミで切りながら、「キャー!」と自ら絶叫する次女には笑いが止まらず(注;私がです)。親には従順でも、心はまともに育ってねーよ感が満載です。
クリスティーナは娼婦ではなく、父の会社のセキュリティ担当員。アルバイトで連れてきています。長男と引き合わせるも、全裸になりいきなり挿入でびっくり。エロスもお楽しみ感も全くなく、まるで「健康のため」のエクソサイズみたい。下界の風を吹き込むクリスティーナに、姉妹は興味津々。お洒落や外の生活のことを、彼女から聞き出そうとします。
クリスティーヌは「エクソサイズ」を重ねて姉妹と打ち解けてくると、自分の持ち物と交換を条件に、何と長女にクンニを要求。従う長女。あんな排泄行為みたいなセックスじゃ、火がついた体を持て余したのでしょう。だからってアンタも変態だよ、クリスティーナ。それにも増して、素直に応じる長女にも愕然。これも無菌室子育ての弊害か?
セックスなのですが、結構いい年の両親、60歳前後くらいでしょうか?この人たちも、イヤホンで音楽を聴きながらセックスしています(年が年なので、映されるとエロではなくグロ)。またまた挿入だけ。同じ年頃なのに、姉妹の性には無頓着で、長男のみ特別扱いなど、ギリシャではまだ男尊女卑的思考があるのかと感じます。
「妊娠したいわ。それも双子。犬も欲しい」と母。えぇぇ!あんた閉経まだだったの?そして妻の願いを「喜んで」聞き入れる夫は、「お母さんはもうじき双子と犬を産む」と子供たちに宣言します。えぇぇぇ!お父さん!えぇぇぇぇ!犬を「産む」って・・・(茫然)。
壁の外を意識してぶつぶつ喋る長男、おやつをくすねて、壁の外に投げる長女。下界へ意識が向きだした子供たちに、外に出るとこんなに怖い目に合うぞ〜と、狂言で血だらけの怪我を装う父。「外に行った親戚も・・・」みたいな台詞。「兄弟」だっけ?もしかしたら、この子たちは誘拐されて来た子なんじゃないか?と推測しました。その時の長女の台詞は、「きっと生きてくれると信じていたのに!」みたいな言葉。だから外の人のため、食べ物を投げたんですね。これは逃げ出した人の事を意味する思いました。だから60くらいでも「産める」のでしょう。無菌室子育ては、実は拉致監禁じゃないのかな?
だいたいこの子たち、名前がないのです。年齢もだいぶいってそうなのに、似つかわしくないティーンのような服装で、年齢の順番もわかりにくい。「お母さんは?」と言う問いに、また「部屋で独り言を言っている」と言う姉妹の会話がありました。多分精神疾患があるのでしょう。子供を亡くしていて、そこから妻の妄想が始まり、夫は愛する妻の願いを叶えるべく、偽装の家庭を築いてきたのかと思いました。
クリスティーナのせいで、下界への興味が止まらない長女。クンニを要求した事を父にばらすと脅し、ビデオテープをゲット。スクリーンには画面は全く映りません。何度も繰り返し見たのでしょう、長女が口真似で言うセリフから、映画は「ロッキー」「ジョーズ」だとわかります。この辺は私のような中高年しかわからんか。テープは三本あり、両親の結婚記念日に珍妙なダンスを踊る長女の様子から、もしかしたら「フラッシュ・ダンス」か?と思いましたが、これも当たっているようです。
映画(それもハリウッド大娯楽作)が決定打で、外へ出る決心をする長女。その様子がまた壮絶で。親が犬歯が抜けたら親から自立だと言うので、自分で折っちゃう。石で(ひえぇぇぇ!)。この子はどうも暴力的なところがあって、自分の欲望には例え血をみても突き進もうとするきらいがあります。
そして映画の原題の意味は「犬歯」。犬の鳴き真似を防犯訓練だと称して家族に強いる父や、訓練に出されている本当の犬がいて、如何に訓練が大事がを描いているので、「犬」はキーワードなのでしょう。父の家族を愛する気持ちは、大層歪ですが、これだけ労力掛けて手を掛けているところを観ると、彼なりに真実なのでしょう。だから犬と人間を混同して、犬のように愛しているって事か?クリスティーナに後背位を要求する長男は、「お父さんには言わないで」と懇願します。これはただのユーモアなのか?ジョン・ヒューストンの「天地創造」で、人類が人間として確立するまでは、性の営みは後背位ばかりだったのが、人間として成熟してくると、正常位となったシーンがありました。犬のような愛情で育てたから、犬みたいな恰好が好きだって事?でもそののち、長女とのセックスのシーンではまた正常位。二人は一応姉弟で、これも「犬並み」って事か?この辺は一応咀嚼出来ても、自信なし。
家を飛び出す長女は、外に出るのに父の車のトランクに入ります。家族が邸宅銃を探しまわるも見つからず。長女の代わりか、明日「犬」を連れてくると言う父。父の会社の前で車は停車し、その車を映して映画はエンド。BGMもなく、それだけ。へっ?「出して〜!」と長女はアクションも起こさない。監督、どうしたらいいんですか?勝手に想像してね、と言う事ですか?
という事で、ない頭をしぼる。例えばこの家族が本当に血がつながっているとしても、このような子育ては自我の目覚めを潰し、無菌状態は返って菌に対しての抵抗力を弱くする。幼稚園くらいから社会性を身に着けさせれば、あの子たちのような歪な性格にはならない。子供とペットと同じにしたら、あかんよ。だから長女は飛び出しても、どうリアクションしたらいいかわからんと言う、反抗だけして生命力に欠ける子になったのよ。このマジ○チ家族の崩壊は、案外普通の家庭でもやってることじゃなかろうか?
と言う結論に至りました(全然自信なし)。私のレビューじゃわかりにくいですが、とにかく笑えました。でも笑えない人も確実にいる作品。なので我こそはブラックユーモアを愛する者、と自認する方だけにお勧めします。カンヌが如何にも好きそうな作品です。
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