ケイケイの映画日記
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2012年07月12日(木) 「少年は残酷な弓を射る」




私の職場の事務長は30代前半の男性で共働き。この四月から一才の息子さんが保育園に通われるようになりました。「保育園に行き出してから、僕が世話しようとしたら、寄るな触るな、お前なんかあっち行け!みたいな態度でね。家では母親の側を離れないんですよ」と、こぼしていました。事務長は大層なイクメンで、いつも感心しているのですが、そのイクメンにしてこの体たらく。「子供にとって母親以上の人はいませんから。それって正常な成長ですよ」と、私は言ったのですが、この作品の母親に辛く当たる悪魔のような息子のケビンも、真逆のようで実は同じなんだと、観ているうちに感じました。母親にとっては辛い作品ですが、親子関係の真理がいっぱい詰まっていました。女性監督のリン・ラムジーの作品です。

作家のエヴァ(テイルダ・スウィントン)は、キャリアの途中で妊娠。誠実で温厚なフランクリン(ジョン・C・ライリー)と結婚します。程なく息子ケビン(少年期エズラ・ミラー)が誕生。しかし昼夜問わず泣くケビンに疲労困憊のエヴァ。父親の前では機嫌が良いのに、母親の前では常に泣き通しです。それは幼児期に移行しても変わらず、いつまでもオムツが外れず言葉も発せず。父親の前では至って普通の良い子です。やがてケビンは美しく賢く申し分のない少年に育ちます。しかし何故か母エヴァの前では、常に悪魔のように恐ろしい子のまま。やがてそれが悲劇を生みます。

冒頭、どこかの国のお祭りでしょうか?真っ赤なトマトを体中塗りたくる群集。その中で開放感で満ち足りた表情のエヴァ。若い頃です。エヴァの奔放さを表しています。フランクリンとのセックスシーンしかり。かなり強烈なシーンですが、この残像がエヴァを観る時常に残ります。と言うか、そのためのシーンなのだと思います。

これ以降は、現在町中のバッシングを浴びながら、ひっそりと一人暮らすエヴァの日常と、過去から現在までの回想が、交互に描かれます。時間を追って描いているので、あの奔放なエヴァが何故現在息を潜めて暮らしているのかが、わかり易いです。

エヴァは妊娠を機にフランクリンと結婚。しかし赤ちゃんの時代から昼夜泣き通し、発達も異常に遅れたケビンの育児に疲弊するエヴァが描かれます。きちんと医師に見せるし、母親として機能訓練も怠らない。きちんとした母です。しかし「ケビンが生まれる前は、ママは幸せだった」と、息子に向かって発したと思われるエヴァの独白が流れます。そして世界各地を旅行していた時を懐かしみ、自分の部屋の壁を地図で覆い尽くし悦に入るエヴァ。その時ケビンは長時間ほったらかしなのに。

母性愛とは子供が生まれた途端に溢れ出る人もいるでしょうが、私は育児の過程で、母親自身も育つものだと思います。自分に向ける子供の笑顔、後追い、授乳。私がいなければこの子は育たない、その思いが母性や責任感を育み、幼児期の母子の強い絆が生まれ、それが成長しても良い形で残るのだと思うのです。

手を焼く子を授かり、エヴァは母性を育む時期を逸したのだと思いました。しかし母親としての責任は放棄せず心も病みもせず、私は偉いと思いました。夫も彼女を責めない。誰も責めない。しかし唯一責める者がいたのです。それがケビン。子供の事を一番に思えぬ母を、彼は許しませんでした。

この母と息子は似ているのです。しぐさや食の好み、そっくりです。そういう些細な描写を積み重ね、エヴァとケビンは表裏一体だと描いています。だから、ケビンとて不器用な子供なのです。「ママ僕だけを愛して」が言えない。その代わり自分をほったらかした罰として、地図をインクだらけにするのです。

自由で奔放で大胆なエヴァ。対する夫は凡庸で善良で温厚。しかしエヴァは、研ぎ澄まされた自分にはない大らかさをフランクリンに見出し、彼に安らぎを覚えていたのでしょう。そんな妻の気持ちを知らぬ夫の鈍感さまでも。これこそ相性です。親子にも相性はあります。子は親を選べぬと言いますが、親だって子を選べない。こう思った親はたくさんいるはず。私だってそうでした。

しかし子供と共に子育ての喜怒哀楽を知り、お互いに妥協点を見つけて受け入れて行く。多くの親子がそのはずです。それが出来ないケビン。母親を小馬鹿にし憎悪し続ける姿は、「僕だけを観て欲しい」強烈な母への愛情に思えました。

わざと脱糞する幼い息子に怒り、壁に投げつけたエヴァ。ケビンは骨折します。本当の理由を息子は父親には言いません。罪悪感に苛まれ息子に謝罪する母ですが、やはり息子と向き合いません。あの時のケヴィンは、「母親ならこうするはず」の公式から外れた、素の母に出会い嬉しかったのでしょう。それが暴行であれ。エヴァは母として「ねばならない」に縛られ、感情の発露を見せません。それを露悪的に表現したのがケビンの行動だったのでしょう。きっと彼も、自分のしている事の本質はわからなかったはずです。

街中の人がエヴァを憎み無視する。それはケヴィンのしでかした事のせい。この様子が常軌を逸しています。違う街に引越しも出来たはずなのに、地獄の中でたった一人息を潜めて生活するエヴァ。夫も、年の離れた愛らしいケヴィンの妹もいない。何故たった一人エヴァが残されたのか?その理由に行き着いた時、自分こそ息子より重い罰を受けなくてはいけない、彼女はそう考え町にとどまったのだと思いました。

母「何故あんな事したの?」息子「その時はわかっていたつもりだ。でも今はわからない」。わかるのには、もっともっと時間がかかるかもしれない。息子のTシャツにアイロンをあて、彼の「帰り」を待つ母は、以前の母ではありません。心から息子を愛する母なのです。紆余曲折と言う言葉では生優しすぎる母と息子の愛の軌跡。あぁ私は凡庸な母親で良かったと、同じく凡庸で鈍感な息子たちに感謝したくなった作品です。


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