ケイケイの映画日記
目次過去未来


2012年05月03日(木) 「わが母の記」




昭和の文豪・井上靖の自伝的小説の映画化です。前評判通りの情感豊かな作品で、母と息子の愛だけではなく、親子の終焉の在り方にも言及した秀作だと思います。所々気になる点はありますが、それはまた後程。監督は原田眞人。

流行作家の伊上洪作(役所広司)。妻(赤間真理子)と三人の娘に恵まれ、仕事も順調です。しかし幼い時の一時、母(樹木希林)と離れて暮らした事で、自分は母から捨てられたと言う思いがぬぐえません。父が亡くなり、上の妹志賀子(キムラ緑子)が主だって母の面倒をみて、伊上や下の妹桑子(南果穂)も手伝います。老いてきた母は、認知症の傾向が段々と強まってきます。

昔の作家さん一家は、家族総出で作家を支えたのですね。珍しい風景が画面で描かれます。今ではメールやパソコン、FAXなど駆使して時間が短縮出来るものも、人海作戦。妻は段取りに大忙しです。昔亡くなった森瑤子のエッセイに、自分は主婦なので、締切が近付き家事がおろそかになると、夫がとても機嫌を損ね、とても不満に思っていたが、ある時男性作家(名前は失念)の後ろ姿を観たとき、家族を背負って書いている人の厳しさがひしひしと感じられた。それに比べれば自分の苦悩など如何程の事かと、割り切れることが出来たと書いていました。伊上家を見ていると、全くその通り。作家=家業なのです。三女(宮崎あおい)は、家族を小説のネタにする父親が不満ですが、父としてはこれは生業、家族を食わせて行くためには、当たり前の事なのです。そして書かずにはいられない、作家の業も感じるのです。

娘には大声張り上げ怒鳴る伊上ですが、母には絶対声を荒らげません。昭和とはそう言う時代だったのでしょうが、そこにわだかまりを託つ伊上の心も読み取れます。母にしても、男子は一人なのですから、もっと愛情を示しても良いものを冷ややかです。離れていたのは伊上が五才から中学に上がるまで。子供が物心つく時から多感な年頃で、親子関係に水をさしているのがわかります。

認知症と言う言葉は最近のもので、この時代は痴呆と言う言い方が一般的だったと思います。介護サービスも無い時代、老いた親を見るのは子供の務めであったでしょう。伊上家は所謂インテリのお金持ち。姉妹の会話にインテリ臭が多少あったり、豪華なホテルで母の誕生日を施すなど、ちと庶民からは贅沢だなと感じる場面があり、ともすれば感情移入を削がれるがちです。そこを救うのは、樹木の絶妙の演技。子供を罵ったり暴力的になったり、認知症の行動は、あの母が・・・と子供を悲しませる事が多いのですが、その辛さや、やりきれなさも感じさせながら、上手くユーモアと愛嬌に感じさせます。台詞と演出に品が良いのも好感が持て、観客の生活レベルまで落とすではなく、同化して観ることが出来ます。

母の介護を軸に描かれる、伊上家の日常。長女が結婚したり次女や三女が結婚したり、年月を重ねながら四季の移り変わりを描く風景が美しい。何故伊上が母と離れて暮らさなければならなかったのか?その秘密の明かされ方には、少々疑問が。これは親子間で、いくらでも聞けた話です。しかしそれを後回しにさせるほど驚愕したのが、妻の言葉でした。いやこの奥さん恐いわ。確かに一理ある。この妻は作家と言うものの本質を見極めて、貞女として振る舞いながら、実は家庭の轡を引っ張っており、馬が伊上、その上に乗る騎手が奥さんだったのですね。

でも私なら出来ないな。夫が苦しんでいるなら、少しでも役に立ちたいと思うはず。そこには私にも息子がいるから、と言うのがあるのでしょう。伊上家は三姉妹、我が家は三兄弟。男子を生むと、無意識に夫を通して息子、息子を通して夫を観る時があるのです。家族皆が失踪したお婆ちゃんを優先して、伊上に探しに行けと言った時、「三女に任せたら」と本音を言ってしまい、そして無視された妻。どこかでお釣りはくるものです。そう思うと、ちょっとだけこの奥さんも理解が出来そう。

母の死を看取った志賀子に、心からの労いの言葉をかける伊上。万感を胸に抱き号泣する志賀子。私が一番泣いのは、伊上と母ではなく、志賀子の涙でした。この充実感と寂しさの入り交じった感情は、親の介護をやり通した子供がだけが抱ける、神様からのプレゼントなのだと思います。子供やその家族全員が長く母の介護に当たり、確執も恩讐も越えて、心置きなく見送れると言う、素晴らしい親子の終焉でした。

人生の晩年、親が子供に手を焼かせるのは、それは子供孝行なのではないか?と思うのです。例えばあっけなく三日くらいで親が死ぬとします。この世で別れる心構えもなく親の死を迎えたら、子供の心には、いつまでも「申し訳なさ」が残るのではないでしょうか?厄介だ、もう嫌だ、でも親なのだと自分を奮い立たせた日々は、のちのちの子供の人生に、確実に血となり肉となるものを残すはずです。これは私の実体験でもあります。

伊上家は人出もあり、お金もあると言う恵まれた家庭でしたが、その代わり今の時代には、介護ヘルパー、デイサービスやショートステイなどがあります。デイサービスに通うお年寄りを見ると、あそこは高齢者の保育園だなと思います。子供が小さい時、幼稚園や保育園に行くと、仕事や家事、そして息抜きが出来るので、ほっとしたものです。それを今度は子供の側が感じるのですね。正に歴史は繰り返す。大事な事は、決して親子の縁を断ち切っちゃいけないという事です。色々上手に介護サービスを使って辛さを乗り切りたいですね。

私も老後は健康に気を配り、息子たちには迷惑をかけたくないけれど、でも自分の力でどうしようもない事は、遠慮なく頼もうと思います。それが息子たちのためだから。しっかりそれを認識させてくれた作品です。


ケイケイ |MAILHomePage