ケイケイの映画日記
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2010年09月12日(日) 「瞳の奥の秘密」




今年度アカデミー賞外国映画賞受賞作のアルゼンチンの作品。オスカーの外国語映画賞受賞作は、「善き人のためのソナタ」など、深い感銘を受ける作品が多く、個人的には作品賞より注目している部門です。この作品も、25年前の殺人事件をモチーフにして、サスペンスタッチで盛り上げながら、同時に秀逸なメロドラマとしても観る事が出来る作品で、その情感の豊かさに、何度も観ながら胸にこみあげるものがありました。ラテンの情熱を静かに秘めながら、奥ゆかしい格調高さを感じる作品です。

裁判所を定年退職したベンハミン(リカルド・タリン)は、かつての上司で、今は検事に昇進しているイレーネ(ソレダ・ビジャミル)を訪ねるため、久しぶりにかつての職場を訪れます。25年前、共に関わった殺人事件を元に、小説を書き始めたと語るベンハミン。それをイレーネに読んで欲しいと言うのです。それには、殺害された新妻を思い続ける夫の哀しさと共に、二人の秘めたる思いも浮き上がっていくのでした。

歳月の経過は役者を替えず、一人で担当しています。各々メイクの力は借りていますが、25年の歳月を不自然さなく見せており、これは演技がしっかりしている証明だと感じました。特筆すべきはイレーネ役のビジャメル。溌溂とした20代と、落ち着きと品を感じさせる現在それぞれの美しさをきちんと体現。特に現在の美しさには人生の年輪を感じさせる知性の深まりも感じ、見事でした。

タイトルに込められたように、それぞれの瞳が物語を引っ張ります。ベンハミンが犯人の目星をつけたのは、その瞳に自分のイレーネに対する思いを見たから。イレーネが容疑者の罪を確信したのは、自分を見た眼差しから。サスペンスとしては少々強引過ぎる展開ですが、そこに込められた思いに、愛や嫌悪を上手に感じさせるので、観ている方は受け入れ易いです。そして一人で犯人を駅で待つ、リカルドの瞳の奥底の哀しみ。妻が殺されてから、ずっと変わる事のなかった彼の瞳こそ、この作品のタイトルだと、観終わった後感じました。

面倒だからと、犯人ではないのにでっちあげたり、超法規措置で殺人犯が簡単に釈放されたり、当時のアルゼンチンの治安の暗部も描いているのでしょう。見ていて絶句してしまうのですが、これはアルゼンチンに限らず、どこの国でも大なり小なりあったことだと思うのです。大事なのは今、過去を振り返り、繰り返してはいけないと提言出来るかどうかと言う事です。イレーネの検事と言う職には、その思いが込められていたと思います。

驚愕の顛末だそうですが、如何せん私はカーテンを閉めたシーンで、その顛末の予想がついてしまいました。しかし私が驚愕し、深い悲しみをリカルドと共有したのは、「彼(リカルド)に話しかけてくれと言ってくれ。彼の声が聞きたいんだ・・・。」と言う、とある人物の言葉です。その言葉には、「ここ(駅)に来ないと、妻を忘れてしまうのです。妻が殺された朝、はちみつ入りの紅茶を入れてもらいましたが、本当に入れてもらったかどうか、今では記憶がおぼろげなのです」とリカルドが語った日から現在まで、時間の止まったリカルドの人生が凝縮されていたと思います。

なのでベンハミンとイレーネの行く末は、とても納得行くものでした。生を分かち合う愛する人がいる、それがどんなに尊いか、ベンハミンはリカルドを観て思い知ったのでしょう。リカルドは彼の人生に自分を重ねるベンハミンに怒りました。その意味がわかったのでしょう。

愛嬌のあるセリフやユーモアが、暴行されて殺害された新妻がモチーフという凄惨さを薄め、セリフではなく、プロットと俳優の無言の演技で、怖れや絶望、痛ましさなど、喜怒哀楽以外の微妙な感情の揺れが表現出来ているところなども、作品の格を上げています。「行間を読む」というわかりにくさでは無く、誰にもわかる演出なのが好印象でした。

梅田シネリーブルは超満員でした。多分各地でロングランすると思うので、この機会に珍しいアルゼンチン映画を、是非ご覧になって下さい。





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