ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
う〜ん、困ったなぁ。語り口や画の美しさなんて、さすがアルモドヴァル!というくらい堪能出来ますし、ペネロペの美しさも圧巻。でも私の期待したアルモドヴァルじゃなかったです。少々不満の残る作品です。
2008年のマドリード。新進の映画監督だったマテオ(ルイス・オマール)は。ある事がきっかけで14年前に視力を失い、今はハリー・ケインと名乗り、過去を封印して脚本家として生きています。仕事のパートナーであるジュディット(ブランカ・ポルテージョ)とその息子ディエゴ(タマル・ノバス)の助けを借りながら、平穏に暮らしていた彼の元に、ライ・Xと名乗る男が現れ、マテオに仕事を依頼します。その男の来訪により、マテオはかつて自分の撮った映画の主演女優だったレナ(ペネロペ・クルス)との、狂おしい愛の記憶が蘇ります。
過去と現在が交錯して描かれ、ミステリアスなマテオの過去が、レナが何者なのかを軸に描かれます。このプロセスは大変上手い語り口で、ぐんぐん作品に引き込まれます。マテオを演ずるオマールが謎めいた盲目の紳士を、ラテン男というよりフランス男のような優雅さと色気で演じるのが、大変よろしいです。
ペネロペの美しさも特筆もの。いつもセクシーで綺麗な彼女ですが、今作では七変化のように様々な美しさを披露していて、さすが監督のミューズであるペネロペを知り尽くしているなぁと、監督と女優の素敵な信頼関係も楽しめます。
映像も本当に綺麗でね、アルモドヴァル作品は、どれもこれも色彩が美しいのが特徴ですが、ファッションから調度品、風景に至るまで、これはため息ものです。その他出てくる女性は老いも若きもピンヒールを履くなど、監督の美意識全開の美術は文句なく楽しめます。
と、いいところもいっぱいあるんだけどね、どうもイマイチなんだなぁ。何故かというと、ヒロインに感情移入が出来ないのです。
レナはエルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)という、富豪の老人の愛人なわけですが、直接愛人になった理由は、父親の入院費のため。レナの母親の二人を見送る時の長いショットは、これから娘は親のためにあの老人の愛人になるのだという、親としての深い切なさと申し訳なさが漂っていました。これがあったので、心理描写に繊細な演出を期待したのがいけなかったのね。
老いたエルネストのレナへの執拗な執着はそこそこ描かれていますが、正直こんなもんか?程度。あれくらい普通じゃないかなぁ、金がありゃ。愛人なので変形不倫なわけですが、私から見ればエルネストはモンスター的気持ち悪さより、孫みたな年の女に入れ上げる愚かで可愛い爺さんに観えたので、レナの嫌い様の方が納得行きません。だいたい恩人だろ?そういうのを忘れさせるほど、ひどい男には私には観えませんでした。確かに裏切りを知ってからのエルネストは常軌を逸しますが、それまでのプロセスに納得いかない訳です。エルネストを嫌うレナではなく、豪華な暮らしの中の籠の鳥的レナの閉塞感の方に、もっと焦点を当てた方が個人的には良かったと思います。
マテオとの「純愛」も、マテオはともかくレナの方は、エルネストからの逃避目的に観えてしまいました。外見の美しさは絶品なのですが、中身が少々幼稚でお人形さん感覚なのです。ペネロペを美しく撮る事に一生懸命で、レナのキャラの造形が雑に感じました。
ジュディット親子の件とレストランの告白も、取ってつけたように感じてしまいました。ディエゴとの関係は潔いけど衝撃もなく、私は別になくても良かったと思います。やっぱ母親を描かせる方が上手なのかな?>アルモドヴァル。
ディエゴが語った吸血鬼映画のストーリーはとても面白そうで、次回作ってもらいたいくらい。その他レナの高級娼婦の時の源氏名のセブリーヌは、「昼顔」のドヌーブの役名だったり、劇中イングリット・バーグマンの作品が意味深に映ったり、映画製作の模様も随所に描かれています。私が好きだったシーンは、盲目のマテオが「今日はジャンヌ・モローの声が聞きたい」と、DVDで「死刑台のエレベーター」を盲目の目で観たがるシーンです。これが伏線となって、マテオは再生するわけですが、視力を失っても映画への愛は不変だと描かれていて、お遊び的演出と共に、アルモドヴァルの映画への愛を実感できたのは嬉しかったです。
というように、内容が悪いと言うより、個人的に残念だった作品です。私は円熟した彼より、昔のパワー溢れた変態チック全開の彼の方が好きですが、でもまた次も絶対観ますよ、アルモドヴァル。
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