ケイケイの映画日記
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2010年02月09日(火) 「インビクタス 負けざる者たち」




今や現役では世界一の大監督イーストウッドの作品。彼にしては「普通の感動作」として、映画好きさんたちからは、イマイチ物足らないという感想を、ちらほら目にしていました。なるほど、びっくりするほど「普通」でした。でも私は長男と三男がラグビーをしているせいか、それでも全然OK。私も大いに普通に素直に楽しみました。

1990年の南アフリカ。アパルトヘイトと闘い27年間投獄されたいたネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)が、ついに釈放されます。その後1994年初の全国民総選挙によりマンデラは大統領に就任。しかしアパルトヘイト廃止後も、黒人と白人の対立は続き、緊迫した情勢でした。そこでマンデラは翌95年に地元で開催されるラグビーのワールドカップを利用して、国民の心を統一しようと考えます。そしてチームのキャプテン・フランソワ(マット・デイモン)を官邸に招き、協力を要請します。

高2の息子から聞くと、今の南アフリカチームはすごく強くて、オールブラックスより上なんだとか。しかし当時はアパルトヘイトのせいで、世界中からは対外試合から締め出され、本当に弱小チームと化していました。映画は撤廃後すぐから始まり、見事なボカ(チームの通称)の負けっぷりを見せています。

ラグビーというのは発祥はイギリスで、南アフリカに持ち込んだのも白人です。なので黒人選手もチェスター独りで、他は全部白人。南アフリカの黒人にとっても、ラグビーは「アフリカーナ(南アフリカの白人)のスポーツ」であったと思います。

そんなラグビーを使って国民の心を一つにしようと考えるなど、マンデラの良い意味での知恵者、アイデアマンぶりが好感を持って描かれます。元のSPたちは当然黒人でまとめると思っていたのに、増員には白人を登用。「大衆の面前で黒人大統領を白人が守るのを示す事に意義がある」と言われると、彼の信奉者であるSPたちは、何も言えません。

この作品では、政権がマンデラに移り、今までの立場が逆転し、今度は自分達が迫害・暴力・多大な差別に晒されるのではないか?という、白人たちの恐怖心も描かれています。しかし実際には経済的格差はものすごく、権力者の立場にいるのは、少数派である白人ばかりです。白人が想像するような政策を取っては、暴力が暴力を生むだけの繰り返しで、国は変わらないとマンデラにはわかっていたのでしょう。

「獄中でたくさん本を読み、白人が何を考え何を思うか熟知した」というマンデラ。相手を知り相手の懐に飛び込んで行き、懐柔させる。それが真の正しい変換であると確信し、新しい国には白人の力が必要だと、黒人たちに説いて回るマンデラ。「刑務所で27年たっぷり休んだよ」と全く休みを取らず、南アフリカのため国内外を飛び回る様子と並行して、あんた秀吉ですか?と思うような「人たらし」ぶりを発揮するマンデラに、観ている私も素直に惹きつけられます。

後半からはラグビーの試合をメインにしていて、この撮り方が非常に上手です。試合中継のように遠くのアングルではなく、ローアングルから至近で撮っているので、臨場感たっぷり。選手たちもオーディションで経験者を使っているので、体型も全くいっしょ。本当にあんなにバチコ〜ン!と、ぶつかる音がするんですよ。

私も最初は息子たちに「怪我しないように頑張っておいで」と送りだしていたんですが、試合で応援するほどに、こんなに引っ張り回され蹴っ飛ばされ、あげく血を流して傷だらけで帰ってくるわけですよ。それなのに負けてどうすんのか!と思うようになり、「今日は骨折っても血だらけになってもええから、勝ってこい!」と送り出すようになりました。まぁそんな気持ちにさせる「紳士のする乱暴者のスポーツ」なわけですよ、ラグビーって。そういう熱く興奮させる様子を上手く撮っていました。飛行機の演出もナイス。

この試合の結果を知らない方もいらっしゃるでしょうから、結果は書きません。終了後フランソワの語る言葉が素直に胸を打ちます。この試合でアフリカーナはいなくなり、全ての南アフリカ国民は「サウスアフリカン」となるという件は、やはり感動的です。劇中にも登場する、有名なオールブラックスによるハカ。元はニュージーランドの先住民族の闘いの前の踊りで、試合前にこれを踊ることによって、オールブラックスは強いのではないかと、セリフに出てきます。気合いでもありますが、言い換えればこれは「祈り」です。どんなスポーツでも地元開催は有利と言われますが、それは国中の「祈り」が通じるからなのだと思います。

家族と上手くいかない、発展途上国を指導する人にありがちなマンデラの私生活の苦悩もチラッと演出。本当は白人の犬だと中傷されたり、あちこちで血で血を洗う抗争もあったはずです。しかし映画は、マンデラのカリスマ的な人柄と求心力に力点を置いて描いていて、それはそれで爽やかです。企画を持ち込んだのはフリーマンだそうで、彼はマンデラの友人。そういった事情で、イーストウッドもちょっと遠慮してか、いつもの深層心理をえぐるような描写はなかったですが、巨匠だってたまには素直な感動作が撮りたかったのさ、と私は思う事にします。

マンデラのいた獄中を訪ねたフランソワが、何故このような劣悪な環境にいて、マンデラは報復を考えず穏健な政策が取れるのか?と考えます。私もいっしょに考えました。それは「負けない心」を持ち続けたからでは?勝つのではなく「負けない」のです。それは容易ではありません。しかも持ち続けることはもっと大変。しかし勝たないまでも負けないでいることは、いつか陽の当たる場所に這い上がれる日が来るということです。繰り返される自分の人生の指導者は自分だという、マンデラの言葉は、万人に響く事でしょう。ちなみに今の南アフリカは、黒人選手でいっぱいだそうです。


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