ケイケイの映画日記
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2010年02月17日(水) |
「映画に愛をこめて アメリカの夜」(午前十時の映画祭) |
各地でスタートしている「午前十時の映画祭」、私はこの作品からスタートです。実は上映予定の50本をほとんど観ているものの、大半はテレビかレンタルなので、個人的には本当にこの映画祭を楽しみにしていました。この作品も確か公開時私は中学生で、当時は女の子独りで映画館なんて行く勇気がなく、親にも怒られるので(そんな時代だったんですよぉ。シネコンは味気ないけど、女の子一人でも安全に映画が観られるというメリットは素晴らしい)、焦がれながらパスした作品。二度ほどテレビとレンタルで観ています。その時も大変面白く観たのですが、今回私が年を取ったためか、こんなに愛らしい作品だったのか!を痛感。本当に映画への愛が溢れていました。監督はフランソワ・トリュフォー。アカデミー賞外国語映画賞受賞作。
フランス人監督のフェラン(トリュフォー)は、ニースで「パメラを紹介します」という映画を撮影中。主演はハリウッドからジュリー(ジャクリーン・ビセット)を招いていますが、彼女はノイローゼ気味で本当に撮影出来るか、監督とプロデューサーはやきもき。そうこうしているうちに、次々難題が押し寄せてきます。映画は無事完成するのか?
ストーリーらしいストーリーはなく、一本の映画が仕上がるまでの苦労を、ユーモアとキュートさ溢れる中、時々映画人たちの本音を織り込んで描いています。
契約書に縛られ自由に撮影出来ず、夫婦役の大物俳優(ジャン・ピエール・オーモンとヴァレンティナ・コルテーゼ)はかつて恋仲だったからと周囲は気を使い、子供がそのまま大人になったような主演のアルフォンス(ジャン・ピエール・レオ)に手を焼き、秘書役女優は妊娠を隠していたり、セリフを覚えられない大女優には怒る事も出来ずと、もうエトセトラ・エトセトラ。この他裏方スタッフの人間関係や恋のさや当ても描かれます。
下からも上からも突き上げられるフェランが、悪夢に苛まれるシーンが印象的。私の初めてのトリュフォーは、中三の時劇場で観た「アデルの恋の物語」だったので、こんなに痛くて辛辣な恋心を描く人が、実際は自分が胃に穴が開く思いをして作ってんのかぁ〜と、初見当時少々びっくりしました。しかし今回、こんな目に合わされてるんだから、映画の中でくらい痛めつけないと、やってられないよなぁとクスクス笑ってしまいました。
出演者の内情だけではなく、撮影風景も映されます。スタントマンによる事故死シーン、窓枠だけの家、泡だらけで作る雪のシーン、演技をしてくれない猫に困り果て・・・、とこちらもエトセトラ・エトセトラ。冒頭のシーンは雑踏で、大量のエキストラにも振付や演技指導があり、今なら遠目にしてCGかな?と思うと、なんて贅沢な作りかしらと、ため息も出ます。
映画作りは皆が家族のようになった時終わると語るコルテーゼ。裏方出演者入り乱れて、あっちでこそこそ、こっちでいちゃいちゃと出来あがってしまうのも、何か魔法にでもかかってしまうのだろうと、納得出来ます。それほど魅惑的な現場なのだと、観ていて感じるから。
私の大好きなビセットはイギリス人ですが、フランス語が堪能なためのキャステイングだったのでしょう。この人は不思議な人で、すんごい美人なのに、どんな男性との組み合わせでも相手を凹ませません。今回もオーモン、レオ、デヴィッド・マーカムと、様々なタイプの違う男性と組みますが、どの人とも不釣り合い感がなく、自分も美しく観えると言う離れ業を見せてくれます。案外トリュフォーは、ビセットのそういう控えめさが気に入ってのキャスティングだったのかなぁと、今回思いました。本当に綺麗でね、とっても満足でした。それとワーカホリックのクールビューティな秘書役で、とっても印象深かったナタリー・バイですが、今回はクールより一生懸命キャリアの階段を踏みしめているファイト溢れるチャーミングな女性に観えて、あぁ私、年取ったなぁと痛感しました、はい。
題名の由来は有名で、アメリカ映画は夜のシーンをカメラにフィルターをかけて、昼間に撮ることからきています。映画は虚飾であるということです。しかしその虚飾が、作り手の人生の全てで、観客の人生の娯楽や支えであることは紛れもないことなのです。この映画がたくさんの映画好きから支持され続けているのは、作り手と観客が夢中で映画を楽しむ、その一体感を味わえるからではないでしょうか?その時両方からの映画への愛が、この作品に注がれ続けているんだと思います。映画って本当に素晴らしい!
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