ケイケイの映画日記
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東野圭吾原作の映画化。重厚さは充分にあるのですが、全体的に演出が平板で、終盤まで盛り上がりに欠けました。しかし題材に少年犯罪を扱って、それなりの見応えはあり、水準作ではあると思います。
中学生の娘エマと二人暮らしの長峰(寺尾聡)。妻は二年前ガンで亡くなり、娘の成長だけが長峰の生きがいでした。しかしエマは未成年の不良少年たちに理不尽に連れ去られ、凌辱されたあげく、河川敷で死体となって発見されます。悲嘆にくれる長峰の元に、犯人の名前を告げる留守番電話が入り、長峰はその一人であるアツヤを殺害します。アツヤ殺害を自供する手紙を警察に出した長峰は、もう一人の主犯・菅野カイジを探します。菅野保護と長峰にこれ以上罪を犯させないため、警察は長峰逮捕に懸命に動きます。
昨今叫ばれるのが、少年犯罪での被害者と加害者の人権の比重の問題です。未成年であるため、将来の構成目的のため、名前も出ず量刑も軽い。加害者なのに重く人権が守られている。対する被害者及びその家族の気持ちは無視に近く、おかしいのじゃないか?と言う事です。
このことに関しては、私自身も法の在り方に疑問があり、この作品のやり切れない長峰の心中には100%以上共感してしまいます。この気持ちは捜査する警察側の人間も同じで、織部刑事(竹ノ内豊)は、レイプ殺人を犯した菅野を保護し、その心中を理解出来る長峰を逮捕しなければならない、その矛盾に葛藤する姿も描かれてます。
それと密告者なのですが、犯人グループの一味なのです。しかしこのクソガキ(暴言・でもこれで充分)が密告したと、警察では推定で事を進めますが、そんなことしなくったって、こんなチンタラのらくらした輩、日本の警察なら、一回の取り調べで一発で白状させることが出来る筈。あののんびりした取り調べは、いったい何なんだ?と憤慨しておりましたら、どうも原作はこのクソガキが密告したんじゃないそうで。
他にも長峰はライフルを手渡されるんですが、ライフルってちょっと扱い方を聞いただけで、素人にも的を撃てるもんなんですか?ここも謎でしたが、これも原作では長峰は学生時代射撃部だったという設定とか。何でこんな無理な変更したのか?
問いかけや描く内容は良いのですが、如何せん上滑りとまでは言いませんが、展開のテンポが遅く、描き方もここをもうちょっと作りこんだら涙腺決壊なのに、と思うところで次のシーンに行くという、何と言うか、薄味な作り。問題定義の底が浅い気がします。不良少年たちへの憤りは持続するのですが、長峰への共感は増さなければいけないはず。だって共感が増して初めて、観客は法の矛盾への怒りを増大させるわけでしょ?ずっと同じペースで、盛り上がりに欠けます。かといって退屈なわけではなく、気持ち60%のまま、ずっと最後まで行きます。
ラストの長峰の行動を、「グラントリノ」と重ねる感想を多数目にしましたが、うーん、根本的に違うと思う。イーストウッドの場合は、チンピラを逮捕させるのが目的でしたが、菅野の場合は、保護された後、レイプ事件と殺人で立件されるはず。イーストウッドと長峰は結果は同じでも、そこへいく過程も感情も、異質のものだと思います。
と、散々書きましたが、面白くないかと言えばそうではなし。印象に残るセリフや見せ場もあり、退屈はさせませんでした。特に良かったのは刑事役の伊東四朗と、ペンションオーナーの山谷初男。伊東四朗は、織部が託つ葛藤を、いやというほど潜り抜けて、今の彼がいるのでしょう。そしてたどり着いた結論が、「警察は法を順守する」ということなのです。しか決して冷徹なわけではなく、被害者にかける温情と自分の仕事に対しての区分けがきちんと出来ているのです。そういう老刑事の心境を、淡々と冷静なセリフ回しや表情で表現していて、お見事でした。唐突な行動に出る山谷初男も、彼が演じる事で、何となく説得感が出るから不思議。脇役とはかくあるべきですな。
号泣する気で観たので、そこんとこは肩透かしでしたが、誠実には作ってあります。ただ丁寧さが足りないです。社会派娯楽作としては、本当にそこそこ、観て損はないくらいの出来ではあります。
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