ケイケイの映画日記
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2007年09月14日(金) 「座頭市物語」(布施ラインシネマ ワンコインセレクション)

二ヶ月に渡り楽しませてもらった、我がラインシネマ・ワンコインセレクションの大ラス作品です。座頭市シリーズは、私が子供の頃も全盛でしたが、幼い女子がこんな人相の悪い、小汚い男性を好むはずはなく、もちろん無視しておりました。当時私が萌えていたのは、「0011ナポレオン・ソロ」のイリヤこと金髪碧眼のデヴィッド・マッカラムでして、乙女未満の少女としては、誠に正しい選択でございました。

きちんと観たのは、勝新が監督した最後の「座頭市」くらいでした。それが数年前、一作くらい観てみようと、九条のシネ・ヌーヴォの勝新特集で「血笑旅」を観て、あまりの楽しさに驚愕!笑いあり涙あり、そして豪快な殺陣ありで市さんに惚れてしまったわけですが、この初作、そういうエンタメ的派手さは控えめで、ぐっとヒューマンな作りになっています。

座頭市(勝新太郎)は、盲目の侠客。飯岡助五郎の元にわらじを脱ぐことになった市は、対立する笹川繁蔵の用心棒・平手造酒(天地茂)と知り合い、交流を深めていきます。

まずオープニングで狭い橋を渡る市の様子を、少しユーモラスながら盲目であると印象付けます。壺ふり賭博の場面では、まんまと目の見える三下やくざたちをひっかけて、金をせしめるのですが、この時やくざたちの卑怯さを罵ります。盲目である市は、「めくら」と言われるのは平気なのですが、「めくらのくせに」や「めくらごとき」など、盲目であることで見下されるのや、そのことに付け込む卑怯さを憎んでいます。、それが一貫して作品の中で主張され、私には座頭市=特別なスゴ腕の剣客というすり込みがあり、盲目と言うのは個性だと認識していたのですが、この作品では意外なほど障害者である点に力点が置かれており、障害者だけではなく、社会的弱者にも通じる視点で市が描かれています。

表面では市を持ち上げながら、彼の腕を大道芸くらいに思ったり、出入りで利用したい飯岡の親分。盲目と言う当時では想像以上のハンデを背負った市は、ズル賢く腹黒い親分を相手に、その上を行く狡猾さで立ち回り、舌を巻きます。市の度量と頭の良さを印象付ます。

平手との交流が静かに深まる描き方が秀逸。按摩の腕を磨いて検校という高い位を目指さす、ドスの使いが命のやくざものになった市と、深酒が祟り、剣豪であるのに、今は浪々の身でやくざの用心棒になり果てた平手は、世間的には半端ものでしょう。しかし二人の会話や様子から、人品卑しからぬ風情が漂います。この魅力的な二人の交流に時間を割いているのが、作品の格を上げているように思いました。

美しく気丈なおたね(万理昌代)と市の仄かな恋も素敵。月夜の道連れは、上手くセットを使って演出しており、ロマンチックでした。おたねはやくざ者の兄、夫を持ち、両方に愛想を尽かしています。金に困らなくても人の倫理をはずれたやくざより、盲目の誇り高い市を愛するおたねを描くことは、作り手の、そのまま弱者への暖かい視線のように感じます。

チャンバラ部分は思いの外少なく、派手なやくざ同志の出入り場面が一か所ありますが、それくらいです。市は居合い抜きのようなものを一か所、平手との対決が一か所と、ちょっと拍子抜けでした。バッタバッタ相手を斬りまくる市は、どうもその後シリーズが進むにつれて造形されたようです。

勝新太郎ももちろん素敵だったんですが、私は「血笑旅」以降の、愛嬌があり小太りの彼の方が色っぽく好みかな?今回は相変わらずニヒルながら、哀愁を漂わせた天地茂の方が素敵でした。

私の「座頭市」のイメージを覆すシリーズ初作でした。人さまより相当たくさん映画を観ていますが、知らないことはまだまだあるんだと知った次第。これからも精進しなくっちゃ。


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