ケイケイの映画日記
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2007年08月13日(月) 「ゾンビ」(布施ラインシネマ・ワンコインセレクション)

わーい、観たぞぃ!もちろん既に観ている作品ですが、ビデオとテレビ放映のみで、劇場では初めて観ました。ふと何で劇場では未見だったのかな?と思いだしていたら、公開時、ワタクシ好きな人がいたのですね(ポッ)。時々デートはするものの、友達以上恋人未満の感じでとっても切なかったのね。映画もよくいっしょに行ったもんです。時々「何が観たい?」と聞かれましたが、その時
「ゾンビ」とは、口が裂けても乙女心が言うのを拒んだのでしょう。今では他人事です。あぁ寂しい。

この手の作品は、マニアックに精通されている方がたくさんいるので、私ごときの感想など大したことはないですが、でもとっても楽しんだので、やっぱりちょっとだけ書いておこうと思います。だいぶ前に観たっきりなのですが、今回ディレクターズカット版と言うこと、記憶にないシーンもチラホラ。しかし劇場で観たせいか私が年がいったためか、定かではないのですが、色々新たな思いも湧いてくる久しぶりの「ゾンビ」でした。

今回超有名作にて、あらすじは割愛。
サラ・ポリー主演で、4年くらい前に「ドーン・オブ・ザ・デッド」としてリメイクが公開された時、走るゾンビにみんなびっくりしたもんです。私はアクション映画としてそれなりに面白かったし、本家「ゾンビ」を忘れていたこともあって、カール・ルイスのようなゾンビを拒絶する方たちは、それはゾンビというものの様式美を壊したからだと、私なりに解釈していました。でもそんなんじゃなかったんですね。根本的に走るゾンビじゃ、お話がまるで成り立たちません。

あのショッピングモールでの四人の行動は、あれはゾンビがノロノロ歩きだったことから、全て始まったと感じました。あのグロくてユーモラスな動き、これなら勝てそうだと。最初は脅威や哀れさを感じていたはずなのに、彼らの欲望を刺激したのは、ゾンビたちが四人に見せる「隙」だったように思うのです。その隙が四人に余裕を与え、余計なことまで考えさせたと感じました。

ロジャー(スワット隊員の小さい方)が噛みつかれたのも、ゾンビが彼らに与える隙が、油断をもたらしたのだと感じました。いっしょに地獄の街道を突っ走ってきたロジャーをピーターが撃ち殺すシーンは、何回見ても辛いです。「ドーン〜」の方は、いきなり出てきた親子間で同じ描写がありましたが、こちらはじっくり人間関係の絆を描いた後のシーンだったので、全然深みと余韻が違います。「ドーン〜」の方は、親子というプロット頼りです。家族がゾンビになったときの対応は、冒頭の方の「あなた!」と、ゾンビになった夫に抱きついた妻が、体中食いちぎられるシーンの方が、よりインパクトと悲痛さがありました。

数ヶ月間でショッピングモール内での彼らの住まいや、衣服がゴージャスになっていくのが、なんだか薄ら寒いのですが、滑稽でもあります。ああやって何でも手に入る状態なら、たとえ地獄の底でも、人間は危機感が薄らぎ欲が優先するのですね。人間とは欲の生き物、そう感じさせる語り口が素晴らしい。だってバリバリのカニバリズムの中、内蔵ぐちゃぐちゃ、あちこち血みどろを見せながら、心理的なものも強く印象づけるんですから、感嘆してしまいます。

強盗団の蛮行は、ゾンビ以上に怖いです。死んだ人間より、地獄から溢れだしたゾンビより、生きている人間の方がよっぽど恐ろしい。それ以上に恐ろしいのは、このショッピングモールにずっと根をはっていたため感覚が麻痺したスティーブンの、「ここは俺達のものだ」という言葉でした。

ゾンビになったであろう恋人スティーブンを捨てて、逃げる提案をするフランは、お腹の子を思う気持ちがそうさせるのでしょう。フランだけ逃がして、「ここに残りたい」というピーターの言葉は、辛辣だけど一番冷静でリーダー格だった彼だけに胸を打ちます。しかし土壇場で逃げようとするピーターには、もっと感動させられます。どんなに絶望が覆いかぶさっても、一筋光が見えたなら、人はやはり生きなければならないなぁと、「ゾンビ」で教えてもらいました。ピーターを演じたケン・フォリーですが、白人の中で黒人がリーダー格役を務めるのは、当時としては珍しかったと思います。期待に応えて、四人の中では一番その後活躍したみたいです。

ゾンビという映画史に残るモンスターを描きながら、人間の怖さ優しさ、弱さもたっぷり描けているという、傑作の冠に恥じない作品だなと今回再認識しました。制作より30年ほど経っていますが、全く古さも感じませんでした。お近くの劇場で観られる機会があったなら、是非足を運ぶ価値充分の作品です。


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