ケイケイの映画日記
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2007年07月10日(火) |
「ボルベール<帰郷>」 |
日曜日になんばTOHOで観てきました。ぼちぼち短縮授業&夏休みで映画の予定立ちづらく、少々高めでしたがオークションでチケット買っておいて良かった!アルモドバル作品の中では一番の傑作と前評判高く、すごーく期待しまくったので、ちょい期待値には届きませんでしたが、充分秀作だと思います。期待値に届かなかったのは、多分私の個人的な理由でしょう。女・女・女、それもラテンの濃〜い女性ばっかり出てくるのですが、暑苦しさではなく母性の暖かさがとっても心地よい作品です。
ライムンダ(ぺネロぺ・クルス)は失業中の夫、15歳の娘パウラ(ヨハンナ・コボ)を養うため、毎日朝から晩まで働く日々です。姉ソーレ(ロラ・ドゥエニャス)と共に、火事で亡くなった両親の墓を掃除して、その足で伯母のパウラの元へ顔を見せます。歩くこともままならず、老人特有の症状を見せる伯母に、ライムンダの悩みは尽きません。しかし娘パウラが性的暴行を加えようとした父親を、誤まって殺してしまった時から、ライムンダの生活は一変してしまいます。間が悪く伯母は亡くなり、隠ぺい工作に奔走するライムンダは、葬儀の全てをソーレに任せます。しかしそこでソーレは、幽霊になった彼女たちの母イレーネ(カルメン・マウラ)が、生前のパウラの世話をしていたというのです。
冒頭集団で墓掃除をする女性たちの賑やかなスペイン語が飛び交う様子で、私が何故ラテン映画が、とりわけスペインが好きなのかがわかりました。けたたましくたくましく、そして明るく。近隣の人との濃密な付き合い、目上の老齢の親せきを敬い心配する様子は、私が育った頃の在日社会とそっくりなのです。今じゃ在日は良くも悪くもマイルドになっていますから、濃さの軍配はスペインかな?
ぺネロぺがとにかく素晴らしい!ハリウッドに渡ってからは、何だかお飾り人形のような扱われ方で精彩がなかったですが、気が強くてたくましく、生活力に溢れるライムンダを演じて、見違えるような輝きです。彼女からボンボン投げ出される剛速球の母性は、思春期の娘に口答えひとつさせません。その一見がさつな様は、お母さんでもママでも、ママンでもない。母ちゃん、いやオカンそのもの。それなのに「母親のお尻はもっと大きくなくてはいけない」との監督の指令で、パットを入れたちょっと大きなお尻と豊かなバストからは、母性だけではなく女盛りのエロスも香っていて、とにかく絶品の女っぷりです。
そして母と言えば料理!成り行きで毎日撮影クルーの食事を30人分用意することになったライムンダが、夫の死体の処理もそっちのけ、お金もないのにあの手この手で毎日食事を振舞うにしたがって、世帯やつれが激しかった彼女が、段々と生き生きしてく様子は壮観です。
ライムンダと母イレーネには根深い確執がありました。イレーネはライムンダに許しを乞いたいと言います。それを聞く姉のソーレは、びっくりしながらも生きていた母を受け入れます。夜中にそっと母の寝床に添い寝するソーレからは、嬉しさが津々伝わってきます。同じ母から生まれた姉妹であれ兄弟であれ、一人一人には微妙に違う母親像なのだろうと感じます。
一目我が娘と孫を見たいイレーネが、ライムンダのレストランに近づくと、ライムンダは母の教えた歌を歌っています。そのタイトルが「ボルベール」。秘かな母への思いがほとばしるこの歌をぺネロぺが熱唱(多分吹き替えだけど)し始めると、私の目からは熱い涙が。それほど盛り上げようとする場面ではなかったと思いますが、本当に魔法にかかったように泣いてしまうのです。隠れて聞いていたイレーネももちろん涙。このときのイレーネの微笑みは本当に豊かで、娘を慈しむ心を感じます。
根深い二人の確執の秘密は、驚愕の出来事でした。まさに歴史は繰り返すを地で行くような母と娘。絶望的な展開になるところを救ったのが、伯母パウラに何くれとなくよくしていた隣のアグスティナ(ブランカ・ポルティージョ)です。彼女はイレーネが何故生きていたのか、多分知っていたのです。それを自分の命と引き換えに暴露することなく、周囲の人々の名誉と愛を守ったのです。この人としての品格は、この作品の品格に通じるのだと思うのです。
母の懐かしい匂いが香水ではなくオナラだったり、定職もなく身を売るしかない女性が出てきたり、ライムンダは家主に内緒でレストランを始めるし、ソーレは闇で自宅で美容院をやっているので、多分国家資格がないのでしょう。それに殺人。下世話なユーモアや活気があるけれど底辺丸出しの人々を描くこの作品から、一本筋の通った品を感じるのは、人間の格は社会的地位ではなく、どれほど人を思いやれるか、愛せるか、そして赦せるかだと教えているようです。
さてさて、何故期待値は割ったかというと、実は私の実母と祖母が長く確執がありまして。こんな驚愕の理由ではなかったんですが、とにかくプライドが高く気がきつい性格で似たもの同士なのに、自分たちだけがわからない。とあることが原因で、母が亡くなる15年ほど前から、一切母の実家の親戚とは行き来がなくなりました。当時父とも不仲の母の口癖は、「私は親運も男運もない」「私らの周りは敵ばっかりやで。あんたらを守れるのはお母ちゃんだけや」と呪文のように幼い時から繰り返し私たち姉妹に言い聞かせる母。母の敵であっても、私と妹の敵であるとは限らないと悟ったのは、私が大人になってからでした。
そんな母を私は内心疎ましく思っていましたが、思いと肉親の情とは別物だということもわかっていた私。若かったのに。今じゃその辺のおばちゃんの私ですが、環境とは人間を成長させるものですね。母の死が近くなり、祖母とは古い知り合いだった姑から、「このままではあんたのお母ちゃんが成仏でけへん。この世に心残りがないように、親兄弟と合わせる段取りをしぃ」と言われ、死ぬ一週間前から叔母たちに連絡を取り、頭を下げ、私の奮闘が始まります。
当時東京に叔父と暮らしていた祖母と、大阪住まいの三人の叔母たちの到着で、涙のご対面!と言う場面なのですが、「アイゴ〜、アイゴ〜」と号泣する祖母と、「誰?あぁ、お母さん・・・」と薄ら涙を流す母は、どう見ても芝居がかっているのです。だいたい「お母さん」なんて、言ったことないやん。いや人前では「お母さん」やったな。内輪では「お母ちゃん」でした(その後クソ婆となる)。それも他人さんではわからないという名演技で。横で観ていた私と叔母三人ですが、叔母の一人が「どうみても芝居やな」という言葉に、堪え切れず陰で皆クスクス。別の叔母の「お母ちゃんと姉ちゃんなら、こんな時でもやりかねんわ」で、またクスクス。振り回されていたのは、私だけじゃなかったんやわ。母は当時ガン細胞が頭に飛んでいたので、変なこともいっぱい言ってたのに、主治医や看護師さんたちの目をはばかり、芝居は出来たのよね。まーねー、「羅生門」では死んだ人間でも嘘つくんですから、いまわの際の人間が、まだ浅ましく生臭いのは当然なのかも。
こんなカタルシスのないブラックな経験があるので、ライムンダ母娘の確執の氷解も、セリフだけでちょっと物足らなかったですが、「普通のお母さんと祖母」をお持ちの方々は、あれで充分感動的だったと思います。母娘の歴史は繰り返す、を身をもって体験している私ですが、「息子三人やて、大変やね。一人でも女の子がいてたら良かったのにね」と、人さまは親切なお声かけをして下さいます。「そうですねん。女の子欲しかったんですけどね〜」と、いちいち説明するのも面倒だし、説明しても理解してもらうのに数日かかると思うので、こう答えてはいますが、こんなわけで私は娘が欲しかったことは一度もありません。
ラストの「ママに話したいことがいっぱいあるの」というライムンダの言葉は、自分と娘が、母と自分のようにならない秘密の鍵なのだと示唆しているようです。ママが隠れていた時間は、この二人には必要だったのでしょう。「私らの周りは敵ばかり」と言い聞かせていた母は愚かな人だったと怒っていた私は、今はそれも子供を独占したいという、母の愛情の表現だったと思っています(でも力量のない人はしないように。子供が迷惑します)。私は時の流れが一番人を癒すと思っています。
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