ケイケイの映画日記
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2006年05月04日(木) 「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」


名優トミー・リージョーンズの初監督作品。昨年のカンヌ映画祭で主演男優(トミー・リー・ジョーンズ)と脚本賞(ギジェルモ・アリアガ)を取った作品。全然予定になかったのですが、予告編を観てピンと来るものがあり、その後大阪の映画友達の間では、局地的大評判に。しかし公開後たった二週間でレイトに変更になると知り、今年のGWの夫婦のデートムービーとして、これを観ようと企んだワタクシ。トミー・リー主演監督と夫に伝えると、二つ返事で了承してくれました。彼は男性には抜群の高評価俳優なんですねぇ。噂にたがわぬ素晴らしい作品で、単なる男同志の友情だけではなく、人の心に澱のように沈む孤独を、厳しく、しかし遠くからしっかり見守るような、父性的な香りのする作品です。

メキシコと国境が近いテキサスの田舎町。不法滞在者のカウボーイ、メルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)は、ふとした誤解から国境警備隊員のマイク(バリー・ペッパー)に射殺されてしまいます。メルキアデスと親しくしていた初老のカウボーイのピート(トミー・リー・ジョーンズ)は、犯人がマイクだと突き止めるや彼を拉致して、生前「俺が死んだら、故郷のヒメネスに埋めてくれ」とのメルキアデスの願いを聞き入れ、遺体を連れて帰ることにします。

脚本のアリアガはメキシコ人で、「アモーレス・ペロス」や「21グラム」など、イニャリトゥ作品でも担当しています。この作品も前作品群同様、前半時空をいじっており、正直またかよと、ちょっとうんざりする気持ちになったのですが、今回はピートとメルキアデスが友情を育む様子、マイクの粗暴さや妻ルー・アン(ジャニュアリー・ジョーンズ)の田舎町で一人夫を待つだけの寂しさや空虚さ、老いた夫を持ちながら浮気を繰り返す人妻レイチェル(メリッサ・レオ)や小心者の警官のベルモント(ドワイト・ヨーカム)など、登場人物の心模様をより深く、人間臭く掘り下げるのに成功しており、演出のスパイスとして効果的でした。

ピートは家族はいるのか?妻は?ずっとカウボーイをしていたのか?など、一切の説明はありません。しかし彼のメルキアデスとの約束を果たそうとする姿に、観る者に彼はどんな男なのかがわかります。私が感じたのは、一口に言ったら「男力」のある人だということ。人種に関係なく人柄で相手を見る、約束を守る、髭に白い物が混じる年齢なのに、セックスを楽しみ憎からず思う女がいる、などなど。息子のような若さのマイクを拉致する時もまるで危なげが無く、男としての格の違いを見せ付けます。演じるのがトミー・リーなので、一層ピートの男力を底上げします。

ピートだけではなく、マイクの不法入国者に対する必要以上の暴力や、妻に対しての自分勝手なセックスの様子などで、マイクの粗暴さを描きますが、誤ってメルキアデスを射殺してしまった時の狼狽の様子や以降の怯えたような姿に、粗暴な彼は本来の彼ではないとも感じさせます。妻のルー・アンも、今まで生きてきた華やかな世界と全くかけ離れたこのど田舎で、夫を大切にしたい気持ちと、寂しさと憂鬱とに折り合いを付けられない姿を、ダイナーで人前でけだるく煙草を吸う様子、美しく若い彼女が肌を極端に露出する服を着ても、誰も誘おうともしない姿に、その心の動きが思い測れます。


ここからネタバレ**********









死体のメルキアデスを道連れにするピートを、マイクは狂人扱いします。しかし観客はそう思ったでしょうか?ブーツも履かせず、メルキアデスの服をマイクに着せ、馬で国境を越えさせるマイク。マイクが蔑んだメキシコ人たちのアメリカへの道程の逆を行くことで、それが如何に過酷なものであるか、体験させたかったのではないでしょうか?それがメルキアデスへの、何よりの償いになると思ったのでしょう。

隙を見て逃げ出すマイクをいつでも掴まえらるのに、寄り添うように監視するピート。必死で逃げ回るマイクを映す自然の風景は、マイクの心とは裏腹、彼を厳しくも優しく包んでいるような美しさです。これはマイクに何かを伝えたいピートの心なのかと感じました。道中で出会う様々な出来事に、いつしか心が洗われていくマイク。ピートに横柄な口を利いていたマイクが、段々ピートに口答えしなくなり、最後には「yes,sir」と敬語まで使います。その過程も心の移り変わりも、とても説得力がありました。

メルキアデスの故郷ヒメネスは存在せず、写真で見せられた妻子も、彼の本当の妻子ではありませんでした。騙されたんだというマイクですが、私もピート同様、そうは思いません。故郷からも遠く離れ、誰一人知らないアメリカで暮らすメルキアデスには、自分を見失わないために心の拠り所が必要だったのです。アメリカに住む彼には、たとえ写真のだけでも真実の心の故郷、心の妻子だったのではないでしょうか?人種のるつぼと言われるアメリカですが、マイノリティがアメリカで生活することの辛さ侘しさが伺われます。

もう一人印象的だったのがダイナーの主人ボブの妻レイチェル。結婚して12年とは、夫婦の年齢からして浅いように思いますし、夫と年齢差もあるようでした。何か訳ありでこの田舎にたどり着いたのでしょうか?浮気を繰り返しながら、ボブを愛している、ボブは特別との言葉は、私には自分を真っ当な生活に引き上げてくれた恩人、と聞こえました。かつてはルー・アンと同じ悩みを抱えた彼女は、夫以外との男のセックスで女であることを確認し、心の均衡を保っていたのでしょうか。あばずれながら、ピートのプロポーズを断り涙する姿に、女としての慎みは持ち合わせている人だと、じーんときました。

ピートとマイクの道行きで出会う盲目の老人も、人生の無常感を表していて、挿入するお話として効果的でした。埃まみれでの道中、ハエや蟻のたかる死体の描写など不潔な場面も多いのに、心の気高さ、男として生きるのに必要な力、誇りなどを強く感じ、私が好きなペキンパー作品に通じるものがありました。ペキンパーを観ると、やっぱり生まれるなら男だよと、いつも強く感じる私ですが、この作品でも同じことを感じました。男の人は立てて、ピートのような男力を発揮してもらいましょう。


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