ケイケイの映画日記
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2006年03月06日(月) |
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」 |
土曜日の晩、夫と末っ子と三人で観て来ました。その前日は夜の診察の受付にも出て、土曜日は術前検査で9時半までに病院に入り、造影剤を入れての検査でした。多分もうヘロヘロだろうと予想して、映画の前に外で晩ご飯を食べて(日本で一番初めに回転寿司を始めた、「元禄寿司」の布施本店だよ〜)、7時15分の回の字幕版を予約しての鑑賞です。なんだかアメリカ人の週末みたいです。入りは遅い回でしたが初日なのでそこそこ、小さなお子さんの姿は皆無でした(「ハリポタ」は最終の回でも結構見かける)。この作品は子供向きなので、吹き替えが人気かな?大人の私は、アスランの声を吹き替えた、リーアム・ニーソンの威厳に満ちた声が聞けたので、字幕版で満足でした。
第二次大戦のイギリス。ベベンジー家の四人の兄弟は空襲を避けるため、田舎のカーク教授の元に疎開します。気詰まりな中、ケンカしながらも力を合わせて暮らしていた彼らですが、ある日空き部屋の大きな衣装ダンスの奥が、雪に覆われた森に通じるのを、末っ子のルーシーが見つけます。そこは100年間冷酷な白い魔女(ティルダ・スウィントン)に支配されたナルニヤという国でした。動物や半神半獣の生物が言葉を話す不思議なナルニヤは、大王アスラン(声・リーアム・ニースン)が作り上げた美しい国でしたが、今は厳しい冬しかありません。アスランの帰還を待つ住人達は、ナルニヤを救うのは、ペペンシー家の四兄弟だというのです。
冒頭子供達と母が疎開のため別れるシーンで、私ははや爆泣きモード。だって原作を読んでないので、こんなのが真っ先なんて知らんかったもん。この手のシーンには異常に弱い私、別れをいやがる末っ子ルーシーを抱いてなだめる長男ピーター、反抗期の弟エドマンドがいやがっているのに、全然おかまいなしでしっかと手を握る長女のスーザンにすっかり感情移入してしまいます。「しっかりしなくちゃ!」と自分のたちの心細さを隠して下の兄弟に接するけなげなピーターとスーザン、親のように接せられ、不満いっぱいの次男エドマンド、上の兄弟達を慕いつつも、寂しくてたまらいなルーシーなど、導入部分で子供達の性格や、兄弟としての役割や位置づけがしっかり頭に入りました。
ルーシーが目を丸くして、好奇心いっぱいに見渡したナルニヤの景色は、私の心も射止めます。凍てつく雪と氷の世界は美しく、しかし冷酷な風情もしっかり漂わせ、本当に白い魔女のよう。演ずるティルダは、この人しかこの役は出来ないかのようなはまりようです。人を(いや獣や珍獣)をひきつける魅力がいっぱい!各種取り揃えた可愛い子供、愛嬌のある動物たちに珍獣奇獣が大量投下の中、これだけの存在感とかっこよさは、ホントにただもんではないです。やっぱりファンタジーは悪役が素敵じゃなきゃ。白熊のそりにのった彼女の艶姿(?)は圧巻でした。
戦闘場面や半神半獣のタムナスさんなど、CGの使い方も滑らかで、この辺は流石にディズニーです。無駄な血しぶきもなく、お子さんたちにも安心してご覧いただけます。アスランはCGではなく、本物そっくりに作ったリモコンだと思います。アスランはライオンなのですが、威厳に満ちているだけではなく、民に対する慈愛深い心、勇敢さや男としての心構えをピーターやエドマンドに伝える様子など、まるで彼らの父のよう。私なんぞ原作を読んでいないので、これはあの世から彼らの父がライオンに転生して蘇ったのかと思ったほどです。ニーソンの絶妙の吹き替えのせいか、姿はライオンですが、外観より器の大きな中身が、強く印象に残ります。
ちょっと難点は、何故アスランがナルニヤを離れたのか、どうして魔女が取って代わったのかがわからず、サンタクロースからの折角の武器が、あまり上手く演出できていなかったことですね。しかしそれも後から思うこと。観ている間は、ワクワクドキドキ、手に汗握って、兄弟達を応援しました。四人とも画像で観るより、映像の方が生き生きしており、充分に及第の演技です。特にルーシー役のジョージー・ヘンリーは可愛くて可愛くて。そばかすいっぱいの顔、すきっ歯からの笑顔も泣き顔も堪らなく愛らしく、すっかり虜になりました。ゆっくり大きくなってほしいなぁ。
何回も出てくる「アダムの息子、イブの娘」と語られる四兄弟。キリスト教が広く普及している欧米では、全ての人間はアダムとイブの子供でしょう。この作品が書かれた50年前は、戦争の傷跡もまだ深い時代ではなかったかと思います。そんな中、この児童文学は、ともすれば後ろ向きになる子供達に、愛と勇気と夢を与え、家族愛や隣人愛も、しっかり心に刻ませたことでしょう。それをディズニーは手堅く映像化した印象です。兄弟っていいなぁと、素直に思った人も多いはず。もしかしたら、少子化対策にうってつけの作品かも。
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