ケイケイの映画日記
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2006年01月05日(木) |
「男たちの大和/YAMATO」 |
皆様明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
昨日観てきました。本当は近所のラインシネマで年末前に観るつもりが、大雪でアウト。延び延びになってしまったところ、夫も観たいというので、定期を買いがてら日本橋まで出て千日前国際シネマで観てきました。ここで観るのは「シルミド」以来。ここはふる〜い劇場で、開演5分前に着くと「お2階へどうぞ」と言われるまま、初めて上がりました。昔は映画館はみんな2階があったもんやなと夫と話すも、いざ着いてみたらスクリーンちっちゃい!こらあかんわと下を二人で見下ろすと、前列2番目くらいは空いています。ダッシュで二人で下へ降り鑑賞。しっかり作られた立派な作品でした。大画面で堪能するのが大正解の作品で、下へ降りた甲斐がありました。
2005年、鹿児島県の枕崎の漁港に内田真貴子(鈴木京香)と名乗る女性が、60年前沈没した戦艦大和が沈む場所まで船を出して欲しいと申し出ます。彼女がかつて大和の乗組員内田二兵曹の娘だと知ると、神尾(仲代達也)という老人が彼女の申し出を引き受けます。当時彼も大和の乗組員だったのです。まっすぐ前を見据える神尾の胸には、鮮やかに60年前の光景が蘇ってくるのでしてた。
昨年は「ローレライ」「亡国のイージス」など戦争大作が公開されましたが、どちらもピンとこずパスした私ですが、この作品は話題が昇った当初から観たいと思っていました。豪華ですが旬より実力を重んじたキャスト、実物大の戦艦大和を再現しての撮影、原作者が辺見じゅん(この作品の製作角川春樹の姉)というのも、「男たち〜」と題したタイトルの裏の、女たちの描き方へも希望を抱かせました。そして監督は戦中派の佐藤純弥。「人間の証明」や「敦煌」など、若い世代の人も何かしら観た作品があるはずの監督で、私は名匠と呼んでも過言でない人だと思っています(『北京原人』とかありますが、忘れましょう忘れましょう)。予想はドンピシャでした。 大和の船上で繰り広げられる戦闘シーンは、「ブラザーフッド」や「プライベート・ライアン」並みの凄惨さで、こんな恐ろしく過酷な中を兵士達は闘っていたのかと、観ていて涙が止まりません。
特攻として生きては帰れないことを知りながら、彼らをこの戦いに向かわせたのは何故なのか?天皇の命だから、上官の指令だから、それ以前に自分の母を妻を子を守りたい、それが引いては国を守るということだったというのが、胸に染みます。それは一貫して下層である下士官たちを軸に描いたことで、現代の私たちにも理解し易かった一因かと感じました。
上陸の際の母や妻や恋人との描写は、数々の戦争映画でも描かれた内容ですが、この世に戦争がある限り、たとえ同じでも愛する人を戦地に送り出す女の哀しさを、私は何度でも観ていただきたい。それは過去を振り返るのではなく、確実に未来のためになるはずなのです。
以下ちょっとネタばれ(ネタバレ以降にも文章あり)
特に生き残った神尾が戦友の遺品を手に、戦友西の母の元を訪れた時の言葉は胸に刺さりました「何であんたが生き残って、あの子が死んだんや」。しかし次の日、西の代わりに田畑の稲を植える神尾に手をつき、「昨日はひどいことを言って、ほんまにごめんな。あんたは生きてや、あのこの分まで。」と言いながら号泣する西の母。神尾の母も戦災で死んでいます。母のない子と子のない母の慟哭を観て、この作品から反戦を感じない人はいないはずです。
キャストは新兵たちに慕われ二兵曹の内田の若き日に中村獅童と、森脇に反町隆。二人とも好演でしたが、私は自然体で当時の男性の厳しさと強さを感じさせた反町の方に好感を持ちました。松嶋奈々子の夫で終わるのかと思っていましたが、大丈夫みたいです。他は神尾の若い日を演じた松山ケンイチを初め、新兵役の少年達がとても清々しく、今時の若者が演じている風には思えませんでした。連帯責任というと軍国主義の最もたる物のように思われますが、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の言葉が、彼らの連帯感から強く伝わります。神尾の恋人役の蒼井優は本当に可愛く、当時のやぼったい衣装が、彼女の素朴な魅力を一層引き立て、戦争映画の一厘の花にはぴったりでした。
タイトルに「男たちの〜」とついているにしては、「男臭い」という感じではなく、少年達の心の弱さ、涙を演出することで、やがて内田や森脇のような人の気持ちを思いやれ、仲間を大切にする強い男性に成長するのだと、私には思えました。
内田の娘は、彼が生き残ったのち次々と身寄りのない孤児を引き取って育てた養女でした。これは血のつながりで過去を振り返らず、観る者は内田の娘の目線で物語を観て欲しいという意図かと思いました。船の助手にも15歳の少年が乗り込んでいて、一部始終お話を聞いていました。老いた神尾の代わりに、面舵をとる彼の姿に、作り手の未来への気持ちが込められていたことでしょう。
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