ケイケイの映画日記
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「呪怨」のヒットでハリウッド版リメイクもまかされた清水崇監督作品です。昨日は末っ子のクラブの初練習会ということで、お母さん達が10時ごろから炊き出しでした。1時半に終わったら2時過ぎからの「ロード・オブ・ウォー」を観にセントラルまで、2時半前に終わったら「欲望」を観にシネフェスタまで、2時半過ぎたらラインシネマで「輪廻」やなと、三段構えでいましたが(書きながらつくづくやっぱり自分はアホだと思う)、結局「輪廻」に落ち着きました。
映画監督の松村(椎名桔平)は、35年前あるホテルで起きた無差別殺人事件を映画化しようとしていました。ある法医学者が、自分の子供二人を含む宿泊客や従業員など、理由がわからぬまま次々と斬殺し、自分も死んでしまった事件でした。オーデションで松村から主役に選ばれたのは、新人の杉浦渚(優香)。ところがそれ以来渚は不吉な夢や現象に悩まされます。それと同じ時、女子大生の木下弥生(香里奈)も、行ったことのないホテルが再三夢に出てきて、わだかまるものがあったのです。
輪廻とは車輪の回転のこと。輪廻転生となると仏教で生き物が生まれて死ぬ、そしてまた他の世界で生まれては死ぬを繰り返すということです。この作品でも前世の記憶が残っているという女性が出てきます。「呪怨」の俊男のような少女が出てきて、またかとちょっと落胆したのもつかの間、意外にもしっかり仏教が幅広く根付いている国では理解しやすい、人が亡くなった後の魂はどうなるのか?という問いに対する答えを、作品の中で出そうとしているのです。
殺人を犯した学者の妻(三条美紀)だけが一命を取り留めて生き残っています。弥生が彼女を訪ねた折、気がふれて殺人を犯したとされている学者が、実は事件を起こす前に、「肉体は魂の器」という言葉を残しているのを見せてもらいます。この言葉は私も幾度となく聞いたことがあり、魂とは永遠に生きるもの、肉体とはこの世を暮らす仮の姿だということです。法医学者として、医学では解明出来ぬ生命の謎に疑問を募らせていたのでしょうか?
上記に書いた前世の記憶がある女性が、自分は前世で殺されているのだと軽々しく口にし、私は少々嫌悪感を覚えました。輪廻転生があると前提として、ほとんどの人は前世の記憶などないはずです。その記憶があるというのは、何か意味があるはずなのです。非業の死を遂げたということは、そのまた前世で因果因縁を背負っていたと、私には思われました。そういう能力なり力なりを持って生まれてというのは、その力を他者の幸福のため使うなり、自分の過去性を供養するなりしないうちに、口にしちゃいかんぞと思っていると、その思いは大当たりに。
主役の優香は、タレントのイメージが強く、演技出来るのかな?と危惧していましたが、抑えた静かな演技で進む中の絶叫シーンはなかなかの破壊力で、とても頑張っていました。「呪怨」などよりこけおどしシーンは少なく、今の荒れ果てた不吉なホテルと、35年前の綺麗な様子もわかりやすく交差されていました。奇妙な現象に悩まされる登場人物たちは、斬殺の舞台となったホテル関係者の生まれ変わりなのだなと、それは誰でも検討がつくのですが、この展開がなかなか上手く、私なんぞすっかり騙されました。ホラーにミステリーの味付けがされて、ちょっとしたどんでん返しが楽しめます。ただの恐怖シーンだと思っていたシーンが、後で考えると伏線になり答えになる仕掛けです。
生き残った妻が、気持ちはわかるのですが、仏壇に位牌が二つだけなのが、私には気になりました。夫の分がないのです。この映画の展開には、「肉体は魂の器」ということを確かめたかった法医学者の念、斬殺された人の怨念が強く支配しています。妻が夫の位牌もお仏壇にあげて、子供達と同じように供養していたら、このお話はどういう展開になったかな?と、ふと思いました。ラストのラスト、親子の縁とは未来永劫、切っても切っても切れないものだなと感じます。妻の微笑みは、背筋が凍りつくも、切ない思いも抱かせるのです。もしかしたら、私が素敵だといつも思っているあの人は、前世でも私と縁の有った人なのかも。
私なりにありふれた仏教的な考えを色々自分で組み合わせて、来世を信じるのは、今生を正しく生きるため必要なのかと感じました。正直いうと全然怖くは無かったのですが、ホラー仕立てで「肉体は魂の器」をきちんと見せてくれた作品です。映画の中で映画を撮っているので、ちょっとしたバックステージ物の趣もありました。もしかして清水崇は、ホラーの大家になるかもの予感を抱かせる作品でした。
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