ケイケイの映画日記
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2005年11月14日(月) |
「ダーク・ウォーター」 |
黒木瞳主演の「仄暗い水の底から」のリメイク。元作は母と娘の身の上に起こったホラーだという以外知りません。劇場は見逃しビデオで観ようと思いつつ、そのままでした。そんな時ハリウッドリメイクの話を聞き、ではこちらからと言うことで。ラインシネマはヒットを予想しての一番大きいスクリーンで上映でしたが、日曜日に2時40分の回というのにガラガラ。公開二日目からこれでは辛いなぁ。ホラー的要素は希薄で地味ですが、しっかり作った秀作で私は気に入りました。
夫と離婚調停中のダリア(ジェニファー・コネリー)は、娘セシー(アリエル・ゲイド)の親権を得るため、早急に住まいが必要でした。今後シングルマザーとして生活を支えるのに高い家賃は無理なため、ニューヨークのルーズベルト島にある古いアパートを借りることにします。しかし饒舌で調子のいい管理会社の男性(ジョン・C・ライリー)の説明とは裏腹、アパートは不吉な雰囲気を醸し出し、ダリア母娘の住む9階の一室は天井にあった薄黒い染みが段々と広がり、水漏れが始まります。それと同時にセシーに奇妙な行動が目立ち始め、夫との争い、セシーの行動、快適とは程遠いアパートに、ダリアの神経は段々と追い詰められていきます。
冒頭ダリアが母親から受ける愛情が薄かったシーンが映されます。離婚を前提としている夫がダリアに言い放った「本当にお前一人で子供が育てられると思っているのか?」というありふれた言葉は、のち彼女は幼い頃母親に捨てられたことが判明すると、重たい意味のある言葉に変化します。
いわくありげな管理人(ピート・プスルスウェイト)、屋上タンクの横のキティちゃんのバッグ(アメリカでも人気なんですね)、天井の薄黒い染み、失跡した上の部屋の住人、人のいないはずの部屋の水漏れ、見えない友達と仲良くするセシーなど、ホラーにありがちなこけおどし的な演出ではなく、ダリアと共に観客も同じように神経を張りつめさせられるよう作られています。
夫側の親権主張理由は、ダリアの父がアル中、母は娘を捨て、そのトラウマがダリアの神経を病み偏頭痛もち、妄想癖があり仕事及び育児は無理というもの。「私に何の関係があるの?」というダリアですが、実は親から受け継いだ血を一番心配していたのは彼女なはず。例えば母と同じように娘のお迎えの時間が守れなかったり、妄想の中にいるとしか思えないセシーを見るとき、私に子供が育てられるだろうか?母のように無責任な母親になってしまうのではないか?自分と母の共通点、娘と自分の共通点を見せ付けられるとき、ダリアの心は大きな叫び声を上げていたはずです。
私にはダリアの気持ちがよくわかります。私の場合は離婚。私の父と母はそれぞれバツ2とバツ1で再婚し、のち20年後離婚。腹違いの兄二人もそれぞれ離婚経験者。母の実家を見渡せば祖父と祖母は離婚こそしていませんが、長きに別居、母の妹弟は4人ですがその内3人が離婚しています。あっちを見てもこっちを見ても離婚・リコン・りこんです。あんな人には絶対なりたくないと思う親と同じ部分を見つけた時のやりきれなさは、本当に悲しいものです。」「縁は切れても血は切れない」という言葉の重さを思い知る時でもあります。
しかし私が恐れだけではなく、その時自分の親を理解しようと努められたのは、ダリアがセシーに語ると同じ「あなたは私の命より大事」という言葉を繰り返し母から聞いたからです。そんな言葉も聞いたことがなく、妄想の母からの「あっちへ行け、お前の顔などみたいくない。」の言葉に怯え怒るダリアが、「私は母親にはなれない。」と悲痛な声を上げる時、私もマリアと共に泣きました。人は機械ではないので、自分の持つ力以上のものも発揮できますが、ダリアのように繊細で傷ついた心を癒せないまま大人になった人に、誰かの支えがなくばそれを求めるのは酷というものです。夫はきっと自分がダリアを幸せにしたいと思って結婚したのでしょう。しかし仕事に疲れて家に帰る身には、しんどい妻だったはず。そう理解すると、数々の平凡なセリフがとても重たい意味を持って反芻されました。
ラスト、ホラーにしてはとても切ない展開で幕切れますが、「あなたは私の命より大事」。そう語ったダリアの言葉が思い出されます。自分のキャパ以上の頑張りを見せてきた彼女が、娘のために出来る最大のことだったのでしょう。一般的なホラーの怖さはありませんが、心理的な疲れのような感覚がありました。古く貧しさを体現している町並みやアパートは、私は不気味さより取り残された哀しさを感じ、見捨てられたダリアの心のようでした。ジェニファー・コネリーは子供のため強くなりたいと願う母親を、繊細な演技でとても好演。そして大変美しいです。白人には珍しい黒髪黒い瞳が清楚さの中の力強さを感じさせます。セシー役のアリエル・ゲイドはとんでもなく可愛い!顔もジェニファーに似ており、こまっしゃくれたところのない愛らしさでした。
監督はブラジルのウォルター・サレス。雨や水のシーンが多く湿った雰囲気が全体的に漂いますが、それはダリアの気持ちを表していたのでしょうか、涙のように感じました。監督のこの作品の捕らえ方は、ホラーではなく母の愛であったと思います。
さて私の母親が私と妹に最後に残した言葉は、「あんたらの苦や悲しみは、お母ちゃんがみんな向こうへ持って行くから。」というもの。お母ちゃんは嘘つきやなと、妹とよく話しますが、家族が全員元気で毎日を過ごせ、私がこうして機嫌よく映画日記を書けるのも、実は亡くなった母が守ってくれているからかも知れない、そう思った作品でした。
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