ケイケイの映画日記
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2005年01月12日(水) 「ブレッド&ローズ」(ムービープラス)

今日ケーブルテレビで観ました。この作品の監督ケン・ローチは有名な社会派監督とは知っていましたが、観たのは「セブテンバー・11」の中の一作品だけ。邦画「あぁ野麦峠」のような、暗くて救いのない内容なのかと思いきや、軽やかでユーモアがあり、底辺の人のエネルギーが感じられる作品で、尚且つ大変感動もさせられるという、ほとんどパーフェクトな出来の作品でした。

メキシコから不法入国してきたマヤは、子供の頃から出稼ぎに来ている姉ローサを頼って、アメリカに出てきました。清掃員の仕事についている姉は、年中休みも取らず、病気の夫と二人の子供を養っており、必死で踏ん張っていました。ローサのコネで彼女といっしょの、LAの中で有数のビルの清掃の仕事に就けたマヤは、過酷な労働条件(ピンハネ、保険なし、労働時間無視)に耐えるしかない、多くのマイノリティの人々を目の当たりにします。そんな時、労働組合の活動家サムと知り合います。彼に好意と関心を持つマヤは、次第に労働者の人権について考えるようになり、解雇と強制送還の危険と隣り合わせの、デモや組合の活動に没頭していきます。マヤと同調する仲間も増える中、ローサは彼女達と距をと置くようになります。

ブレッドとはパン、すなわち生きるために食べること。ローズとは食べるためだけの生活ではなく、豊かに潤いをもって生きる尊厳という、労働者階級の移民の人たちがスローガンに掲げた言葉だそうです。

どうしても私の祖父や祖母の時代、過酷な条件で日本に暮していただろう、在日一世の人たちが、マヤたちに重なります。そして不遇を託つ彼らの上司が、同じマイノリティだというのも、とてもリアルです。何故なら以前彼らの側にいた人であり、彼らが何に弱いか何を欲しがっているのか把握でき、決して元の場所に戻りたくない人だから、雇い主を裏切らない人でもある訳です。「敵は身内にあり」、実感することも多い私は、国や場所が変わっても、この言葉は本当だなと思います。

ですが彼らの身の上話が披露されても、確かに胸が詰まるのですが、聞くに堪えない辛さはないです。そのおかげで、返って彼らの視線に同調でき、自分の身の上と重ね、共感を呼びます。

それが一気に胸がかきむしられるのは、ローサの告白です。デモに手を貸した同僚を会社に売ったと、マヤになじられるローサは、子供の頃からアメリカで体を売って国へ送金していたと、反対にマヤに食って掛かります。家族は見て見ぬふりをしていたというローサ。知らなかったというマヤの言葉は本当でしょう。たとえ休みがなくても、毎日16時間働きづめでも、彼女にとっては清掃の仕事は娼婦よりずっとずっと有り難い仕事なのです。そして客との間に出来た子の父親になってくれた夫は、彼女を明るい昼間に出られるようにしてくれた恩人なのです。だから入院した夫のため、子供のため、彼女は会社に密告しました。これでもかこれでもかと泣きながらマヤに詰め寄るローサに、同性として私は号泣してしまいました。

汚いことはいつも私、生きているのがイヤと言いながら、彼女が必死で踏ん張るのは、若い時は母や兄弟、今は夫や子供と、自分より大切だと思える「愛する人」がいたからではないかと思います。愛されることもとても大切です。しかしそれ以上に、心から愛する人がいるかどうか、人生ではこのことが大切なのだと、ローサを見て思いました。

仕事の合間に黙々と勉強し、大学入学を目指す同僚のルーベンも、ローサと同じく組合の運動に参加しません。解雇されて入学金を払えなくなると困るからです。解雇された同僚を見て、「母と同じだ」とつぶやく彼は、ローサと同じく、生きるために辛酸を舐めたのではないかと思いました。そういった境遇に育つと、どうしても危険と隣り合わせになる行動は出来ないものです。対するマヤは、苦労はしても彼女たちほどの辛さはなかったのではと思いました。そのほどほどの苦労が彼女の心を自由にさせ、不当な労働条件に怒りを感じさせたと思いました。

とばっちりを受けたルーベンが解雇され、大学の入学金が払えなくなります。そのため盗んだお金を彼に差し出すマヤ。知らないルーベンは喜んで受け取り、同胞のために力になれるよう、立派に学ぶと約束します。が、私は納得出来ず。気持ちはわかりますが、盗みはいかんだろう。汚い出所でも綺麗に使えば良いといいますが、やっぱりこれはダメ。ずっと引きずって観ていたら、デモに参加して逮捕されたマヤは、指紋から盗みが発覚しメキシコへ強制退去となります。それと同時に、会社から労働者側に権利を与えるという連絡が入ります。そうくるかーと、唸るような筋運びです。

別れ際マヤを見送る同僚達が、自分のしたことに引け目を感じているローサに声をかける暖かさが良いです。台風娘のようにアメリカに来て、我慢するしかなかった同じ境遇の人の心に火をつけたマヤ。二度アメリカに来られなくなった彼女も、束の間の滞在で、きっと人生で指針になるようなものを持ち帰ったはず。イギリス人のケーン・ローチが、他国アメリカの労働者階級の苦境を、鋭いですが辛らつではなく、温かい目で見守った後口の良い爽やかな作品でした。他人から見た自分と、自分から見た自分は温度差があるものです。ローチは他国の問題点を描いて、不躾さと土足感がなく、とても好感を持ちました。サム役で、「戦場のピアニスト」の前のエイドリアン・ブロディが扮し、無精ひげで愛嬌があり、飄々としたサムを好演していました。


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