ケイケイの映画日記
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2005年01月14日(金) |
「五線譜のラブレター」 |
有名なアメリカのショービス界の作曲家コール・ポーターの伝記を、妻リンダとの夫婦愛を中心に、ミュージカル仕立てで描いた作品です。劇中数々のポーターの作品が歌われますが、ポーター役のケビン・クライン、リンダ役のアシュレー・ジャッド(二人とも上手い!)も歌っていますし、他にナタリー・コール、エルビス・コステロ、シェリル・クロウなど、有名どころがカバーして楽しませてくれます。ポーターの曲は、どこかで耳馴染みがある曲が多く、それをしっかりした歌唱力の人たちが歌うのですから、歌の場面が出てくると、画面に引き込まれてしまいます。
二人はパリで知り合います。当時パリ社交界随一の美女で、離婚直後だった大富豪のリンダは、まだ海のものとも山のものとも知れないコールと結婚。オマケに彼がゲイだと知ってのことです。前の結婚で傷ついているリンダは、コールの才能を開花させることに自分の人生を賭けます。見込まれたコールは、献身的に,しかし自分の思い通りに手綱を締めるリンダの元、才能を開花させ、ブロードウェーでミュージカルの舞台、ハリウッドで映画音楽を担当し、次々成功していきます。しかしその間も彼は、夜毎のように男たちとの快楽の時間を慎みません。
私がびっくりしたのは、実際のリンダはコールより8歳年上だそうで、キャストを聞いた時、ケビンが一回りくらい上なのにと危惧していたのですが、実際はケビン1947年生まれ、アシュレー1968年生まれと、実に21歳アシュレーが若いです。それがケビンが年下夫の妻に対する傲慢さや甘え、華やかな世界での若々しい姿、若い男に溺れる様を的確に演じていて違和感なく見せ、とても上手いです。
でももっと感激したのはアシュレー・ジャッド!とにかく美しいのです。晩年まで演じていますが、段々としわが増え、髪に白い物が混じりだしても、最後までエレガントで芯の強さを失いません。年上妻ということで、常に美貌と貫禄を漂わせ、コールに話かけるとき、必ず「ダーリン」と入るのですが、この後に続く言葉は、「何を迷っているの?」「さぁ、ここからはあなたが頑張るのよ」と、「ダーリン」が手のひらで孫悟空を遊ばすお釈迦様の如しを思わす効果がありました。正直彼女がこれほど演技力のある人だとは思っていませんでした。必ずアシュレー・ジャッドの代表作になると思います。
夫婦の愛情と葛藤に重きを置いているので、作曲家としての産みの苦しみ、華やかなショービスの世界で生き抜く厳しさや孤独などがあまり描かれないので、少し深みには欠けるかと思います。夫婦の描き方については、私のような結婚歴の長い者には、少しの描写でビンビン来るものがありますが、大喧嘩をするわけでもなく、お金持ちなので豪華な暮らしぶりに悩みが霞み、耐える妻の描写が希薄に見える方もいるかと感じました。
しかし普通の夫婦の暮らしを望むリンダが、一向に性癖の変わらないカールに「音楽なんか・・・」となじる場面など、あれほど彼の才能の開花に一生懸命だったのに、自分の内助の功にあんたはいつ報いてくれるのだ、と言う気持ちが込められていたと思います。夫の不貞に声を荒げず、「私が好きにさしたのだから、私にも非がある。」と一見落ち着いて見えるリンダは、バツイチ、年上の上流社会の女性の、必死のプライドが感じられます。派手に夫婦げんかした方がわかり易いですが、コールとリンダの関係を表すには、こちらの方が的確だったと思います。
生涯同性愛者だったコールが、一番愛したのは妻のリンダだった、という結論は、夫婦とは、たとえ夫は妻の援助が欲しい、妻は夫の才能に惚れた、という最初の結びつきの二人でも、親より長くいっしょに暮らし、血も男と女と言う垣根も越えた、人生の半分以上を共にする唯一無二の存在であるということを印象付け、素直に胸に沁みました。
パリ、ベネチア、ニューヨーク、LAと舞台が移り、様々な形で上流階級の暮らしぶりが伺えます。特にヨーロッパ時代は、華やかですがけばけばしさがなく、ゴージャスというよりエレガントという言葉がぴったりです。アメリカの暮らしに移ると、エレガントさが影を潜め、刺激的で変化のある暮らしぶりになるのがわかります。
作品全体に品があり、男同士の色っぽいシーンも、エロティックではありますが、汚らしさや嫌悪感を持つ感じではありませんので、ゲイに対する偏見を助長することにはならないでしょう。
少々の難点は、主役二人の見事な演技と、楽しいミュージカルシーンで気にならなくなります。監督はアーヴィン・ウィンクラー。手堅くまとめた感がありました。
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