ケイケイの映画日記
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昨日は久しぶりに、難波まで夫と二人でこの作品を観てきました。千日前国際シネマと言う、大きいのですが昔懐かしい感じの劇場です。初回で観たのですが8割方客席が埋まっていてびっくり。韓国流の濃くてベタなところが 受け入れられていないと風評では感じていたので、この入りには、正直びっくりしました。
まず最初にお伝えしたいのは、冒頭で映画でも流れるのですが、今作は実話を元にしたフィクションです。映画では、684部隊は死刑囚や重罪を犯した罪人の寄せ集めと描かれていますが、実際の彼らは民間人です。そのことについては、観る前から知っていた私は、実話ならそんな大事な所を何故脚色するのだろう?と、疑問に思っていたのですが、観れば納得、エンターティメントとして歴史を捉える仕上がりとなっていました。
死ぬか生きるか地獄のような訓練に、歯を食いしばって耐える彼らの、行くも地獄戻るも地獄を映画的に表現するには、この脚色は効果的だったと思いました。ただこの映画化の脚色のため、訓練兵の遺族の方々が誤解を受けたと訴えているとも聞きます。いくらフィクションと念押ししていても、遺族の方々の気持ちは理解できます。実在の人物を描く難しいところですね。
囚人+軍隊ものなので、濃くて熱い場面が続出です。泣かせどころが満載なのですが、舞台が今から35年ほど前のせいもあって、昔の東映や大映のクラシックなやくざものを思い起こさせます。
隠し持っている母親の写真、息子のような年の指導兵とリーダー的訓練兵の心の交流、3年間寝食を共にすることにより、指導兵と訓練兵との立場を超えた連帯感、ならず者の集まりのはずの訓練兵たちが、徐々に規律と友情を育んでいくようすなど、確かに大昔どこかで観た演出なのですが、年齢のせいかこの浪花節的演出は私には合い、巷で聞くくどい・あざといと言う感じはせず、素直に胸が熱くなりました。
当時の韓国では、共産党、いわゆるアカと呼ばれることは大変屈辱で、ソル・ギョング演じる主人公の父は、妻子を捨て北朝鮮に渡ったため、その家族は一生日の目を見ることは当時はありませんでした。このように共産党、アカなどの言葉が侮蔑的に随所に現れ、今以上に緊張感の高かった当時の南北間が表現されています。
映画的には、過分に泥臭く時代がかっており、金日成暗殺計画が頓挫した後がやや散漫な印象で、この辺りは刈り込んで、一気に彼らの怒りが爆発する場面に転換した方が、緊張感は持続出来たと思います。
訓練場面も、「シュリ」の冒頭の切れ味の鋭い表現には及ばず、過酷さは感じるものの、物足りません。しかし夫によれば「シュリ」の場合は北朝鮮の工作員の精鋭の訓練風景、こちらは右も左も分からない民間人なのだから、垢抜けない印象の訓練場面で当然だと言われ、納得しました。
ポン・ジュノが「殺人の追憶」で、軍事政権の中、国民が置いてけぼりをくらっていた時代を、洗練された手法で強烈に皮肉っていたのとは対照的に、カン・ウソク監督は泥臭く浪花節ながら、真っ向から当時の政治に対し怒りを込めて否定しています。なんせKCIAの偉いさんに、「金日成暗殺など、そんな機密が明るみに出たら、どんな野蛮な国だと世界中から思われると思っているのだ。」と、自ら言わせているのですから。
新旧両監督とも、自警を込めて自国の真実の姿きちんと振り返ることで、韓国の明るい未来を切り開きたいと願っている、私にはそう感じます。韓流などという言葉が聞かれ、韓国映画ブームと言われますが、ずっと緊張感の真っ只中にあった韓国の、真摯に親や子供を愛するように、国を愛すると言う考え方が、日本の方々に伝わればと思います。
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