♀つきなみ♀日記
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2005年03月29日(火) さくら狩 きとくや日々に 五里六里

ってことで、いよいよ桜の便りも聞かれる季節になって、ちょっと嬉しいつきなみ♀です。

題名にした句は、東都歳時記(1832年 斎藤月岑・絵師 長谷川雪旦)のニ月の景物所載で、今の花見っていうと、大酒飲んでカラオケまで持ち込んだりして花なんて見ちゃ居ない、桜の下の宴会を思い浮かべてしまうんだけど、今は廃れてしまった、普段ならそぞろ歩きくらいしかしない人も、桜の名所を巡って、一日に20km以上歩いちゃうよってタイプの花見を、表しているんだよね。

って、勿論私は人後に落ちない宴会好きなので、今のタイプ花見も大好きではあるんだけど。

お気付きの方も多いと思うけど、「さくら狩」という言葉自体が今はもうほとんど使われない言葉になっている。

東都歳時記には彼岸桜、枝垂桜、単弁(ひとえ)桜から書き起こして、それぞれの桜の咲き始めの時期と、見所が書いてある。そして時期はすべて「立春より何日」となっていて、太陽太陰暦を使用していた時代の季節の表現方法を感じることもできて興味深い。

桜は私の愛するこの国、そして「やまとごころ」と古来から絡み合う花だ。

桜。散華と豊穣
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10246&pg=20010317

彼岸・桜ふたたび
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10246&pg=20010319

で書いていることと重複はできるだけ避けるけど、この国の為政者達は、幾度もこの美しい花を政治の道具として使い、この国に住む、平和な暮らしを営む人々を偽った。

桜は品種によって、寿命が異なる。千年の齢を重ね、今も花を付け続けるほとんどは「エドヒガン」だ。現在、街や公園でもっともよく見かけるソメイヨシノは70年ほどの命でしかない。

60年前、多くの人々を戦に借り出した国の花として嫌われ、そして切られてしまった桜たちに代わり、復興の中で、再び桜は「やまとごころ」の花として、街を飾るようになったのだけれど、その二つの意味を知る人々は、少なくなり、多くの桜も老い、そして朽ちてきて、眠りの時を迎えようとしている。

吹けば散る 咲かねば恋し 山桜 思い絶えせぬ 花の上かな(伊勢の娘中務/古今和歌集)

垂れこめて 春のゆくへも知らぬまに 待ちし桜も うつろいにけり(藤原因香/古今和歌集)


酔眼でも一向に構わない。でも、咲き誇る大樹の桜、そして舞う桜のひとひらの花弁を愛で、思い、心を託した様々な人々に、一瞬だけでいいから、想いを馳せることは、忘れないでいたいと思う。

ひとひらも 桜と言うや 散りたれば 賜る戒名で 吾子を呼ぶなく
(読み人知れず/忠霊短歌集1946年編)




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