ちょっと難しい題名にしちゃいましたが・・・。 先日パッションという映画を見てきました。 たぶん聖書というものを少しも知らない人は、 わけがわからないだろう・・・という映画。 実際彼は、わけがわからなかったらしい。(笑)
私はというと、 クリスチャンにとって、イエス・キリストの受難が、 いかに重要なポイントなのかを、 「痛い」思いをしながら実感してきました。 この映画のテーマは、キリストの「苦しさ・痛さ」を 少しでも理解するためにと描かれたのでしょう。
西洋人にとって聖書から与えられる精神性というものが、 どういうものなのか・・・もっと知りたい。 映画を見て強く感じました。
私は高校中退しているとはいえ、 キリスト系の高校に2年以上いたし、 両親と姉はクリスチャンだし、 教会の日曜学校に通ったこともあるし、 教会で英語を習っていたこともあるし、 牧師さんの説教なんて当然のことだったし・・・。 そういう経験のない人に比べたら、 聖書というものがどういうものなのか多少知っているわけですが、 キリスト教の精神世界をどれくらい理解しているかと言われると、 全く理解していない・・としか言えません。
ということで、岩波新書から出ている聖書を購入し読むことにしたのでした。 で、マタイ・マルコ福音書を読んで思ったこと。 やっぱり理解できない・・・・。(^-^;A 悲しいくらいにわけがわからない、というのが正直な感想です。
これを読まれているクリスチャンの方、 悪く受け止めないでください。m(_ _)m 例え自分がクリスチャンではないにしろ、 キリスト教というものの持つ精神世界を、 もっと理解したいと思っているのです。 でも、わからない。。。。 もう一度旧約聖書も読んでみたいな・・・と思って、 読書は途中ではあるのですが。 今のところ全くわからないのです。
まず、キリストの受難そのものが理解できません。 何故キリストの受難が「神のお心」だったのか、それもわからない。 人間の罪を許してもらうために、キリストが十字架にかけられた? 何故なのか、それもわからない。
ここらへんは旧約聖書を読まないとわからないことなのかな。 一神教というものに強烈なものを感じています。 ただ強烈なものを受けただけで、その内容は理解できていません。 西洋人にとって神とはどういうものなんだろう。 自分の罪を悔い改め、神に祈るとはどういう精神世界なんだろう。 絶対的な存在・・・ってどんな感じなんだろう・・・。
う〜〜ん。 子どもの頃は神様っていう言葉が今よりずっと身近で、 お祈りとかしたことあったんだけどな・・・。 別に神様を信じているとか信じていないとかじゃなくて、 母親(その頃は父親クリスチャンじゃなかったので)の習慣で、 なんとなぁくやっていただけだったからかなぁ。
イエス・キリストの物語も、物語として受け止めていたところが大きい。 宗教として受け止めていたのではなく、 どちらかというと「道徳的」なものとして受け止めていたんじゃないかな。 なので、「神様」という存在への意識や、 イエス・キリストの受難に対する意識などは、全くなかった。。。
ということで、まだ二つの福音書しか読んでいないけれど、 読めば読むほどわからなくなる私なのでありました・・・。 クラシック音楽はキリスト教と密接な関わりがあるので、 少しでも知りたいなぁと思うのですが、 自分の知らない世界を理解するというのは、 とてもとても難しいものですね。
とりあえず、まだまだ読書途中なので、 最後までがんばって読もうと思います。
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