NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 卒業式と酒の関係

 なんか偏頭痛が止まらない。ずっと目を凝らしたような表情をしなければならない。シワとか増えなければいいが。なんか、夏休み企画として、創価学会に入って退会してくるのはどうだろう?なんて話で友達と盛り上がったが、彼らの呪いだろうか?いずれにしてもおかげでかなり早く寝ている。(一時頃にはもう寝ている)

 5月はアメリカの大学では卒業シーズン。旧友を訪ねてマンハッタンにいったりしたものです。(いやー試験中でかなりタイトなスケジュールでした)


 日本の大学と違って殆ど親がくるのが特徴でしょうか。みんな自分のガウンを着た息子や娘を誇らしげに見上げ、笑顔で会話をしている

 私が大学卒業した時なんて、サークルの打ち上げにも、ゼミのにも、なにも参加しないで、終わっても構内をうろうろして、tsutomuさんと写真を撮って遊んでいたことを覚えています。(ま、それもありかなって思った。そしてそれは結構正解だと思っている)

 どうやら中退っていうのは殆どアメリカでは価値がないらしく、めちゃくちゃ苦労して卒業するので、その喜びもひとしおなんでしょう。


 卒業した後は、もうみんなと一緒に何かを「終える」ということがないのが、高等教育の卒業の大切な意味の一つだと思います。

 入社式はみんなとするかもしれないけど、退社は、きっとひとりぼっち。もうこれからは、フィールドを変えても一緒に羽ばたいてくれる人はいないわけです。(ま、会社が潰れたり、解散したりするときは別か?)

 もっといえば、散らばったはいいけど二度と元には戻らない。

 そんな二つのことを考えると、卒業は、酒をぶちまける感じに似ていますね。同じ樽のなかで醸成された酒が床にぶちまけられる。二度と元には戻らない。したたり落ちるときはもう一滴一滴と。
 乾燥して消える奴もいれば、新たな水瓶を見つけそこで深い味わいを提供する一滴になる奴もいる。学校の特徴は、赤だったり白だったりはたまた熟成されたウィスキーだったりするわけか。

 学歴はワインのラベルか。

 本当は飲まれてみなければ分からない。飲んだって好き好みがある。飲まれず床にこぼれるだけかもしれない。でも、ラベルだけで値が高くなるのは本当のこと。


 来年私は卒業式を迎えるがすぐに蒸発して後に残らないそんな感じで良いよ、と思った。


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追伸:写真は上がニューヨーク大学、下がコロンビア大学の卒業式。自分の大学のは、イサカにいる誰もがアップロードすると思ったので止めた。


2007年06月08日(金)



 長閑な日々とイサカ

 学期が終わった瞬間にやることをなくし、こんなことなら忙しい間でも、学期が終わった後のことを考えておくんだった、と後悔したものですが、意外と毎日やることがあるのね。あんなに学校に行くのが憂鬱だったのに、それでもキャンパスに行こうとする自分理解不能。なんせ、美しいものですから、どうしても足がむいてしまう。こんな感じ↓


 といっても、課題や仕事とといった義務ではないんですが、それなりに、毎日いろんなイベントや出来事がある。

 なんかキャンパスでたまたま実験作業中の友達に声をかけて立ち話をしてると、おじいさんがいきなり転んで大けがして出欠。人生初、アメリカで救急車を呼んでみたり。

 することないなーって思っていると私の先生の一人から電話がかかってきて、どうやら二泊孫の顔を見に、マンハッタンにいくとかで、犬(×2)と猫(×3)の世話を頼まれたり。

 イタリア人のカップルの家に招かれて、めちゃくちゃうまいパスタを楽しみつつ、イタリア語が発音しやすいことを知ったり・・・。

 毎日ラケットボールをしたり、ゴルフの練習をしたり。

 ハウスメートと一緒にキッシュを作ってみたり。

 そんなイベント以外の時間はキャンパスにいって散歩をして、人気の少ない図書館でぼーっとして、本を読みます。いやー、やることないから勉強したってはじめての経験よ。あんまり足を踏み入れない図書館で過ごすとなんか大学の新たな一面を知ることが出来ます。こんな感じ。↓


 昼食の時間を長めにとって、普段は世界平和とか、途上国の未来についてとか、課題とかしか話すことはないのに、出身地や出身国の話を聞くのも一興です。


 そんな平和でゆったりとした時間もそろそろ終わりです。イサカを離れ、ちょっと毛色の違った勉強をしに行くのです。それまでになんとかゴルフは人並になりたいな・・・。

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2007年06月06日(水)



 夏の住処

 なんか居酒屋みたいなタイトルですね。
 夏の間は、寮を追い出されたため、夏の間は山の下にある住宅街の小さな一軒家の一室に住んでいるわけです。もともとはお友達の一人が住んでいた部屋なんですが、その人も海外に調査に出かけたために代わりに住んでいるわけです。(私?私は、そもそも何について研究するかも決めていないので、行く計画も立てられない。(;´Д`))いずれにしてもこれがおうちの外見。↓


 おばさんともおばあさんともつかない太った女の人が家主です。(最近知ったんだけど、この人は私の分野の研究者だったことが分かって引いた)隣の部屋に住んでいるのは、20代後半のマッサージセラピストのお姉さんです。

 寮の部屋に比べるとやっぱり一般の部屋らしく、いろいろ彩られていて可愛い。というか、前に住んでいたお友達が私のために花を生けていたりしてくれて。女の子な気遣いですね。(私には、まず、そういうアイディアは浮かばない。)
 まぁ、静かなこと。私も音楽はヘッドフォンで聴いてるので迷惑はかけていませんが、皆さん静かねー。しかも全員ヒッキー。部屋の中に何十時間も引き籠もってる。というか、私の部屋は感じ。↓


 家主は庭の手入れを人生の唯一の楽しみにしているらしく、庭で隣の子供と話しながら延々と庭にいる。隣のお姉さんは偶に手の込んだ料理をしている。そして、一人でポーチ(半分外にせり出したベランダのような場所)で黙々と自分の作品を食べている。(今日も私はあまりに暇をもてあましていたので、キッシュを一緒に作ってみた。なんでキッシュの中に栗とか入れるんだろうって思ったが美味しかった)
 というわけでこれが窓から見える景色。家主の自慢の庭。超普通。あんだけ庭にいるにもかかわらず、超普通。せめてバラのアーチとか作らんの?って思うがこんな感じ↓


 私も庭に出て、「主食」のサブウェイサンドイッチを食べているが、よく「ぬこ」(世間一般では「ねこ」ですか?)が芝生に横になっているのに、わざわざ寄ってくる。その、ぬこさんも、大体リスやウサギをいじめているか、庭の芝生でごろごろ寝ころんでいる。

 時間が止まった家の話でした。(今日は漫画なし)

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2007年05月29日(火)



 バカは死ななきゃ直らない、では死んだら直るのか?

 すべてのスケジュールが消化して二日たった。やることといえば、大親友の「」君相手に一時間弱ラケットボールをやるのみ。することないからまた勉強しちゃったよ。それでも飽きたらずチャリで街を徘徊したり。ニートってすばらしい

 さて、今日のタイトルはそんな私は氏んだほうがいい、ということはありません。(そういう要望が強いのは存じておりますが)

「バカは死ななきゃ直らない」とはよくいったものですが、じゃ、死んだら直るのか?「あのバカもとうとう死んだな。今頃はあいつも少しは空気が読める人間になってるといいな」くらいな推量しかできないと思いがちですがそうでもないんですね。

 そう。物理的な人間ではなく、法的に人としての人格を与えられた「法人」なら文字通り「復活」することができるのです。そして、航空会社こそ、死ねばバカが直ることを教えてくれるモノはない

 実は、先週、イサカにきてから30回目のフライトを体験しました。海外要員の会社員でもないのに、結構なペースでのってなくない?って思ったので今日のエントリーです。


 この30回を振り返るに、日本の航空会社以外で不愉快な思いをしたことは一度もない。逆に日本の航空会社は、CAからグランドサービスまで、不愉快にしてくれる。

「お飲み物は?」
「あ、じゃ、『コーラ』を」
「こちら『コーク』になります」
 私は日本語でコーラといったのに、あえてコークと言い直すとは何か?客の飯のあげさげしか能がないくせに、それをもって、お前らピラミッドの底辺と、国際派の私は違うというあてつけか?っていうか「コークになります」っていう日本語から直せ、バカ。

「デトロイト経由イサカですね。・・・・・・・・・・・」
(トランジットに5時間以上かかる場合「経由」扱いにならないことがある)
インカムでヘルプを呼ぶ。にもかかわらず、延々と
「かたかたかたかたかたかた・・・・」
いや、仕事してるふりはいいんだよ。出来ないんだから、とおもっていたら挙げ句の果てに
「お客様はF−1ビザでの渡航ですね。三回目の渡航になりますが・・・」
いや、あんたのチープなプライドを守るためにくだらない個人情報まで聞かれる筋合いは全くない。少々お待ち下さい、くらい言え、バカ。

 と、心の中で「ここでミニミがあれば・・・」と思ったことは一度だけじゃない。(←ヲタな会話なのでスルーして下さい。ここで食いつけるのは河北くらいか?)


 とまあ、端から端までバカをそろえて一流を名乗っているのが日本の航空業界なわけです。いっそのこと給料払うの止めて独立採算にしては?と常日頃から思っている。そしてローテでファーストの担当を回して、IT産業かスポーツ業界のセレブにステイ先の部屋や携帯の番号を握らせる権利を与えると。なんならブランド品を並行輸入して売りさばくのも目をつぶろう。

 そこいくとUAからDELTA、インドの新興航空会社まで客のニーズをよく分かってる。客は、サービスで心地よくなりたいんじゃなくて、少なくとも煩わしい思いをしたくないんですね。邪魔されたくない。それが第一。ドリンクにしたって、意味不明にちまちま注いでくれなく立って、缶と氷入りのカップを渡せばいい。まずい会社マークのはいった菓子よりも、オレオをワンパックで十分。センスの悪い選曲のオリジナルラジオやテレビより、スカパー!を30チャンネルも流してくれていてくれた方が良い。(←これについては言葉の壁があるかもしれない)

 とまあ、そんな簡単なことすら分からないのをバカと呼んでも良いと思うし、激しいアメリカの航空業界でやっぱり幾度となく倒産した会社たちや、新興企業はよく分かっていますよ。


 さて、そんな中、日航が最近したことを思い出そう。二月の記事ですが。

※ 日航、元国交省の縄野氏を副社長に 行政とのパイプ重視
http://www.sankei.co.jp/keizai/sangyo/070221/sng070221006.htm

 ね?バカは死ななきゃ直らない。
 貴方の周りにも一度は死んだ方が良い「人」いるんじゃありませんか?


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2007年05月23日(水)



 生活空間の移動

 あまり広い部屋って好きじゃないんですよね。他人がいることはほとんどないのだから、自分自身が最も快適に過ごせるように部屋ってあるべきなんじゃないかと思います。いろいろ自分が何が好きなのか?という原点に返ると、巷間いわれていることが微妙に疑わしい。

 薄暗い方が良いと思いません?

 日差しとか大きな窓とか、最近の話ですよ。昔の家は、居間があって、その外側に廊下があって、その上屋根のひさしが出て、そしてすだれがかかってる訳よ。薄暗くても、それなりの快適性があるということですよ。

 とまぁ、自分が本当にしたいことを考えることと、何も考えないで色々耳障りの言いうたい文句を信じるな、というオチではなくてですね、今晩私は引っ越し作業をしていたんです。

 確か、去年の八月は、何もなかったはずのこの部屋。うん。写真を見てみると確かに何もない。↓


 ところが、今では両脇に、本棚が二つあり、モニターやらスピーカーなどが設置されている。その上本やら資料やら意味不明なフィギュアとか、周辺機器もいっぱい(゚∀゚)
 こんな感じ。

 
 助けを呼んだとはいえ、大変だなー。
 勉強も、御飯も、エンターテインメントも、鬼束ちひろ師をみてぼーっとする作業(これはエンタメではないのだよ。心のコンディションを保つために必要なこと)この机周辺で行われているわけだから、私のイサカでのすべてが詰まっているといってもいい。(ほんとのこというと、このほかにスキーグッズやゴルフグッズがあるんですが・・・)


 やっぱり八ヶ月もいるとどんどん快適なモノに変わっていくんだなー。
 いずれにしてもこの重量物。ちょっと後悔してる。八月の後半まで小さな家で過ごすことになった。


 気になる住所ですが、

321 N. Albany Street, Ithaca, 14850.
New York, U.S.A.

 です。よろしくね。 

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2007年05月18日(金)



 私たちが形づくる物語

 いつまで学期末モードなんでしょうか。かれこれ三週間以上たっているんです。そりゃ、シャワーを浴びたときの白髪もまた見つかるようになりました。そして今日公開されたテストは全く手も足も出ず、今週末も、私は自室でカーテンを閉めて過ごすんだろうなーって思った。この大学どこかおかしいと思いますよ。

 さて、そんな部屋の中にばかりいる私ですが、それでも一日数時間くらいキャンパスまで自転車で行くんですね。唯一の運動。上り坂5メートルで息切れ

 そして、図書館にふらりと現れては、プリントアウトやなんか、大学のコンピュータ動かしたり、先生とミーティングとか、所用がそれなりにあるんですよ。そんな用事は一時間もしないうちに終わるので、家に帰る前に、図書館にいる誰かの邪魔をして帰るわけです。

 そんなときふと壁を見ると、「マン図書館では、今日五時からピザが配られます。学期末をがんばって乗り切ろう!図書館員一同」と張り紙が。二時間以上もその人の邪魔をしたあげく、さらに、お腹すいたから行くか?と行ったんですよ。

 するとなんということでしょう、二階の勉強スペースがピザ配布場所になっているじゃありませんか。立ちこめるチーズの匂い。ピザを切り分けるライブラリアンの方々。いつもは資料探しを手伝って頂いているのに、ピザまで配ってくれるとは。さらにドリンク、クッキー等々。こんな感じ。


 図書館で勉強していた大勢の人が集まって

「お。久しぶり」「夏どうするのよ?」「暖かくなってきたね」「夏?いや、なんも決まってなくて困ってるよ(←これは私のセリフ)」「やっとスケジュール90%終わったよー」「ルワンダ調査だって?大変だね」「テスト?あーまるっきりわかんない。棄権しようかな(←これは私のセリフ)」「また、飲みに行こうぜー」

 などなど、わいわいがやがやしています。それでも、ヒッキーな私は大勢の人が苦手になったので、すぐに外に出てベンチでピザを食べました。


 さて、私は、大勢の人が集まって何かをしている場合に、どんな文化が生まれて、どのように共同作業に貢献するのか、どんな背景があれば文化創成に役立つのか、みたいなことを主にこの大学で考えて暮らしているのですが、こうしたイベントこそ、学風を作るんですよね。

 会社だったら社風?グループだったら雰囲気か。山の中で全員が一人で暮らし、共同体なイメージが皆の頭の中に芽生えてくる。繰り返し、同じメンバーで同じ事を繰り広げているおかげでトランスアクションコスト(取引費用)がどんどん下がり効率が上がる。こうした目に見えない文化や考え・規範は裏切り者一人の出現で、すぐに壊れてしまうが、逃げ場がないのめ、裏切った場合のリスクが高く、そうしたことも現れない。

 まるで経済学の教科書のような現象が起きているわけだ・・・。(繰り返しゲームとか?そういうことですよね。)


 いずれにしてもこうした文化は大切にした方が良いよ。壊れやすいし、築きにくい。文化の中にこそ人々の居場所はある。じゃなかったら宗教か・ナショナリズムか・個人主義に走るだけだから。その辺りも教科書通り。

 そんなことを思いながら、帰り道、一回もベダルをこぐことなく、家へとたどり着いてしまう、15分くらいの下り坂をエンジョイするのでした。そう、長期間も学期末モードを維持し、意味不明なくらい膨大な課題を課す学風はすぐになくためには・・・。

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2007年05月12日(土)



 クリティカルな食事事情

 なんか意味不明に朝6時に目が覚める。昨日の夜早く寝た罰か?もう朝が明るい。あたりまえ?でも、日が落ちるのが9時頃になってるんで、やっぱり北半球は違うなーなんて思います。
 
 ここ数週間というもの、就寝時間が朝7時8時なんてことになっているので(起きる時間も午前中なんですよ)陽が長かろうが、周りが春らしく美しかろうがあんまり関係ない。部屋にこもって、延々と論文を書いている。

 そんな日々の話。

 お昼御飯がまず今学期は問題だった。昼ご飯は、食堂があるところまで徒歩15分かかるので、なんか週に二回はお弁当をもちよることとになっている。私としては、「ちょっとくらい高くてもいいじゃん」とか「ちょっとくらい時間がかかっても次の授業死ぬほどつまらないんだから遅刻OK」とかいう気分でいっぱいなんですが、他の人的にそうはいかないらしく、毎朝学校に行く前に弁当を作ることになった。あれだね。アメリカだって普通にピアプレッシャー(集団の圧力)ってありますわな。そういや私の研究分野ってそんな目に見えない人の行動を左右する文化だったりするんだが・・・。自分がまさにそれに悩まされるとは。
 月曜日と水曜日は本当に憂鬱だった。朝少し早く起きて、弁当を作る。なんで、私が作らなくちゃいけないんだ。しかも自分のだぞ。一月から毎週呪っておりましたがそれも練習で終わり。作品の一つを記念にアップしよう。これ↓

 次に困るのが、夜食だ。私は図書館よりも自室の机がもう生活空間の90%を占めているので、机に向かっていることが多い。あとは寝るときと、炊事・トイレ・シャワー、くらいしか席を外さない。最低だね。
 NYCにいた頃は、お友達も少しはいたので、彼らと夜食何たべようか?とか、何作って欲しい?とか色々楽しかったんですが、寮のみならず半径5キロ以内、いや500キロ以内、深夜に呼び出して御飯を食べる友達もいない。材料も買い置きしかない。そんな中、日本から送って頂いたモノや、延々と腐らない野菜(にんじん・タマネギ・ブロッコリー)をむしゃむしゃとマヨネーズだけで一籠(カゴだよ。カゴ)食べて飢えを忍んだり。論文のすすみが悪いときは日本から届いたカップ麺とか食べてみる。(最近のカップ麺は作るのが複雑なだけあって意外とうまいのね〜♪)

 とまあ、このイサカに来て、昼ご飯と夜食で悩むようになった。いままでは楽しみだったのに、メニューを考えるのがこれほど苦痛だとは。主婦の悩みってこんな感じなんだろうか、って思った。

 っていうか朝焼けの中メールを確認して、カーテンを閉めて(開けるんじゃない。閉めるの)、mixiアップして、ニコニコ動画をあさって、ラキスタで爆笑してる自分は本当にどうかしてると思う。学校でプリントアウトと計算機を動かしに行く前にこんな事をするなんて・・・。大自然に囲まれた広大で重厚なキャンパスの中で、科学の先端を行く研究施設でこんなバカは私だけだと思う。でも、メッセンジャのリストを見れば同類が沢山いるのでネットって結局練炭抱いたほうがいい負け組を量産するシステムなんだと実感できる。これもある意味ピアプレッシャー。


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2007年05月07日(月)



 あの花の美しさは?

 ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか?私は二日に一度くらいしか睡眠を取れずに狂っております。そうした状況をよそに、イサカにもやっと花が咲き出しました。
 桜が満開です。周りの景色が違うと桜の印象も違うものですね。緑のよく手入れされた芝生に、中世風の建物が背景にみえると、日本にあるみたいに、桜だけで何とかしようっていう感じじゃありませんが、それはそれで良い感じ。


 前にも書いたかもしれませんが、日本で思われてる桜のイメージと、外国人が思ってる桜のイメージってすこし違うんですよね。

 日本だと、桜って、すぐ散ってしまうことから連想されたのか、どうも儚い(はかない)イメージがありますよね。うすぼんやりして、清い感じが想像されているかと思います。

 でも、外国人に聞くと(いや、一人じゃないんですよ)日本=桜っていうのはあるんですが、その次に=派手っていう連想がされてるんですよ。「わびさび」のような地味な感じじゃない。ま、確かにそうだよな、って桜を見ていると思えるようになりました。満開になると全部ピンク色になってしまうんだから結構派手だ。

 他にも、着物とかすごい派手っていうし。神社とか、赤いし、金閣寺とか狂ってるし、寿司とか色とりどりだし。うん、確かに。派手だ。けばけばしいと言ってもいい。
 

 「もののあわれ」とか、「わびさび」とか、「艶やか(あでやか)」とか、「古式ゆかしい」とか、「淡い」とか、「渋い」とか、「情緒的」とか、「幽玄」とか、すぐに説明できますか?まず日本語で挑戦してみて下さい。次に、ましてや英語で。無理です。私には無理です。辞書があっても無理。

 そんな説明も簡単にできやしない価値ってあるんでしょうか?

 自然と共に長い間暮らしてきた人々がだけが分かる微妙な感性があるのか、それとも、実際には有りもしないものを、我々だけが分かる特別な価値なのよ、俺ら特別なんだよ、といっているだけなのか、少し分からなくなってきました。

 自分だけの世界観とは?想像力(いわゆる脳内)だけにしか誰にも立ち入らせることの出来ないワールドを作るのは、脳内妄想で満足できるからなのか、それとも、他者に認められるほどのモノを作ったり世界観を提供できない負け惜しみ?


 最近不思議になってきた。なんでかっていうとね、この空の色を簡単に説明できれば、それはそれでかっこいいし、そうじゃなければ、この美しさを分かっていないのと同じだと思ったからだ。


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2007年05月03日(木)



 文系の憂鬱・理系の鬱屈

 文系の興味の対象は、社会だ。
 人間が日々、泣いたり笑ったり暮らしいてる様をどんな風に説明するのか、について考えている。社会科学に関して言えば、数百年くらいしか実績の積み重ねが少ないので色々説明できないこともあったりする。

 ただ、大勢の人が考え得る疑問については説明ができるようになっていることはあまり知られていない。「人間なんて色々なんだし、時々バカやるんだから、理論的になんて説明できないんだよ」と思っている人が多い。そして、多くの研究者が「その通り」と答えると思う。正解だからだ。だからこそ、勉強すべきフロンティアは延々に広がっている

 しかし、実際にそんな「説明なんてできないんだよ」と言っている人に、じゃ、例えば?って聞いたとする。そうして出された例題には、ほぼ答えが出されていて経験的にも実証されていると思って間違いない
 社会科学のフロンティアは、結構、普通に暮らしている人にフィードバックされていないんじゃないか?って思うことが多いが、実はそうでもなく、中学・高校の教科書にしっかり答えが載っていたりして驚きだ。勿論私は、中学・高校の頃の知識を、自分の利潤の最大化・コストの最小化のために役立てたことはない。
 政治・経済・社会・文学色々な謎について、ぱっと思いつく程度の問題や疑問などはもう解答済みなのだ。フロンティアはもっと奥深くにある

 と、思っていたら、実は、理系だってそうなのだ。理系に詳しい人と話していると、同様に、神秘だと思われていることは、実は中学・高校レベルの基礎的な知識で説明可能だという。
 光、熱、力、物体、重さ、透明、波、味、匂い、命、こういったトピックについてはほぼ完全に解明されているという。理解さえ出来ていればテレビで紹介されている、「科学では証明できない神秘がたくさんありますね」と言っている人が神秘的に思える、という。

 以上のことをもって、もっと色々知るべきだ、とも私は思いません。知らないでいいならば、勉強なんてしなくていいならば、それに超したことはないと信じていますから。

 ただ、疑問に思ったときに、「自然の森羅万象は説明できないことばかりだから・・・」と片づけてしまうのを見ると少し胸が痛みます。その言葉は真実だと思いますが、貴方がそう思った動機・疑問については、もう少なくとも、200年以上前に答えが出されていると思って良いからです

 一方でこうした天才たちの一生をかけて見つけた些細だけども小さな真実をどうしてもっと分かりやすくフィードバックしないんだろう?という問題点にも疑問です。

 そんな、素敵なものは苦労して見つけた方が良いと思いません?短時間で、ビジュアルや、漫画で、理解させるのは出来るかと思いますが、そうした安易な啓蒙は、その分かりやすさに比例して、どんどん貴重なエッセンスも失われているんです
 そう、可愛い水着を着させてしまえば、速攻で魅力的に見えるかもしれませんが、その子の他の多くの部分が失われているのと一緒。地味な服を着させて、真顔でじっくり話し込んでみてこそ、その子の魅力を知ることが出来るのです。(偶に笑った顔や手の動作、目の動き等々に注目ができるようになる)

 そんな、退屈にみえるが、その先に魅力のある作業が、文系にも理系にも共通のインセンティブになっているんだと思う。


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2007年04月27日(金)



 この国の風景と湖

 やはり、一人で過ごす週末。なんか終末らしさがでてきている。ゆっくりお茶を飲んで過ごしていると、いつの間にか六時。それでも小さな窓からは日が上から差し込んでくる。あー日が長くなったんだな、と感じるのも室内から。それもそれで一興か。サナトリウムに住んでいるわけでもないのにね。


 また、金曜の夕方から一歩たりとも外に出ないのはどうかと思う、と思って外に出てみた。カメラを持って、湖にいく。夕日と湖ってデジタルカメラで写すとどんな感じなのだろう、と思ったからです。

 湖沿いの公園にはまだまだいっぱい人がいて、公園備え付けのバーベキュー台を使ってバーベキューをする人や、バトミントンをしている人がいる。からっと乾いた空気に、水たまりのように平べったい印象を持つ湖、緑の色が薄い木々、ゆったりとしたベンチ、何万色もの空の色。こういう組み合わせは日本にはないんだよな、と思った。


 深い緑をした生い茂る木々、底がないような印象を持たせる湖、山の中腹を見ると妙に赤い鳥居だけが目立っている。空の色は、どことなく原色がかってしまう。そんな日本の自然とは対照的だ。


 しばらくたたずんで、他にもシャッターチャンスを探して歩く。まだまだ、芝生が柔らかい。春がきたばっかりなことを足下からも感じながら、一人で公園を歩いて、「体力が落ちたな。去年マラソン出たとは思えないくらいだ」と思いながら帰宅して、夕食を作り、ニコニコ動画を見て、更新をし、メールを返信。明日からの一週間に備える。先週は色々あり得ないことばかりだったから(詳細はmixiの特別版で公開中)今週はやるべきことに集中したい。


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2007年04月23日(月)
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