NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 千の風になって頭の中の消しゴムと世界の中心で博士が愛した明日の記憶

 こういうの一度してみたかった。

 ORICONチャートが「お気に入り」に入っていることを数年ぶりに気づいてクリックしてみた。ランクインしているトップ20位を見てみると、意外と知っている名前があったりするもので驚きました。ミスチルとか安室とか平井堅とか、結構いるものです。10年前からラインナップがあんまり変わっていない?

 そんな中で気になったのが「千の風になって」という歌。意味不明に延々とランク入りしているので早速聞いてみました。なんですか?これは?なんか社会がおかしいんじゃないか?と山の中で暮らしている人間からしてみると思います。

・二番煎じどころじゃなくもうけるのはやめないか?もう、死ぬネタなり、記憶ネタは飽きたでしょ?この国は半島か?と思うくらい工夫をすることを忘れたんじゃないか。
・それでも延々と財布のひもをゆるめる消費者は程度が低いのか、他に娯楽がないのかどちらかだ。
・実際CD・書籍・映画のマーケットの規模は小さくなっているのだから、賢明な人たちはどんどん離れているんでしょう。
・それでも、新たに趣味を見つけたり、多様性を楽しめなかったり、もともと何を楽しむかわからない団塊の世代がこういうメディアの腐敗を助長している。テレビと映画と本と一緒に心中するということか?
・くだらないメディアとコンテンツはまさに千の風邪。業界の断末魔。

 そもそも、死とか記憶とか複雑な思想を楽しむトピックを陳腐な歌詞や音楽、文章で語っていいものじゃない。

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2007年03月05日(月)



 哀愁の小道具

 先週、先々週と私はいろいろついていない。
 金運とか、恋愛運とか、運にも種類があるらしじゃないですか。最近の不運を総合するとどうやら「物運」が悪いみたい。
 
 それは、ラケットボール用のスニーカーから始まった。使っていたスニーカーは私が高校を卒業してすぐのときに買ったエアジョーダン。斬新なデザインが素敵で、ラケットボールを始めるときに、この「未来感」がとてもラケットボールにあっているような気がして、気に入っていた。
 大学四年間、卒業後も少し、そしてアメリカにきてまで愛用していたそのスニーカーの「底」がはがれた。壊れちゃったよ。あーあ。せっかく10年も使っていたのに。とても寂しかった。

 その週末、イサカで新しいラケット用のスニーカーを買うことにした。これもまた、長い間一緒にがんばれる相手を選ぶ気持ちで、直感で即決した(笑)ま、こうして接着剤の耐用年数を超えるまで使ったのだから、あのとき投じた2万円など、現在割引価値から計算しても非常に安かったのじゃないかと思う。

 次。ペンケース。私が大学に入る前から使っていたシャープペンシル。そして、大学二年の頃に人からもらったペンケース。すべてをどこかにおいてきてしまった。シャープペンシルは一緒に受験勉強をした仲間だ。ペンケースは、新宿の高島屋タイムズスクエアができたときに、向かいの小田急のビルに入っている、『after noon tea』の店がオープンしたときに、オープン記念のグッズとして売っていたものだ。一緒にお茶を飲みに行ったときに、プレゼントして貰った。

 それがどういうことかおいてきてしまって行方不明。すごい悲しい。とりあえず、大学の売店で適当なものを買ったが、これは長い間使えそうにない感じがする。

 次にジーンズ。これは買ってから一週間。今度は新しすぎて、後悔が多い。イサカだけではなく、アメリカの雪が少し降る都市は、大量に、そして頻繁に車道に不凍剤をまきつづけるので、雪がふっても翌日には車道には全く雪がありません。他方、歩道のメンテナンスはする気がないらしく、いつまでも雪が残る。残った雪は凍結してつるつるになる。
 キャンパスからの帰り道、いつものようにパソコンと多くの本を背中にしょって山道を歩いていたら、やってしまいました。凍った道路の上で足を滑らせ数メートルもゴロゴロと、転げ落ちました。手と顔はきずらだけ。ジーンズも一瞬で穴が数カ所開きました。勿論血だらけです。そりゃ、ジーンズに穴が開くくらいデザインよ、ということになるかもしれませんが、買って一週間で穴が開いて地で汚れるとは。惨めな気持ちでいっぱいです。

 最後にアルフ。私が大好きな、おそらくアメリカのドラマで、『24』よりも『CSI』よりも面白いと信じているドラマ『アルフ』というドラマがある。所さんが声を吹き替えていて非常に楽しかった。毎週楽しみにしていまいした。そのアルフの人形が、マンハッタンで発見したので、速攻で買ったのでいうまでもありませんが、そのアルフを奪われました。寮に遊びに来たお友達と賭をしてとられてしまいました。超ショック。またアメリカ大陸をアルフ探しの旅に出ようと思います。

 さて、総合すると、アルフ・ジーンズは別として、色々過去と決別する暗示をうけているんでしょうか?それとも、ただただ私に貧乏神のみならず、キングボンビーがやってきたのでしょうか?いいんだ。別に。呪われてると思ったのは今に始まった事じゃないから。

 皆さんも、いろいろお気をつけて。好事魔多し。好事がなくても魔多し。

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2007年02月26日(月)



 夕日の向こう側

 どうやら、中国や韓国では、先週末がお正月だったようです。キャンパスでは、多少その手の集まりがあったように聞いておりますが、幸い(笑)私は関係ないので、久しぶりにフルコースを料理してみたり、映画館(といってもキャンパスにあるオーディトリウムが映画館になっているだけ)にいってみたり、して集中して休日を半日楽しませて貰いました。

 それはいいとして。基本的に曇り空でたまに雪しかふらないイサカでも昨日は晴れわたったのです。この季節の青空はやっぱり冬の青空ですね。なんか空が高い。こんな高い空にはどんな夕日が見えるんだろう?と思って日没の時間を調べて、ちょっとした高台にいってみたの。

 うん。やっぱり綺麗だった。光の筋がもっと細く見えませんか?突き刺すように、繊細な光が太陽から広大な大地に広がっていました。うん、この景色の中だから私は結構この大学の色々が好きなのかもしれない。

 なんか、ずいぶん遠くにきたし、もうここらでよか、としか今は思えないけど。あとちょっとして、今年や、もっと将来はこの夕日の向こう側の夕日を見に行きたくなるんだろうな、と思った。



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追伸:バレンタインの贈り物ありがとうございました。  

2007年02月21日(水)



 白い世界

 イサカでブログを発信してる人のエントリーがすべて大雪情報になっているんだろうな、と思って、みんなと同じ事をするのが大嫌いな私はどうしようか迷っていたのですが、一応。

 水曜日、学校を出てみると、大雪。火曜日の夜から大雪警報がだされていただけあって、私も完全装備。スノーブーツにスキー用のジャケット。それでもバスが、途中で止まって歩くことになったりして、大変な思いをして学校にたどり着く。

 図書館前では、大学職員の人手が足りないのか、図書館員のおばあさんまで雪かきをしているので、
「あ、時間あるので、少し私やります」
 といって手伝う。結構楽しい。東京で雪かきしたのって何年前だっけ。

 講義に行ってみると、先生が
「2分前に、学部長よりメールが来た。大学は閉鎖です。きてくれて悪いけど帰ってください」
 といわれる。英語にするとUniversity is closing!というので、なんか大規模感が深い。

 また、雪深い吹雪の中帰ることに。歩行速度いつもの四分の一。まるでこんな感じ↓


 帰ってみると、寮の管理人がオフィスにいない。張り紙が。あーやってないのか、雪だものな。仕方ないね。と思ったら彼からメールが。(英語の練習だと思って、自分でも読んでみよう。私の苦労を少しは共有してみない?)

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So you're snowed in and stuck at Schuyler?
(雪に降られて、スカイラーにとどまっているだろ?)

Now is the perfect time to start training for the epic Schuyler Game Room Tournaments! We will be conducting epic competitions in the games of:
(いまこそ、スカイラーゲームトーナメントを始めるときだ!以下の種目で盛大なゲームをしようじゃないか)

Foosball (サッカーゲーム)
Billiards (Pool) (ビリヤード)
Air Hockey (エアホッケー)
and Ping Pong (卓球)

Sign up at the service center or send me an e-mail. Your name will be entered into the pool and at the end of the sign up period.
(サービスセンターにくるか、メールで申し込みをしてくれ!すると、君の名前は順番にリストにのせられることになる。)

<中略>

Winner of each tournament receives 2 free movie tickets in addition to the lifetime satisfaction of total victory at Schuyler House.
(勝者には、スカイラーハウスの総合優勝者としての永遠の満足とともに、映画の無料チケット二枚がおくられることになる!)
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お前がオフィスにいないのはそういうことか・・・。

ま、いいや。楽しんでください。私はプレゼンが前日にあった関係で三日間くら満足に寝てないので寝ることにするよ。おやすみ。

その深夜、ある子と、大学にいって、巨大な坂道で、そり遊びした。すごい楽しかった。ごろごろ転がる小さい女の子みて大爆笑してた。

翌日は、すっかり晴れ渡る雪景色。大学が雪で閉鎖されたのは、何百年と歴史があるコーネルの歴史でも四回目だそうです。(昼間から雪が降り続けると言うことはないらしくてね。)

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2007年02月17日(土)



 ときめきのバレンタイン

 なんかね、この雪山にもバレンタインがきてるみたいです。
 こんなメールが、先生からさっき届きました。

"Due to the weather forecast of heavy snow and cold, and due to my continuing laryngitis, I am cancelling the DS 602 class for tomorrow nite (2-14-07). Instead, give someone you are fond of a Valentine for Valentine's Day."
(大雪警報と、私の慢性的な喉頭炎のために、明日の夜のDSOC602の講義はお休みします。代わりに、、バレンタインデーのためにあなたが好きな誰かにバレンタインをあげてください)

 って。70歳近いおじいさんの先生なんですがね。(それでも社会学的なコミュニティ研究ではすごい人らしいんです)彼の授業は、たった四人でやっているんですが、ピザを誰かが持ってきたり、先生が、ずっと昔の教え子から届いたアイダホのお菓子をもってきてくれたりなかなか和やかな授業で私は大好きです。

 アメリカだと、女の子も男の子も好きな人と一緒に過ごしたり、プレゼントを交換したりするんでしょう?私は、イサカの大雪警報って、明日の朝はどんなことになるんだろう、とそればかり気になる(それしか気にしなくていい)状況ですが、エメリーの他に誰かお菓子とかくれないかな♪って思って学校に行くことにしましょう。

 どうか、素敵なバレンタインをお過ごし下さい。
<懐かしの『おやすみICQ』の様な文体ですね。


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追伸:
写真は上から、アイダホからのお菓子(教室でみんなで食べた)、エメリーとエメリーのチョコ、『ディスコミュニケーション』(植芝理一)より

2007年02月14日(水)



 インドの余韻

 ずいぶん間が開いてしまいましたね。それはいろいろな意味でインドの余韻です。
 インド滞在中毎日更新していたから、ちょっと手を抜いてもいいかもしれない、という意味のわからない甘えと、そして、インド滞在中に得た知識を元に調査をして、来週発表をしなければいけないのですね。その、プレゼンテーションのためのパワーポイントファイルが今日までに提出でした。しかも、私たちのグループの発表が決まったのが先週の木曜。あり得ない。一週間で一から何をしろと?
 別に、更新ができないほど忙しかったわけではありませんが(しっかりラケットボールもしてるし)なんか、マイナス20度以下という、何をするのも諦めさせるに十分な気温にいたためか、更新を怠ってしまいました。だいたい、更新時間にしたって上を見て30分。そんな暇がないほど忙しいなんてあり得ません。(そう、「仕事が忙しくて電話できなかったんだよ〜」、なんていうのは、「お前のための30秒は、エレベータの待ち時間以下に、無駄なことなんだよ」といわれているのかもしれません。)

 なんか、こうして調べて、表を作って、文章書いて・・・という作業をしていると昨年の学期末を思い出しました。あーそういえば、こんな作業を8本も抱えていたな、と。そして、どれも、独創性もなければ、学問的に意義があるわけでもない、なんか、作業じみた成果作れないもんだな、と思ったわけです。ま、才能もなければ、努力する根性もないんだから仕方ありません。まるで、論文を産む機械。(笑)しかも駄文ばかり。

 あー、主題に入りましょう。インド。休みなく駆けめぐったインドですが面白かったよ。「インドどうだった?」と聞かれれば迷わず「HPをみてください」としか答えませんが(ってこれを読んでいる人に言ってもね)、印象としては、ぼーっと怠けてる人がいないのが印象的でしたね。貧乏な人も、ふつうな人も色々忙しそうに動き回っている。

 インドに行った友達と話したんですが、明日がもしかすると今日よりも豊かになるかもしれない、と思えるからこそ、乞食ですら、一生懸命物乞いを続けるのだ、と彼はいっておりました。

 私は全然そうは思いませんが(生存本能故に仕方なくやっている、と思っています)、いずれにしても、明日が別に今日並でいいや、とか、明日について別に考えが及ばない、状態こそ豊かな事なのかもしれませんね。

 そう、日本は十分豊かです。明日や数年後をどうするべきか、なんて話は、すくなくともネットニュースを読んでいる限り全く出てきませんからね。今ある面白いネタを見つけて、笑ったり、からかったりしている状況こそ、健全(笑)。皮肉ではありません。おいおい、このままじゃやべーよ、とか、5年後には、こうなっていたいね〜、とかそんな話が聞こえない豊かさは素敵だと思いました。だって、「いつかは、レキサス」なんて聞いたって、買いたいと思わないでしょ?それより、「BMWで今晩映画へ行こう」とかの方が、なんとなくしっくり来ませんか?より身近で、実現がすぐできて、満足もすぐできるもの。そうした想像力が対していらないことこそ、ゆとりで、リッチなのかもしれません。

 さ、プレゼンの原稿を書こう。原稿を産む機械として。

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追伸:写真は、インドの服を着た、非インド人を集めてみました。みんな、かわいいね♪〜誰が一番ですか?

 

2007年02月10日(土)



 わくわくどきどきを求めて

 私の好きでよく読み返す本の中に『8月のミュージアム』という小説があります。著者は、瀬名秀明。パラサイトイブとかの原作者で、以来、理系のマニアックな小説から、理系世界の案内、学術の裏にあるわくわくどきどきする発見などを紹介していたりする人ですが、お勧めです。いつもは、そんな紹介などされなければ、興味が持てない分野など、本当に好きじゃないのだから、やめればいいと思っているのですが、彼の本はいいですよ。科学に対するわくわくどきどきが伝わってくる。

 ま、博物館つながりで、Ford Museumの話。お正月日本から帰るときに、デトロイト経由で、イサカに帰ったのですが、トランジットで8時間も時間があったので、デトロイトのフォードミュージアムに行くことに。

 広大な敷地のフォードの工場地帯の一角にたてられていました。楽しかった。ど〜んと大きな室内(もともとは工場のラインだったんでしょうか?もう、先が見えなくくらい大きな部屋)にいくつもの車がおいてあります。

 車が発明された頃の蒸気で走る車や、フォード全盛期を築いたT型の歴史、果ては飛行機、歴代アメリカ大統領が乗ったリンカーンまで。みているだけで、わくわくどきどきです。

 こうして外見や中身をみて、各機関がどんな役割をしていてどんな工夫がしてあったのか、ということがわかるのが面白いですね。そこいくと、20世紀後半からの産業は「目で見て」わかるものでなくなった分、敷居が高くなったと思います。

 科学少年がこれじゃ、育たないかも、と思ってしまいます。だって、携帯電話を分解したところで、何がなんだかわからないし、遺伝子組み換え大豆とふつうの大豆を見比べても、なにもわかりませんからね。

 そうして、どんどんシンプルに、でも内側はハイテクでわかりにくいものに、というのが科学の進歩なのでしょうし、豊かになった証拠なのでしょう。(F/A-18A/Bホーネットと、F/A-18E/Fスーパーホーネットとは外見はmったくおなじだが、アビオニクスの進化によって全く性能が違うらしいし。って、このネタ誰にふっているんだろう?私。ふふふ。)

 そこいくと、社会科学は前から想像だけの産物ですね。古代に思いをはせたり、平和が訪れる世界を妄想したり、作品を描いた作者の情熱を時を超えて感じたり。

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2007年02月04日(日)



 それから10日

 今年は、日がたつのが長く感じるのでしょうか?インドでの生活がまるで遠い出来事のようですが、実は、帰国してから10日しか経っていないんですね。
 帰国して、翌日から講義が始まり、最初の一週間は、どの講義を受講するかで、延々と情報を集め検討を重ね。その次の一週間は、もう夏の調査旅行の補助金の申請書作りのために研究計画を「でっちあげ」たり。
 でもまだ一月。先日、成田空港で私が出発するときの写真を送っていただきましたが、もう一年くらい前のようですよ。このまま歳もとらなければいいのに・・・、とも思いますが。

 昔から、新年とかそういう区切りや特別なことをせずに、コンスタントにおせち料理は食べたければ食べればいいと思うし、掃除だって一気にやらずに、少しずつやっていれば環境にも私たちにも優しい、と主張していますから、今年は・・・、という話はやめましょう。

 それでも、前の学期よりも勝手はわかってきたので、自分の生活に違ったテイストとレスストレス(←日本語?)を提供すべく、体育の授業をとってしまったり(何をとったかはまだ秘密だ♪)、ラケットボールは毎週することにしたり、午前中の授業は減らしたり、いろいろチューニングはしています。

 そうして得た効率を、寝て過ごすのではなく、何か面白い者を見つけるために使えたらいいな、なんてことを考えながら強はもう寝ます。おやすみ。 

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追伸:最近読者の数は増えてるのに、エントリーやメールが減少傾向にあります。意味不明。

2007年02月01日(木)



 インド事の顛末 十四日

 最終日。インドからの学生は各地から集まっているのだが、大半の人は、朝八時にホテルを出ることになっている。私たちは十時半出発。八時に早起きして、彼らを見送ることに。握手をしてそれぞれ挨拶を交わす。すごい仲良くなった、というわけでもなかったけど、さすがに別れを惜しんでもらえる。私への最後の言葉は、

「アリガト・・・」

 そういえば、旅の最初の頃に日本語でthank youってなんていうの?って聞かれたな。たぶん、一生会うことないと思うけど、是非とも幸せな人生を今後も歩んでほしいものです。

 さて、私たちも出発することに。コーチンからバスで飛行場へ。そこから空路、ムンバイ。そしてニューヨーク。そしてイサカ。長い旅程です。待ち時間も含め、合計36時間くらい。長いね。ムンバイ行きの飛行機は数時間も遅れるし。
 ムンバイについた私たちは、インド有数の大都市だけあって少しいままで訪れた都市より人が多いところはにているが、街灯がおおいとか、物乞いの子供たちが大勢いるとか、マリオットとか世界の一流ホテルが軒を連ねているところとか、違ったところがある。窓が開かないバスに向かって必死で笑顔を振りまく子供たちに涙する女の子とかいた。
 ムンバイのホテルの宴会場の一室で晩ご飯。一部の人はムンバイの街を少しだけみに行くが私は参加せず。頭の悪いインド人ガイドが、午前1時のフライトにもかかわらず、渋滞していて乗り遅れたくなかったら、ここを8時15分にはでなくてはいけない、とでかい声で怒鳴るので、誰も反対せず正味一時間くらいでムンバイのホテルを出発。空港には、9時に到着。
 延々と待つ。チェックインをすませ、セキュリティ・イミグレーションを抜けると、デューティーフリーで一ドルの缶ビールがあるよ〜、とジョンが言い出して、みんな酒盛りを始める。飛行機を目の前に酒盛りする人たちを初めてみる。私もまじって楽しむ。
 やっと飛行機の搭乗。15時間の道のり。長いですよね。たとえば、デトロイト=成田間が、6397マイル(10235.2キロ)ですが、NY=ムンバイ間は、7797マイル(12475.2キロ)(計算したのは私よ。えらい?)東京に行くより長いとは・・・。さっそく、最初のミールサービスの前に、水をもらって睡眠薬をてんこ盛りで飲みます。ずっと睡眠。たまに水分をとるために、起きたあとはずっと寝ておりました。隣のスティーブにどうしてそんなに眠れるの?といわれるほどです。理由をいったら納得してた。
 JFK空港に到着。イミグレーションのプロセスも問題なく通過。バッゲージクレームも滞りなく終えても、まだ終わりじゃない。これからバスで道中、5時間以上のイサカへの道のり。バスに乗り込むまで数分外気をすうが、あまりの寒さにみな凍える。気温差25度以上。道中、『X-men3』と、『ダヴィンチコード』の誰かが持っていたDVDを鑑賞。朝ご飯は、マックに。隣に座っていた、レベッカが「welcome to America!」と冗談を飛ばしてくれた。毎日三食サフランの香りに飽きていた私たちは喜んで食べた。この味も思い出深いものになるんだろうな。

 やっと到着。午後1時。寮の部屋に無事、帰宅しました。12月14日から、この部屋に連続3日以上滞在せずに文字通り、放浪しておりましたが、やっとこの部屋で落ち着いた生活を再開します。イサカに「戻る」なんて面白いですね。
 撮影した写真の枚数2421枚。利用した飛行機の便数6便。滞在したホテルの数4カ所。総日数14〜5日。なんか、今年の一年の全部の思い出を使い切った感じがするけど、まだまだ今年は始まったばかり。がんばりましょう。

 細かい感想は、次回に。

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2007年01月26日(金)



 インド事の顛末 十三日目

 毎日日記をつけるのは本当に大変ですね。もういっぱいいっぱいです。でも、実は今日がみんなと過ごす最後の夜。
 午前中は、グループにて、今度はスパイス工場を見学。大変でした。やはり、白衣着用の上見学するのですが、輸入してきたり、インドで産したスパイスを砕いたり、品質をいいものだけをあつめたりする工場です。そう、各部屋ごとに、その粉が充満しているんですよ。胡椒の部屋、唐辛子の部屋、ショウガの部屋。各部屋で簡易マスクだけの私たちは、涙目になり、咳き込み、くしゃみが止まらなくなりながら説明を聞かなくてはいけませんでした。その様子を写真に納めたかったのですが、写真撮影は禁止だったのです。工場を出た後は、なんで、化学兵器が禁止されるべきか、を身をもって知りました。つらかった。
 その後、買い物。やっとおみやげを買う。やすい。その後、全体でミーティング。研究テーマとグループ構成を微調整。ココナッツでいく私の方針は揺るぎないものそうです。一緒のグループになった二人に日本からのおみやげをあげたら、とても感動してくれました。その他、明日帰ることを思い起こされたらしく、いまからしくしく泣いてしまう女の子がいたり。外国人っぽいですね。
 そして休憩。その間にまたおみやげ集め。ほこりっぽい、そして強い日差しの中値段交渉をしたり、誰に何を買うか相談したり。(イサカに残した友達には共同で買うことに)
 夕方になっていよいよ最後のパーティです。船を貸し切って、船上で数時間のパーティです。DJがのりこみ、ホテルのスタッフも配置され、準備は万端。なんだか、私はしらなかったのですが、みんなインド衣装を身につけています。とっても美しい。アメリカ人とか目鼻立ちがはっきりしている人は、インドの服を着てもはえるものですね。男の子も着ています。

 DJの音楽に合わせて教授も含め、輪になって踊る者、屋上にでて風を感じながら思い出話をする者、延々と記念写真を撮り続ける者、踊りをみつめてニコニコしている者。ぞれぞれに旅の最後を楽しんでいます。きっと、再び、こうして一堂に会することは一生ないのかと思うと私も寂しく思います。私は屋上で、船や夜景をみて、たまにお友達と話してすごしておりました。

 最後に、今度はディナー用の船が岸を離れてきたかと思うと、我々がいるパーティ船に横付けされ、夕食。アルコールもなく、こんなに二十代中頃以降の人たちが盛り上がれることはやっぱりいいことだな、と思いながら、においをかぎたくもないサフランの香りのするご飯を最後かと思い楽しむ。
その後、私の部屋で、結構なかのよかったメンバーとお酒を少しのみ、ルームサービスを肴に会話を。途中で、パートナーのインド人二人が私を訪ねてきて、プレゼントをいただきました。ネパール人には、コーネルにどうしてもきたい、という強い思いがあるので私のコーネルバインダをあげてしまいました。

 明日は、寂しい思いになるんだろうな。

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2007年01月24日(水)
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