NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 インド事の顛末 十二日目

 グループにて、今度は魚の加工工場を見学。付加価値をつける課程の研究故、少々、農業とは違うかもしれないが、イカを延々と切り刻んで缶詰に詰めて凍らせて輸出するという企業を訪問。衛生管理のために全員は悔いを着用。白衣って暑いんですね。

 多くの女性がイカを解凍し、多くの女性が延々とイカを切り刻み、多くの女性が延々とイカを仕分けし、多くの女性が延々とイカを詰めていた、なかなか壮観だった。きけば、彼女らの給料は4000ルピーらしい。日本円で、約1万円弱くらいか?それにしては延々と水仕事(しかも超冷たい水)をさせることに問題はないのだろうか?と皆さんマネージャーに問題提起をしていた。

 以前冷蔵庫見学の話をしたが、今度はマイナス36度の冷凍庫を体験。おもしろいね。部屋全部が冷凍庫で、二分もいると寒くていやになる。マグロの鮮度を保つ最新のシステムはマイナス65度というから、結構なテクノロジーです。
 その後、グループでミーティング。うちのミーティングはほかに比べてさっさと終わるのがいい。空気が読めるメンバーは持つべきもの。私は、結局、コットンをやめて(うん、もうインドのコットンに未来はないよ)今度はココナッツをすることになりました。ココナッツについて詳しくなるなんてエキサイティングじゃありませんか。役に多々なさ加減も最高だ。しかも、今度はインド人の女性二人がパートナーになっている。とてもおとなしい二人だけど、いい人でよかった。

 その後自由時間。エメリーとヒルタさんとで、軽く市内を散歩。しばらくして、日が落ちたので、ホテルの前にあるコーヒーショップで三人でお話しして、さらにバーに移動してお箸を続けるわけです。
 愛について延々とエメリーは講義をしてくれた。(旦那さんについて質問をした誰かがきっかけだったような気がする)曰く、「愛してる、という言葉は、表現としてこれ以上ダイレクトなことはないから、使ってしまった後が大変だ、というあなたの主張はわかるわ。(注:私の主張じゃない)でも、キャピアを食べたって、ピーナッツを食べたくなる訳じゃないでしょう。だから、常に奥さんに愛してるってことばをかけたって大丈夫なのよ。それ以外にも妻をハッピーにする方法は、種類が違うだけで程度はないんだから」
 まるで、アメリカの良心のような女性です。なんの夜なんだろう、、、と思いながら寝ます。

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2007年01月22日(月)



 インド事の顛末 十一日目

 コインバトールを発って一路、バスでコーチンへ。ルームメイトのネイトと二人そろって寝坊して急いで片づけて部屋をチェックアウトする。なまじっかルームメイトなどがいると互いに甘えてしまって、起きるのを忘れてしまうものです。(その前に疲労もたまっている)
 延々とバスで移動をして、4時間以上、やっとついたところは、コーチンという港町。はじめてみるアラビア海。ちょっと感動する。でも、やっぱり途上国らしく、急いで工業化したために少し海が汚い。
 午後の講義がキャンセルされたとかで、延々と暇な時間ができる。ガイドブックをみて、船で対岸の島にわたる。古代はアラビア商人が洗練された航海術でこの街にもやってきて交易をしたんでしょうか。基本的に残されている遺物はポルトガルやオランダの植民地だった頃の名残。なによりも、フランスの練習艦隊が停泊しているのをみて興奮した。フランスの艦艇をみるのは、海上自衛隊50周年の国際観艦式以来じゃないかと思う。ま、想像通り、感動しているのは私だけでした。エメリーさんはいつも通りニコニコしながら、不思議な日本人ね〜という顔をしておりました。

 でっかい網をおろして岸ちかくにいる魚をとっている人たちをみたり、バスコダガマの墓があった境界をみたり。すぐに日が落ちてしまったので、その辺で切り上げて帰り。

 ホテルについて夕食。オイルマッサージを体験。ふつうに気持ちいい。
 その後、ヒルタさんとエメリーさんと三人で夜の散歩。潮風がまな暖かくなってきて過ごしやすい。

 道が汚いのがいやだったが、コーヒーショップでお話ししたのが楽しかった。

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2007年01月21日(日)



 インド事の顛末 十日目

 なんだか朝起きるのがつらくなってきた。疲労がたまっているのがわかる。ホテルがより心地よくなったためもあるとおもう。それでもスケジュールはやってくる。
 バスでまた、でこぼこ道を三時間。今度は椰子に囲まれた農園につく。村の有力者の豪邸で一休みした後、私たちのグループは椰子の実から繊維を取り出す工程を見学。インドでみた農業の試験的な試みの中でもっともいけるんじゃないかと思った。マーケットの展望も明るいし。機械が単純で大規模なのでみていて面白い。

 その後、前述の豪邸に戻り、昼食。ホテルで持たされたお弁当を食べる。まずいサンドイッチと、ゆで卵とオレンジジュースとフルーツが入っている。(サンドイッチ一かけ、ゆで卵、ジュースでやめた)その後一休みをしてから、繊維取り出し工場を持っている人の、今度は農園を見て回る。
 どうやら先駆的な試みとして、雨水を再利用したり、イリゲーションや木の自然的な配置によって、より効率的で安全な椰子の実栽培をしているらしい。まぁ、話が長いこと。やっと終わったと思ったら、うっそうとした椰子などの森林を三時間歩いて回るという。もう、説明を聞くのをあきらめようとおもったら楽しくなった。森の中を延々とハイキングしている気分だった。象がでるとかで、電気が通った柵にその農場は囲まれている来旨。そしてボディーガード役の犬と一緒に行動。はい、わかっています。象相手に、がどうやってボディーガードしてくれるのか、ってことでしょ。私もわかりません。彼は体が熱くなると独りでに川にはいって涼んでおりました。そして私の近くでぶるぶるするし。

 その後、不思議な儀式も見学。子牛とかでてきて、すわ生け贄の儀式か、と思ったけど、ろうそくをくっつけながら祭壇の周りを一回りするだけだった。東西南北の神様にお祈りすると、いいことがある、ということで皆さんはいろいろやっておりました。私は、ほかの牛さんたちを遊んでいた。あと、「狂牛病とか気をつけるんだよ」ってアドバイスもした。

 もう、埃にまみれ、日差しにやられ、疲れ切ってホテルに到着、シャワーの後食事。少しホテルのそばを散歩しようとネパール人にいわれたので、バイクとも車ともつかない、ピザ配達のバイクを大きくしたようなタクシー(『オト』というらしい)を帰路に乗せてくれるのならいい、といったらOKしてくれた。実際に乗った超気持ちよかった。東京にもあればいいのに。インド人の奴隷ごとたくさんつれてくればいいのにな、って。次の目的地(そうです、明日コインバトールを発ちます)でもできることなら乗りたい。
 寝かせてください。もう目が開きません。おやすみ。

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2007年01月19日(金)



 インド事の顛末 九日目

 高原を後にする。延々と山を降りること数時間、途中、やはりここは非常に高度なところにあったのだ、確認できる雲海を見下ろす絶景をみる。排気ガスにまみれたこの国もそれなりに美しいところもある。

 その後、下山。リンゴとポテトの貯蔵庫と、ポテト市を見学。小さな町だったが意味がわからないくらいフレンドリーなインド人の群れだった。いきなり握手を求めてにこにこして去っていく人や、いきなり二人でやってきて、「俺らの写真とってくれ!」といって撮ったはいいが、デジカメの画像を確認もせずさっていくひとや、ヤギの群れを写真に収めようとしたら、いきなり昼寝中のヤギ使いが不思議なヤギ語を使って、ヤギをカメラのほうに向けてくれたり。いろいろ意味不明だった。

 その後、コインバトール市内に到着。ついたホテルは非常に豪華なホテルだった。今回の旅は、寝起きする場所が快適なのがいいね。ただ、やはりバーとか選択とか、いろいろサービスは高くつくから考えものです。いずれにしてもナイスな部屋じゃないか〜、いい旅だな〜と、ここでもルームメイトになったネイトは感動していた。ミシガン出身のとってもいいやつだ。かっこいいし頭いいしサッカー超うまいし、語学は堪能だし。お友達に「していただいている」気分がする。
 夕方以降は、希望者のみカルチャーセンターというところにいく。ヨガ教室があると聞いていってみたのだが、実際についたところは新興宗教的な施設で、きわめて不快だった。みんなについていくのをやめ、集団からはなれ庭でぼーっとしてすごす。こうしている友達が数人いるから、きっと私だけではないと思った。ヨガ体験にも入室せずエントランスでストレッチをしてすごす。今回の旅の汚点といってもいい。(旅の一員に創価学会のメンバーを見つけたことも汚点といってもいい。)一応、宗教画の壁画に足跡をつけて、軽くテロっておく。

 夕食後、カンファレンス。相変わらず、皆さん、スピーチが上手なこと。軽く洗練された冗談を交えながら要点を簡潔に話していく。ああいう技術はやっぱり練習すべきだと思うよ。
 その後、ホテルのバーで友達とお話して就寝。(私の部屋が別のパーティ会場と化していたので退散していた)明日はまた、炎天下の中、村まわりらしい。まいったね。

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2007年01月18日(木)



 インド事の顛末 八日目

 ホテルが心地いいので、あんまり外に出る気がしない。それでもスケジュールはやってくる。
 今日は、紅茶工場を訪問。インド南部では最大規模とだけあって、結構圧巻な光景が広がる。なにより、コーヒーが飲めず常にお茶を飲んでいる私としては、とても興味深かったし、面白かった。立ちこめる紅茶の香りがとてもいい。毎日楽しんでいる紅茶がこのように作られるのか、と原理では知っていても、実際に工場とそこで働く人たちをみると、いろいろ思いはせるものが広がるというものです。
 困ったことは、工場中、紅茶の粉末が広がっていて、くしゃみが止まらなかった。涙も汗もみんな紅茶味なんだろうなって思った。なにより、断崖絶壁に植えられた茶葉を収穫する人も、粉末のなかで働く人も、苦労が忍ばれるというものです。みなさん、紅茶は大切に飲みましょう。

 興味深いし、身近と会って午前中はなかなか楽しく過ごせた。全く同じものを、今度は紅茶博物館で見せられたことには閉口しましたが。その後、ホテルに戻って昼食。一休みした後に、おもしろ写真を撮って遊ぶ。
 その後、今度はこの地方最古のミルク工場へ。相変わらずだいっきらいな牛乳のにおいが立ちこめて吐き気がずっとしていた。まったく説明もスルー。さっさと終えて、今度は湖に行ってレクリエーション。ボートツアーを私たち、付加価値研究グループのみんなでのって、湖畔にある遊園地で少し遊ぶ。ぐるぐる回る遊具で気分が悪くなる人が続出して、深夜まで気分悪がるひとが後を絶ちませんでした。私はちなみになんかぶつけ合う車のアトラクションだけで写真を撮って遊んでいました。

 ホテルに着くと、しばらくしてから、ヒルタさんと二人で暖炉の前で乾杯。なんだか、彼のおかげでずいぶんお酒を口にする機会が増えた。いやいや、タカユキ君と一緒にいたときは、もっと量とピッチは激しかったな。うん。彼は酒の師匠だ。色んな意味で。(もちろん、ああやって飲んではいけない、ということも身をもって教えてもらいました。彼には)
 暖炉で延々と遊んで、夕食。少し庭に作られたたき火の前で、インド少女たちに星座の講義をしてから寝る。そうです。私は高校の頃、天文部だったのです。星座の説明なんて高校の文化祭でプラネタリウムの中でした以来ですよ。考えてみれば10年ぶりにしたことがインドにきてから多いな。サッカーとかバスケとか、天文とか。その度にもう若くないことを身をもって知る。

 その後、部屋に戻るとルームメイトのネイトと部屋にある暖炉に火をつけて遊ぶ。とてもとても素直な人で、いい旅だ!いい部屋だ!いいシャワーだ!いい友達だ!という話を暖炉の前で明け方3時までしてともにベッドにつく。そうなんです。新婚旅行気分ですよ。リゾートホテルにくっついたベッドで二人で寝るなんて・・・。
 明日はいよいよこのパラダイスを離れコインバトールに行きます。朝五時起きだって。

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2007年01月17日(水)



 インド事の顛末 七日目

 ウーディ二日目。朝が心地よい。高原のにおいを感じるし、朝日が美しい。なにより空が広い。
 なんかリゾートで快適なホテルにいるせいか、本当に休日がほしくなる。それでもやはり午前中から活動開始。今度はバスで三十分と近いところにあるのが幸いでした。タルナル農業大学の研究施設らしい。そこでレクチャーを受けるが、科学的なのか非科学的なのか不思議な講義が展開された。問題点の指摘は至極科学的なのだが、それを乗り越えるのに、牛の体内には31の神がいるとか、宇宙からのエナジーがどうとか。農薬を使うのは神の意志に反してるとか。ま、そういう意見もあるわな、さ、次に行こうと思ったらどうやら彼の実験施設を巡るらしい。はい、もう過去の経験から覚悟はできています。また何重というステーションを見て回るわけでしょ?

 その通り。今度は涼しいからいいようなものの、斜面を延々と登り、確かにとても丁寧に、誠実に彼は説明をしていたのだけど、たとえば、土作りのプロセスを説明するために、実際に農民に土作りをさせてみせるわけだ。その態度といったら、すごかった。奴隷扱い。さっさとせんかこらー、といわんばかりに酷使していた。それでの農民はこのオーガニック農場でハッピーだ、と彼は力説していたよ。
 本当はバラ園とかみたかったんだけどな。確かに、サンスクリットの呪文を聞かせて育てたというバラは、美しかった。とても活き活きとしていて、これほど活力のある美しさを秘めたバラをみたのは初めてだった。
 埃にまみれてホテルで昼食。その後急いで紅茶農園へ。ま、同じようなスケジュール。

 夜、ホテルの芝生でみんなでサッカーをして過ごす。女の子も参加するんですよ。そして上手だし積極的だし。そういうところがアメリカ人の女の子のいいところですね。非常に楽しかった。最後にバスケットボールをしたのだけど、みんな万能なのね。はじめてエアループダンクとか実際にみたよ。これでハンサムで、ちょ〜頭いいし、しかもジョークも洗練されてるんだから・・・。アメリカのエリートな若者はすごいんですね。バスケなんてもう15年ぶりかもしれなかった。日本人二人だけ小学生レベルのバスケをしていた。ボールに翻弄されてる無様な姿が、夜ゆえに広く見せずにすんでよかった。

 明日はやっと7時半に起きればすむらしい。よかった。どこいくかはもうみるのやめた。


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2007年01月16日(火)



 インド事の顛末 六日目

 朝四時におきる。ところが左腕に激痛が。うめいているともう集合時間でなんとかヒルタさんに知らせてもらって間に合った。その後薄暗い待ちを抜け空港へ。チェックインをすませ、意味のない、ところが何重ものセキュリティをくぐり抜け、空路、コインバートルへ。飛行機はエアバスA360とこれまた結構新しい機種でびっくりする。デカン航空だって。
到着し、今度は四台の小さなバスに分乗する。これから、山を延々と四時間登り続けるらしい。コインバートルはハイドロバードよりも緑が豊かで少しのどかで安全な感じがする待ちでした。市内・郊外とぬけ、見上げる大きな山々が見える方角を目指す。
 ハイドロバードででこぼこ道がどうのこうの、と書きましたがその日ではありませんでした。舌をかみそうになるような振動の中、密林の中へと入っていく。途中猿とかいっぱい。いろは坂みたい。(道路状況も道幅も、何もかも比べようもないが)断崖絶壁を見下ろしながらガードれーなしのバス同士のすれ違い、など、「そういえば中国の山奥で日本人のバスツアーが事故にあって人が死んだとき、なんでそんなところ行くんだよ、と思ったけど、私も死んだらそう思われるんだろうな」と心の中でつぶやきましたよ。長い道中、つたない英語なのにニコニコといろいろなお話をつきあってくださったエメリーが隣だから、ま、一緒に死ぬ相手としては不足はない、とか思ったり。いろいろ大自然の中、妄想はふくらみます。

 山を登ること数時間、まるでマチュピチュか、というような光景が広がる。まさに空中に浮かんでいる都市。都市だけではなく、紅茶畑やコーヒーの木畑も断崖絶壁に張り付くように見える。インドにきて、ありの大群のような人の山にも息をのんだものでした、この光景は「いい意味で」息をのんだ。美しい。こんなところであの有名なインドの紅茶は作られているのか、と非常に感慨深い。
 到着したところはもっとすごいところだった。今までの苦しい道中の対価のようなリゾートホテルだった。涼しい高原の風が駆けめぐる中、小さなコテージが点在するすてきなホテルだった。もちろん、作りの古さや雑さは否めないが、これはこれであじがあるんじゃないか、と思えるほどです。

その後、休息をとりたい気分なのに、無理矢理近くのやはり農業のパイロットプロジェクトを見学。そこでは、崩壊した紅茶市場の代わりにカーネーションで活路度開こうという計画の話を聞く。大変に興味深い。私の次のトピックは、おそらくコットンの次に、カーネーションでインドの未来はない、ということを主張することになるんだろうな、と思った。
 実際にカーネーションの苗を植えてみたりもする。一日中勉強はできないが、こういうことなら一日中やっても楽しめる、と誇らしげに語っていた韓国人が面白かった。
 その後やっとホテルをエンジョイ。グループミーティングで私とヒルタさんだけはみんなのレスポンスのない意味不明な計画をぶちあげていましたが、ほかの方々の実りあるディベートをしておりました。逃げるようにバーへ行き、少しお酒を飲み、夕食を食べ、この日記を書き、寝ることにする。

 明日くらい、休日だといいのに・・・。

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2007年01月14日(日)



 インド事の顛末 五日目

 やはり朝7時から活動開始。同様にバスに揺られて、数時間。今度は、乾燥地域農業研究所に着く。インディアン訛りの英語で全く意味不明。落書きをして過ごす。(なんだか、研究系のイベントでの手抜きが激しい気がしませんか?気のせいじゃないと思う)

 その後、実際の実験農場を見学。炎天下の中、バスで移動を繰り返しては、植物を見て回る。先駆的で、実際的な実験だなーと思って質問や写真撮影を繰り返していたのは最初の3カ所くらいで、後になってどんどんやる気が失せる。最後のスポットでの、盛大な拍手は、絶対にやっと終わったぜ!という嬉しさの拍手に違いない。少なくとも私はそうだった。そうそう、人生初のココナッツを飲んだんですよ。あんまりおいしくないね?水に微妙な味が付いている感じで。おいしいココナッツがあれば教えてください。

 暑さと埃から疲労困憊だが、バスで再び揺られる。こんどはレクリエーションらしい。元気がみなぎるから不思議だ。たどり着いたのは、入場券を購入してはいるバザール会場。なんだか、イッツアスモールワールドでみる、アラビアンな市場だった。(もしくはディズニーシーのアラビアンシーエリア)仮設の布のテントでできた店たちが、サリなどインドっぽい布を売っている。その他仮設遊園地や装飾品を売っている店もある。家電メーカーが特設会場をやはり設けていて、そこで展示即売会のようなことをしている。(日本のメーカーはsanyoが少し間借りしているのみ。もうものづくりやめようぜ、という意思表示か?)
 あんまり買うものがないが、せめて土産の一つでもとおもって、軽くて小さいピアスを一つ購入。カシミール地方でできた、ときいたのが原因だ。(ずっと前、カシミール紛争についてレポートを書いたのを思い出したので)一緒に旅行している、身長150センチくらいの小さなコーネル大学のインド少女に交渉を頼んだらすごかった。アメ横も真っ青。まるでケンカだ。

インド少女「kiyo!いいから、100ルピーをこいつにあげなさい!」
店主「だめだめ。150ルピーだよ」
インド少女「いいからはやく!100ルピーおいて商品をとればいいの!」
 店主ににらまれながらお金をおいて購入。ま、こんな人たちが何億もひしめいているところに気取った日本のメーカーが食い込むなんて無理だわな。おみやげのピアスは誰かに届きます。こうご期待。
 その後、ハイドロバードの湖の湖畔にたつ、デートスポットのようなフードコートで食事。お友達との会話を楽しみながら、インドにきてついに食べたかったチキンティッカマサラを食べた。どうやら南部は辛くて有名らしくて、私の口にはあんまり合わなかった。NYCで食べたよりもおいしいチキンティッカマサラがあると期待していたんだけどな。
 いよいよ明日はハイドロバードをたち、中部の山の上に向かう。明日は4時起きらしい。寝過ごさないといいな。

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2007年01月13日(土)



 インド事の顛末 四日目

※インターネットコネクションにたどり着くのが大変なので、更新速度が遅れてしまいます。

 六時半集合のはずなのに、食堂すら開いていない。結局7時半頃からスタートで、いろいろ予定を一時間半以上オーバーしている。インド時間なのか、アメリカ時間なのかしらないが、早起きして損した気分。(っていうか部屋が寒くて何度も起きるので、別にどうでもいい)
 バスにて、ミルク加工工場に出発。バリューアディショングループ(付加価値付与研究)にいる私たちはミルクをどうインドで加工されてるのかとか、実際の現場で働く人たちはどんな人なのかとか、その後の研究などなどをみるらしい。またでこぼこ道に、渋滞に、クレイジードライビングに三時間を費やして到着。
 私、牛乳大嫌いなんですよね。工場内はミルクの何かがどうかした、においが立ちこめて超はきそうだった。悪いが説明もなんも聞いていない。はやく外にでることだけを願っていた。そして滞在一時間。また渋滞の中三時間を費やして帰ることになる。疲労困憊の極み。二時までには戻り、遅い昼食をとる予定だったが、何せ出発したのが二時半なもので、バナナとポテチを与えられ、それで何とか生き延びてくれ、といわれる。おもしろい。飲み物が牛乳だったので切れそうになる。(小学校の時のように仲のいい人にあげた。まさか二十年後も同じ事をしているとは思うまい。小学生の私。)

 到着後、疲れていたが、あんまりに夕方の時間のすてきな気候だったので、誘われて研究所内を散歩。サッカーフィールドを見つける。いろいろお友達がよってきて、サッカーをすることに。これも十年ぶりよ?高校以来。非常に疲れたが非常に楽しかった。アメリカ人のあんまり話したことない人とも親しくなれた。スポーツの力だ。
 そして、庭園へ。なにかパーティの準備がしてある。舞台で、インド音楽が歌われ、ムスリムの女の子たちが数人招かれ、友達が手に絵を描いてもらっている。泥のようなもので書かれるその絵は、乾いて泥がとれると、少し模様が残るらしい。女の子が喜んでいる。私も早速挑戦してみた。なかなか面白い。男の子はちょっと躊躇っていたが私の後に続く。
 その間も延々と続けられるインド音楽。観衆はだれもいないので、しかたなく、私が中央に座ってずっと聞いてあげる。みんなは似顔絵師のコーナーに移動していたり、たき火にいったり、放置プレイを続けている。かわいそうなので何とかみつづける。その後食事。

 ま、カレーよ。いつも通り。その間、結構仲良くしてくれるネパール人のインドの大学に学ぶ院生(この旅行は、インドの大学の学生とともに行われている)がすごいエンターテインメントを見せる。七カ国語を話し、遺伝子工学が専門だというが、道を誤ったか?と思うほどダンスが上手だった。その後、また、放置プレイが続いたものの、最後は、数人をつれ、教授が参加する。かっこいいカナダ人だ。(写真が彼。)波多野里望もこれくらいの甲斐性がほしかった、と心の中で思う。

 食事後も、少しお友達と歓談。前半戦のミルク工場とバスの旅がつらかったが、最後はよかった。明日もつらいんだろうな、見学とインタビューは・・・・。

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2007年01月12日(金)



 インド事の顛末 三日目

※このインドスペシャル、一日遅れで更新中です。

 朝七時に集合、朝食後、バスにてイクリサットが技術導入の試験などをしている村を訪問。バスで一時間半程度の道程。道がでこぼこしているため、バスに乗っているだけでも疲れる。
 景色がおもしろい。広大な景色の中で牛さんがのんびりしているのにエキサイティングする。後になってふつうの光景に思えるようになる。
 村に到着後、村の有力者のおばさんに連れられて各所を見学、説明を受け、多少質問をする。村内で労働者の融通や、金融システムが構築されていることを確認。ここでもはいブリット遺伝子作物の種や薬品が売られている。
 掘っ立て小屋が立ち並ぶ村内を歩いて、各種システムを実際にみる。初めてみたよ、井戸らしい井戸。この村に、日本大使館の一等書記官の名刺が残されていたことが驚きだった。パーティと公金を貯蓄する以外に仕事をする外交官がいるのね。どうせ、デモンストレーションみたいなもんだろうが。

 その他、村の農産物の加工システムや、女性たちがサリをデザインし、一つ一つ手作業でオーダーメイドのように模様をカスタマイズし、生計とたてていたり。いろいろおもしろい。学校が休みらしく、私たちのあとに多くの子供たちがついてくる。なんか、インドの広大な人口にあって、大人の命なんて正直なところ佃煮みたいなもんだ、としか思っていないが、子供たちをみていると、この子たちが大人になる頃には、すこしなりとも明日が今日よりもよりよいものになるんだ、という希望を持って生きてほしいと思った。デジカメがおもしろいらしく、写真を撮って見せてくれ、とねだられる。日本(japan)という名前を知っていたことも驚きだ。
 そしてついに、コットン農場を見つける。昨年末、コットンについての論文で非常に苦しんだだけあって、見つけて実際に手に取ってみたときは感動はひとしおだった。これがbtコットンか!コットンの花が、女の子が使うコットンにそっくり(当たり前の話だが)だったのがまた感動。一つもぎって部屋に持ち帰った。

 4時間以上村を歩き回り、日焼けと日射で死にそうになる。私にしてはがんばったと思いません?

 その後、ハイドロバード市内に移動し、マイクロファイナンスについてのレクチャーを受ける。マイクロインシュアランスの説明をした人の、ファイナンス知識の深さにびっくりした。彼ほどの理解があれば、外資系金融で年収一千万はくだらないのに・・・。とおもった。いや、マイクロファイナンスは実は非常に儲かるんですよ。
 その後、ほんの少しだけ、市内のマーケットで友達がカメラの電池を買うのにつきあう。もう恐怖の連続。道路を渡るにしても、人をかき分けるにしても、もう怖くて怖くて。勇猛果敢な韓国人と、人のいい優しいネパール人の腕をつかみながらでしか歩けない。明日からどうするんだろう????

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2007年01月10日(水)
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