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■ 人間らしさ
どうやら、どこの大学も中間期らしくテストや課題の提出を迫られているのは私たちだけではないらしい。(少なくともNYUやコロンビアは同様に忙しそうにしていた。そして私の知人らしく、多くは困窮の極みにあり、そこでどうするかといえば、一人ボイコットにでるか、右往左往したあげくにパソコンの前に座り込み、考えるふりをするだけして延々と母国語でニュースを眺めることに没頭しているらしい)
それはどうでもいいとして、今週ふと気づいたのですが、課題を三個以上抱えるとプレッシャを感じる、ストレス感が増大する、ということです。私の場合ね。(今週に入って余計ひどくなった睡眠障害はそのためか?)
どういうことだろう?
忙しいことは閉口するが、課題が一週間に一つずつ与えられていれば問題はない。しかし、三週間後に、一度に三つの課題を与えられると問題は変わる。
前者は、「A→B→C」と道順が定めされていて至極線型な模様を頭に描くことが出来る。
しかし、後者の場合、 「A→A→→→→A→A→:完成 →B→B→B→→→→B:完成 →→C→C→→C→→C:完成 」 のように、仮定を描くことが難しくなる。二次元になるといってもいい。もっといえば、実際、ABCともに作業の質・予想時間・リスクマネジメントなどが、それぞれ全く異なるので、一直線上に作業を計画できるものから、何度も失敗覚悟で完成の予測のつかない「実験」を重ねなければいけない課題も存在する。(二次元どこの話じゃなくなる)自体はさらに複雑になる。
こうしたマネジメントの難しさは、「おいおい、本当に期限までに終わることが出来るのか?」という不安を増大させ、ストレスがたまる仕組みになるのではないかと予想される。
そして、このことはとっても人間的なのではないかと思った。私の犬のゴン助さんを観察していて思ったのだが、あの人は、食べ物を二種類与えられても、あまり迷わない。「最初にこれ食べたらお腹一杯になるかも」とか、「これは、食べたら気持ち悪くなって次がだめかも」とかいった思考はしないように思える。とにかく、一点集中。「A→B→C」と線型にしか計画が立たない。(もっともご飯を誰かに一定時間後にとられるという心配は全くないが)
実際のビジネスの現場ではそのようなことは日常茶飯事なのだよ、君もまだまだ弱いね、というご意見をいただけるかもしれない。しかし、多くの場合、集団で行っているので、リソース配分が、視覚的に認識しやすい。例えば、「このプロジェクトには、三人。」「この営業には、エースのあいつを当てよう。」などなど。
個人でこうしたマネジメントを行うのはもっと困難だと思った。確かに時間配分は視覚的だ。「Aは難しいから、一日三時間やって、Cは一週間後から手をつければいいや」など。しかしながら、リソースは時間だけではない。質の問題もある。コンディションに左右される自分の能力は、「絶好調なな時間帯はここだから、このときにAをやっちまおう。」とか。自分の能力を客観しすることが困難であることは、リスクマネジメントをさらに難しくさせる。
もっといえば、常に未知に取り組んでいる勉強にとって(なぜなら学問とはそういうものだから)自分の抱えてる課題が期限内に終わるめどを立てることなど過去の経験を参照することが難しい。(「だいたい営業なんつーもんは、受付嬢を落とせば、課長にまではなんとかたどり着けるもんよ。だから、今回も、Z社の課長にコネつけるには、まずプレゼントを用意して・・・」などの過去の経験は役に立たないということだ)
聡明な人ならば、そうした不確定要素もさらに織り込んで計画を立て、きっちり期限を守って仕事を完成させるのだろう、と思った。それが私の今週の考えたこと。つまらない?よね。うん。そうだね。企業のトップなどはこうした資質が求められるのかもしれない。無理かな、私には。
毎度のことながら下世話な話に応用してみよう。『どれも全く新しい技能や研究が必要で、しかも、異なる仕事の質と、時間を要求され、複数目標を短期間で制覇しなければならないもの』といえば何だろう?
なんだろう・・・
そう、浮気だ。 ひとの性格は多種多様で、口説き落とすのにも、関係を維持するのにも、全く同じようにはいかない。そして時間経過は関係を変化させる。そうした相手を複数相手にするには、こうした高度で洗煉されたマネジメント能力が必要になる。
一度に三人も四人も相手にする「強者」が私の知人にもいたが、以上のように考えると彼/彼女はすごいと思った。そして何より人間的だ。
そう。そして多くの場合、浮気がばれてしまうのは、その人の能力がこうした高度な要請に応えることができないからだ。
2006年10月20日(金)
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