NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
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 中国茶の昼下がり

 七年くらい前から近くを通るたびに通っている中国茶のカフェがあります。(もちろんNYにいたときにはいけなかったわけですが)表参道ヒルズが建つ前は蔦の絡まった良い感じの古びた同潤会アパートと並木道を眺めながら中国茶の香りと味を楽しんでおりました。

 そして久しぶりに訪れたんですよ。やっぱり窓からのぞくあの表参道ヒルズには、眺めてもそれほど長い時間楽しむ気分にはなりませんね。室内も変わりなく、こんなマイナーな店なのによく今まであったね、という気持ちになりました。

 だからといって、私は気合いの入っていない中国茶ファンなので、(コーヒーを飲まない私はお茶全般好きです)なにかソムリエのように奥深い造形を中国茶にあるわけでもなく、いつも飲むのは特級木柵鉄観音。やっぱり第一杯目にいれた時の香りが素晴らしい。なんか食欲をそそられる気分で、その香りを放つお茶を飲んでみたくなる。

 どのお茶をオーダーしてもお茶菓子がついてくる。中国風の匂いのするあんこのお菓子か?と思われるかもしれませんが、結構普通の和菓子っぽい。客席の備えられた電気ポットからお湯をいれれば茶葉の味がつきるまで何杯でも楽しめます。

 休日は混雑しがちな、原宿・表参道でもそれなりに席があるのでおすすめです。たまには中国茶のひとときを。デートでも、一人立ち寄りでも楽しめますよ。


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2006年04月16日(日)



 桜の夜

 久しぶりの更新です。

 もう随分桜は散ってしまいましたね。特に昨日の夜で。でも、ジョギングをしていると、道路中に桜の花びらがあったり、電車の乗っていると一陣の風と一緒に花びらの群れが駆け抜けていったり・・・、まだまだ桜は私たちを楽しませてくれます。もっといえば、あの薄い桜の葉は日の光を通すと綺麗だし、楽しむことは出来るかも。
 

 お花見らしい花見はしませんでした。夜に、近所の神社と川沿いの桜を楽しんだ程度です。でも、偶然にも、いやかなり必然でしょう、杉並の桜の名所として有名なわけだから、神社も期待に応えて11時過ぎまで奥の門を開けるようにしていたみたい。そして参道の真ん中で大きな松明を置いていました。なかなか幽玄な感じでよかったです。

 甘酒とか、小さな屋台が一軒だけ建っていて。祭りっていうと、大騒ぎな感じがしますが、こうしてささやかに近所に迷惑にならないようにするお祭りも良いものですね。

 来年も私はこの桜の木の下にいるのかなー?

2006年04月15日(土)



 究極の寿司

 寿司ネタ三回目。これで最後です。でも、これを紹介せずにはいられない。

 私の生まれ故郷、柳橋にあるお寿司屋さん。ここはどこよりもおいしい。ここよりおいしい寿司に出会ったことがない。だからといってとても高価なわけでもない。

 サービスも、最高。彼が気にするのは、客のお茶・がり、がなくなっているか否か。今日の天気の話すら、向こうからしてくることはない。もちろん、私が話しかければ、にこやかに対応してくれる。しかしながら、相手の方から、余計な話をしてこないし、いつも一緒に行っている人の話をすることは全くない。ただ黙々と寿司を握り続ける。

 その仕事たるや、これまで紹介しているお店のように、見た目が繊細そうではない。しかしながら、口に広がる味ははるかに奥深く、生ものなのに、なぜか香り豊か。ネタ一つ一つに実は味わうべき香りすら計算にいれていることが分かる。ヒラメ・真鯛・シマアジ・トロ・煮蛤・鰺(あじ)・締め鯖・・・並ぶ品々はどれもとてもオーソドックス。しかし、定番であるがゆえに、彼の仕事の細やかさ、卓越度がみてわかる。なぜなら、下に乗せた瞬間に鳥肌が立つから。うなる余裕すら与えない。

 ちなみに写真にあるように、車も通れないほどの小さな路地に二つの寿司屋が向かい合って存在する。おもしろいことに古い方のお店が父親の、新しい方が息子の店なのです。父親の方が典型的な寿司ネタが多いでしょうか。息子の方も超有名店で修行を重ねてきただけあって、手抜きの一切ない仕事を加えた寿司を展開する。気分によって、「うん、今日は父親の店に行くか」なんてことに。

 今日は、連れを待っている間、旬の鰹(かつお)を刺身にしてもらう。一センチくらいの切り身の間に、ニンニクを薄く切ったものが挟んでおり、ショウガとネギとで、しょうゆにつけてたべる。柔らかく、とろける食感を味わう。初鰹は秋の鰹に比べて、脂がのっていないというけれども、実はちょうど良い感じでした。

 そして握りの最初は中トロから。香り深い、決してその脂がボリューム感を感じさせることがないマグロ。一回食べればそれで十分。トロの魅力をたった一回で描ききってみせる!そんな迫力のある味。

 腕の良い職人は、時間もかけない。注文後数秒ででてくる。だからといって、雑なわけではないところが彼の「技」なのでしょう。にこやかに、しかし、真剣に創られる寿司の世界を堪能するには、締め鯖、煮物など仕事をより加えられているものを味わずには始まらない。

 煮蛤。煮すぎれば堅くなる。煮が浅ければ生臭い。完璧な「煮」が巨大な国産蛤を至高の味へと変化を遂げさせる。口にいれば分かる。筆舌に尽くしがたいとはまさにこのこと。何十年にも渡り、彼が守り続けた、ツケと一緒に味わうと、ただ単に甘いだけではない、複雑玄妙な蛤の姿を知ることになる。

 そして、終わりに近づいて今度はさっぱりとしたものを食べたくなる。そんなときには、ヒラメ。それも縁側。一匹からなんと三つしか創ることが出来ないそう。6時の開店と共にはいった幸運は、じつはこの「えんがわ」を味わうことにある。一見、味気なさそうな白身魚も、実は奥に、力強く、特徴のある味を秘めていることを思い知らされる。そして、その裏にはなんといっても、彼の包丁裁きに寄るところが実は大きい。

 ネタを全部食べ尽くしたいところだが、胃袋に限界があることを呪いながら、暖簾を後にする。次が楽しみで楽しみで。でも、これでもう、寿司が食べることがない、と思っても、思い残すことがないくらいの満足をその店は私に与えてくれた。

 とはいえ、きっと私は来月も通ってしまう。


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2006年04月01日(土)



 考察!男運の悪い女

 最近はあんまり見なくなりましたが、私のお友達の女の子の中には、ぞっとするほど男運の悪い人が幾人かいました。細かにエピソードを紹介するのがぞっとするくらい。
 同棲しておきながら、「じゃ○○ちゃん(浮気相手)のところ行ってくるからお金頂戴」
 なんていう人とずっと付き合い続ける女の子とか。ま、これは極端な例にしても、付き合う人がどうもおかしな人が多い、っていう子いるんですよね。
 男運の悪い女が付き合う人ってどんな人でしょうか?ま、典型的なのが、浮気癖・虚言癖・賭博癖・暴力癖・束縛癖・変態的な性癖なんてものがあがるんでしょう。どうしてこういう人をその子たちはひきつけてしまい、さらには付き合ってしまい、もっといえば付き合いを続けてしまうのでしょう?

 積極的な理由と消極的な理由があるんだと思います。そしてその両者の理由を意図も簡単に受け入れてしまう性質が男運の悪い女の子には備わっているのでしょう。
 積極的な理由とは、女の子は「この人はいつか変わってくれる」と期待させられてしまっていることです。そこにはその子の、あのときの笑顔・優しさ・言葉に簡単に感化させられてしまい、そのときの思い出がいつか戻ってくると信じ続けてしまうのですね。
 消極的な理由とは、なにより独りになりたくない!という孤独感への恐怖もあるんでしょう。つまり相手の男の性質は付き合う要因、付き合いを続ける要因には本質的にはなりえていないのです。
 この二つの性質(実は表裏一体で同じものといっても過言ではありませんが)を備えてしまった女の子が、あらゆる目の前にある状況が、その恋愛の崩壊を意味しているのにもかかわらず、献身的に・盲目的に恋愛関係を続けてどんどんと不幸の階段を転げているのです。(本人的には不幸ではないのか?)

 では、こういった性質を備えている女の子はどうしてそうなったのか?ありきたりに言われていそうなことは、その女の子の家庭環境とか、育った環境に原因を求めるんでしょうが、物事それほど単純ではないでしょう。超好きで、幸せいっぱいで、結婚すれば絶対に大成功、なんていう男性と不幸にも事故的に別れてしまえば、その女の子に言いようもない孤独感と寂しさは残るのでしょうし、仕事で大失敗したら、家族を突然失えば、親友に彼氏を奪われれば・・・。理由はいくつもあります。彼女の内面の原因について考察するのは複雑で難しい作業ですし、なにより無意味です。

 周囲の人ができるのは、彼女の置かれた客観的な状況をどうにかして見つめ直してもらうことを「祈る」ことなんでしょうね。カウンセリングなどの訓練を経るか、よほど才能でもない限り、堅固とした彼女の信念を変えることは不可能です。挑戦したら友達としての彼女を失う可能性だって少なくありません。

 あなたの彼氏はあなたを幸せにしてくれそうですか?少なくともあなたの犠牲の上に自分の幸せだけを考えるような男性ではないですか?どうかみんなお幸せに・・・。

2006年03月30日(木)



 とんかつの夜

 はい、今晩はトンカツです。私が思う究極のトンカツ料理屋は私の生まれ故郷・蔵前にございます。
 ちょっと、秋葉原に行った帰りに、「お腹すいたな〜、なんかおいしいものがお腹いっぱいガツガツ食べたいぞ」という気分なり、お!あそこに、究極のトンカツがあるじゃないか!と思い立ち、行ってきました。
 
 ここも久しぶりのお店。嫌らしくはない油の臭いがかすかに香るきれいな店内。
 お父さんなシェフと、それをサポートする息子。客席で細々したものをサービスする奥さん。このほかに娘さんがいたんだけど、いなくなってる。(お嫁にいったのかな?)

 ヒレと海老フライを一本つけてもらう。

 二つの温度の違う大きな油釜を使ってじっくりと厚さ4センチはあろうかという固まりを丁寧に転がしながら揚げる。待つこと15〜20分。だんだんと色が付いてくるのが分かる。

 よく切れる包丁で、一口の大きさに手際よく切る。その切り口からは、包丁を入れるたびに肉汁が飛び散る。海老も、その光景からいかに弾力があるかを私たちに教えてくれる。
 いよいよ目の前に運ばれてくる。食べる。口の中に広がるワンダーランド。おー豚肉ってこんなにおいしいのか!!海老が口に入らないくらい太い〜どうしよう〜。と幸せな困惑。おいしさが一滴たりとも逃がさないで閉じこめてある。満腹になるまで続く、一口一口の感動を楽しむことができるのですね。

 やっぱり下町はおいしいですね。値段は少し高めですが、十分に幸せいっぱいで帰路につくことが出来ました。

2006年03月28日(火)



 杉並の昼下がり

 夜に定期的な仕事が入っているせいか、遅い昼食を取った後、いつもジョギングすることにしています。NYにいたときほど楽しめないコースなのですが、二年前までは親しんでいた道が懐かしさと、すれちがう犬と猫を楽しみに足が進むというものです。

 ちょっとだけ起伏があるせいで、足全部の筋肉を使うことが出来ることと、移りゆく川沿いの景色が沢山あって飽きさせないところが我が家の近所の自慢です。家を出て二分で写真のような景色の中でジョギングが出来るのが、杉並区のいいところですね。

 家を飛び出して、二分後、川に出る。川沿いの道をしばらく走ると、サッカーグランドとテニスコートを抱える運動場に出ます。その運動場を大きく一周し、川を渡ると、大宮八幡という神社に入ります。鳥居をくぐり、参道をすすみ、本殿でお参り、そして、高千穂商科大学の構内沿いに暫く走り自宅に戻るというコースです。楽しいですよ。
 
 至る所に、休憩してるか昼寝をしている猫と、お散歩中の犬がいるので全く飽きません。気になるのは、彼らが「あほじゃない?ゆっくりしていきなよ」と語りかけてくれることでしょうか。

 NYの良いところは、この杉並のように、緑がいっぱいあったことでした。やっぱり自宅の近くに大きな公園と川があるっていうのはとても素敵なことですよね。(ハドソン川と比べれば、うちの近所の善福寺川なんて100分の1の規模ですが)今まで行った都市のなかで、あ〜ここには住めないな、って想ったのはこういう散歩が楽しめない都市です。(意外とマニラってジャングルの中にある都市みたいで面白かったよ)香港とソウルでしょうか。あそこは、全く緑がない、公園どころか街路樹だって申し訳程度。

 ま、いずれにしても、こうして私は毎日i-podだけを片手に走っているわけです。


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2006年03月25日(土)



 結婚の条件

 つい先日、ある人より生まれて初めて、そろそろ結婚を考えたら?と提案された。多少びっくりする。そりゃ、同い年でも結婚した人はいますよ。でも、さすがにこの私に提案する人がいるんだな、と。あの伝説(?笑?)の論集『おとなとこども〜kiyo20才記念論集〜』の次のバージョンは私が30歳の時に、そしてそのテーマはやっぱり結婚だろ、と思っていたのですが、なんかそれまでにもうみんな考えを持っていそうですね。改めて考えてみて、さ、その結果を文章にしてみよう、というのがあのときのコンセプトだったのにね。
 
 ともあれ、私のことは置いておいて、いろいろ観察した結果結婚に至るまでの条件を考えてみました。(結婚した後の考察はまた今度ね)
 
「なんで同棲じゃいけないの?」
「同棲と結婚のボーダーラインは何だろう?」
「恋人から伴侶へのステップアップには何が必要なのか?」

 この問いに答えられますか?


(さ〜みんなで考えよう!)








(もうちょっと考えてみ)









 幾つかの例を見るに、実は、彼女(彼氏)から結婚相手になるには実は「愛」以外の、とても外的な要因にあるんじゃないかと思います。どんどん、どんどん相手を好きになっていても、結婚に至るには当人たちではどうにもならない「一押し」があるんじゃないかと観察されます。

・海外or地方転勤(留学もあり得るか?)
・親の死
・ビザが切れる
・社宅に夫婦であれば入れる
・妊娠
・彼女が30才(or35才or40才)に

 等々。なにかしら二人の気持ちと関係とは別の事件が結婚へのラストステップを踏ませるように思えます。どんなに、生活の理想が一致していて、相思相愛であっても、二人に「引き金」が訪れないとゴールは難しいようです。そしてその引き金は結構神様にサイコロを振ってももらわないといけないんですね。

 私の観察の結果でした。貴方と彼氏との間にはどんな目がでるんでしょう?


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2006年03月23日(木)



 寿司の夜

 同じ日本人と比べても私は、寿司を食べている方だと思う。きっと一週間に三回は食べている。素敵な料理だと思う。ネタは小さいのに、その一つ一つには、高度なそれぞれ別な技術が凝縮されている。注文するごとにそのめくるめく技術の集大成をエンジョイできる。なんといっても、好きなものを好きな順番で好きな分量だけ食べることが出来る。これほど素敵な世の中にはそうないよ。(最近知ったのですが、お寿司屋さんにはセットメニューってあるんですね。今まで25年以上、寿司はカウンタに座って一つ一つ注文するシステムだと思っていたんですが、そうじゃないものもあるんですね。先週知ったよ。)

 さて、良い寿司屋の条件を考えてみよう。(寿司屋に限ったことじゃないかも。)

1.常連を常連扱いしない
「永井さんいつも来てくれるから、このイクラサービスすので食べてみて」とか言われた瞬間に私は席を立って二度と行かないでしょう。田舎の料理店に見られる傾向だ。

2.店員がおしゃべりじゃない
 店員からインタビューしてきたり世間話をしてくるなどもってのほかだ。無駄なことは私はしゃべり始めもしないし、喋りたくもない。(仲良くしたいお客さんはいいんですよ。でも、基本的に向こうから仲良くしようとするのは最低だ)もっというと、料理や材料の説明を延々とする料理人も嫌いだ。MCが長いロック歌手みたいなもので、彼らの主張は技術はその作品からわかるんだから。歌なり料理なり表現手段を持っているんだからそこから伝えて欲しい。これも田舎の料理店に見られる傾向だ。

3.毎回同じ味を提供してくれる
 陶芸でもいえることですが、素人と名人の差っていうのは同じものを作れるかどうか何ですよ。毎度いくたびにあの感動した同じ味に出会えるっていうことが大切。

4.季節や気候にあったものを楽しませて欲しい
 3と矛盾するかもしれませんが、それなりに料理の中に季節を感じたいし、その時の気候にあった仕事はしてほしいものでうす。旬の魚を出すというだけでなく、寒いときとか乾燥してるときなりの仕事とかサービスというのはあって欲しいものです。


 四つ?うん、シンプルに四つに。でもこれを満たしてくれるレストランって少ないんですよね。というわけで、今日も私は晩ご飯はお寿司でございました。おいしゅうございました。

【写真】
店内

今日のベスト寿司「かわはぎ」上にのっているソースはカワハギの肝から作ったものに、紅葉おろしがのっている。

おなじみ中トロ


2006年03月22日(水)



 しゃぶしゃぶの夜

 食べる回数はそれほど多いわけではありませんが、私の数ある好物の一つです。
 お寿司と同様、高級なものから安いものまでありますが、今回幸運に恵まれて高級しゃぶしゃぶ店に行く機会がありました。
 
 私がとてもとても小さいころから親しんでいたお店で、外国にいる間も、「あー行きたいな」って思っていたお店。
 すべてが懐かしい。
 前菜に出てくる、白いアスパラガスを使った豆腐、よーく冷やしたトマトサラダ。
 豆腐を含むと、匂い立つ大豆の香りや、酸味を程よく抑えたドレッシング。


 一口一口が20年以上経っても同じ味でした。こういうところが東京なんですよ。
 数ヶ月経てば、町の模様は一変してしまうのですが、同じ味を何十年、何百年も提供し続けている。
 故郷に帰れば、なつかしの景色はあんまり見る機会が少ないのですが、なつかしの味が迎えてくれるところが好きですね。


 そしてしゃぶしゃぶ。
 小さいころから気になっていて、いまだにその理由がわからない高い煙突。
 聞かないでおこう、謎は謎のままで あと20年くらい。

 おいしいですね。
 「瀬理奈」というもう一つ大好きなしゃぶしゃぶレストランがありますが、ここはここでおいしいですね。
 なによりサービスが徹底している。
 様々なタイミングよく運ばれ、客の食事を邪魔しない。
 「さし」が入った肉を食べたのはかれこれ2年ぶりですが、これはこれでおいしいですね。たくさん食べることはできませんが。
そしてデザート。
 一貫してすべての料理がおいしいのが「瀬理奈」よりもここが優れた点ですね。
 面白い器にはこばれてくるのは、葛(くず)
 よく冷やされた、薄い半透明の葛を黒蜜につけて食べます。

 幼いころは、これが待ち遠しかったのですが、デザートの前までに食べ過ぎてしまったので、全部食べることができませんでした。
 多少悔しいものですね。
 

 っていうかこうして写真を撮りつつ食べるのは、ちょっと恥ずかしいね。


2006年03月15日(水)



 帰国、そして・・・

 実は私、2006年のお正月あたりに約二年のNY生活を終えて日本に帰国しました。ちょっと他の国に行っていたり、生活を再開する準備をしたり、mixiでコミュニケーションをとっていたり、していたのでこっちはおろそかになってしまいましたが、再開したいと思います。
 できるだけ頻繁にアップデートしたいと思っていますのでよろしくお願いします。内容も、しばらくは落ち着かないかと思いますが、統一してなにかおもしろい話題を提供できればと思っています。

2006年03月14日(火)
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