NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 これから会う人

 最近になってのことでもないのだけれども、思うことがある。特にNYに来てから。どこにいっても、私はとても素敵な人に会ってきた。尊敬できる人ばかりだし、私はこの人やあの人と話せる機会を得たこととても幸せに思っている。いくら私が大好きでも、いつか私とコンタクトがとれなくなってしまうかもしれない。特にNYみたいな外国にいるとね。
 どんどん素敵で魅力的な人とふれあっているうちに、いつかくる未来の別れよりも、今一番気になることは、実はその人の過去になってきた。というのも、この人はNYに来るまで何をしていたのかな?誰に笑顔を見せていたのかな?どんな幸せを実現したのだろう?きっと、自分の国に帰れば、自分よりももっとその人のことを知っていて、好きでいてくれる人が沢山いるに違いない、と考えるようになりました。別に嫉妬しているわけではないのだけど、気になる。どんな人がその人を待っているのか。自分のフィールドに帰ったときにその人はどんな表情を見せるのか。きっとちょっと違うはず。私は、故郷で待つ友達にはなれないし、でも、もうちょっと先の未来では、その人を待つ立場になれるのだ。私たちは時間的空間的にとどんどん先に進んでいくし、その先々で出会いが待っていて、いろんな人とのいろんな関係が始まる。
 それは、たぶん、ここが外国だから?それだけじゃないと思う。年を取ったせいだと思う。木がどんどん生長するように、私たちは上へ上へと伸びていく。すると木の根っこはどんどん太くなり、その木にとって大切になっていく。でも、私はそんな素敵な木の大切な部分になるにはずっと年月が必要なんだ。それでも、その人の根っこには負けてしまう。木の先が地面とは違う所にあるだけが原因じゃない。根っこから先まで伸びるのに時間を沢山かけたことが原因。
 それでも、私はこうしてかけがえのない、とてもとても大切な人たちとふれあい、少しでも言葉を交わすことが今は一番の幸せである。

2005年10月31日(月)



 郷愁とナショナリズム

 いやー更新しなくちゃなー、って思っていてもどんなことをすればいいか思いつかないのです。なんかバトンとか死んでもいやだし、もはや日記を書いても自己満足っぽいものばかり。オルタナティブな視点を提供するっていうのも数年前にやってしまったし。かといって何もしないと言うのもいやだ。嫌みにならない程度に面白い話題を提供できたらな、って思って書いたのだけど、失敗しました。ごめんなさい。_| ̄|○

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 ず〜〜っと前にどこかで書いたことですが、私が高校生のころある国立大学の推薦入学試験の論文課題は、「ナショナリズム(Nationalism)・リージョナリズム(Regionalism)・エスニズム(Ethnism)をそれぞれ説明した上で、相互の関連を説明せよ」ということでした。高校生でこれを上手に説明できた学生は今頃どんな人になっているんだろうなことをしてるのだろう?といつも気になっています。(因みに私は受験すらしなかった。もっといえば大学院も戦わずして諦めたw)
 日本から一歩出てみると、この手の目に見えない、お腹一杯になりもしない価値にすがって誇って、よりどころにして生きている人が沢山いることに驚きます。数日前のニュースで自分の国の国際的な影響力について自信を持っていない国民というランキングの中で、もっとも自信を持っていないのは、日本だそうです。そして、この数字について誇りに思うのは日本人だけで、世界の人は理解できないのでしょうね。特に大陸の人たちには。
 ここ数年思うのです。誇りって必要ですか?数千年戦争をし続けたヨーロッパの国々は、戦争が始まる前から講話の準備を進めると言います。そこには意地とかプライドとかは存在しません。被害と戦後得られる利益だけを天秤にかけるだけ。翻って身近な問題を見てみましょう。営業目標を達成するために、意中のかわいい彼女をgetするために、あなたは○○大学卒業だとか、△△県出身だとか、きにしますか?普通は、モノを売るためには嫌いな人にも頭を下げるし、大好きなスペイン人あの子のためなら必死でスペイン語も習おうというものです。ほら、プライドなんて、目標の前には無駄なだけだ。
 日本人だなーって思うのはこの辺でしょうか?母国とは帰ればおいしいしゃぶしゃぶが食べられるところ、くらいの意識でいた方が世界の人と仲良くやっていけるし、それなりの成果も上がるのではないかと思うのです。比べてみましょう、誇り高いどこかの国々と。そこにあるのはつまらない誇りにすがったためある「惨状」だけだということです。

2005年10月30日(日)



 夏の思い出 韓国編 最終回

 夏の思い出最終回です。今回は、夏の経験を通したまとめも韓国レポートに引き続いて書いてみたいと思います。
 さて、日本人が韓国について思うことってなんでしょう?韓国ブームという言葉を耳にしますが、私の周りで一人たりとも韓国産コンテンツに興味を持っている人はいないので、きっとメディアが勝手に騒いでるだけの話でしょう。日本海の無効の話なんてだれも興味を持っていないと思います。その中で、韓国のイメージといえば、焼き肉とエステ以外ないんじゃないか?そしてこれは一般性を持つんじゃないかと思います。
 エステは、私、男の子だから、あんまり行く気は起きません。でも、この国にきて焼き肉は食べなくちゃ!!と思ったわけですよ。一番の目的はお友達に会うこと、だから、きっと誰か連れて行ってくれる、と思いました。そしてそれは正しくて、韓国の人が普段楽しむ街に連れて行ってもらったのです!そこはまさに異国情緒満載。マイナスイオンよりもこの雰囲気を浴びれば心踊るものがあるし(そもそもマイナスイオンにそのような効果はない?)たった二時間弱のフライトで、NYよりも見慣れないものが沢山あるじゃないですか。観光客の大半は日本人と中国人らしいけれども、あの街の中で外国人は私だけ!小さなレストランが建ち並び、全て、焼き肉テーブルが無造作に置いてある!レストランとレストランの間には、小さな竈(かまど)があって、炭火をおこしている!テーブルには、カルビ・豚バラ肉・ホタテ・蛤などを焼いて、酒を酌み交わしてる人々ばかり。なんとエキゾチックなんでしょう。やっぱりおいしかった!NYで試した同じ料理は三倍くらいの値段を払ったけど、韓国で食べた方が三倍くらいおいしかった!!そしてなんといっても楽しい。実は他の日に、韓定食という伝統料理を食べに行ったけど、あの半分な、クーラーなんて無いところで汗して食べる焼き肉の方が私はすきですね。韓定食ってあんまりおいしくない、とみんな(韓国の人も、外国の人も)いうけれども、八割くらいはおいしかったよ。食べきれないくらい出てくるので、悔しい思いをしたけれども。(私の韓定食の一番の印象は、箸が金属で出来ているので重くて、食べていて手が疲れることでした)みんな、初めてであった韓国のお友達も、NYで出会った人も私を温かく出迎えてくれたのは、この国で一番幸せな出来事であったように思います。
 きっと、この国の人は、仕事や学校の終わりに、友達とこんなところで楽しく騒ぐのが生活のスタイルなんでしょうね。私は今NYにいるけれども、この国にはこの国の人の市民の生活スタイルがある。プライベートの楽しみ方がある。週末散歩をしていると、小さな公園でみんなお祭りをしている。フォークソングを歌う仮設舞台がせっちされていて、歌に会わせて輪になって踊っている。そして、その周りにはホットドッグやクレープの屋台・移動遊園地がある。そうしてアメリカの人々は週末を楽しんでいる。日本の場合はどうでしょう?たぶん、週末は小旅行と称して郊外の温泉にでかけたり、仕事や学校の終わりは、ビヤホールや神宮球場で夜空の下ビールジョッキを片手に語らうことなのかもしれない。
 そうした、生活スタイル、プライベートの楽しみ方、というのは各国でとても独自なものがあるんですよね。そこに優劣がないことは明らかです。実を言うと、NYで出会った多くの韓国人はとてもとてもいい人だったけれども、彼らの価値観に私は違和感を持っていました。いつも彼らの考え方や目的を聞く度に、"Are you truely happy?"と聞きたくて仕方がなかった。本当に、それを達成することがあなたにとって幸せですか?聞いているとどうしても価値観の根本的な部分があやふやで、盲目的に信じている感じがする。NYをはじめとした、他のスタイルはきっと韓国の人には窮屈なんだと思いました。なのに自分が好きだと思いこんでいる。焼き肉をみんなで食べて楽しむことを数百年やってきた人に、一人分が別々に運ばれてくるレストランで楽しむには、やっぱり違和感があるんじゃないかと思います。もちろん、それをみんながフォークとナイフでつつき合ったら、そのスタイル自体破綻してしまう。それと同じように、アメリカや日本のゴールと韓国のゴールは全く違うことに気づいたらみんなが満足できる韓国が出来るのではないかと思いました。お金を稼ぐことは、満足することではありません。お金はいくら貯めてもお腹が一杯にならないから。
 韓国でずっと暮らしている人と友達になって気づいたことがあります。その国でどうすれば楽しめるか、みんなと幸せに暮らせるか知ってるのだと思いました。だから、他の国のスタイルは興味は持っても盲目的にそれが優れているのだ、と思いこむ事はないのだと思いました。いくらがんばっても、アメリカや日本で生み出された、技術力や生産システム、ビジネスモデルを凌駕することは永遠にできもしないし、それらの国の生活スタイルで本当に幸せになることは出来ません。それは日本や日本人についても同じことがいえます。日本人はきっとあんなレストランで焼き肉を食べても、本当に満足は出来ないのです。きっと、不衛生感が目についたり、他の客との距離が気になりだすから。(偶に楽しむから良いんです。)アメリカのビジネスモデルはやっぱり日本には馴染みませんでした。同じです。私がこの国の好きな部分は、ずっと昔から韓国人に愛されているものでした。こうしや焼き肉のスタイルしかり、ちいさな路地裏の景色しかり。本当に素敵だった。でも、新しいソウル駅や他の国の車メーカーの各パーツを模した韓国産の車には全く魅力を感じませんでした。昔から市民の間で親しまれてきた経済的・地域的・政治的システムを活かせば、盲目的に他の国の価値観に憧れていつまで経っても幸福感を感じない迷路に迷い込むことなく、みんなが満足できる社会がこの国にも生まれるのでしょう。翻って、個人個人にもいえます。自分がしていることは赤裸々な自分の欲求によるものなのか、なんとなくいいね♪、という気分からしていることなのか、はっきり認識してこそ日常の充足感は生まれるのだな、と感じました。

 今食べているものはあなたの好物ですか?
 あなたの隣にいる人は好きですか?
 メディアで喧伝されている価値観にあなたは本当に同意していますか?
 今着ている服はあなたの好みの服ですか?
 今している仕事は好きだからしているのですか?
 
 何も、好きなことを全部すべき、といっているわけではありません。世の中自分の思うように回らないことは多々あるでしょう。ただし、それが自分が望んだ結果なのかどうか?好きだからしているのではなく、必要だからしているのか?そうした正確な認識が幸せになるためには必要に思うのです。

 Now. Are you happy?


韓定食


焼き肉屋さん


私を案内してくれた韓国のお友達の一人。(感謝を込めて)

2005年10月10日(月)



 夏の思い出 韓国編 その2

 ちょっと間が開いてしまいました。韓国編その2です。お友達にもあったので、そのことを書こうか?とか、いろいろ考えている間に、もう数日経ってしまったとは。
 きっとこれ、その4くらいまで書こうと思います。やっぱり異国は全部が違いますからね。信号一つとっても珍しいし、その国を理解することが出来る。今日は名所編。
 名所といっても、歴史的建造物や景観の良いところ、というのはあんまりソウルにはきっと無いのだと思います。いや、探せばあるんだろうけど、ここは行かなくてはいけない、というところはせいぜい一つ二つなんでしょう。やっぱり、旅行者にとって見てみたいのは、この建物!とか、この場所!っていう個別のものではなくて、全体の雰囲気なんです。星々が集まって初めて正座として意味をなすように、旅行者がほしいのは、細部まで韓国を味わえる街。街灯、舗装道路、屋根、看板、空、そんな何気ないもの達を全て残してこそ、その国の良さをあじわうことができるのですが・・・。なんせ、大都市ですし、あんまり先見性のない都市計画や開発の関係でずいぶん失われてしまったのでしょう。街並みをエンジョイするという感ががあんまり無いのかと思いました。
 私がリクエストしたのは景福宮と、ソウル駅。景福宮の一番の感想は、大きい。それにつきます。同じような建物が奥に何十と続いています。サイズが違うだけで、屋根とか建築様式は基本的に一緒。あー、昔の王様は、面倒だったんだな、感じます。同じような建物ばかりで迷わなかったんでしょうか?建物の説明には日本語で書かれているものがありますが、歴史的な事件や人名など全く知らないものばかりで、あんまり意味がわからなかった。でも、あの大きくて屋根がたくさん見える景色は、軒下で休んでいると、涼やかな気分になるものですね。残念なのは、復元技術が低いのか、当時の建物を再現し切れていない点でしょうか。コンクリートで補強された屋根や土台があるとやっぱり上で述べたように、全体としての気分が壊されてしまいますね。極彩色の建物を見ると、なるほど、この国はやっぱり大陸なのだな、と思います。赤を基調とした艶やかなデザインは、無味乾燥とした書院造りなど、日本の建物とは違った趣があります。
 ソウル駅。これを見てみたかった。どうやら、古いソウル駅は戦前に日本が作ったらしい。東京駅をモデルにしたというだけあってにて無くもない?どうだろ。東京駅と比べると、四分の一以上小さい。新ソウル駅も同様。何でだろう、と考えてみると、理由は簡単。特急にしても、ここからでているのは釜山行きだけでいいんです。南北に長く、ほぼ北端にあるソウルは、終着駅であって、中継駅ではない。そして、国土もそれほど広くないので、南北一本の路線で十分なんですね。もうちょっとNYのグランドセントラルや東京駅のように行き交う人々の模様がみれるかと思ったのですが。今は古いソウル駅は、博物館に改装中だとか。隣、ほんとに全く隣に新しいガラス張りのソウル駅があります。首都の顔の駅として、このデザインは疑問が多く残るところですが、鉄道文化が発展した日本と比べてはいけないのだと思います。この国の国土であれば、高速鉄道も、鉄道を利用した物流も実は必要ではなく、車を中心とした発展をしたのでしょう。車の登場以降に発展をし始めた国の模様がここでもわかってとても興味深い。


景福宮

新ソウル駅

旧ソウル駅


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2005年10月09日(日)



 夏の思い出 韓国編 その1

NYで英語出来るようになったでしょう?
いえ、全く。代わりに韓国語が・・・。
は?

 こんな会話何度したことでしょう。NYで韓国語ができるようになりました。韓国のお友達が多くできて、寮に住んでいた頃、毎晩のように、コンコンコン!「韓国語の勉強の時間だ(゚∀゚)」ってドアをノックしてくれる方がいたからでしょうか。
 多くの日本人と同じように、NYに来るまで韓国など興味対象でもなかった。焼き肉くらいしか用事が無くて、中国と一緒に大陸の国かー、くらいしか思ってませんでした。
 だから、いま多少韓国語が習得したと行っても、韓国通だとか、韓国好きだとか思われるのは実は違います。(ま、相当韓国の国内事情は詳しくなりましたが。それらの事情はすべてネガティブで、あーこの国には外国からの投資なんてびた一文来るわけ無いんだー、っていう理由が納得できちゃうだけの話)なんとなくできちゃった韓国語でも、あー一応行ってみたい、と思った訳なんです。
 ただ、相当多忙だった私の日本滞在。一日の予定は平均五個。その合間を縫ってどうやって韓国に行こうか。考え出したアイディアは、深夜便でした。深夜十二時出発。帰りの便も明け方三時出発。それでもFAの人とかちゃんと飲み物を配り弁当を出すから不思議だ。
 眠い目をこすって、空港にたどり着く。到着朝二時半。日中動き回り体力の限界なのにバスでホテルまで行く道中、まか不思議な日本語を駆使する韓国人ガイドのテンションの高さが。返事を無視すると切れるし。いや、ツアーといっても、送り迎えだけするツアーなんだから気合い入れないでくださいよ、心の中でつぶやく。そう。ここは日本じゃない異国。空港がある「インチョン」と聞いても私には、あー国際法の講義で国連軍がここで朝鮮戦争の時に上陸したってことを習ったぞ、という、空港があるところというよりも、そんな情報が頭に浮かぶくらい韓国に興味がなかった私。そしてホテルについて一段落。荷物を広げていると部屋の電話が鳴り響く午前四時。何事かと思って、飛びつくと、フロントやらボーイやらが「女を買え!かわいいぞ!」と叫んでる。この国の人は叫ぶのが基本か。なるほど。聞いたとおりだ。っていうか、確かに男一人韓国ツアー参加客なんて風俗目的でしかない、と思うのは納得だけど、朝四時にそんなことをする奴がどこにいるんだ。この国の友達はみんな元気だからなー、とここでも数多くできた友達たちに思いをはせる。
 そして翌日、再会したお友達と有名なミョンドンに。焼き肉屋さんの名前以外に本当にミョンドンという地名があるとは!と、心の中で驚いた。まず、お昼。韓国初食事は餃子だ!十人以上並んでいるのに、数分で席に案内される。色々驚かされる国。お勧めされただけあって、おいしい!(・∀・) ニラとか、食後のにおいなど全く考えなしに入っていて、韓国らしさを感じたけどおいしかった。シュウマイみたいな形した餃子。一緒にキムチがでてくるあたりもコリアーだ!叫びたかった。
 その後、ミョンドンの雑踏を見学。思ったよりも韓国美人が少ない?カップルが多い?女の子同士で手をつないでるぞ。女の子はみんな髪の毛が真っ黒で長い。笑っていない女の子が多い。服装が安っぽい。ピアスが大きい。スタイルがよくない。肌がすごい綺麗。男の子がみんなリードしてる。がっしりしている人が多い。微妙なファッションが多い。路上で売ってるモノが全ておもしろい。その「するめ」を今買ってここにいるカップルたちにどうしろと?地面で食べ物作って売ってるおばさんもいるぞ!不衛生じゃないの?安いぞ!映画館に列が出来ている。身長が日本人より少し高い?っていうか、たった二時間でNYより別世界にいる感じがした。違和感はNYより感じる。そこが面白い!路地裏に入ると妙に中国風だし。
 その後地下鉄を体験。素敵なフリーマーケットや街角があるところ、(名前忘れた。シンチョンの隣だよ。うん。なんとか大学っていうところ)を散歩。へー韓国の若者はこんなところで遊ぶのかー。街角を曲がる度に新鮮な衝撃を覚える。この国で生まれた私の大切なお友達は、この空の下で暮らして育ったのか。そう考えざるを得ませんでした。おわー、おわー、何度叫んだことか。その日の韓国体験はまだまだ続くのだけどまた次の日の記事にしよう。

有名なミョンドンの雑踏


ちょーおいしかった餃子


路上で売っている干物たち・・・イカとかタコとか


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2005年09月26日(月)



 夏の思い出 山中湖編

 東京から車で一時間ちょっと。富士山の麓の山中湖に何度か避難しておりました。日本に帰る前は、ず〜っといるつもりだったのですが、予定が目白押しで、結局三日間くらいしかいることができなかったのでしょうか。それも連続してじゃなくて三回くらいかけて。
 それでも朝晩の自然な涼しさを満喫するには充分です。昼過ぎに起きて、温泉につかり、森の中を散歩。ウィークデイにいったために、誰も誘うことが出来ず、一人で湖の畔を歩いていると、どうもこのまま飛び込んで出てこなくてもいいかな?っていう気分になるから不思議です。
 なによりも!!!富士急ハイランドに行きたい!もう高校生の頃からずっとずっとずっと言い続けてきたのに誰も一緒に行ってくれない。ある人は、絶叫マシーン嫌いだというし、ある人は行くと行っておきながら彼女とかとさくっと行ってきてしまうし。次に日本に帰ったら富士急ツアーやります。堪能します。そして温泉入って帰ってきます。
 写真は山中湖のものはないので、神戸で食べた神戸牛焼き肉。韓国人もびっくりの味だよ。あんなに手間をかけて育てる牛なんて世界中探してもないんでしょうが。


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2005年09月23日(金)



 夏の思い出 岡山編

 ローカル線で長い時間かけて岡山に着いた私は、岡山に住む友人tsutomuくんのところへ。(実名を曝すのに躊躇はないが、なんとなく)彼の自宅前で電話をかけると彼が出てくる。ひさしぶりに会うのに、「久しぶりー!元気だった?」と聞かないのは彼も同じこと。そう。日本に帰り、ほぼ二年ぶりだというのに誰もその言葉を言わない。そんなもの?
 彼の自宅で一休みし、岡山市内で潜水艦の元艦長の講演を拝聴。どうやら潜水艦救難母艦『ちはや』の副長時代の、ハワイ沖での『えひめ丸』引き上げ、捜索の時の模様を語っていた。そんなことより、彼の経歴にある五年前に『ゆうしお』艦長だったあたり、アレは、特殊部隊出撃用のハッチがつけられた特務艦時代なわけだし・・・。彼は今、『潜水医学実験隊』副長と名乗っているが、あれは、その経歴からするの、この学校は実は、特殊部隊訓練の研究もしてるわけですよね・・・?、心の中でずーっとその疑問が続く。ま、聞かないのは約束だ。日本だけなんですかね?ああやって名前とやってることが違うのは?
 その晩念願のワシントンホテルの上の中華料理屋にご家族と一緒に。へー、この部屋でtsutomuさんの家は、お姉様の婚約者の家族との対面をしたのかー。心の中で思うが、それも口に出すのはやめておこう。
 その晩はそのおうちにお世話になり、tsutomuさんと彼のお父様と一緒にドライブに。実を言うと、岡山にきた目的は他ならぬoyaji(もはやハンドルネームといっていい)に会うためなんですね。tsutomuさんよりoyajiの方が絶対気が合うし仲が良い、気がしてならない。
 まずは西大寺。西大寺を有名にしているのが二月に行われる“裸祭り”だ。「宝木(しんぎ)」と呼ばれるお札を裸の男たちが奪いあうという勇壮なものらしい。念願だったので堪能。良い感じにこじんまりしている。ちょっと中国風の門の下でなにやらシートと机を持ち込んで真っ黒に日焼けした少年が、夏休みの宿題の絵を描いているじゃないですか。とても日本な風景ですよね。自由で、のんびりとしていて、なにより生活に余裕がある。他のアジアの国では考えられない。君が「絵」になるよ!と思った。口には出さないけど。
 その後、牛窓、という小さな港町で。そこからフェリーで瀬戸内海の島に渡る。フェリーといっても五分くらいなものだけど。フェリーからはエイが見えたり、瀬戸内海で有名な早い潮流をみたり。全部が素敵だ。見晴らしの良いところからのぞむ瀬戸内海は、いつでも真っ平ら。まだら模様に複雑な「潮目」が確認できるほど。この風景は、やっぱり瀬戸内海でしか見られないし、私が愛してやまない風景の一つだ。
 西日本の風土に本当に惹かれてしまうのです。どうしてでしょうね。いつか住んでみたい、といつも思ってる。なんどもいうけど、八分の一だけ流れる、岡山の血(後の八分の七は東京一だけだけど)が私をそうさせるのでしょうか。口には出さないけど書いてみる。

西大寺山門

門の下で絵を描く少年

牛窓から瀬戸内海を望む

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2005年09月22日(木)



 夏の思い出 神戸編

 日本の夏だな、って思うのはやっぱり日本の夏のにおいがするから。その昔僕が大学生だった頃、それは日本中を駆けめぐった。小さな町の終着駅で電車をおろされ、途方に暮れたときだって、やっぱりこの匂いに包まれていた。湿度が高い日本だと、草いきれのにおいだって立ちこめる。その中で春野翠をほうれん草くらい緑色にしてしまう太陽の光が降り注ぐ。そんな光景に数年ぶりに出会ったのが今年の夏でした。(去年の夏は、アメリカ南東部で長く苦しいドライブ旅行だった。いつでも私の旅行は苦行のようだ。_| ̄|○)
 大阪を後にした私は、友達に会いに神戸に。彼は出会った当日から数時間しゃべり続けたという私にとってすごい友達。それほどしゃべるほうじゃない私が彼といるとエンドレス。昼杉にあった私たちは、明石の市場で、太刀魚とヒラメの刺身を「さく」で買い、彼の自宅でご飯を炊いて、刺身を切り刻んで二人でつまんんだ。その途中もトーク、トーク、トーク。
 そしてドライブ。なんとなく海を見たくて車を出したのだけど、当日花火大会なことに気づき、一転山の方へ行くことに。ついた先が有馬温泉。さすがに温泉の中では会話も小休止。ふたりで温泉につかり、饅頭をほおばり、車で神戸に戻る。そして、夜は神戸牛の焼き肉に舌鼓。焼き肉とは何か、という概念を吹き飛ばしてしまうほどおいしかった。
 それでも、朝の四時まで彼と話し続けたのでした。彼の婚約者も見ちゃったー。また会おう、そして語ろう、と決意する。そして、やっぱり私の旅行=苦行は続く。その日、第二次大戦中の不発弾が発見されてJR線は不通に。おかげでローカル線で延々と岡山に行くことに。それでも、私は夏の匂いに包まれて、幸せだった。しゃべりすぎて少し枯れた喉に神戸牛の余韻は心地良よかった!
 電車の中この思い出と同じ速さで、今年の夏も過ぎていくのを明石大橋を見ながら感じたものでした。



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2005年09月21日(水)



 夏の思い出 大阪編

note:これはmixiで書いたものをほんの少しだけ加筆・修正したものの『夏の思い出』シリーズです。いわばミラーサイトのようなものでしょうか。

 ビザの更新で大阪に行ったんですよ。大阪に行ったら、やっぱり神戸まで行かなくちゃ。そして神戸まで行ったらついでに岡山まで行ってこよう。と、結局六日間くらいの旅行になってしまったんです。
 大阪でのビザの面接は、それはそれは準備は業者を通さず自分でやったので、大変でしたが、いざいってみると一瞬だった。結構面接で落とされる人いたみたいだけど、ちゃんと英語で答えられれば大丈夫。私程度の英語でも合格だった。代行頼むと3万円とか、それ以上かかるんですよね。節約して旅行代にしたわけです。(本当に日本ではお金がなかった)
 そして、大阪ではお友達一人と、USJにいってみたり、骨折をした手でボーリングをしたり。すごいのよ。一球投げる度に、激痛。それをほくそ笑む友達。お礼に写真曝してあげましょう。でも、そのお友達ニートでよかった。平日なのにめいっぱい遊んでくれた。大感謝だ。夜はもう一人追加されて、ご飯を一緒に食べました。そして、そのボーリングの彼女は、酔いつぶれ大変なことになってその日は終わり。写真はボーリング場にて。いや、酔いつぶれたのを曝してもいいのだけど、それは人道的にやばいと思うので、涙をのんで割愛。



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2005年09月19日(月)



 桜 桜 桜

 いよいよ桜の季節ですね。最近日本だと、咲いてから散るまで気温が一気にそのころに上昇してしまうため、見ごろな時期が一気に過ぎてしまうと思うのですが。NYは朝夕の気温が激しいので、満開の時期が来ても結構持ちこたえているように思います。長々とした拙文は抜きにして、NYの桜紹介させてください。
 

 大広場は人で埋まってしまった。花々を楽しむというより気温と日光浴を楽しんでいる人が多いみたい。


 ループになってる道路にはジョギングする人、サイクリングする人、ローラーブレードする人、などが景色を楽しみながら汗を流す。


 犬も自転車のかごの中でおとなしくしていれば楽に景色を楽しむことができる。


 日本のように公園や山が桜で埋め尽くされるということはないけれども、新緑の中に生える色鮮やかな花々がとても楽しい。


 一度に花を咲かせ始めるから、そして冬が厳寒なだけに春の訪れが嬉しく思える。


 桜の大樹に出会うと、そこは日本のような気がしてならなくなる。こんなとき日本人なのだと感じずにはいられない。


 ビル群を借景として咲き誇る桜の様子は御苑の桜も同様。


 木下で昼寝をしたりぼーっとしたり。逆に弁当・酒を広げださない分この国のスタイルのほうが本来的な「花見」をしっているのかもしれない。


 薄いピンクが空にあると直に目がいってしまう。自分は桜を探しにきたのだ、無意識でもからだが求めているらしい。


 やっとみつけた!桜並木。そういえば自分のいた高校も、桜の名所だった。大学も桜の名所だし桜がシンボルだった。






↑クリックすると一日ハッピー

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 自分がこの国を去っても、むしろ、出発した日本でも変わる事無く、この世の人々の因果とは関係なく、いつだって桜は自らが桜であること、そもそも、一本の桜を一つの生命であるという区別すら無縁に花を咲かす。春だから桜が咲くだとか、年に一度桜が咲くだとか、そんな因果は当の桜自身は知ったことではないのだ。

2005年04月19日(火)
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