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■ ガス灯の下で
ブルックリンに用事があってとぼとぼとイーストリバーを吹きすさぶ風に吹かれ襟を立てながら歩いていると、昼間だというのに、街灯に明かりがついているのを見つけました。なぜ気づいたのだろう?同じ昼行灯だからか?などとわけのわからん冗談を考えて、あまりの切れの無さに挫折(OTL)したわけですが。 ガス灯ですね。小学校のころ、「明治時代の学習を終えて先生が明治時代を通して、一番大切だと思うことは何だと思いますか?」(「大切」だとか定義が明らかに出来ない言葉を使っている時点で愚問だと思うが。今思えば。)という質問に対して、私は「ガス灯が出来たこと」と答えたのを思い出します。その後十五年くらい経過して初めて私はガス灯を見たわけです。その感動たるや・・・。意外と街灯っぽくないのですね。というのも、ロウソクのようにゆらゆらと揺らめいているものなのですね。白熱灯のような感じかと思いました。 今でも答えようじゃないか。廃藩置県でもなく、廃刀令でもなく、大政奉還でもない、明治時代、貧しい人も、政治変動に携わることなくその日その日の営みを慎ましやかに過ごしていた人たちを照らした公共の灯り、ガス灯こそ明治時代の一番の意義である、と。江戸時代、上下水道の整備すらなされたやに聞く。それでも、私は思うのです。中国の有人ロケットと一緒。テクノロジーとしてはちゃっちいモノだとしても、未来を夢見る子供たちにとってのインパクトたるやとても大きなものだったのでしょう。夜安全に夜道をたらしてくれる全く新しい公共財の出現、新時代の夜明けの明かりだったことでしょう。 生まれて初めてみたガス灯の下でそんなことを考えてしまいました。
炎は意外と細く、長い。 今度は夜中にみてみたいね。
2005年03月04日(金)
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