|
|
■■■
■■
■ カルガリーの事の顛末 その4
前日、朝のの九時までおきていたので、非常に眠い十一時の朝。二時間しか寝ていないのか・・・。色々準備をしていると十二時になる、荷物をまとめて、空港に向かうことにする。そう、いよいよカルガリーを出発してNYに帰ることにする。 公共交通機関を使えば安く、空港までいけるかもしれない、と思ったのだけど、郊外まで延びていて田舎にしては充実している交通網も実は、ダウンタウンから空港までは延びていないことに気づく。参った。(これで何度目だ?) タクシーで向かうことにするのだけど、とてものんびりした運転手だった。途中、牛さんや馬さんが住宅街の中にある広大な(←変?)牧場でのんびりしている。初めて馬が寝転んでいるのをみた。大丈夫なのかな? ブリトニー=スピアーズのクリスマスソングにのりのりな運転手さんが、ついに空港に届けてくれる。空港のセキュリティを抜けるのに、いつもと勝手が全然違う。空港カウンターでチェックインを済ませると、預けるべき荷物をもったまま色々なコーナーを廻ることになった。というのも、合衆国の通関チェックをカルガリー空港内で済ませるシステムになっていたのです。ビザやI-20のチェックを受けるのにそれなりに時間がかかったけれども、なにしろ乗客の分母自体がすくないものだから、列にいる人数も二・三組しれたもの。さすがカナダ。これが成田やNYだったらこれだけで疲れるんだ。 ところが!くじ運が悪く、ランダムセキュリティチェックという、飛行機に乗る際のチェックで厳重なものにあたってしまう。アメリカの係官と違ってカナダの係官の対応や言葉遣いが丁寧だったのでそれなりに悪い印象を持たなかったのですが、検査官二人、その証人一人、火薬探知犬一人(実は一匹だ)に取り囲まれる。でかでかとこの人は「くじ運が悪く訓練に参加させられているんですよ!」という趣旨のカードを持たされているので、みんなかわいそうに・・・という眼で見てくれていた、と思う。きっと、そう。 いよいよ、またちっちゃい飛行機に乗ってカルガリー国際空港を離陸。上空から見るカルガリーの街は思ったよりも大きく、整然としていた。「あ、あの川の中州にある動物園にいったんだ!あのあたりがカナダ動物ゾーンで、あのあたりにアフリカ動物ゾーンの建物があって・・・、カバさんはあそこで泳いでいて、あの変のゲート前の檻に虎さんがネコネコしてて・・・」なんてことが想像されてちょっと寂しい。きっとこの次あの子達と会うのはひょっとしたら何十年後、いや一生ないかも知れない。(スキーが死ぬほど好きなのできっとあるね、この街に来ることは。そしたらまたあの動物園に行こう。25年目の誕生日を一人で動物さんたちと過ごしたあの動物園に。そのときは誰かと一緒かな?その人にその日のこと話したら笑ってくれるかな?) 「ばいばい、動物さんたち」
この写真のように、川の中州の大きな島に動物園が作られていた。 そんな哀愁を漂わせながら飛行機の窓から去り行くカルガリーの街を眺めていたら案の定睡眠不足からすぐに寝てしまった。となりには、やっぱりブリトニーそっくりな格好をした若々しい高校生か中学生くらいの姉妹を連れた(あと、典型的なデブ息子)ダンディで細みなお父さんだった。ちょっと話したけどとても気のいい人だった。あの人はどこに行くんだろう?っていうか娘たちに慕われまくっていた。お父さん冥利に尽きていることでしょう。 (たしか、私だって高校三年生の女の子から「kiyoくん」呼ばわりされた。先生冥利に尽きた、気分でいられる。あの時はまだ24だったから、もう無理なのか?) 行きより遥かにつらくない空のたび。所要時間を知ってちゃんと覚悟しているとかくも楽なものか。とりあえず、『Φ(ファイ)は壊れたね(森博嗣、2004年)』を一冊。約三時間の旅。 ミネアポリスに着く。行きは、深夜だったせいか、閑散としていたけど、到着したのが六時ころ。結構賑わいを見せている。いずれの店も、ハンバーガーしか売っていない。羽田空港に蕎麦屋は何十軒もないぞ、なのに、どうしてアメリカはハンバーガとサンドイッチ屋が軒を連ねているのだろう。 飛行機の中で、カルガリーの空港で買ったアンガスビーフハンバーガを食べていたので、全然空腹じゃない。(「ハナドアンペコッパー!」@韓国語)
このような店しかないのが不思議だ。選択の余地がない。 次のゲートは・・・、「C1」。空港でこの名前を聞くと輸送機か?と思われるかもしれませんが決してそんなことなく、ただのポート番号です。 アメリカでもそうなのか。ちょっとがっくりきましたよ。覚えていますか?行きにカルガリーに乗ったときはポートは「C28」で行くのに空港内列車に乗り、延々歩き、二十分かけてたどり着いたことを。 それがどうでしょう。NY行きとなるとC1ですよ。中央玄関から徒歩五分。大都市と地方都市を差別することを君はここでもしているのか・・・、とちょっと憤る。 羽田よりあからさまじゃないし、苦労が少ないのがまだ救いがあるといえるでしょう。伊丹・関空・千歳・博多行き以外はすべて沖止めか、最果てのポートに回される。長崎・香川に行くことが多かったのだけど、いままで沖止めじゃなかったことなど一度もなかった。 ターミナルが増設されたということですが、到着便はまだまだバス移動らしいですよ。アメリカは料金でしわ寄せしていないっぽい感じがするので、はるかにましといえるかもしれませんが・・・。
やっぱり乗り込む飛行機を撮影してしまった。 雪かなにかの影響と、滑走路の混雑で出発遅れるも、NYに向け出発。超満員。まいったね。乗客層がNYっぽくなってきた。つまりはNYでの役割といえば、ゴキブリとも奴隷ともつかない中国人・ヒスパニックの割合が俄然増えた(殖えた)ってところでしょうか。白人は細くなり、ちょっとおしゃれになり、偉そうになる。もしくは、偉そうぶって、実は全く会社で偉くないことがその外見から分かるような白人が増える。 おー、NYに帰ってくるのかなーって思った。 となりの席に座った外人と話に花が咲く。なんでも、来月日本に行くから教えてほしいとのこと。(ほかにも色々話したけど。)本当はお勧めレストランもっとあったが、見つけるのは難しいと思い、しゃぶしゃぶの「瀬里奈」、寿司「松風」、会席料理「吉兆」を教えておく。きっと、従業員も英語を話せるでしょう。逆にNYのお勧めイタリアンで知らない店を教えてもらう。なるほど。袖刷りあった。 二時間半くらいのフライトの後、ラガーディア空港に到着。
うーん、一応マンハッタンの夜景なんだけど良く見えないね。ごめんなさい。 帰りはバスで、と意気込んでいたが、もはやその気力もなし。迷うことなく、タクシー乗り場へ。タクシーの中で日本に到着の報告の電話。 自宅に着くと、誕生日プレゼントやカードを届けてくださった人が多くいることに気づく。多謝。感激極まりない。 すぐにでも会える人は、プレゼントをあけずにそのままとっておくことにしよう、と思いとりあえず記念撮影。
私のこと少しでも覚えていてくれる人がいるのはやはりありがたい限りです。 そんな幸せ感と疲労感につつまれながらすぐにシャワーに入り寝る。本当に良く眠れた。なにせ、起きたら日が暮れていた。OTZ というわけで、カルガリー事の顛末シリーズはおしまいおしまい。
2004年12月16日(木)
|
|
|