mindscape
  HOME



 reason

あのころ
ただ泣くことしかできなかった
小さなあたしから
何かがほんの少しくらいは
変わったのでしょうか。

気がつけばいつしか
涙を流すことはなくなっていたけれど
それでよかったのかどうかも
今はわからずにいます。

あたしが誰かを愛するために
ここに生まれてきたのなら
ただ、それだけでいいのかもしれない。
あなたを愛することだけで
ここにいる意味があるのなら
それだけで、きっと生きていける。

やさしくなりたくて
強くなりたくて
だけど本当のやさしさは
そんなものではないことも
ずっと昔から知っていた。

それでも前に進む意味があるのなら
歩みを進めることくらいは私にもできるから
あきらめないで歩こう。
はるか彼方で出会う、君のために。

2003年03月05日(水)



 崩壊。

大切に積み上げた時間など、
たった一瞬で消えてなくなる。
そうして私はあの日
廊下に立ち並ぶロッカーの前
一人ぼっちで立ちすくんでいた。

聞きたかったのは
ただその理由。
疑問符がいくつも浮かんでは
私を苦しめていた。

前に進むしかない。
同じ後悔をしないように。
何度だってやり直せる。
そう信じなければ
立っていることさえ
できなかった。

2003年02月19日(水)



 MOON。

まるで鏡のように
あなたを映してしまう私で
だから、いつでも
美しいものだけをそばにおきたいと思うのは
単なるわがままでしょうか。

太陽に照らされて光る月のように
あなたの輝きを映して
夜を、
少しでも照らすことが出来るのならば
私はそれでいいのです。

満ち欠けすらも
私らしいと
きっとあなたは笑うでしょうけれど。


2003年02月07日(金)



 足踏み。

なるべきことは、いつか必ずなる。
そうして、なるようにしかならない。

すべてが、あるべきほうへと向かって
進んでいるのだから、
今をあせらなくたって大丈夫。

何ひとつ、
無駄にしてきたことなんてなかったし、
何ひとつとして、
叶わない願いもなかった。

きっと、これから先もずっと。

2003年02月01日(土)



 イノチミジカシコヒセヨオトメ

きみはきっと知らない。
晩秋の冷たい風のなか
あの、線路沿いの道を
ただまっすぐに歩いた
あたしのうしろすがた。

あたしは何も知らない
小さな小さな子どもで、
零れる涙の意味さえも
わかってはいなかった。
まだ、何ひとつとして。

今も同じ場所にいます。
そう、あの道を回って
再びここに戻ってきた。
だからあのときよりは
少しは大きくなったよ。

何よりも大切な言葉を
ここから君に届けよう。
冷たい冬の風に乗って
知らない町のあなたへ
言えなかった、言葉を。

2003年01月24日(金)



 ぐらぐら。

超だめだめえぇぇー。

まったくなにやってんだか。
翻弄されないために世の中断つって決めたのに、
自分からアプローチしてどうするんだろ。

とにかく、今考えることはひとつ。
あとのことは全部それからで遅くないから。

2003年01月23日(木)



 愛しているわ。

人の心など所詮は科学にすぎないってつくづく思うの。
ほんのちょっとA10神経を刺激してやるだけで
あたしたちの人生は毎日がユートピア。
どんなに君が気持ちだなんだといったって
脳の機能とホルモンのバランスにすぎなくってよ。

それでも制御できない何かに翻弄されて
毎日を懸命に生きるあたしたちのなんて愛おしいこと。

2003年01月22日(水)



 八年後の。

いちおう、正真正銘25歳です。あと8ヶ月くらいで26歳になります。母子手帳の生年月日が、間違っていなければ。
なんかね、最近自分がすごく子どもっぽいな、と思う。たぶん世の中のすごく一部しか知らない。高校生でも知っているようなことを知らなくて、それでいっぱいいっぱいになって、右往左往している気がする。恥ずかしいっていうか、情けないって言うか、ダメダメだ・・・。
25歳ってさ、子どものとき、すごい大人だと思ってた。高校生の時だって、25歳なんていったらめちゃめちゃ大人に見えた。でも、いざ自分がその年齢になってみると、あのころと何にも変わってない。よく人から子どもっぽく見られるけど、たぶん見た目云々って言うよりは中身がそのままあらわれてるんだろうな、と思う。身にまとってる空気みたいなのがさ、子どもなんだよ。
人間関係は得意じゃないけど、年下の人は特に苦手です。高校生とか、余裕で怖いもん。年上扱いされてても、この子達のほうが全然世の中ってものを知ってるんだろうなーって思うと、どうしていいのかわかんなくなっちゃうし。

ああそっか・・・お山の大将だったり井の中の蛙だったり、それでよければ何の問題もないんだろうね、きっと。何を知ってても知らなくても、経験なんてしててもしてなくても、周りがみんな同じなら別に関係ないもん。

世の中のことをなるべく客観的に判断したいと思う。誰かの主観に流されたり、一方的な見方に偏ったりしないで、それぞれの人たちの立場を理解した上で、自分なりの答えを見つけたいと思う。だから、自分と違うからってそれだけで排除したくはないし、できるだけいろんな世界を知る努力をしているつもり。最初からフィルターを通すのではなくて、知って、理解して、それから判断するようになるべく心がけているつもり。
だけどときどきちょっとしんどい。自分と相容れない価値観や世界を排除して、知っている世界の中だけで生きていく方が絶対楽だよね。そこにはもう決まった価値観があって、それをなぞればいいだけなら自分が傷つくことも疲れてしまうこともずいぶん減るだろうと思う。
宗教とかさ、自己啓発とかマルチとか、ああいうのにはまる人の気持ちはわかる。居場所があって、友達(と呼ぶのかは微妙だけど)がいて、やるべきことと寄るべき価値観がある。それだけあれば今日一日を楽しく生きていくのに何の問題もない。その価値観が正しくても間違ってても、そんなのはとりあえず関係ない。
でもそれじゃあ、少なくとも、私にとってはここにいる意味を見出すことはできないし、それでいいと思える私でもない。だからやっぱりお山の大将になるわけには行かないな。それに例えばお祭りだって、熱くなっている人たちばかりじゃなくて、そんななかでもちゃんと管理している人がいるからこそ、事故や事件が起きずに済む。そういうことだ。

どっちにしても私の根っこのところの性格は変わらない。周りにまとっているものが変わるとしても中心のところは同じ。だからこのままの自分でいいって思うしかないとは思う。
ただね。”経験”が圧倒的に少ないのはやっぱり痛いです。本を読んで知ることができることは多いけど、実体験の裏づけがどんなに強いかもよく知ってる。それに、それは知識とかっていうよりも、何より確固たる自信になるからね。それが一番大きいだろうなあ。私のよわよわっぷりはそれに起因するものもある。

というわけで、10代のパワーにあてられて微妙に落ち込んでたりするのでした。って言ってる時点でダメっぽいし・・・。(ーー;)

2003年01月21日(火)



 あらかじめご了承ください。

たとえば私がラマヌジャンばりの天才数学者でも、
式がなければ、答えだけを見せられても
それが正解かどうかなんて絶対に判断できっこないので
その辺りは承知しておいていただけると幸いです。
やっぱり問題あっての、答えですから。

2003年01月19日(日)



 にじいろのかっぱ。

さみしいなとか思うのは、大抵は気の迷い。
つまりちょっとした通り雨のようなものなので
お気に入りのかっぱを着てやり過ごします。
ほんとうは一日中、大粒の雨に打たれて
びしょぬれになってみたい気分のときだってあるけどね。

2003年01月18日(土)
過去 未来 最新 MAIL