mindscape
  HOME



 いいひと。

誰かのあまり誉められないところに気がついたとき、それはそれとしてその人とそれなりに付き合っていける人と、それをきっかけにその人の全てが嫌になってしまう人。ちょっと極端ではあるけど、例えばきっぱりその二つに分けるとすると私は後者。何かひとつに気がつくとばかみたいにいろいろなことが目に付いて、どんどん嫌になっていってしまう。
人に対してそんな風だから、当然自分に対してもそうなる。駄目なところがひとつでもあると、それだけで人間失格みたいな気がしてしまう。だから人から怒られたり注意されたりするのにものすごく弱い。ちょっとした事を言われただけで、人間性まで否定されたような気になる。そしてとんでもなく落ち込む。
周りの人にとってはたぶん、かなり迷惑である。

本当はさ、そんなんじゃないって知ってるんだよ。私の好きなこの人もあの人もみんな、別に完璧でもなければすごいいい人ってわけでもないし。気になる気にならないなんてそもそも相対的なもの。人の好き嫌いや、そういうのもみんな。
と、ときおり自分に一生懸命言い聞かせては、何とかここに立っています。

追記
なーんて思ってはみたものの、考えてみれば好きな人の嫌なところには誰だって当然目を瞑れたりするんだから(程度問題ではあるけど)どちらにしろあとづけの理由に過ぎないのかな、と思ったのでした。そもそもこれでもなぜか、人間関係には恵まれてるしね・・・。(多謝)

2002年12月04日(水)



 御遊戯。

それは例えば、運動会のフォークダンスみたいなものかしら?
手を離すときだけが、ほんの少し、さみしくて
けれど次の曲はきっとまた、笑顔でくるくる踊っているのでしょうね。

それなら、もうその輪からはぐれないように
さあ、手をつないで、一緒に踊りませんか、mademoiselle。

2002年12月02日(月)



 胸のうち。

どこまでも君についてゆこう。
もしも君が、そう望むのなら。

2002年12月01日(日)



 NOTHING

ちゃんとわかってる。
ひとりなことも。
ひとりじゃないことも、
だからもういいよ。
それでもこうしてちゃんと、
生きてはゆけるから。

2002年11月30日(土)



 ともだち。

あなたにとって友達って、何ですか?恋人でも、いい。

人間関係を築くことに対して恐怖心が芽生えたのはいつごろだっただろう。小学校のときとかはクラス替えのたびに、友達できるかなあって心配だった。でもそういうのじゃなくて、友達になること、ある一定以上の関係に踏み込むことが、いつからかすごく怖くなった。
人とどうやって仲良くなっていいのかわからない。暇なときに遊んで欲しいって電話していいのは、つらいときに話を聞いて欲しいって頼ってもいいのはどこからなんだろう。相手が何かを抱えていそうなときに、声をかけていいのはどこからなんだろう。私はそれだけ相手と親しいのか、それともそんな関係じゃないのか。どうやって親しくなって、どこからがそういう関係になれるのか、その人のことを心配なんてしてもいい立場なのか、私が相手に好意を持っていたとしてその人にとって自分はそれに値する存在なのか、いろんなことを考えすぎてしまう。
学校だったら、毎日そこに行けば誰かがいて、休み時間に話をしたり移動教室のときに一緒に行ったり一緒に帰ったり、そうやってたくさんの時間を一緒に過ごしていつの間にか親しくなっていたりした。幼なじみとは生まれたときから一緒に育ったし、一番の親友とは一緒に学級委員をしていた。そうやってずっとそばにいて、いつの間にかそこにいるのがあたりまえの存在になってた。
だけど大人になったら、そういうわけにも行かない。
何にも考えないで動けたらいいと思う。電話したくなったら電話して、会いたくなったら会いたいって言って、それでもし相手が迷惑そうならやめればいいしそうじゃなければ一緒に遊んだりすればいいだけ。
だけど私は考えすぎてしまう。その人に今すでにある人間関係のこと。そこに踏み込んでいいのかどうか。私なんかが時間をもらうのは迷惑じゃないのか。私なんかがその人を好きだと思っていいのかどうか。これからその人と仲良くなれるのか、どうやって仲良くなったらいいのか、仲良くなって、それからいつかその人が私の前から消えていなくなってしまわないか。
だからすごい怖い。怖くて動けなくて、そうやって悲しい思いをたくさんするくらいならいっそのこと一人でいたほうがいいって、ときどき思う。本当はたぶん、誰よりも淋しがりなのに。

私が、怖くない人は家族と、友達5人。あとは好きじゃない人。それだけ。
家族は、家族だけが私が唯一好きなことを言えて、喧嘩ができる相手。
友達は、たぶんその子達は、一生何があっても友達で居続けられると思うから。絶対にいなくならないから。一番新しい友達で8年の付き合い。それくらい関係が続いていなければ、私にとってはいついなくなるかわからない存在でしかない。
好きじゃない人は嫌われる心配しなくていいし、いなくなっても悲しまなくていいから。だから人はなるべく好きにならない。人間は好きだけど、人にできるだけ好意は持たない。じゃなきゃ怖くて身動きがとれなくなっちゃうから。
誰かを好きだと思う気持ちが過剰だな、とは思う。家族でも友達でも好きな人でも、必要以上に相手のことを想い過ぎてしまう。生まれてこの方25年の付き合いの幼なじみのことを(女)、私は今でも、付き合って1年の恋人くらいには好きだと思う。私が誰かと親しくなるって言うのはそういうこと。でもそんなの、相手次第ではうっとおしいだけなのもわかってる。だから、私の周りにいてくれる友達はみんな、そういう私の感情を重く思わない人なんだろうな、たぶん。

目の前に、私のことを好きだって言ってくれる人がいたとして、そのときに私が思うのは、いつその気持ちは消えてなくなるんだろうっていうこと。愛なんて、一瞬で醒める。だから私はそんなの、信じない。
相手が私のことを過大評価してるのがわかったらなおさらだ。勘違いに気がつけば、きっと裏切られたみたいな顔をして、もう好きじゃないって言うんだろう。そう思うから、そんな愛情は怖いだけ。だから私が親切に言葉を尽くして勘違いだって教えてあげようとするのに、一生懸命先に嫌われようとするのに、それさえいいほうにしか受け取らない人がいて、恋は盲目なんて、私はまっぴらだよ。いつか消えてなくなってしまうものなんて、いらない。

人間関係なんて基本的には今が淋しくなくて、今が楽しければそれでいいんだろうと、頭では思う。だいたい、一生一緒にいることを前提とした人間関係なんてそもそも存在しないだろうし。永遠の愛が存在するとしたらそれは結果論だって、前に誰かが書いてた。「あなたが一番好きだけど、もっと素敵な人ができたらそっちへ行く。」その状態が、ずっと続いただけに過ぎないって。友達だって似たようなものだよね。休みが一緒だったり物理的に近くにいたり、そういうことは重要だし。

勉強とかは、頑張ればいいから楽。ただ一生懸命頑張れば、それで間違いなく評価されるもん。でも、そうじゃないものは本当に苦手です。人との距離はその最たるもの。なんだかさ、ちょっと疲れちゃったよ。ほんとに。

2002年11月29日(金)



 ないとめあ。

それはこの手でくしゃりと
一握りに潰してしまえそうな気もして
けれどそう思うにはあまりにも
それは大きな意味を抱きすぎていて
届けたい想いも言葉も
向かうべき方向を見失ってしまった。

最低。
これじゃ、あの日とまったく同じ。
誰のことも救えやしないよ。
大切なものさえも、深く、傷つけて。

2002年11月26日(火)



 そういえば。

「まさかね。」とその人は言って
「まさかねえ?」と私が言って
でも、それはまさにそのまさかだったので
だから私はびっくりするより先に
思わず、笑い出してしまった。

人間は、忘れていく生き物。
悲しいことやうれしいこと、
それから、とても大切なことさえも。

忘れてもいいと割り切るか
忘れない努力をするか
それは案外難しい問題かもしれない。
望むと望まざるとにかかわらず
日々忘れていくことの方が
多いことだけは、確かだけど。

忘却は、きっと希望。
だけど忘れちゃいけない大切なこともあって
それはやっぱりきちんと
忘れない場所にメモしておこうと思った。

たぶんいつかきっと
役に立つこともあるでしょう。

2002年11月21日(木)



 もちつもたれつ。

友達からのメッセージがなんだか痛かった。
悩み事ごと抱えていたから励ますつもりが
逆に元気付けられてたんじゃ世話ないな・・・。

もう、逃げも隠れもできないんだからね。
背水の陣だし、待ったなしだし。

来年の今ごろはこんなことも全部
笑って思い出せていますように。
できれば、世界で一番、暖かい場所で。

寒空に明るく星が瞬いた。
大丈夫、きっとまだ頑張れるから。

2002年11月20日(水)



 打算。

しあわせになりたいと思う。
しあわせにしてあげたいと思う。
しあわせでいたいと思う。

だから、いちばん大事なのは
そう思えるかどうかで
ほかの事は所詮はおまけみたいなもの。

あまいあまいキャラメル
箱からひとつ取り出してなめた。
ちょっとだけ、苦かった。

「おまけ、何だった?」
そう言ってのぞきこんだ。
けっこう、当たりだったみたい。

2002年11月19日(火)



 にんじん。

本を2冊買った。イン☆ポケットでいつものように文庫新刊チェック。久々にかなり読みたい本が揃っている月だということが発覚。ミステリ、ハードボイルドだけは手を出さないって決めて破ってないのでそれ以外ね。そうすると必然的にほぼ全て女性作家の小説ということになります。エッセイ買うときは本屋さんで見て選ぶからね。もっとも現在まだ2冊未読。それが目の前にあるのに読まずにいられる私ってえらいでしょ?
どうしてものときはすでに読んだ江國香織が手元においてあって、それを適当に開いて目にとまったところを数ページなり、読んで紛らすことになってます。それでなんとかなるかなあ、たいていは。大学受験のときなんてお守り代わりに持って行ったくらいでたぶん御利益あるはずなのです。たぶんね。まああのころは本を我慢してたりとかはしなかったけど、全然。
とか何とか言いつつ、今、手元のインポケットをぱらぱらめくっていたら”いついかなる場合も想像力が意思の力を上回る。”という言葉が目に飛び込んできました。幅30センチ、長さ10メートルの板を地面に置いてその上を端から端まで歩くのは容易だが、この板を高さ100メートルのビルの屋上から屋上に渡すととたんに足がすくんで動けなくなるのがよい例だそうな。
なるほどね。とすると、何かやらなくてはいけないことがある場合に、やらなければ、と意思の力を働かせてもあまり役には立たないことになります。想像力ねえ。大学受験のときに唯一必死になって勉強したといっていい最後のひと月は、滑り止め本命の私立に落ちたあと、本当の最後の滑り止めの大学に行かなくてはいけなくなるという想像に基づく恐怖感に突き動かされて勉強していたような気がします。マイナスの想像力って案外果てしないです。
でもなあ、今はマイナスの想像って言うとあまりにもマイナス過ぎちゃうし。だからといっていまいちプラスのイメージも浮かばない。餌でも吊るすしかないなあ、な感じです。
おいしいご飯食べたいよねー。クリスマスケーキまであと1ヶ月ちょっと。

2002年11月18日(月)
過去 未来 最新 MAIL