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ゴッホさんいらっしゃい - 2003年11月18日(火)
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カノジョと、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に
「ゴッホと花」展を見に行く。
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html

館内、年寄りとおばちゃんばっかり。
まあ、平日の午前中からこんなところに来られるのは、
基本的に年寄り・おばちゃんか学生だけだよね。

かなり混んでる。
日本人はゴッホが好きらしい(カノジョ談)。

感想。
ふーん、こんなもんか、って感じ。
正直あまり強い印象も受けず。

「ひまわり」にはバブル期のバカ浮かれのイメージしかなくて、
実際に目の前にしてもそれほど揺さぶられるものはないし、
今回の売りだった「三幅対」(「ルーラン夫人」という画の左右に「ひまわり」を配置する展示法)にしても、
とりわけ何かを訴えかけてこなかった。

それ以外の多くの「花」の画にしても、
はっきりいって悪趣味な金持ちの家のリヴィングか、歯医者の待合室にかけてあるもののようにしか見えない。

その中で、青いアザミを書いた画と、オレンジの百合を書いた画(どちらもゴッホの作品)だけは、
それぞれ感じ入るものがあってしばらく眺めていた。
青いアザミの画は、厚く塗りつけられた油絵の具の造る曲線が独特のパワーを持ち、
全体に渦巻く青、緑が悲しい迫力を発散している。
オレンジの百合の画は、カンバスの中心から植物が伸びる方向へ強烈なエネルギーが放出され、そこらじゅうに飛び散っていた。

どうも、パワーやエネルギーの指向性が見える画が好きらしい。

とにもかくにも、
作家の名前や、世間の評判や、よそから入れた知識で画を見るようになったらおしまいだと思った。
まして、そういうことを画の前でしたり顔で語るようになったら、画なんてもう見ない方がいいと思った。
(そういうオバハンがいかに多いことか!)

少し買い物をして、中村屋でインドカリーを食べて帰宅。

それから図書館バイト。

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異空への旅 - 2003年11月16日(日)
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朝起きたときに思い立って、前々からやってみたいと思っていた鶴見線の旅に出ることに。

鶴見線っていうのは、川崎市の臨港地帯を走っているJR線で、
いろいろな意味で珍しい路線なので、鉄道マニアの間ではとても有名らしい。
(なにせファンサイトがあるくらいです。
 http://member.nifty.ne.jp/kintaro/t-line.html
 ここはかなり詳しいですので、興味のある方はどうぞ。)

僕は知る人ぞ知る「港・埋め立て地・工業地帯愛好家」なので、
その方面から鶴見線のことを知りました。
で、ネットでいろいろ調べてみると、おもしろいことおもしろいこと。
いつか暇を見て行ってみようと考えていたのです。


さて、今後の記述を分かりやすくするために鶴見線の路線図を。


       
鶴見線は、一つの路線にもかかわらず、途中に分岐があり、終点が3つあります。
なので、鶴見から海芝浦行き、大川行き、扇町行きという3タイプの電車が出ています。


家から京王線、南武線、京浜東北線を乗り継いで、
鶴見線の始発駅である鶴見に降り立ったのが11:20。
さあ、いよいよ鶴見線に乗車。
たまたまホームにいたのが海芝浦行きだったこともあって、最初の目的地は海芝浦に決定。
この海芝浦は、「海に最も近い駅」「改札から外に出られない駅」で有名。
ちなみに「関東の駅百選」にも選ばれています。

10分待ちで発車。
すごくトロトロと走ります。期待通り。
雰囲気は完全にローカル線。
電車は運河を渡り、工場を抜けて進んでいきます。
それぞれの駅で待っているお客さんは5人いるかいないか。
そもそも鶴見で乗ったお客さんが20人に満たないくらいだった。

4つめの浅野から電車は右方向(方角的には南東)へ展開。
すると、左手に運河が見えてきました。
そこから2駅で、終点の海芝浦。



たまげたね。たまげた。
本当に目の前が海だ。それどころか、海の上に浮かんでるような感覚。



この写真なんて、とても駅から撮ったとは思えないでしょ。

で、この駅は、さっきも言ったように、改札から外に出られない。
何故かというと、この駅が東芝鶴見工場の敷地内にあるから。
駅から外に出られるのは、この工場の従業員だけなのです。
改札は無人なんだけど、かわりに警備員の詰め所があって、
東芝と関係のない人が外に出ようとすれば、即刻発砲されます(嘘です言い過ぎました)。

潮風が強くて、真っ白なカモメがものすごいスピードで滑空していく。
ジャンボジェットみたいだ、と思ってたら、本物が空高くを飛んでいた。
なんとかして両方を同時にファインダーにいれようと頑張ってみたけど、ついにできずじまい。

駅の奥には小さい公園があって、そこは東芝関係者でなくても入れるというので、行ってみることに。
水色の風車が潮風を受けて猛烈に回っていました。誰も見ていやしないのに回っていました。



公園から駅の方を望む
真ん中に見えている黄色の物体が乗ってきた電車。



おまけ。駅構内にあった看板。
なんだろう。
僕としては「下+カエル」で「従える」と読んだんだけど、読んだところで意味が分からない。

そんなこんなで20分待って、折り返しの鶴見行きに乗る。
そして、2駅隣の浅野で降りてみました。
時刻表を見ると、次の鶴見行きまで1時間。次の扇町行きまでも1時間。
やれやれ。まあ期待通りだけどね。

というわけで、駅で待ってるのも勿体ないので、歩いてみることに。
駅に掲示されている所要時間表を見る限りでは、隣の安善まで2分、次の武蔵白石まで4分だから、
歩いてもそんなにはかからないはず。
目的地は、「おそろしく電車が来ない駅」、大川。
おそろしく電車が来ないので、歩いていこうと。

歩き始めてみると、工場だけではなく、ちゃんと家もあって、住んでる人もいて、
通りかかる人もいくらかはいる。遊んでいる子どもたちもいた。
でも、数が恐ろしく少ない。閑散としている。
こういう場所が都心のすぐ近くにあるということがすごい。
鏡の裏に入れて、そこは誰もいないあべこべの空間だった、っていう話はよくあるけど、
本当にそれを目の当たりにしている感覚を覚えた。

時計を気にしてみるも、次の電車まではまだまだ余裕。
途中、安善と武蔵白石を確認。
地図を持ってこなかったので、当てずっぽうで大川を目指す。

そうやって当てずっぽうで歩くうちに、浜川崎に到着。
・・・アレ?
完全に道を間違えた。
この時点で12:40。次の扇町行きは13:15。
うーん。どうしよう・・・待つのもしゃくだし、大川を見ずに帰るのも残念だし・・・
ということで決断して、来た道を戻ることに。
思えばここで曲がった方がいいかな・・・って思った道が一つあったのです。
あそこの先に大川があるに違いない。

でも問題は時間。武蔵白石から乗るとすると扇町行きは13:10。
大川まで行って、見物して、戻ってきたら、乗れるかどうか微妙なところ。
乗れなかったらもちろん次の電車は1時間来ない。
自然と早足になる。
武蔵白石に戻ってきたところで12:54。
大川までの距離が分からないけど、かなり辛いな・・・。
でもここまで来たんだから、行かないわけにはいかん!

左右に工場しかないまっすぐな一本道を進む。
道と平行して線路があるから、この先が大川なのは間違いない。
時間がない。
焦って走り出す。
誰もいない日曜日の工業地帯を一人、誰に追われるでもなく走る男の画はかなりシュールに違いない。

そして。
ついに辿り着きました、大川。



寂れてる

それもそのはず。



待ったって電車が来ないんだから。




この世界の果て


この雰囲気、空気にもう少し浸っていたかったんだけど、
もう時間がない。
来た道をほとんど休まず走る、走る、走り抜く。
こういう時に限って外は暖かい。汗が噴き出してくる。
久しぶりに思いっきり走った気がする。
大人になるということは、走らなくなることなのかもしれない。

結果:
めでたく扇町行きに乗車成功!

よかったよかった。

さっき歩いてきた道の横を走り、電車は浜川崎に到着。
そして、貨物線の線路に埋もれながら、さらに深く、扇町を目指します。

13:20到着。
折り返しは13:30ということで、駅をぶらぶら。
この駅は、海芝浦や大川と違って、鶴見線自体は終点なんだけど、
まだ先に貨物の線路が続いているから、「世界の果て」感があまりない。

ここに限らず、鶴見線では時間がゆっくり流れているような気がしました。
工業地帯の、それこそアーティフィシャルの極みのような物体たちに囲まれているにもかかわらず、
こんなに心地よいのは、きっとその時の流れの感覚のせいなのだろうと思いました。

折り返しの鶴見行きに乗って、浜川崎で下車。

そこから南武支線(これもローカル線の趣。ワンマン運転)に乗り換え。
25分待ち。
電車が来るのが当たり前でない空間が嬉しい。

14:00の尻手行きに乗車。
車窓がだんだん工業地帯から住宅地帯へと変貌を遂げ、ゆっくりと現実に引き戻されていく。
このプロセスはなかなかよい。
今度来たときは、これで鶴見線に入ってみたい。
京浜東北線でいきなり飛び込むよりも、徐々に非現実へ向かっていく感じが出てよさそう。


というわけで、これで鶴見線の旅は終了です。
期待通りの異空間で、僕は満足しました。

興味を持った方、ぜひ行ってみてください。きっと楽しいと思います。
僕が暇なときならばお供させて頂きます。

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果てしなく続くイノセントワールド崩壊 - 2003年11月10日(月)
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1995年から10年日記を付けてます。

何気なく8年前の今日を見たら、当時猛烈な片思い活動を行っていた相手の誕生日でした。
しかも、私が生まれて初めてお付き合いさせて頂いた交配の(!)もとい後輩の女の子に、電話口で「別れたい」と言われた日でした。
あの電話の内容は何となく覚えてるし、どういう体勢で電話書けてて、周りの景色がどんな風になってたかも覚えてる。

もつれてますね、高校生の俺。

ちなみに日記のページを繰っていくと、
12月9日には片思い活動の相手に告白してふられてます。
これがsjo k.史を語る上での一つのエポック・メイキングである、
「イノセントワールド崩壊」の端緒ですね。
向こうから告白してきて付き合った後輩に1ヶ月半でまた向こうからふられ、
さらに1年半ごしの片思い活動の相手にもふられた私は
そのショックから復讐の鬼と化し(笑)、恋愛にどんどん狡猾になっていきます。
怖いですねぇ。

勢いに乗って高校時代の恋愛話を全部開陳しようかと思ったけど、やっぱやめた。
経験豊富すぎて、いちいち書くのめんどくさい(プ)

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緊急提言:選挙に行ってください - 2003年11月07日(金)
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いよいよ明後日、衆議院議員選挙です。

選挙権を持っている方々、選挙に行ってください。

特に、「政治を変えるべき」と少しでも・漠然とでも考えているけど、
「投票したい候補者がいない」から選挙に行かないというあなたは必ず行ってください。


「政治は悪さ加減の選択である」という格言があります。
これは、「どれがより/一番良いか」と考えるのではなく、
「どれがより/一番悪くないか」と考えるのが政治だということでしょう。

この格言は、私たちが政治家を選択するときにも往々にして当てはまるものです。

他人である候補者に100%信頼を寄せて投票することなど始めからできないのです。
そんなことができることを夢見て、たかだか3、4人の候補者の中に、
自分が完全に納得して、この人に間違いない!と思える人がいないからもう選挙になんて行かないなどと言うのは、
私が大好きな木村拓哉と付き合えないからもう一生男とは付き合わないといっているのとほとんど同じです。
(この話は個人だけでなく政党の選択にも当てはまります。政党の政権公約のメニューの全てが自分の考えと100%マッチするなどという状態はほとんど考えられません。)

夢見るのは勝手ですが、
その夢は決して叶いません。断言します。
で、キムタクの場合は個人のハートブレイクですからそれこそ勝手にやってくれればいいですが、
選挙の場合はそうはいかないのです。

はっきり言っておきますが、
投票に行かないということは、政治不信の表明にも、今の政治への反対の表明にもなりません。
選挙に行って「白票を投じてきた」としたり顔で仰る方がたまにいますが、それも同じです。
それらの行動がもたらす結果はただ一つ。
「今の政治への信任」です。
これはその人の意志の問題ではありません。結果的にそうなるということです。

今の政治のあり方を有難いと思っている人たちは必ず投票に行きます。
その人たちの票によって、今の政治のあり方が支えられているのです。
これは厳然たる事実です。
だから、今の政治のあり方を変えたいと思っている人が投票に行って、
今の政治を担っている人々や政党をその座から引きずりおろす選択をしなければ、
「今の政治」は、確実に存続するのです。

新聞はこぞって自民党が過半数をうかがい、保守新党・公明党との連立で安定多数を確保するという見通しを示しています。
しかし。
断言しますが、投票率が70%代後半になれば、その見通しはまったく無意味なものになるでしょう。
事態は一気に流動化し、与党の候補者は不安な夜を過ごすことになるはずです。
「投票に行ったって変わらない」という人もいます。
しかし、政治が変わる可能性は十分にあり、その鍵を握っているのは、
実は選挙に行かないつもりでいるあなたなのです。

だから、投票してください。


最後に。
民主主義は本来「厳しい」ものだと思います。
「政治を変えたい」が「票を入れたい人がいないから選挙に行かない」というのは、
突き詰めていけば、コドモのような甘えにすぎません。

政治を変えてくれそうな候補者がいないなら、自分が選挙に出て政治を変える。
それが無理なら、政治を変えてくれると信頼できる人を選挙に出す支援をするというのが、
民主主義体制にあって「政治を変えたい」と思う人がなさなければならないことなのです。
それは義務であり、権利でもあります。

「そんなことできない」というのなら、せめて選挙に行って、
「悪さ加減」を選択してください。
それが最低限の義務の履行であり、同時に権利の行使にほかなりません。
そしてその行動によって、政治は「少しはマシ」になるはずなのです。
それを積み重ねていけば、「少しはマシよりもさらに少しはマシ」になり、
さらに「少しはマシよりもさらに少しはマシよりもさらに少しはマシ」になり、
やがて「少しはマシよりもさらに少しはマシよりもさらに少しはマシよりもさらに少しはマシ」
くらいになったときには、実はだいぶん自分にとっていい政治になっているのではないでしょうか。

もう一度くらい言わせてください。
「どれがより/一番良いか」と考えるのではなく、「どれがより/一番悪くないか」と考えること。
けれどその積み重ねによって、確実に結果は良い方向に向かっていくということ。

そして、投票に行ってください。

それから、もう時間がありませんが、
この文章を読んで納得してくれたら、このような内容のことを、
ぜひあなたの周りの選挙に行かないと言っている人、行かなそうな人に話してください。

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靄がかる日常 - 2003年11月06日(木)
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11/4→11/6
久しぶりにまとまった精神状態の低迷期。

理由は何となく分かるんだけど、
自分には直接どうしようもできないことだったり、
数日やそこらじゃどうにもならない根の深いことだったりで、
とにかくできることはサボりを決め込むことくらい。

とかいいつつ、4日は事務バイトと図書館バイト。
9:00出社15:00退社。
電車に飛び乗って帰宅。今度は自転車で学校へ。
16:30出館22:15退館。
およそ12時間労働。

5日はほぼまるまるサボり。
カノジョを巻き込んでサボり。
人を巻き込むのはよくないと思う。

6日には発作的にブシツに行って、小太鼓の練習をしたりしてみる。
やっぱり太鼓は楽しい。
あと3、4ヶ月でこいつらとの濃密なつきあいが終わるんだと思うと、
なんだかよく分からない感じ。整理がつかない。
結局11:00から16:20までずーーーっとブシツにいた。
人が入れ替わり立ち替わり。多少は気が紛れた。

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インフォバー賛歌 - 2003年11月03日(月)
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買いました。
インフォバー。



新聞広告でこれを見て、絶対持つと決めて、
それからの行動力には自分でも感心するくらい。

背面にすぐ指紋がついて、しかも目立つので、毎日拭いてます。
愛着がわきます。

愛着ついでに、
内蔵の待ち受け画面がショボショボだったので、自分で作りました。


私は満足です。

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 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























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