---------

小田原を目指せ - 2003年08月31日(日)
---------


松谷とドライヴ。
夏の思い出作りに海へ。
有料道路を使いまくって1時間半で小田原へ。
そこから茅ヶ崎の方を通って、1時間半で帰宅。
23:00に出たのに2:00に家に着いた。驚異的。

そして8月が終わる。
毎年この時期、もっと生産的に過ごせたのではないか、などと考えて呆然となる。
過ぎてしまった時間を嘆いてみても何一つ取り返せないことくらい分かっているのに。

===============


---------
呑み2 - 2003年08月30日(土)
---------


イズミちゃんの家(豪邸)で呑み。

噂に聞きしイズミ邸。
ありました、廊下にソファー。部屋に間接照明。そしてペットのムササビ。
広すぎるリヴィングにおどおどする貧乏人。哀れ。

カレーやサラダが作られていくのを見ながら飲酒。
手伝えよ。
あいすみません。

<こぼれ話>
イズミちゃんの腰椎は常人より一つ多い

なんだかんだでみんな泊まることに。
怖い妄想に取り憑かれたケンイチローと、
枕が変わると寝られないユウリに最後まで付き合って起きていた。
6:00過ぎに就寝。

===============


---------
呑み1 - 2003年08月29日(金)
---------


チサトと新宿で呑み。
ザ・エロコンビ本領発揮。
話した内容は・・・ああっ、ここでは言えない・・・。

===============


---------
死刑制度について - 2003年08月28日(木)
---------



今日、池田小学校事件のタクマが死刑判決を受けた。

++++++

前もどこかで書いたかもしれないけど、僕は死刑制度賛成論者です。

死刑制度の存廃をめぐる議論では、
死刑の憲法適合性・死刑の犯罪抑止力・冤罪の可能性といった論点が挙がることが多いようです。

憲法適合性に関しては、死刑が36条にある「残虐な刑罰」にあたるか否かが争われます。
これについては合憲論・違憲論どちらも一応もっともな理論を展開しているので、
正直言って僕には判断が付きません。
なので、死刑が憲法に適合しているか否かで、その制度の存廃を考えることは、少なくとも僕にはできません。

死刑の犯罪抑止力について。
死刑という刑があるからこそ、重大な犯罪が未然に防がれるのであるという論拠で死刑を擁護する考え方と、
いやいや、死刑制度がある国の方が凶悪犯罪の発生率が高いことだってあるんだから、
したがって死刑制度に犯罪抑止力はない、と反駁する死刑制度反対派の争いです。
この議論だけを見れば、僕にはどちらかというと後者に説得力があるように思われます。
犯罪抑止力があるからして死刑を残さなければならないという議論に、少なくとも僕は与しません。

冤罪の可能性について考えても、死刑は危険な制度であることは否定できません。
何の罪のない人間が、「合法的」に殺害されてしまう危険性は、
死刑という制度が存続する限りにおいて決してゼロにはならないでしょう。
この点においても、死刑は積極的に擁護できるような刑罰とは思えません。

また、一国の政府(ガヴァメント)が、人を殺害することを「違法」行為としながら、
もう一方において「合法的」に人の命を奪う権限を有していることには、
原理的な違和感を覚えることもまた事実です。
これは、個人レヴェルで言えば、「何物にも代え難い命」を奪われたことへの代償が「何物にも代え難い命」を奪うことであるという一種の矛盾にもつながるでしょう。

また、以前読んだ大塚公子『死刑執行人の苦悩』に書いてあったように、
死刑を実際に執行するのは、刑務官という国家公務員であり、
彼らを「合法的な(しかしれっきとした)殺人者」に仕立て上げることで死刑という制度は始めて成り立っているのです。
この点から死刑制度を批判することも可能ですし、僕もこれは死刑制度反対の有力な論拠になるものだと考えています。

さて、ここまでの議論を見る限り、僕が死刑制度に積極的に賛成する根拠はどこにもないように思えます。

しかし。
自分の中で突き詰めていったらおそらくたった一つかもしれませんが、
死刑制度に賛成する、あるいはせざるを得ない強力な論拠が、僕の中でくすぶり続けているのです。
そして、今日の朝日新聞の夕刊を見たとき、くすぶっていたその論拠が、
一気に発火するような感覚をおぼえたのでした。

そこには、当時2年生だった娘を事件で亡くした(つまりタクマに殺された)父親の手記が掲載されていました。
一部を抜粋します。


「娘がこんなにつらい思いをしているのに、なぜいまだに宅間は生きているのでしょうか?早くこの世から消えてほしい。それが率直な気持ちです。死刑廃止論を唱えている人に伺いたいことがあります。自分の子供が殺されても本当に廃止論を唱えることができるのでしょうか?それができなければ唱える資格などあるはずもありません。他人事だから言えるのだとあえて申し上げたい。」


もちろん、殺人被害者の遺族の中には、犯罪人が殺されても何も解決しない、
それよりは生きて罪を償ってほしい、と主張される方々もいます。
しかし。
このような思いを持つ遺族の方がたった一人でもいる限り、誰が死刑制度廃止!などと(それこそ「他人事」として)言えるのでしょうか。

罪のない子供たちを次々と殺し、「幼稚園だったらもっと殺せていた」などとのたまい、
人を殺したことに対する罪悪感も、ましてや悔悛の感情のひとかけらも持ち合わせていない、
まさに人間あらざる「物体」の「人」権を擁護するために、
このような遺族の剥き出しの感情、痛々しい叫びが封じられてもいいのでしょうか?
彼/彼女たちの権利は無視されてもいいのでしょうか?
僕は到底「いい」とは言えません。

この被害者の父は、仮に自分の手で死刑が執行できるとするならば、「喜んで」そうするのではないでしょうか。
刑務官の手を汚すことなく、むしろ進んで自らの手を「汚す」のではないでしょうか。
そうだとするならば、先の「刑務官の苦悩」云々からする死刑制度への抵抗感はあっけなく「クリア」されます。

僕が今のところ行き着いた究極の地点はここにある気がします。
つまり、被害者の遺族が、犯罪者が死をもって償うことを望んでおり、
なおかつその望みが、犯罪者の「死」のために自らの手を下しても構わないと考えるほど強く揺るぎのないものである場合においては、
(さらに言えば今回の事件のように容疑者が現行犯で逮捕されており、冤罪の可能性が極めて薄いという条件を付けて)
死刑は認められるし、認められなければならないと思うのです。

このような考えによれば、あえてセンセーショナルな言い方を選ぶと、
死刑を「被害者の遺族による報復の合法化」とみなすことになるでしょう。

おそらく近代刑法は「個人的報復」という考え方を否定したところに生まれたものなのだと思います。
その流れから言えば、こういう考えは到底「近代的」でないということになりましょう。
しかし、何でも「近代的」であればいいのでしょうか。
「近代」の中身を考証しないままにする「近代的じゃないから廃止するべきだ」という議論(「近代」フェティシズム!)には、
僕は到底与することができません。


このような議論は「感情的」でしょうか?
いや、質問を変えましょう。
僕の議論や、先に引用した被害者の父親の手記は、あきらかに「感情的」なのでしょうから。
このような議論は「感情的」であるがゆえに無効なのでしょうか?

今回の手記を読んで、僕の死刑制度に対する意見は確固たるものになりました。

「理性」やら「理屈」やら「理論」やらよりも、
「感情」に最も重きを置くべき場面がある。
そして死刑制度はその一つの場面である。
僕はそう確信しています。
++++++

===============


---------
NOMIKAI with T feat. hase - 2003年08月24日(日)
---------


午前中は家で読書。
暑い。
午後はブカツ。
暑い。

夕方から新宿に出かける。
タワーでCD2枚購入。
 Round Table「Big Wave Sunset」
 スネオヘアー「SUN!NEO!AIR!」

そのままタワーをうろうろして時間をつぶし、
18:00にいつものみずほ銀行前へ。
tと飲み会feat.ハセ嬢

tの大学ジャズ研の後輩であるハセ嬢、現実界では初対面。
ネット上ではかなり前から知ってたし、知られてたんだけど。

食事の前にin the roomで恒例のボケツッコミ大会・・・はさすがに止めにして、
紆余曲折の末、三丁目界隈の無難な店に落ち着く。

たいそう申し訳ないことに人見知りなので、
結局tとばかりよく喋ってしまった気がする。
本当はもっとハセ嬢の濃い部分にダイレクトに迫るつもりだったのだけど。

コレ、四半期に一度くらいの定例企画にすると、
回を重ねるごとにどんどん抱腹絶倒になっていくんじゃないだろか。
どうでしょう、t&ハセ嬢。

===============


---------
テトラ・コーチゾン軟膏 - 2003年08月20日(水)
---------


【テトラ・コーチゾン軟膏(Tetra・Cortisone Ointment)に関する覚え書き】

1週間ほど前に下唇を噛んでしまって、広範囲がえぐられたように白くなっていて、
食事の時に痛いし顔を洗うときに痛いし歯を磨くときに痛いので、
ついに自然治癒力に頼るのをあきらめ、近所の薬局で購入。

急性歯肉炎、慢性剥離性歯肉炎、辺縁性歯周炎、びらん又は潰瘍を伴う難治性口内炎および舌炎に効果を現す
(国内3施設で実施された臨床試験112例での有効率は81.2%)
という本剤の有効成分は、塩酸テトラサイクリンと酢酸ヒドロコルチゾン。
もちろん両者とも第十四改正日本薬局方(第一部)に定められた成分である。

なお、日本薬局方塩酸テトラサイクリンは定量するとき、換算した乾燥物1mg当たり900μg(力価)以上を含む。
これはかなりの数値である。さすが日本薬局方とうならされざるを得ない。
ただし、その力価は、塩酸テトラサイクリン(C22H24N2O8・HCl)としての量を質量(力価)で示すことになっており、
本剤には30mg(力価)が配合されている。
口腔領域で使用される抗菌・抗炎症外用剤としては妥当な数値と言えよう。

また、日本薬局方酢酸ヒドロコルチゾンを乾燥したものは定量するとき、酢酸ヒドロコルチゾン(C23H32O6)97.0〜102.0%を含む。
数値が100%を越えるっていうのはどういうことだ、と問うようではまだ素人である。
玄人の私はもちろん驚かない。
これこそが日本薬局方が放つ愛の力の賜なのである。
ちなみにバファリンAの半分はお母さんの優しさ、すなわち愛でできているが、
残りの半分は、アセチルサリチル酸330mgと、合成ヒドロタルサイト100mgである。

本剤の基材は親水ワセリンで、添加物としてパラオキシ安息香酸ブチルを使用している。
パラオキシ安息香酸ブチルが薬剤の保存料としてよく使用されることはあまりにも有名である。
そういえばワセリンの広末涼子はどうなっただろうか。
まだワセダには通っているのだろうか。
ちなみに強姦で捕まった「スーパーフリー」のメンバーは退学になったので、
もはやワセリンではないことは明白である。

ちなみに本剤は、
1)テトラサイクリン耐性菌または非感染性菌による皮膚感染のある患者
2)真菌症(白癬、カンジダ症等)、皮膚結核、単純疱疹・水痘、種痘疹のある患者
3)本剤の成分またはテトラサイクリン系抗生物質に対し過敏症の既往歴のある患者
4)潰瘍(ベーチェット病を除く)、第2度深在性以上の熱傷・凍傷のある患者
には、感染症を憎悪させるか、治療を妨げるおそれがあるため投与してはならない。

私は1〜4のいずれにも該当しないという固い信念のもと、
「用量・用法」の項に従い、少量を直接患部に塗擦してみた。
しかし、本剤の使用により感作されるおそれがあるので、
観察を十分に行い感作の兆候があらわれた場合には投与を中止しなくてはならない。
緊張する。観察を十分に行わなくては。
なんてったって感作されてしまうのだから。
もう24歳だというのに感作はゴメンだ。

かくして、これを書いている現在も私は観察を怠っていない。

ところで重大な事実に気が付いた。
私は今晩、寝る前に本剤をもう一度患部に塗擦するつもりであるが、
睡眠中は十分に観察をすることなど不可能ではないか。
ああ、どうしたらよいものか!

してみれば、これは一種の賭である。
明日の朝に目覚めたとき、この口内炎が完治しているか、
それとも敢えなく感作されて、布団をぐっちょり濡らし、母親にきつく叱られるか、
まさに一世一代の大勝負と言えるだろう。

===============


---------
加速しながら停滞する一日 - 2003年08月12日(火)
---------


9:38
都心の心臓を貫いて東の果てを目指すメトロの鮮やかすぎる加速度に逆らって真っ直ぐに立ち続ける

15:16
あなたは自身を労働力として市場に売ることによって疎外されていくのです
つまり人間としての素晴らしさ、ヨリ単純に言えば人間らしさを喪失していくのですという故人の声

17:25
天井まで積み上がった古本の山は幾重にも折り重ねられてきた知の歴史の最も端的な発現形態である

17:32
打ち捨てられたように店の前の籠に放り出されたセール品の本の中にも意味を見出す人間がいることに捨てたもんじゃないと思うこの世界

17:37
高校時代に来たときには見向きもしなかった本に静かな興奮を覚えた自分に微かな成長の徴しを感じる
と同時にその成長に見合う何物をも生み出せないような気がして押しつぶされそうになり

18:23
沢山の人が待つプラットホームを沢山の人を乗せた電車が通過していく時に僕はいったいどんな顔をしているのが正解なのだろう?

18:41
駅の階段を降りきった時に見上げた空があまりに深すぎて、知らない街に放り出されてしまったような錯覚をおぼえる


===============


---------
モーツァルトは何人? - 2003年08月09日(土)
---------



<今日のヤホー「トピックス」より>

大論争 モーツァルトは何人?

え?
モーツァルトは複数人だったの?
今で言うユニット?
ジョスカン・デ・プレ(※)みたいなもの?

 ※Josquin des Prez:
  15世紀末から16世紀初頭に活躍したルネサンス期の作曲家。
  フランドル楽派に属し、通模倣形式の楽曲を数多く生み出した。
  実は1人の人間ではなく、複数の人間がこの名を語って作曲していたという説もある。

これって常識破りのすごい新発見なんじゃ・・・
と思って記事を見たら、

+++++
モーツァルトの国籍は? 隣国同士で大論争

【ウィーン8日共同】モーツァルトはドイツ人?現在のオーストリア・ザルツブルクで生まれた18世紀の世界的な音楽家の“国籍”をめぐり、ドイツとオーストリアの間で大論争が起きている。
 きっかけはドイツのテレビ局ZDFが今月7日から始めた「だれが最も偉大なドイツ人か」の視聴者投票。300人の候補者リストにモーツァルトの名を見つけた在ドイツのオーストリア大使館が「モーツァルトは生粋のオーストリア人だ」と抗議したことから、両国のメディアが取り上げる騒ぎに。
 モーツァルト(1756−91年)は、生涯の多くをザルツブルクやウィーンなど現在のオーストリア領内で過ごし「歴史的にはオーストリア人とするのが普通」(ウィーンの歴史家)。しかし、ZDF側は「当時は神聖ローマ帝国の時代で、オーストリアは存在していなかった」と主張、一歩も引かない構え。
 これに対し、オーストリアの各メディアは「その論理なら、(同様に神聖ローマ帝国の統治下で)ドイツが存在しなかった時代に活躍したゲーテもドイツ人ではない」と反発しているが、最終的な決着は9月15日に締め切られる投票結果に委ねられそうだ。(共同通信)
+++++

誤「なんにん」
正「なにじん」

同じ勘違いをした人が、多分250人くらいはいるはずだ。


===============


---------
さよなら加藤さん - 2003年08月02日(土)
---------


散髪しに表参道へ。

最近、都心に向かう電車に乗ると8割方鬱状態に陥る。
だから、新宿や渋谷なんかで誰かと待ち合わせすると大変だ。

今日も来た。

だましだまし、桐野夏生『顔に降りかかる雨』を読む。
だいぶ気は紛れる。

明大前で井の頭線に駆け込み乗車したらドアに完璧に挟まれた。
アーティスティックな挟まれかただった。

あまりのことに、さらに気が紛れた。

髪の毛、今回はマエストロ風(あるいはからくりTVの加藤さん風)にパーマをかけようかと思ってたんだけど、
人間いざとなると保守的になってしまうもので、
悲しいかな髪型は変わらず。今回は色もほとんど変わらず。

でも、担当のソエジマさんと相談しといたから、
次行くときは髪型が変わるときです。きっと。

表参道を上って、フランとオフに寄って、
さらに明治通りを渋谷まで歩く。いい運動。

それにしても人が多い。

そして気がついたことは、大勢の人に囲まれると気分が沈むということ。

19:30帰宅。

===============



 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























-->