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二日間の終わり - 2003年05月31日(土)
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(※今日のニッキは、昨日とシームレスです。30日のニッキからお読み下さい。)


椅子の上ですぐ起床。
多分20分くらいしか寝てない。

立ち上がってみると、激痛。
左足のふくらはぎが限界だったらしく、
普通に歩くだけで崩れそうになる。

ブカツが始まっても、全く動けず。

家に帰ろうにも、外は豪雨。
自転車は家にあるから、帰るならば滑走路を500m歩いて、
バスと電車を乗り継がなければならない・・・
無理。
何をする気も起こらない。
帰る気も起こらない。
=ここにいるしかない。

とりあえず練習をしている体育館までは行く。
階段がツライ。
というかすべてがツライ。

痛み、眠気、疲れ、その他あらゆる要素が渾然一体となって、
完全に放心状態。
太鼓がうるさい。
ほとんど叩かず、体育館で睡眠。

途中、足を引きずりながらシャワーを浴びる。
ふくらはぎに熱いシャワー。
少しましになった気がしなくもないが完治するわけはない。

13:00からワダイコ部総会。
ほとんど睡眠。
なんか重要なこと話してた気がするんだけど、
起きてたんだか寝てたんだか分からない。

総会後、バスで武蔵境。
ヨーカドー地下で若い衆のミーティングに同席し、
17:30から新入生歓迎会。
しゃぶしゃぶ。
ビール2杯。
アルコールと肉によって少しずつ回復。

2次会、近くのさくら水産。
いいちこをグラス1杯。
千ちゃんを囲んで創作トーク。
エイちゃんの新曲に期待。
と本人が見ていないところでプレッシャーをかける。

バスと電車で帰る。
22:30に我が家に到着。
昨日家を出てから27時間。
いろいろなことがありすぎてよく分からない。

時間・空間感覚がおかしい。
自分がどこにいるのか、今は何日で、何曜日なのか、はっきり分からない。
これぞまさに極限。

手早く風呂に入って、吸い込まれるように布団へ。
長かった2日間がようやく終わる。
おやすみなさい。

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トーキョー・ミッドナイト - 2003年05月30日(金)
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朝一で学校。バイト。
終わって、読書。
科学哲学の授業。

こうして平凡な週末の一日が終わる、はずであった。

授業後に勉強部屋に戻ったらカノジョがいる。
今日、この後ミッドナイトウォークなるイヴェントに参加するという。
ミワ・チサトと部室で待ち合わせしているというので、
帰りがてら寄っていくことに。

そもそもミッドナイトウォークってのは、
なんとなく想像つくかも知れないけど、
夜から深夜を経て次の朝まで相当の距離を歩き続けるという企画で、
うちの大学で1年に1回行われる。

今回はお台場→大学。40km。

遠足気分でウキウキしている3人を見ているうちに、
なんだか参加したくなってくる。
でもまあとりあえず帰宅。

夕食食べて、それからもずっと行こうかかやめておこうか悩む。
19:35に出れば、集合場所の台場駅に21:00(集合時間)に着く。
ああ、どうしよう。楽しそうだけど辛そうだし・・・・
もう年だしやっぱりやめるか・・・
と思った19:35、その時歴史は動いた。
本当に止めようと思った瞬間に、カノジョからのメイル。
「来れば?」
ということなので、行くことに。

りんかい線の東京テレポート駅から歩いて、
ミワ、チサト、カノジョともめでたく合流し、時間通りに台場駅に到着。
家庭教師を終えてから駆けつけたテンちゃんも合流。

当日飛び入りなので、係の人に参加申し込みをすると、

 「ああ、行政学の方ですよね!」

!!
「え、あ、そうですけど?」
「授業聴きました」
「ど、どうも・・・」

・・・面が割れまくってる。もう学校で悪いことできない(笑)。



ここからすべてが始まった


21:30頃、ついに出発。
レインボーブリッジは歩道が21:00で閉鎖なので、
まず有明方面から晴海埠頭へ。

ドライヴでよく通る道を歩くというのは面白い。
有明・東雲・豊洲の埋め立て地は、かなり古くから開発されていたので、
旧型の団地が多くて、台場とは全然違う雰囲気。

相当歩いたなあ・・・と思ったらまだ1時間半。
スタートの時見ていた観覧車とレインボーブリッジが左手に小さく見える。

晴海埠頭の旅客ターミナルで1回目の休憩。
目の前には大きな観覧車とレインボーブリッジ(笑)
2時間以上歩いたという達成感が極めて薄くなる光景。
大回りして、ちょうどスタート地点の裏側辺りに来たのでした。


tokyo midnight


<このあたりから5月31日(土)>

来た道をすこし戻り、晴海通りへ。
勝どき橋を越えて、ようやく島を脱出。銀座へ入る。
夜中なのに、働いている人がたくさんいて、
その人たちがある意味で昼間の街を支えているという当然の事実を知る。

銀座を抜け、第一京浜を南下、新橋へ。
ゆりかもめの新橋駅をくぐる。
また達成感を削ぐような・・・
臨海副都心にとってのレインボーブリッジ、ゆりかもめの(アクセスという観点からの)重要性に気付く。
これがあるから台場は近くなったんだなあ・・・

ここからは都心部。
視界に入る東京タワーがだんだん大きくなってくる。
芝公園付近で2回目の休憩。
ヤジロベーみたいな形の変なシーソーで遊ぶ。

つづいては、いよいよギロッポン。
深夜の六本木は、ウソみたいに明るい。
そして、はっきり言って恐い。
一人では絶対に来られない。
殺気立ったボブ・サップみたいなのとか、ラリったみたいな集団とか、
どう見ても麻薬売ってる店とか、日本語が通じなそうなマクドナルドとか。
その上、こうやって表に見えている恐さの数百倍くらいの、
「裏」の恐さがこの街には溢れかえっているのだろう。
本当に、心底「恐怖」しか感じない街は東京でここくらいのものだ。

六本木通りを左折。ようやく抜けた・・・
そして今話題のギロッポンヒルズへ。
道の分岐点には、スタッフが白線をひいて迷わないようにしてくれていて、
ヒルズにも線が引かれていたんだけど、
信じられない数の警備員と清掃員が集まってきて、一瞬で消していた(笑)
もう2時すぎなのに、たかだか一本の路上の白線にあれだけ人が集まるのはすごいと思った。
っていうか迷惑かけてるんだからもう少し反省しなさい。すみません。

六本木通りを抜けて、ようやく渋谷。
ここで3回目の休憩。
と、またしても水曜日の話を聞いた男の子に声をかけられる。
考えてみればあの授業は120人がとっていて、
単純に考えればうちの大学の学生の20人に1人くらいが聴いていたわけで、
ああ、やっぱり悪いことは出来ない・・・

明治通りを北上、原宿、代々木を抜けて新宿へ。
4:30に新宿到着。
空がだんだんと明るくなってくる。
夜が明けるのって、意外と早いんだね。
フラッグス前の広場で点呼をとって、ここからは学校まで自由コース。

ここまでサラっと書いてきたけど、
もちろん足はかなり辛いことになっていて、
休憩の時に靴を脱いで足の裏を押したり、太股をマッサージすると、
それはまさに天国。

そして絶望的な事実。

 新宿までで、全行程の半分

ここから学校まで20km・・・

十分に休憩をとって、とぼとぼと甲州街道を歩き始める。
ひとまず、エイエムピイエムで買い出し。
熱量仲間とヴァームゼリーと烏龍茶を購入。

実際みんな、かなりガタが来ていて、
特にテンちゃんの足は悲鳴を上げている。チサトも遅れがち。
正直僕もいつ京王線に乗るか考えていた。

当然、ほとんど会話はなくなっている。

自分もへこたれそうだったし、みんなも大変そうだったので、
できるだけ、「あとどれくらいなのか」をいつも伝えて、頑張ることに。
京王線で3駅行ったらちょっとだけ休もうねキャンペーンも実施。
この頃になると、5分休憩しても、無痛で歩けるのは2、3分になる。

 初台・幡ヶ谷・笹塚
 代田橋・明大前・下高井戸
 桜上水・上北沢・八幡山
 芦花公園・千歳烏山

いつも、新宿から特急に乗れば一瞬で通過してしまうのに・・・
そして、6:00、予報通り雨が降ってくる。
ひたすらまっすぐにつづく甲州街道。
これを苦行と呼ばずに何と呼ぶか。

給田の交差点から吉祥寺通りへ。ついに甲州街道地獄は終了。
歩道に書かれた、右に折れた矢印が嬉しい。
ここにはさすがに警備員も清掃員も集まってこない。

しかし、ここからはあんまり通ったことのない道で、僕も距離がつかめない。
さっきまでの駅のように、到達点を示すような目標物がない。
とにかく歩くしかない。

すでに足は限界に来ている。
着地した瞬間に足の裏に痛みが走る。
そして何故か肩が猛烈に重い。

なんとか東八道路に到達。ここからは馴染みの道。
ほかのみんなにも馴染みがある道なので、すこし安心。
こういう時、「先が見えていること」ほど気持ちを安らかにしてくれるものはない。
とは言っても、その「先」がかなり長い。
自転車でもここから学校までは15分かかる。

気力を振り絞って、気力だけで歩いているような状態。
一歩一歩がゴールに向かっている。

ここまで来ると、止まって休憩することの方がかえってキツイ。
歩き続けていないと崩れてしまうような感じ。

マクドナルドが見え、交差点を右折。天文台通りへ。
ああ、もうすぐ終わる!

カド(スーパー)の横を通り、三鷹消防署の横を通り、富士重工の横を通り、
ようやく学校の門を通る。
やった!帰ってきた!

・・・しかし、最後の構内直線道路(通称「滑走路」)が長い・・・。
いくら歩いても進まないような錯覚。

 ミワ「すすまないね・・・」
 sjo k.「これでさ、夢オチだったらどうする?実はこれが晴海埠頭の休憩中に見た夢で、
     じゃあそろそろ出発しまーす、みたいな」

ということもなく、ついにゴール!
終わった・・・しんどかった・・・

スタッフが用意してくれた豚汁を食べて、気付いたら椅子に座ったまま就寝。

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想像力で聴く - 2003年05月29日(木)
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午前中、家で読書。
昼ご飯食べてから学校へ。

着いてすぐに日本思想史。

終わった後、●法コピー。久しぶり。

16:30からバイト。

20:00から30分休憩をとって、泰山荘のワダイコ部公演を見に行く。
時間が全然足りず、全体の半分しか見られずに退散。
職場に戻ったら、開いた窓から太鼓の音が思いっきり入ってきたので、
想像力で補いながら、耳をそばだてて聴く。

22:30帰宅。

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精神を削り、肉体をも削る - 2003年05月28日(水)
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午前中、いつもの週と同じように、ゴガク系の時間。
フランス語会話とハングル講座をまとめて視聴。
だんだんどちらも内容が難しくなってきて、
何かの片手間に、というのでは追いつかなくなり始めている。
もう少し真面目に時間をかたむけないと。
でもそうしたら本業の論文がおろそかになるんだけど。

学校へ行き、図書館でレジュメの最終版をプリントアウト。
あとはほとんど何もせず。
今更いろんなこと考え始めてもかえってよくないので。

15:00から授業。
緊張ピーク。ォエッ。
しかし、話し始めてしまえば全然OK。
それどころか楽しい。
完全燃焼。
質疑応答30分もあって、16:45頃終了。

この2週間の準備や当日の質疑応答なんかで、いろいろと勉強になった。
来年は「やってください」と言われなくても、こっちから木部先生に頼もう。

夜、ブカツに出る。
一仕事終えた開放感からか、猛烈に叩きまくる。
久々に「謳歌」大太鼓の真ん中をやる。
「あ、ここはこうすればいいんだ」みたいなことに2カ所くらい気付きながら打った。
打ちながら、曲のメロディやハーモニーを聴き/感じつつ、
自分の体感覚や所作をも明確に意識し、それを制御できる時ってのは、
かなり調子がいい時。
自分のここ数年の演奏の中でも会心の出来だったかもしれない。

そのかわりヘトヘトになって帰宅。

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雨は降りつづけ、明るい西空 - 2003年05月27日(火)
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午前中から学校に行く。
まず一人で明日の話のリハーサルをしてみる。
次に、カノジョをつかまえて聴いてもらう。
なんとか時間内に収まったし、カノジョにもだいたい分かってもらえた。
あとは本番だけ。
と思うと緊張で吐き気が・・・

日本思想史の授業出て、軽く読書など。

夜、泰山荘(うちの大学にある歴史的建築物)でワダイコ部の公演があるはずだったんだけど、
雨でお流れ。
仕方なく帰宅。

と、帰る途中で西の空が明るくなっていく・・・
結局すっぱりと止みはしなかったからいいけどさ。

夜、明日の話の詰め作業をする。

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ヘンな物体に25000円も出す院生 - 2003年05月26日(月)
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午前中、目的無く学校へ。
目的がなかったので、勉強部屋で本を少し読んで、帰宅。

家で昼ご飯を食べた後、思い立って新宿へ。
目的は、部屋に置くMOGUバルーンチェアを買うため。
3分間立ち止まって考えてみて、ようやく魔法のカードで購入。
25万ウォン。
受注生産なので、到着は6月11日午前。
ぜひ我が家に座りに来てください。

それから、紀伊国屋にも寄る。
でも、結局何も買わず。
ヘンな物体に25000円も出すのに、新品の本1700円に手を出さないダメ院生。
木部先生に怒られそう。

帰宅。
車を出してブックスーパーいとう(中央大学前)へ。
ここは学術書や古めの新書の品揃えがよい。
ブクオフと比べると高いし、汚い本が多いんだけど。
3冊購入。
さっき買おうと思ってた1700円の本が、700円で売ってた。
ラッキー池田。
もうみんな覚えてないか、ラッキー池田。

帰り道にあったので、聖蹟桜ヶ丘のブクオフにも寄る。
VOWを4冊購入。
VOWを定価で買う気には全くならないが、
ブクオフで100円になっていると、間違いなく手を伸ばしてしまう。
結果:我が家のトイレにはVOWが8冊
我が家に来てトイレに入った際にはぜひご覧下さい。
(友人には、読み耽るあまり出てこなかったのもいる)

夜はあさっての話の準備。

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凄惨な日曜日 - 2003年05月25日(日)
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来週の水曜日(28日)、木部先生の授業で話すことになったのは
すでにお伝えいたしました。

協議の結果、持ち時間は15:00から50分ということになりました。

そこで、今日、作り終えた原稿をプリントアウトして、
部屋でリハーサルをしてみたのです。
実際に話したらどれくらいになるかなあ、と。

 結果:50分で全内容の1/3

プ。
そりゃそうだよな。
原稿13枚もあったら50分で終わるわけないよな。

なんでも盛り込みたい症候群(NMTS)。
いつもの悪い癖。

しょんぼりしつつ、このままでは取り返しのつかないことになるので、
半日費やして内容を一新。
今度は原稿も4枚ちょっとだから確実に50分。
でも、なんかつまらなくなったかもしれない・・・

どうしよう。
最後の最後まで悩みそう。
木部先生は忙しいみたいで送ったメイルにお返事くれないし。
テンパる助教授と助手の週末。

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衝撃のASIJ新作 - 2003年05月23日(金)
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引っ越してから、ASIJバスに出会う機会が増えたんだけど、
もうほとんどの種類を見ちゃって、最近バスを見ても喜ばなくなっていた。

しかし、今朝、ついに衝撃の新作と遭遇。

 「桜木花道」

一瞬、こういう名所の名前かと思った。
(ほかにも「東山」とか「富士山」とかあるので)
・・・スラムダンクじゃん。

「9月11日」がなかったら、
バス前面の行き先表示にこの四文字が表示されることは決してなかったであろう・・・

++++
そういえば、マンガ好きの人に質問なんだけど、
スラムダンクに出てくる、丸々した監督のおっちゃんって、
なんか暗い過去背負ってるんですか?

2年に1度くらい夏休みのTVでスラムダンクを断片的に見るんだけど、
その度に気になってしょうがないんだよね。
なんかわけありっぽい雰囲気を醸しているあの監督。

誰か教えてください。
++++

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シンバルズ新譜と通し練を聴いて - 2003年05月21日(水)
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□BGM: Cymbals「Love You」

好きな曲は結構多い。
しかし、すごい問題作。
いろんなことを考えざるを得ない。

ひととおり聴き終えてみて、
シンバルズがバラバラに解体していくようなイマージュを抱いた。
言葉が悪いかも知れないけど、統合失調症的。
自我が拡散していて、同一性が危うくなっている気がする。

この作品に、シンバルズの一つのゴールというか到達点を見た気がする。
もっと言えば、ここに「行き着いてしまった」という感がある。

もう少し聴いて、考えがまとまったらどこかに書こう。

+++++
夜、ブカツに行く。
来週火曜日の学内公演に向けた通し練を見る。

1週間見ていないだけで、内容が飛躍的に向上している。
集中力とエネルギー。心底スゴイと思った。
こんなこと思うなんて自分も老いぼれたなと思う。
みんな、かっこいいぞ。

特にエイちゃん、かっこよかったぞ。
見てないか、ココ。

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伝言ゲーム - 2003年05月20日(火)
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眞由美が仕事休みのため大掃除決行。
家を追い出されたので、久しぶりに市立図書館で勉強。

ダイソーで4色ボールペンを2本買い、
さらにパルコへ。
明日発売のシンバルズの新譜「Love You」を求めに。
まだ入荷しておらず。
無念なまま学校へ。

日本思想史の授業。

たまたまカノジョに会ったので、ふたりでもう一度パルコへ。
店頭にはまだ並んでいない。
カウンタのお姉さんに聞く。

 sjo k.「すみません。明日発売のシンバルズの新譜、入ってますか?」
 お姉さん「はい、少々お待ち下さい」
  (探す。見つからず、他の店員に聞く。会話はこっちに筒抜け)
    お姉さん「ヴィクターの新譜なんですけど、来てますか?」
    店員「ああ、まだ段ボールの中に入ってるね」
  (お姉さん、僕の所に戻ってくる)
 お姉さん「すみません、まだ入荷してないみたいですねー」

・・・伝言の過程で食い違いがあったようです。
ちょっとムッとしたが、「段ボール開けろコノヤロー」とは言えず、
おずおずと引き下がる。

しかし諦めきれない。
隣の楽器屋で譜面を見たりベースを物色したり(ベーシストっぽい発言)して時間を潰す。
いよいよ学校に戻らなければならない時間。

意を決してCD屋に戻り、さっきとは違う姉ちゃんに聞く。
祈るような気持ち。
あった!
購入。よかった。

急いで学校へ戻る。
すぐバイト。やれやれ。

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レイン・レイン・レイン - 2003年05月19日(月)
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朝起きたら雨。
月曜は授業もバイトもない=休日
いつもは家にいても腐るだけなので学校行くんだけど、
雨の中わざわざ行くモチヴェイションも上がらない。
ステイ決定。

そして気付いたら、土・日・月と三日連続で家から出ていない状態。

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絶頂→どん底 - 2003年05月16日(金)
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1995年5月16日、麻原彰晃が逮捕された日。
この頃はまだ高校2年生だったのか・・・


8:30、雨の中自転車を駆って学校へ。
リトリート(新入生のショートトリップ)のお陰で休講なのに、
図書館はちゃんと開館してるので、しっかりバイト。
利用者が少なくて、ヒマ。

バイト上がってからは読書。ひたすら。

18:30、大学院の6月卒業者修論書けて良かったね会@サランバン。
モリモリ喰って、ガブガブ飲む。
ビールビールビールマッコリマッコリマッコリビール。
隣のムラカミさん(博士課程。顔=ヘレニズム系)と大ブレイク。
めちゃくちゃ楽しかった。
多分相当うるさくて周りに迷惑千万。

二次会はカラオケらしかったんだけど、パスして帰宅。

帰りながら、急に鬱の風に襲われる。
フラフラしながら帰宅。

家についても収まらず、冷蔵庫に入ってた発泡酒をがぶ飲みして布団かぶって就寝。

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515の追憶 - 2003年05月15日(木)
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5月15日。
515。

昔住んでたマンションの515号室には、ミヤガワというおばちゃんが住んでいた。

300戸近くあるマンモスマンション(略してマンマン)だったので、
僕が小学生だった10数年前には、それはもうたくさんのガキがいて、
毎日毎日遊びまくっていた。

今考えれば、相当やんちゃだったガキ集団は、
野球をしては人の家の廊下に面した窓にボールをぶつけたり、
水をためっぱなしのプールにザリガニやフナを放流したり、
ケイドロで奇声を上げながら廊下を走りまくったり、
エレベーターに十数人で乗って揺らしまくって止めたり、
悪事の限りを尽くしていたものだった。

そんなガキどもに決まって怒鳴り声を浴びせるのが、515のミヤガワの役割だった。

悪いのはこっちなのに、怒鳴られれば、当然敵意を持つのがガキというもの。
ミヤガワは志村けんよろしく「ヘンなオバサン」の称号を受け、
日々熱き戦いが繰り広げられていたのである。

そんなある日、我らが大将の「こまっちゃん」(当然本名は小松)がとんでもない攻撃を計画した。

<計画の概要>
・今日は515(ゴーイチゴーと発音されていた)にピンポンダッシュする
・しかしただのピンポンダッシュではつまらない
・そこで我々は、世界初の「ピンポン閉じこめ」作戦を敢行する
・作戦部隊の1人が515の呼び鈴を押しまくり、「ヘンなオバサーーーン」と叫ぶ
・通常のピンポンダッシュではここで退却するが
・本作戦においては、呼び鈴押しまくり要員以外の隊員がスクラムを組んで515のドアを押さえつけ、外側から封鎖する
・ミヤガワは怒鳴りたくても外に出られない

今思うとなんと残酷で卑劣な攻撃であろうか。

作戦は見事に成功。
内側から自分の家のドアをどんどん叩き「アケローーー!」って叫んでいたミヤガワが印象的。
それからどうやって逃げたかは覚えていない。

しかし、酷いコトしてたな・・・
よくケーサツに通報されなかったよ。

こんなクソガキぶりも、メンバーが次々に中学校に上がるに連れて消滅。
マンションは平和を取り戻したのだった。

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専門家の見地から - 2003年05月14日(水)
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躁期。
博論関係の思索が進む。
ノート見開き2ページを書き込みで真っ黒にする。
(ちなみに今「まっく」まで打ったら「マックス・ウェーバー」という変換候補が出てきてびっくりした)

カノジョとランチ。
というかカノジョがランチ。
相変わらず昼食とるのは週2、3回。

午後、木部先生の仕事。

木「あ、そうだ、再来週の授業なんですけど、官僚制のこと話すんですね。そこで・・・」
sjo k.「まさか・・・」
木「はい。1時間でいいですから、専門家のsjo k.君にぜひお話をしていただきたいと」

ははは・・・専門家・・・・。

というわけで、5/27の15:00から、木部先生の政治学概論で話します。
仮テーマは「日本官僚制の仲間構造」。
霞ヶ関の公務員たちは組織内でいろいろな「お仲間」をつくってるんですよー、
そういう「お仲間構造」がこういう問題を生んでるみたいですよー、って話です。
こうなりゃヤケなので、暇な人は友達を誘って、ばんばん聞きに来てください。
目標は350人。

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鬱 - 2003年05月13日(火)
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鬱期。
明確な理由が思い当たらないので余計ツライ。

だましだまし博論のための勉強をする。
昨日からのテーマは貴族院、特に勅選議員制度。

日本思想史に出て、いつも通りバイト。

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ひかりドライヴ - 2003年05月12日(月)
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今日の夜はひかりドライヴ。

「ひかり」っていうのは僕が創った和太鼓の曲で、
この5月末、学内公演で演奏される。
きちんとした対外向け公演で演奏されるのは2回目で、
しかも今回は自分が打ち手として参加しないという初めての体験。

自分の曲を気に入ってくれて、演奏してくれる打ち手のみんなへの感謝の気持ちと、
曲を創るときにインスピレイションを与えてくれた場所を見せたいという思いで実現したこの企画。

その場所は、川崎港付近の工業地帯。
いろんな工場があって、中でも目を奪われるのが巨大な石油精製プラント。



夜の闇に小さい光をたくさんたくさん浮ばせる、
その強烈な存在感に打たれる。
何度見ても。

僕自身もここに来たのは久しぶり。
しかも、車を降りて歩いてみたのは実は初めて。





写真を撮ってみた。
こういうのがちゃんと写るのはデジカメならでは。

上のは石油精製プラントじゃないと思うんだけど、
もう夜にもかかわらず、しゅうしゅう、ごうごうと音をたてて何かを作りだし続けていた。

下は遠景。
おそらく隣の島のプラント。
煙を絶え間なく放出し続ける。


久しぶりに来て、やっぱりここが好きだと思った。
みんなも結構喜んでくれたみたい。
気を良くしたので、おすすめスポットその2の羽田空港も回ってから帰途へ。

さおりの家を探して杉並の住宅街を彷徨い、
ケンちゃんを学校近くのガストで降ろし、
ミワちゃんとハンゾーを調布駅で降ろして(本当は家まで送るはずだったんだけど)、
23:00すぎにようやく帰宅。


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タイずみナナエ - 2003年05月10日(土)
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今日はついに、3月末から構想していた呑み会の日。
タイコさん、いずみちゃん、ナナエちゃんという
知る人ぞ知るワダイコ部愛酒家を集めて、我が家で開催。

16:00集合。
タイコさんが仕事の関係で遅れるということで、
まずは3人で軽く呑む。
発泡酒(500ml)×2、チューハイ(500ml)×2

19:00、タイコさん合流。
バーミヤンに行くはずだったんだけど、
味スタでJリーグの試合があった関係上、バカ混み。
というわけで、駅前の居酒屋で晩ご飯。
ここでビール(大瓶)×1。

コンビニで酒とつまみを補充して帰宅。
ついに本腰入れたペースになる。
発泡酒(500ml)×1、チューハイ(500ml)×1、
日本酒(750ml)×1、スパークリングワイン×1、赤ワイン×1。

酔った頭で、心理学のことや、パナ研報道の異常さや、行政のことを話す。

タイコさん2:00前に全滅。
イズミちゃん3:00頃に全滅。
4:00に復活。
入れ替わるように僕が全滅。
結果、最年●(一応伏せてみる)のナナエちゃんだけが貫徹。
素晴らしい。

5:30、3人を駅まで送って、
後かたづけをして就寝。

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味のない文体で - 2003年05月09日(金)
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7:00起床

8:30バイト

13:00ハングル

15:00科学哲学

17:30バイト

22:25帰宅

本日の実働時間:8時間30分


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沈み果てる五月 - 2003年05月07日(水)
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朝から鬱状態。

<考えられる主な理由>
・博士論文が書けそうにない
・昨日読んでいた本の内容が3割も理解できなかった
・例の、「内なる劣等感」の発現

よっぽど東北にでも逃亡してやろうかと思ったけど、
木部先生の仕事があるのでガマンして学校へ。
常識人。

学校に着いても当然鬱状態。
踏ん切ってフランス語の本を読み始めるが、
なかなか読み進められないことに苛立ち、鬱状態悪化。

自分には何もできない気がしてくる。

博士論文なんて書けない研究者になんてなれない僕は何て能無しなんだろう。

フラフラしながら先生に会いに行く。
このテーマで意義のある論文が書ける気がしません、
もうテーマ変えた方がいいでしょうか?

「もったいないから、もう少し続けてみたら?」

少し気が楽になった。
恢復のために、図書館でリサーチ。

17:20、カノジョと松屋で晩ご飯。
久方ぶりの大盛。

18:00、ブカツ。
平日練で最後までいたのいつぶりだろう。
やっぱり太鼓は楽しい。本当に楽しい。
自分に自信が持てる、自分はこの自分でいいんだと思えるのって、
もしかしたら太鼓を叩いているときだけなのかもしれない。

21:30帰宅。

・・・よかった、今日という日が丸くおさまって。

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そうめん万歳! - 2003年05月05日(月)
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ここのところすっかり暑くなってきて、
そうめんが(´〜`)ンマイ季節になりましたね。
今日の昼ご飯についにそうめん登場。
我が家のそうめんは薬味いっぱい。
ネギ、しょうが、みょうが、卵焼き、シイタケ、青じそ。
ああ、シアワセ・・・

午後からブカツに行く。
18:30帰宅。

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医者の卵→医者、就職→転●職 - 2003年05月04日(日)
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高校の親友・内坂が、無事に医師国家試験をパスし、
5月からいよいよ大宮で医者デビュー。
今日は病院を見たりするために上京してきたので、
転●職(伏せてない)が決まり人生の転機を迎えるtとともに三人で呑み会。
三人で会うのは、3月末の松本セショーン以来。

まずは、調布の焼き鳥有名店「い志井」で一次会。
珍品・牛タンの刺身を内坂が勢いで注文。
美味かった。

引き続き、我が家で二次会。
さっき呑んだ小ジョッキ一杯で真っ赤になってしまった内坂を尻目に、
tと僕は呑み続ける。
特に僕は呑み続ける。
ビール(350ml、500ml)、チューハイ(500ml、350ml)、焼酎(グラス:ロック)。
そして今日は、何故か真面目な話が7割。
イヤだわん。
二人とは何を話しても面白い。シモネタでも真面目な話でも。
両方とも独特の視点で話を展開させてくるから。
自分一人の頭の中で悶々と考えていたことを吐き出してみると、いろいろとためになる。
貴重な友人だとあらためて思った。
ただ、後半は酔っぱらいながら真面目な話してたからなんだか分かんなくなってくる。

2:00を回った辺りからさすがに思考停止。
ダラダラとしりとりやったり山手線ゲームやったり。
4:30、ついにダウン。

そういえば、呑んでる途中、半分勢いで、
年末に山手線徒歩一周(内回り)※の挙行を決定してしまった。
本当にやるのだろうか・・・?

※我々3人は、1997年12月28日深夜から29日朝にかけて、
極寒の中、山手線(外回り)を徒歩で一周する快挙を成し遂げた。
今でもある意味、3人を語る上でははずせない重要な伝説となっている。

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ゴールデンウィークの渋谷なんて人が多いことわかってたけど - 2003年05月03日(土)
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午前中〜昼、読書。
あまり進みもせず。やれやれ。

午後、渋谷でカノジョと待ち合わせ。
人が多すぎて案の定吐き気を催す。
タワーレコード行って(勢いでマイルスのCD2枚購入:魔法のカードで)、
人並みに疲れ切って、文化村の裏(穴場)でずっと座ってた。

17:20、下北沢。
ヴィレッジヴァンガードをひやかして、てんやで晩ご飯。

19:00、Round Tableライヴ。
中盤、かなり盛り上がった。
いままでのラウンドのライヴの中でも一番盛り上がったかもしれない。
最高に楽しかった。
生きててよかった、と思った。本当に。おおげさじゃなくね。
本当にいいよ、ラウンド。
みんなに聴いてもらいたい。
聴きたい人は電子メイル「ああん、ラウンドの音楽が聴きたいのぉ」係まで。

ただ、終わりにかけていまいち盛り上がらず。
特にアンコールはなんかテンション下がったまま。

でも楽しかったことに変わりはないんだけど。

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「異常」と「正常」について考えよう - 2003年05月01日(木)
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最近の午前中のワイドショー系報道番組は、
米・イラク戦争と北朝鮮関連とパナウェーヴ研究所関連で埋め尽くされている。
戦争が「終結」して以来、重点は後二者に移ってきているように思えるが、
その後二者(つまり北朝鮮とパナ研)に類似の構造が見て取れることに気付いた。

端的に言えば、「彼此隔離願望」とでも呼べるだろうか。
つまり、
此岸にいる我々一般人が、彼岸にいる人々・集団を理解不可能で「異常」なものとして取り扱うという構造である。

「木やトランシーバーにまで白い布を巻き付けてます。(不可解ですねえ。キモチワルイですねえ)」
「あの渦巻きの絵によって電磁波を逃がすというのだ。(そんなこと出来るわけないですねえ。バカですねえ。キモチワルイですねえ)」
「北朝鮮では金日成の死後91年たっても、命日には盛大な祝典が催される。(何考えてるんですかねえ。不可解ですねえ。キモチワルイですねえ)」
「これら老人律動体操・少年律動体操、あるいは健康テコンドーという一糸乱れぬ運動を行うことによって、国民は健康になれるとされているのである。(不気味ですねえ。キモチワルイですねえ。)」

(  )内はもちろん言っていないが、僕にはそう言いたがっているようにしか見えない。
これらの報道の背後にあるのは、同じスペクトル上に彼此が存在していることの拒絶である。
言い換えれば、彼はどうやっても我々のようにはならない(本質を異にしている)し、
我々はどうやっても彼のようにはならない(本質を異にしている)、という姿勢である。

しかし。
我々は葬式の時、白と黒の大きな布でいろんな所を覆う。
紙切れを布で巻いただけの「オマモリ」などという物体によって災厄を逃がそうとしている。
戦前の日本は、神武天皇という神話上の天皇の即位の日を毎年毎年盛大な祝典で祝っていた。
ラジオ体操は「国民の健康向上のために国民体操を作る」目的で作られ、今でも児童・生徒は強制的に行わされる。

3点目だけは現在の日本においては「異常」と見る人の方が多いだろうが、
その他は極めて「正常」な行動様式として行われているものだろう。
(3点目にしたって、今でも「正常」であるべきだという信念を持っているひとはいるし、
50年ちょっと時代をさかのぼれば、同じ国の人々の大多数がその信念を持って行動していた)

僕には、これらのことと、報道されるパナ研・北朝鮮の言動の間に本質的な差異を見つけ出すことができない。
彼此が決定的に隔絶されているとは到底思えない。

それなのに、キャスター諸君は、平然とした顔で、
あいつらは理解不能だ、不気味だ、キモチワルイ、我々とは根本的に違うジンシュだというオーラを発散させる。
何故こうなってしまうのか。

それはおそらく、我々の中に「正常への強迫観念」が住み着いているからなのだと思う。
我々は常に「正常」でありたい。
裏返せば「異常」と見られたくない。
「正常」でなければ社会から排斥され、生活を送れなくなる(と信じられている)からだ。

ところが、一つ問題がある。
「正常」なるものは、実は本質的に定義できないのである。
(例えば「普通の服装って何だよ!」と問いつめる子供に対して親が「普通は普通だ!」としか言い返せないように)
それは常に「異常」の補集合としてしか存在しえない、かなり曖昧なものにすぎない。
それゆえ、人々は自分が「正常」でありたいと願うことの裏返しとして、
「異常」なるものを明確にし、そこに厳然たる境界線を引くのではないか。
そうやって「異常」を囲い込み、自らが「正常」であることを確認し続けようとするのではないか。
「異常」の外にあれば、我々は「正常」である!と。

面白いことに、何が「正常」なのかについては、個々人がかなり異なった主観を持っているのに比べて、
どうやら、何が「異常」なのかについての合意の方は形成しやすいようなのである。
したがって、我々は「異常」の確定によって「正常の確信」を得る途を選びやすい。
あるいは、「異常」の確定によってのみ「正常の確信」が得られるからこそ、
「異常」についての合意が形成しやすいのかもしれない。

「異常」と「正常」の間には対話は生まれないし、したがって創造的な関係も生まれない。
「異常」と「正常」を区別するという思考方法(「彼此隔離願望」)を持ち続ける限り、
我々は「正常であることへの強迫観念」、あるいは「異常と見なされることへの恐怖」から逃れられない。
そこでは境界画定ゲームが絶えることなくくり返され、
たまたま現在の「異常」の域内に囲い込まれた人々はヒステリックに排斥され、
排斥している側も、いつ自分が排斥される側、すなわち「異常」の側に立たされるかわからないこと(すなわち未来の「異常」の影)に怯え、
自身が「正常」であることの確信を得るためにますますヒステリックに現在の「異常」を排斥する。

こんな不幸な連鎖反応はもうやめにすべきだ。

そのためにはまず一人一人が、自分とは異質なものを「異常」とみなし彼岸に置こうとする思考方法を極めて意識的に止めなければならない。
自戒を込めて。

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 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























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