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天ぷらはエンドレスに - 2003年02月28日(金)
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カノジョとデイト@新宿。
フランだのハンズだの見て回って、
晩ご飯はつな八の天ぷら。今度は高島屋店。
天丼と上天ぷら定食で葛藤し続けること10分。

ハマると同じものを食べ続ける癖は良くないと思いつつやめられない。

<参考:これまでの実績>
 昼食にあんドーナツを毎日食べ続けた(2週間)
 昼食にメロンパンを毎日食べ続けた(2週間)
 デイトに行く度に麻婆豆腐を食べ続けた(はや1年)
 4日連続で松屋の牛めしだった

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反復される主題 - 2003年02月27日(木)
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ここ3時間、

♪むー、ネーミン こっちむーーいて

という微妙にずれたフレーズが頭にこびりついて離れない。
ネーミンって誰だ。その前に「むー」っていう呼びかけは何だ。

多分疲れている。

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休めぬ日々は続き - 2003年02月26日(水)
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午前中、試験監督(助手の仕事の一環)。
ずっと『翔ぶが如く(四)』を読む。
まだ四巻。全十巻。

監督終わって、即帰宅。

車を出して、真由美と買い物。
1)家具の村内府中店
 ここ2週間で4回目。かなり詳しくなった。
 散々悩んだ末、収納を購入。マジックカードで。支払いが待ち遠しい〈×)
 3月4日に配送。待ち遠しい(○)
2)Jマート三鷹店
 まさかここに車で来ることになるとは思わなかった。学校の近くのホームセンター。
 衣装ケース、ごみ箱、押入れシート、三角コーナー、ホースなど購入。

 ちなみにJマートのJはやっぱり「純情」のJだと思うんだがみんなはどうだろう。

なんだかんだで帰ったら17:30。

それから、衣装ケースを組み立てたり、風呂釜にジャバしたり、
部屋のCDをジャンル別・アーチスト別に並べ替えたりしてたら20:30。

晩飯はカレーライス。
久しぶりに真由美が作ったものを食べた。いつぶりだろう。

23:30就寝。

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バイトなんて入れなきゃ良かった - 2003年02月25日(火)
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段ボールからモノを出してしまっていく作業に半日。
することありすぎて疲れ気味。
なのに16:30からバイト。
またセヴンのおでんを買って22:30に帰宅。
また家族3人で酒盛りして就寝。

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あっけなく引っ越し - 2003年02月24日(月)
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いよいよ引っ越し当日。あいにく雨。やがて雪。そして雪解け(×)

午前中、車を出して荷物を運んだり、
眞由美をクリーニング屋に連れていったり。
駐車場に車を戻して、今度は自転車で新居へ。

昨日買って部屋に放置したままだった棚の組み立てを始める。
意外と大物で、難しくはないんだけど時間がかかる。

そうこうしているうちにバイトの時間。
新しい通学路を意気揚々と学校へ。
22:00までバイト。
家近くのセヴンイレヴンでおでんを買って帰る。

引っ越しは済んでいて、リヴィングにソファも来ていた。

家族で飲んで、就寝。

思ったより新居で当たり前のように暮らしている自分に驚く。

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盛りだくさん過ぎてフォーカスが絞れない - 2003年02月23日(日)
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今日も丸一日引っ越し準備。

引っ越し先は結構近いので、車で電子機器や向こうに行ってすぐ使うモノなどを運ぶ。
真由美は仕事なので、修一と二人。
家と新居を2往復して、コンポやパソコンなどを運ぶ。
3回目は、お売りいただける本〈52冊)をダンボールに詰め込んでブックオフへ。
初めての売却体験。あっけなく終了。

 52冊→710円+100円分のサーヴィス券

10冊くらい値がつかなかった。
「南国少年パ●ワくん」に値がつかなかった。
「こち亀」と「アウターゾーン」には悪くない値がついた。

これでまた本が買えるぞー!(×)

ラーメン食べて、まだまだ放浪の旅は続く。
1)ユニディ狛江店。
 修一が注文しておいた表札を受け取りに行く。
 コンポを乗せるブロックの購入を検討するも、直前で見送り。
2)家具の村内府中店。
 修一が本棚を買いに行く。
 構想にかなう棚〈マガジンラック〉を見つけるも、大きさに不安。
 座りごこち良好な座椅子を見つけるも、大きさに不安。
3)というわけで新居へ戻って確認。
 さっきの棚は、あつらえたようにぎりぎりのサイズ。
 決心した。
4)再び家具の村内府中店。
 意を決して、一気に購入。もちろん魔法のカード。
 棚;16800円、座椅子;7800円

で、ようやく家に戻る。

晩飯、誕生日祝いということで、僕希望の天婦羅@新宿つな八。
http://www.tunahachi.co.jp/
行列のできる新宿の超有名店。

美味かった。
衣はサク、ネタはシト。素晴らしい。
穴子の一本揚げが圧巻であった。
それに、セットでついてくるシジミの味噌汁が絶品。
昨日の夜飲んだ松屋の〈以下略)
あたりまえか。比較するもんじゃないか。ボンズと少年野球比べるみたいなもんか。

天婦羅が美味いと思える年齢になったんだなあ、とふと思う。

真由美、「こんなの家じゃ作れない」を連発。
分かっておる。
家でみんな作れたら金払って食べに来ないって。


一日中動きつづけてヘトヘトになったので、
家帰って、風呂入って、即寝。

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24は約数が多い - 2003年02月22日(土)
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試験がようやく終わったので、
今日から引っ越し準備。
部屋の荷物をダンボール詰め。

16:30からバイト。

疲れた。


あ、そういえば誕生日。
ついに24歳です。
24って約数が異様に多い。
1、2、3、4、6、8、12、24。
だからどうした。

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大著の思わぬ効用 - 2003年02月21日(金)
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入試2日目。面接。

今日はもともと休みの日なので学校に行く用事はないんだけど、
家にいてもしまらないし、何より家は2日後の引越しを前にして、
ダンボールに埋もれているので、ほとんど座れるところもなく。
というわけで早くから学校。

往生際が悪いので、この期に及んで修論を読み返してみたり。
あるいは、昨日バイト中に作った想定問答集をめくってみたり。

12:00、極力いつもどおりの生活をしようとすまいるパンへ。
あと、朝カノジョからもらったミスタードーナツのカレーパンも食べる。

12:40、所定のたむろポイントにいたドクターのお姉様方に出陣宣言。

13:00、面接開始。
6対1の予想だったが、5対1。
修論審査委員と、あとお二人。
メンバーはほぼ予想通り。

先生が司会役でスタート。

 「じゃあ、私たち三人(審査委員の三先生)はもうすでにあなたの修士論文を読みましたが、こちらのお二方はお読みでないので、ここでどのようなことを書いたのかを簡潔に述べ、また博士論文の計画についても簡潔にお教えください。」

この先生の言葉を聞いて、心の中でガッツポーズ。
やった!本文212枚書いたのが奏効して、読まれてない!〈笑)
読まれてないなら、突っ込まれようがないし、
よもや突っ込まれても、絶対にこっちのほうが優位に立てる。
ここでかなり気楽になった。

面接は、先生とタカシ先生からの質疑とそれに対する応答を中心に展開。
博士論文の計画のほうも、前に先生とご相談したことがあったので、
質問をされても比較的余裕。

そして、今回も一番困ったのはやはりチバ先生〈笑)

 チ「博士論文のテーマは戦前の高等官ということですが、高等官制度と公共性の関係性は・・・」
 チ「その日本官僚制の伝統とは果たして徳川幕藩体制から来たものなのか、プロシア産のものなのか、はたまた・・・」

ただ、今回はそれほどしどろもどろ大会にはならず。

しめて40分。
さしたる失点もなかったと思います。
多分大丈夫でしょう。きっと大丈夫なはず。

これで、ようやく肩の荷が下りた。
あとは3月6日の修論発表会を残すのみ。
それが終われば、晴れて卒業!


そして入学〈予定)

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トクヴィルの呪縛 - 2003年02月20日(木)
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朝一で学校。

木部先生の仕事、ラスト。
祝!今学期は大きなミスの無いまま終わりました!
木部先生の助手を初めて5学期。
長い道のりだった・・・

で、仕事終えて勉強部屋に帰ると、
案の定、「オエッ」という音が響く木曜の朝。
こういう中途半端な空き時間がよくない。

13:00、ついに試験(英語)。

ウチの研究科の博士課程受験者は僕ひとりということは、
事前に郵便で送られてきた入試スケジュールで分かってたんだけど、
実際に、机がポツンと一つだけ置かれた試験会場の画は圧巻。
ほとんどコント。社会学の創始者。
それはオーギュスト・コントだろ。はいオチました。

問題は、A4の用紙2枚分の英文を2時間で和訳するもの。
さっと目を通してみると、よかった、それほど難しくない。
正攻法で最初から訳していく。比較的順調。
2枚目突入。
と、

 Alexis de Tocqueville says, "フランス語."

・・・ってオイ!
これは英語の試験だろ!
確かにjeudi jauneではフランス語できるフリしてたけど、
辞書なしでスラスラ読み書きできるほどできましぇーん(武田鉄矢風に)。

仕方ないから、分かる単語と前後の文脈を頼りに推測で訳す。
勘弁しれ。
でもまあ、それ以外の所はおおむね把握できたから、多分大丈夫でしょう。

試験は2時間で無事終了。
その後、会う人会う人にトクヴィルの話をする。

16:30からバイト。
入試中なのに全然普通に22:30(試験期開館なので、上がりが2時間半遅い)まで働いているあなたが好きです。

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オエッ - 2003年02月19日(水)
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そんなこんなで早くも入試前日。

なんか、修士課程の時に比べたら全然緊張感が薄かったんだけど、
ここにきてやっぱり吐き気がしてくる。
 ※注:僕は緊張すると「オエッ」とくるシクミです

終日真面目に勉強。
単語覚え、論文読み。

で、口頭試問後(1月29日)からの19日間で読んだ論文数、

 16

目標の「2日に1本」を遥かに上回る好記録。
スゴイじゃん。やればできる!

・・・しかしそんなことは大した自信にはつながらず、
久しぶりに眠れぬ夜に。
真っ暗な我が家に、「オエッ」という音だけが響く真夜中。

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ヒッコソ - 2003年02月16日(日)
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午前中は、試験のための英語暗記。
受験生に戻ったみたい。
って言っても僕の「受験生」時代は中3だからもう●年前ネ。

午後、家族で出かける。
1)引っ越し先のご近所に挨拶回り
 →3軒中1軒しかおらず
2)新居へ
 →あちこちの幅、高さを計測しまくる
3)国道沿いのラーメン屋で昼食
 →壮絶に濃い味の和歌山ラーメンにTKO
4)家具の村内府中店にて家具の物色
 →リビング用ソファ、修一用折り畳みベッド購入
5)ユニディ狛江店にて収納用品等の物色
 →業務用寸胴ナベ(165リッター)に驚愕
6)島忠府中店にて家具の物色
 →食器棚、僕用CD収納ボックス(×4)購入
7)サランバン
 →骨付きカルビ3、上タン塩2、レバ1、チヂミ1、テールスープ1、ライス(小)3、ビール2

 <発見>
 テールスープに、別に頼んだライスを入れて食べると美味い。
 不味いわけがない。
 クッパを頼むよりもよい。

8)帰宅
 →21:30。結局一日費やした。

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土曜の夜は呆然さ - 2003年02月15日(土)
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突然ですが、博士課程入試の科目は、
英語と面接。

僕の修士論文は日本官僚制がテーマだったため、
ほとんどと言っていいほど英語の文献に当たる必要は無し。
英語を読まされる授業は春学期、つまり去年の4〜6月以来履修って無し。

 =英語がヤバイ

・・・というわけで、2月は荒療治月間と決めていたのです。
口頭試問が終わった次の日、図書館に行って、
行政学関係の英語の雑誌をかたぱしから眺め、
興味のある論文をかたぱしからコピーし、
勉強部屋の壁に

 英語論文、2日に1本読む

と書いた付箋を貼ったのでした。


何でこんなことを書いたかというと、
この日は1本の論文を読むのに丸一日かかってしまったからです。
自分の英語力の低さに呆然とする土曜の夜。

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バレンタインといえば - 2003年02月14日(金)
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みなさん、バレンタインといえばもちろん

 麻婆豆腐

ですよね!

というわけで、どこからどうみても一般的なカップルである僕たちも、
立川の陳健一麻婆豆腐店に行ってきました。
久々の麻婆豆腐、そして杏仁豆腐に感激。
おまけに、旧正月限定の水餃子(ゴマだれでいただく)も注文。

ついでに寄ったコムサイズムでフラフラとジャケットを購入。
久しぶりに自腹で洋服買った(笑)
しかも魔法のカードで。

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♪今日は何の日 フッフー - 2003年02月11日(火)
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引っ越しに備えて、半日部屋の整理。
懐かしいものが一杯出てきて、時間がかかる。
かわいかった頃の自分の写真発掘。
すごいカワイイ。自分で言うのもアレだけど。
ただ、当時から左目が二重で右目が一重っていうのは変わらないらしい。
当たり前か。

夕方、久々に運転してブクオフへ。

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<今日の建国記念の日>

ところで、昨日tとタイ料理を食べながら、
「建国記念日って何の日?」という話になった。
その時はうろ覚えでtに教えたんだけど、
家に帰って調べてみたら、だいたい合ってた。

これは、戦前に「紀元節」と呼ばれていた日で、
神武天皇が即位した日。

ちなみに神武天皇ってのは、実在した人物ではありません。
記紀が生み出した神話上の人物です。
このことについては歴史学者の間で論争の余地は全くないそうです。
大日本帝国は、その神話上の天皇の神話上の「即位」の日を、
「天皇を中心とした神の国」という一大フィクションを支えるための
いわば精神的支柱として、重大な日に設定したわけです。

紀元節が設定されたのは明治5年11月。
翌6年3月には「太政官布告」によって祝日となり、
毎年この日には、「臣民」がこぞって「奉祝大会」なるものを行ってきました。
しかし太平洋戦争の終結により、紀元節は、
天皇制神話を支える象徴として当然廃止となったのです。

ところが、いつの時代にも過去へのノスタルジイを捨てられない方々が居るようです。
1957年2月27日の衆議院内閣委員会に、
議員提出法案として祝日法改正法が付託され、
3月5日に小川半次衆議院議員による以下の趣旨説明が行われています。

------
○小川半次君 ただいま議題となりました、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案の趣旨について御説明申し上げます。
 この法律は、昭和二十三年七月、芦田内閣の時代に制定せられたものであります。この法律の制定に先立って、同年一月、政府は総理庁審議室に命じて、世論調査を行いましたが、その結果、第一位は新年で九九・九%、第二位天皇誕生の日八六・七%、第三位建国の記念日八一・三%、第四位お盆八〇・一%、第五位平和を記念する日七一・八%、など約三十に及ぶ候補日があげられたのであります。この世論調査とほとんど時を同じうして、時事通信社でも世論調査を行なっております。これらの世論調査の結果に基いて、国会の両院文化委員会は、各方面の資料をできるだけだけ多く集め、また専門家の意見などを聞き、約半歳にわたって慎重審議を重ねて、現行の祝日が決定されたのでありますが、その際一番問題になったのは、建国の記念日で、その日をいつにするかということでありました。結局、二月十一日を建国記念日とすることに、両院文化委員会で多数が賛成せられのでありますが、当時占領軍当局の強い反対があって、遂に建国の記念日は国民の圧倒的支持があったにもかかわらず、保留のやむなきに至ったのでありました。講和条約成立後、独立いたしました後におきまして、再び建国の記念日を祝日に加えるべきだとの声がほうはいとして起って参りました。昭和二十七年四月には、読売新聞社で紀元節復活についての世論調査が行われ、賛成六三・七%、反対八・六%という結果を見たのであります。また二十九年の一月と二月の二回にわたって、NHK放送文化研究所で行なった世論調査では、紀元節復活の賛成者は八四・五%、八七・四%、反対六・一%、 四・五%となり、二月十一日がよいという者が七四・二%、七三・三%という圧倒的な支持を得たのであります。一方、国民の盛り上る紀元節奉祝国民大会は、二十九年以来引続き行われ、年とともにその参加者は激増し、本年のごときは各地において、奉祝大会が盛大に行われたのであります。この国民の世論を尊重して、二月十一日を建国の記念日として、国民こぞってお祝いする国民の祝日に追加したいと思うのであります。
 次に、二月十一日を選んだ根拠としては、我国の正史である日本書紀、巻三に、「辛酉春正月、庚辰朔天皇橿原宮に即位、是年を天皇元年となす」と明記されており、また明治に至りわが国が維持を断行し、近代国家としての体制を確立した際、すなわち明治五年十一月、神武天皇即位の年を日本紀元元年として、日本紀元を定められたことによるものであります。翌六年三月、紀元節が国の祝祭日として決定せられ、神武天皇即位の日を太陽暦に換算した二月十一日をもって、この日に当てられたのであります。
 この二月十一日は、正史の記載によれば、神武天皇が高千穂宮を出て東征せられ、各地を平定して大和に入られ、古代国家を建設し、橿原の宮において即位せられた日であって、建国の日とするには最もふさわしい日であります。さらに、明治以降・大正、昭和の三代にわたり、すでに七十余年の長い間、国家の三大節の一つである紀元節として、国をあげて祝われてきた伝統と抜きがたい国民の愛着とを持つ日であって、この日を生かすことが民意にこたえるゆえんであると存じます。
 独立後、物質的方面の復興は著しいものがありますが、真の祖国復興は、国民精神の覚醒、伝統の恢弘によらねばなりません。日本人が真に日本人としての自覚を持つことこそが、喫緊の要務であり、この意味においても建国記念日を祝日とすることはきわめて意義深いものと存じます。
 以上をもって本法案の趣旨の説明といたします。
------

この趣旨説明は、非常に勉強になりました。
1)紀元節復活構想自体は1948年からすでにあったが、GHQの意向によって流産させられた(らしい)。
2)紀元節の復活に対しては、少なくとも昭和20年代には圧倒的な国民の支持があった(という統計がある)。
3)2月11日という日付は、ご丁寧にもちゃんと太陰暦から太陽暦に変換されている。

それにしても、

「独立後、物質的方面の復興は著しいものがありますが、真の祖国復興は、国民精神の覚醒、伝統の恢弘によらねばなりません。日本人が真に日本人としての自覚を持つことこそが、喫緊の要務であり、この意味においても建国記念日を祝日とすることはきわめて意義深いものと存じます」

という結びは、「いかにも右寄りの主張」という感じで滑稽ですね。
論理性というものがどこにも感じられない。
ま、結局こういうことを声高に主張する人に論理はないわけですが。

特に「国民精神の覚醒、伝統の恢弘」っていうあたりに、
戦前の「国民精神総動員運動」のスローガンみたいな響きが感じられて、
ぞっとするのは僕だけでしょうか。

紀元節を祝日とすることと、
「日本人が真に日本人としての自覚を持つこと」にどんな関係があるのでしょうかね?
有りもしない神話上の日を持ち上げて、
お気楽に日の丸をハタハタさせて束の間の(それもフィクショナルな)一体感を持つことが、
「真の祖国復興」のために本当に必要なことなんでしょうかね?

・・・これ以降の国会の審議もすごく面白いんだけど、
めちゃくちゃ長くなるので残念ながら割愛。

ともかく結果だけいえば、
侃々諤々の議論の末、ようやく1966年(つまり9年後)に祝日法が改正され、
紀元節は「建国記念の日」として見事に復活しました。

 >>>>>>>>
 ※後記 (2003.2.9 22:21)
 もう少し調べてみたところ、この上の段落は少し正確さを欠いています。
 国会を通過した祝日法改正法には、建国記念の日は「別に政令で定める」としか書かれていません。
 その「政令」は1966年の12月9日に制定されており、
 その内容は以下の通りです。
  
 ◆建国記念の日となる日を定める政令
  (昭和四十一年十二月九日政令第三百七十六号)

  内閣は、国民の祝日に関する法律 (昭和二十三年法律第百七十八号)第二条 の規定に基づき、この政令を制定する。

  国民の祝日に関する法律第二条 に規定する建国記念の日は、二月十一日とする。

  附則
  この政令は、公布の日から施行する。

 というわけで、国会を通さない「政令」という法形式によって、
 建国記念日は紀元節の日、すなわち2月11日に決められたのでありました。
 >>>>>>>>

こうして僕たちは、今でも神話上の天皇がご即位奉られた日をめでたくお祝いしているわけです。

なんか、かなりアヤシイ感じがしますね、この祝日。
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タカシ先生&隆志 - 2003年02月10日(月)
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タカシ先生の課外授業で人事院に行くというので、便乗。
久しぶりの人事院。
内容は、幹部のOさんによる公務員制度の概略に関するレクチャ&質疑応答。
2時間20分ほど。

終わって、新宿に出る。
最近たまり気味のtと晩飯@サブナードのタイ料理屋。
 グリーンカレー
 パイナップルチャーハン
 野菜炒め
 豚肉の薄切りを野菜で巻いて食べるやつ
 ビール

となりに座ったオッサン、
対して知識もないのに博識ぶっているタイプ。
連れの女性もそれにいちいち感心するのがいけない。


しばらく新宿をウロウロして、帰宅。

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de'ontologie - 2003年02月09日(日)
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午後から新宿に出かける。
紀伊国屋とハンズとフラン。
南口完結型。
とてもじゃないけど他に回る気力がなかった。

紀伊国屋へは仏語の本を買いに。
そろそろ1冊くらいかって勉強しようかと。
 Jean-Pierre Didier "Le de'ontologie de l'administration"
なんとなく行政関係の新書だということは分かって手に取ったものの、
デオントロジっていう単語を知らなかったので、辞書を立ち読み(笑)
「職業倫理」だって。なるほどね。
ということで購入。

あと、フーコーかルソーの原書を一冊買おうかとも思ったんだけど、
どうせこの新書に軽く1ヶ月はかかるはずだからまた今度。


ついでにハンズへ。
引っ越しが近づいてきたので、家具やらなんやらをいろいろ見る。


さすがアルタのお膝元。タモさんの数が違う(@東急ハンズ)


フランへ。
ここでも家具やらなんやら。


あまりの人の多さにくたびれ果てたので帰宅。
といいつつ調布パルコに立ち寄る。
やっぱり調布パルコは落ち着くなあ(´ε`)


予兆


ligne de centre

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jeudi jauneの×××××× - 2003年02月06日(木)
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朝7:00に起きて、長年使っていた衣装タンスを粗大ゴミに出す。
そして、することもないので早めに学校へ。

木部先生の仕事をして、午前中は読書&うたた寝。

昼間、臨時仕事を1時間ばかり。

午後も読書。
 司馬遼太郎『翔ぶが如く(一)』
全十巻。先は長い・・・

18:00、jeudi jauneコンセール(フランス語読み)準備。
イスを並べたり、受付したり。
18:30に開演。
後ろでヴィデオ操作しつつ見ていたんだけど、かなり緊張。
なんてったって音楽科の重鎮、カナザワ先生がお越しに(笑)

だいぶ落ち着いてきた後半は、次の展開を考えながら見る。
●●●●とか××××××とか・・・
ああ、楽しみだ。

 (●●●●=民主主義 ××××××=共産主義革命)

ライヴは、想像だにしなかったアンコールもあり、
50分ほどで終了しました。
来てくださった皆様、ありがとうございました。

個人的には、今後は詞の題材を拡げていければと思っています。
社会風刺とか。
ごめんウソ。

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暇なのは夜間だけ - 2003年02月05日(水)
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今日は朝一のバイト。
意気込んで10分前(8:20)に到着。

それにしても、午前中や昼間は、結構仕事があるもんだなあ。
夜間が暇だというのをこの2日で思い知った。

今日は12:00まで。
そのあと、臨時で引き受けている仕事をちょちょっとこなす。

太鼓の練習して、木部先生の仕事して、
先生の授業。

授業後、先生に呼ばれて、オフィスで修論について20分ばかり話す。

臨時仕事を少しやってから帰宅。

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勤労青年 - 2003年02月04日(火)
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図書館バイト、8時間。
なんか就職した気分。

というわけでネタはなし。

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ちょっと不謹慎に - 2003年02月03日(月)
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校舎にスプレー落書き 近くの民家2軒にも 滋賀 (毎日新聞)
2003年2月2日(日)

 校舎保存問題が町長リコール投票に発展した滋賀県豊郷(とよさと)町の町立豊郷小校舎の正面玄関など十数カ所に、黄色のスプレーで落書きされているのが、2日までに見つかった。学校周辺の民家2軒などにも同様の被害があり、県警彦根署は器物損壊容疑で調べている。

 調べでは、正面玄関壁に約40センチ四方の大きさで「バカ」と書かれ、玄関と廊下の窓ガラスにも線が引かれていた。体育館や仮設校舎の渡り廊下などにも文字や線が書かれていた。1日午後3時〜3時半ごろ、学校北側に止めていた乗用車や近くの民家2軒でも同様の落書きが見つかっている。
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ぎゃはははは。
笑い事じゃないのかもしれないけど。

「バカ」って・・・

もうちょっと気の利いたこと書けないのかね。
というわけで、

<町立豊郷小学校の十数カ所に書かれていたら面白い落書き(案)>

「町長参上」

お前が犯人かよ!

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本を18冊買うならブックオフ - 2003年02月02日(日)
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夜、専属運転手(松谷)を電話で呼び出し。
ブックオフ3軒回る。

あれよあれよという間に18冊購入。2000円。

家にたどり着いて、本で一杯の3つの黄色い袋を冷静に見て、
さすがに事の重大さに気付く。

 ・・・俺は買いすぎたのではないか?


誰か教えてくれ、俺は買いすぎたのか?

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猫のオシッコのような - 2003年02月01日(土)
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もう2月か。

午前中、ブカツへ。
終了後すぐ帰宅。
家でパソコンなど。

16:00に外出。
今日は新宿で飲み会。
しかしまず、渋谷周りで原宿のブクオフへ。
人が猛烈に多くて、たどり着くまでにイライラ度6500%。
イライラしてたので、いつもは笑いの種になる、
店員の「いらっしゃいませこんにちわー」にもイライラする。
黙れ!
でも1時間くらいウロウロして5冊購入。

人が多すぎてヘロヘロ。
なんとか原宿駅へ戻る。
そして、ちょうど来ていた内回りの山手線に飛び乗る。
・・・ん?

 新宿

  代々木
 
    原宿
     
      渋谷

はい、ブー。
逆方向の電車に乗る間違いって、久しぶり。

多分、来るとき渋谷から外回りを利用したため、
「帰る=来た時と逆方向に行く電車に乗る」という思考があり、
それがホームにちょうど電車が来ていたという急迫状況とあいまって、
「これから新宿だから外回りの電車に乗るべき」という正常な思考を妨げ、ついに内回りに乗車してしまったと考えられるのである。
(以上特命リサーチ風に音読されよ)

泣く泣く渋谷で下車&反対側のホームへ。屈辱。

というわけで約束の18:00ぎりぎりに新宿駅東口到着。
ナカジマが先にいて、ブチョウは遅刻。
大学院のことなど話ながら待つ。
15分遅れでブチョウ登場。
歌舞伎町のなんだかわからない「テーマパークレストラン」へ。
ピザなんかは普通においしかったけど、演出が中途半端。
我々が行ったのはイタリアンセクションだったんだけど、
その他にも、中華セクションと和食セクション有り。
中華セクションのウェイトレスの制服は、スリット入りのチャイナドレス。
・・・あっちがよかった。

ピザとスパゲテイを食べていると、仕事上がりのテツが登場。
テツといえば電卓のようなデカい変な携帯を持っていることでその名を轟かせていたが、
今回、敢えなくノーマルな携帯に機種変して登場。

2時間で店を出て、二軒目。
コムサ隣の「ワインバー」へ。
チリワインをボトルで。
4人で飲む。

ワインを運んできたウエイターさん

 「テイスティングはいかがなされますか?」

経験したことのない展開にかなりテンパる。テ、テ、テイスチング?

 ナカジマ「ああ、お願いします。じゃあ、しょうくんお願い」

は?
テイスティングって何するの?・・・テイストするのか。テイストってなんだ。それって強えのか。だいたいナカジマよ、なぜ俺に振る。
とかなんとか思っている間にウエイターさんは僕のグラスに真っ赤なワインを注ぐ。

これはネタなのか?ネタフリなのか?俺は面白いことをしなきゃいけないのか?ああこういうとき田崎真也はなんて言ってたかな?田崎真珠?それは関係ないな。ワタシの血はワインでできてるの・・・そりゃ川島なお美だ。ナオミヨー・・・それはTBCだ。関係ないし古い。猫のオシッコのような酸味とか言ったかな、雨の日に散歩させたレトリーバーのような匂いとか・・・だいたいなんでワインを犬猫に例えようとするのか・・・おい待て、猫のオシッコ飲んだことあんのか?


<結果的に発せられた言葉>
「あ、おいしいですよ」


あまりの凡庸さに自分でも呆れる。
せめて「うーん、猫の額のような狭さですね」とか言っておけばよかった。
あの極限状況ではとてもそんな気の利いたフレーズは出ず。

23:00くらいまで楽しく飲んだ。
そして4000円が消えた。

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 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























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