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ブュオー - 2003年01月29日(水)
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午前中、自転車で学校近くのサトームセンへ。
当然、例の音楽がエンドレスで流れている。

 ♪確かめよう 見つけよう 素敵なsomething
  あなたの近所の秋葉原 サトームセン (ブュオー)

あの「ブュオー」って音はすごい。
いくら本物のチーターが目の前30cmを通り過ぎたとしても、
多分あんな音はしないはずだ。

パナソニックの携帯ラディオ購入。
壊れかけのラディオ(徳永英明)。
これからはの登下校中のBGMは、ラジオとMDの二本柱で。


夜、めちゃくちゃ寒かった。寒いなんてもんじゃなかった。
思わず家に帰る意欲が削がれるくらいの寒さだった。
でも帰らなきゃ仕方ないので、気力を振り絞る。

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コートシモーヌ - 2003年01月28日(火)
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今日はコートシモーヌ(co^te simonne)。
フランス語で「シナモンの海岸」という意味のお菓子。
嘘。
口頭試問。

+++++++
そういえばかなり昔の、ワダイコ部の先輩と僕の会話。

先「ねえ、フランス語で農民ってなんて言うか知ってる?」
sjo k.「いや、知らないです」
先「monper tou quoi」
sjo k.「は?」
先「モンペトゥクワ」
sjo k.「・・・もんぺと鍬?」
先「ははは。よく気付いたね。じゃあたい焼きはなんて言うか知ってる?」
sjo k.「いや、知らないです」
先「shuppot mouder un」
sjo k.「は?」
先「シュッポモデアン」
sjo k.「・・・しっぽまで餡?」
先「ははは。よく気付いたね」
+++++++

ともあれ、一日中落ち着かない。
木部先生の仕事をしてても落ち着かない。
キャレルに戻っても落ち着かない。
もう一度修論を読み直してみようかとも思ったが、
どうせ212ページもあと3時間くらいで読めるわけがないと諦める。
とにかく落ち着かない。
意味もなく部屋を歩き回ってみたり。
ランチをカノジョと食べる。この時だけはシモーヌのことを忘れる。
しかしカノジョが授業に行ってしまうとまた落ち着かなくなる。
いまさらジタバタしてもしょうがないので、昼寝する。

14:50、いよいよ口頭試問@先生のオフィス。
目の前には先生(1st)、タカシ先生(2nd)、チバ先生(3rd)。

先生「じゃあ、まず10分くらいで、君の修論のテーマ、選定理由、内容、それからどういうところが論文のメリット、貢献だと思うか話してください」

ここは完璧、予想通り。
頭の中で描いた筋書にそって話す。

続いて各先生からの質問タイム。
困ったのはチバ先生(西洋政治思想史)の質問。

チ「日本の政治文化と、「キャリア」システムはどのような関係にあるとお考えでしょうか?」

予想だにせず。
あまりに予想していなかった質問だったので、しどろもどろ大会。
何言ってるんだか分からない間に終了。

タカシ先生の質問は、さすがに専門なのである程度予想が付くものだったし、
なによりタカシ先生とはちょくちょく雑談に近い口頭試問みたいなものを
1学期に1回はやってるから、余裕と言えば余裕。

先生は、ほとんど質問をされず。
よい論文だった(!)というお褒めと、事実誤認箇所2カ所の指摘。
あと、やり残したのではないかと思われる部分の指摘。
その部分については、実は自分でも自覚していて、
でも資料の制約などで到底書けないと捨象したところだったので、
正直に、今回は諦めて何も盛り込みませんでしたと答える。

何よりも、先生が論文を評価してくださったのが嬉しく、
顔が緩むのを必死でこらえていた。
書いた甲斐があった。

その後は、質問→回答という流れが崩れ、
知恵の出し合いというか、雑談みたいな展開に。
そして、1時間経過したところで、先生が強制ストップ。
あと1時間続いても大丈夫だったね。
今日の午前中あんなに緊張してたのが嘘みたい(笑)

ともかく、終了!
やったね。

16:30からバイト。

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今日の性格診断 - 2003年01月27日(月)
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http://www.jmrlsi.co.jp/cgi-bin/ego/diagform.pl
ここの性格診断をやってみました。

<結果>
かんしゃく玉タイプ

困ったことにあなたは「かんしゃく玉」タイプです。このタイプの人はきまじめすぎるために心配性不安に飲み込まれやすいという性質を持っています。曲がったことが嫌いな常識人で、規則や規範を大切にし、それからはずれることはありません。何事も厳しい批判力、強い責任感で見てしまうために、イライラしがちです。イライラが高じて過食にはしることもしばしばあります。 追求の姿勢から対人関係においても相手の立場を考えることができず、ついつい攻撃的な態度をとってしまいます。一方で「人によく思われたい」という気持ちも強いために、心のなかはいつももやもや。しばらく抑制された感情をためこんでいるうちに結局は大爆発!そのときにはもう、だれかれかまわず罵倒してしまいます。そのため周囲からは怖がられることも・・・。このタイプは本当は自分に自信がなくさみしがりやで臆病です。弱い自分を隠すために、他人からはずれてでも「強い個人」を演出し、そんな自分を誰かに認めて欲しい、理解して欲しいと思っています


ギャハハ・・・大筋で当たってるよ・・・
(ちなみに太字にしたところが自分でその通りと思うところ)

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ぼくらの理想と現実 - 2003年01月25日(土)
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<理想>
さあ、いよいよ28日は修論最終試験(口頭試問)!!
今週末は目一杯勉強するぞ!!

<現実>
調子悪かったパソコンを初期化
コタツで3回もウトウト
家の周りを1時間散歩
コタツでもう1回ウトウト


最悪。
ようやく夕方から概要説明の原案を作成。

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アマルティア・センと千尋の神隠し - 2003年01月24日(金)
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jeudi jauneの練習とミーチング。
ぼちぼち曲順のことを決め始めたり。
○○が××で□□・・・
秘密。

夜、TVでやってた「千と千尋の神隠し」をついに見る。
そういえば俺、「もののけ姫」も見てない・・・

+++++++
「千と千尋」、面白かった。
ところどころ展開が強引な気もしたけど。

ハクだったっていう発想は面白いね。
(ネタバレですので、見たい方はマウスで反転させてね)
千尋がそれに気付いたシーンで泣いた。
涙もろい自分、再発見。

あと、一連の出来事が千尋個人の夢だったのか、それとも家族全体が巻き込まれた幻だったのか、
結局ラストで曖昧なままにしたのがよかった。
ああいう他界系の話って、
最終的にはどこに現世と他界の境界をひくかが重要で、
それをうまくやらないと、ベタな夢オチみたいになっちゃう。

名前現世と他界の架け橋になっているというモチーフは、
『はてしない物語』を思い出させる。

なんでこんな真面目なコメントしたのか。
+++++++

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スープ3リッター - 2003年01月22日(水)
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11:00前に学校。
今日から木部先生が、「平和の諸問題」という一般教養の授業を4回担当。
というわけで配布物作成&配布という仕事が。

仕事終えて、部屋に戻って英論文読む。
進まない。
自分の能力の足りなさに情けなくなってきて無性に凹む。


夜、修論提出お疲れさまパーティを行政学専攻の方たちと。
@サランバン。
飲んで、食べた。食べまくった。お腹一杯。美味かった。
特に、初めて頼んだテールスープ(1000円)、絶品。
3リッターくらい飲みたい。

<二大死ぬほど食べたいもの>
・陳健一麻婆豆腐店の杏仁豆腐
・サランバンの牛テールスープ

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? - 2003年01月21日(火)
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朝、パソコンを立ち上げたら、

 「?」

マックユーザーにしかわからない、この焦り。

いろいろ修復を試みるも、効果なし。
結局仕事に行かなければならない時間になったので、放置。
最近調子悪かったんだよなあ、ずっと。

12:00、カノジョとランチ。
13:00、タカシ先生のオフィス。2時間近く話す。

そして自転車で吉祥寺へ。
CD2枚購入。
 ○Round Table feat.NINO「New World」
  いつまで経っても音源を出してくれないラウンドテーブルの、
  別ボーカルを立てたアニメ主題歌シリーズ第二弾。
  収録の2曲、どちらもいい曲。
  だからこそ、いいかげんラウンド単独名義の音源が聴きたい。
  特にタイトル曲「New World」は、北川さんが歌ったらさぞかしカッコイイだろう・・・
  歌詞カードの下には「Round Table feat.NINO、待望のフルアルバム4月下旬発売」。
  残念。
 ○ザ・シロップ「愛のシビレ」
  ヴィレッジヴァンガードでよくかかっていた、ザ・シロップのセカンドアルバム。
  16曲入りで2000円。
  安すぎ!と思ったら8曲は短いつなぎ。

16:30からバイト。

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『死刑執行人の苦悩』 - 2003年01月20日(月)
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バイト中に読んだ、大塚公子『死刑執行人の苦悩』のせいで、
ずーーーーっと死刑制度のことを考える。

この本は、薄いし、読みやすいので、お暇があるときにぜひどうぞ。
「死刑の執行のために実際に手を下している人が必ずいる」という、
当たり前だけど、あまり考えもしなかった事実が明らかにされていて、
死刑制度を考える上での重要な前提の一つになると思います。
(ちなみに「死刑執行人」「死刑執行官」などという職業は当然無く、
刑務所や拘置所、留置所などで一般に矯正という仕事に当たる
「刑務官」という職業の公務員たちが、それに当たっています)

ちなみに、考えたことを書き始めるとまた長文になるし、時間もかかるし、
何よりあんまりまとまらないような気がするので、
今はここに書くことはしません。
ただ、一つだけ言えることは、僕はやはり死刑制度を支持するということです。

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ラーメンをあきらめて - 2003年01月19日(日)
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カノジョとデイト@池袋。
結構早めに集合。
まずジュンク堂へ。
上から下へ見ていこうと目論むも、9階(最上階)ですでに40分。
12:30頃になって、カノジョが空腹を訴え始めたので、残念ながら5階で離脱。

そもそもなんで池袋までわざわざ来たかというと、
縁や(http://r.gnavi.co.jp/g067020/)というラーメン屋目当て。

よくTVで紹介される店だし、
池袋のこの店は最近できたばかりだから、まあ混んでるだろうな、と思ってたけど、
実際着いてみると、

ずらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

っと並んでいた。
想像の8倍は並んでいた。
最後尾は階段の上に消えていた。
完全に萎えた。
なぜみんなたかがラーメンを食べるのにあんなに並ぶ気になるのか。

仕方ないので階下でたまたまやっていた北海道物産展に行き、
お約束の森駅のいかめしを購入。


その後は、東武だの西武だのビックカメラだのをウロウロ。
普通のデイトに。
ようやく池袋で自分の位置と方向感覚がつかめるようになった。
めったに来ないからね、ここ。


実は、15:30頃、もしかしたら空いたかな、と思ってもう一度ラーメン屋の前へ。

結果
ずらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


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『昭和天皇の終戦史』 - 2003年01月17日(金)
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今日は、授業も木部先生の仕事もバイトもない日。
つまるところ学校に行かなくてもよいオフ。
しかし11:00には登校。
本棚にあった吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書、1992)をふと手に取り、読み始める。
これがなかなか面白い。
今日一日で読めそう。
・・・と思ったら昼寝。

午後、jeudi jauneの練習。
毎度のことながら、この練習の場にいるのは楽しい。
自分の書いたことばが第二の生をうける現場。

夜、『昭和天皇の終戦史』の続きを読む。
1:00頃読破。

+++++++
極めて政治的(自身の戦争責任の追及を逃れようと、宮内官僚を中心とした宮中グループといろいろ画策する。近年公開された『天皇独白録』はその成果としての政治的文書だというのが著者の見解)で、
人の好き嫌いのはっきりした(天皇は太平洋戦争の開戦にあたって慎重な姿勢を示し、戦後も天皇の退位論を支持した近衛文麿や、同じく天皇の戦争責任を公然と口にし、退位した場合の摂政候補と目されていた弟・高松宮を嫌っていたとされている)、
非常に人間臭い昭和天皇像が描かれていて、興味深かった。

こういう天皇像が「意外」に感じられるいうことは、
僕はどこかで天皇は非政治的で、公平無私で、どこか一般人とは違う、
現世とは断絶した「人間臭くない人間」だと思っていたわけだ。
それに気付かされてはっとした。

この天皇イメージは、いつの間に僕の頭に刷り込まれたのだろうか。

面白いと思ったのは、枢密院本会議の議事録が、
明治の創設期からすべて公開されているにもかかわらず、
戦後〜昭和22年5月の廃止までだけ未だに非公開だという事実。
著者によれば、この時期には親王(嫡出の皇子・皇孫男子)が出席し、
さらに直宮(じきみや:天皇の兄弟や息子)がかなり自由に発言しており、
そうした皇族の「政治的発言」を封印するための措置であるという。

このように戦後、日本政府は、天皇や皇族の政治性を覆い隠すことに躍起になってきた。
さらに象徴天皇制という制度は、
皇室をめぐる数々の非現代的な儀式やことば・概念、
そしてTV等でくり返し与えられる、彼・彼女らの独特のモーションやふるまい、語り口などによって、
天皇や皇族は「人間であるがわれわれとは断絶した特別な人間」というイメージを
国民の間に浸透させておくことに成功している。

そういう「社会化」の過程に自らが無意識にすんなりと飲み込まれていた事実に、
今更ながら気付かされたわけで。
富良野は、今日も雪なわけで。
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たまには英語でも如何? - 2003年01月16日(木)
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午前中はキャレルでずっと読書。
ようやく12月末に買った神野直彦『財政学』を読了。
主観的意見がそこかしこでほとばしる、面白い教科書だった。
装幀もかわいいし。

午後、思い立って、図書館で行政学関連の英語論文を5本コピー。
 ・政官関係
 ・日本と韓国の公務員制度改革
 ・Grid-Group文化理論におけるFatalist類型としてのイギリス労働党の分権政策
 ・政策評価(×2)

たまには英語も読まないとね。
いくら苦手だからっていつまでも逃げ続けるわけにも。
というわけで、キャレルに戻ってさっそく読む。

16:30からバイト。

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スローライフの原点 - 2003年01月15日(水)
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午前中、何気なくテレヴィを付けると、
NHKで皇室歌会始(うたかいはじめ)の生中継中。
2時間見てしまう。

これって、究極のスローライフだと思った。
何せ、一首読み上げるのに5〜6分かける。
読み手が5人くらいいるんだけど、
最初に1人が通して、ゆっくり読み上げる。

例えば入選した
「わが街の大河にかかる新しき橋に新しき年の雪降る」
という句だったら、

 わがーまちのーーーーーーーーーーーー
 たいーがにーーかかーーるーーーー あたーーらしーーーきーーーーーーーーーー

 はしーにーあたーーらしーーきーーー
 としのーゆきーーーーふるーーーーーーーーーーーーーーーーー

1回読んだあとは、これを5人が唱和してもう一度読む。
この時は声明みたいに、ちょっと節がつく。

 わがーまちのーーーーーーーーーーーー
 たいーがにーーかかーーるーーーー あたーーらしーーーきーーーーーーーーーー

 はしーにーあたーーらしーーきーーー
 としのーゆきーーーーふるーーーーーーーーーーーーーーーーー

これで終わり。だいたい5分。

こうやって、入選作10、選者5、召人1、東宮(皇太子)1、東宮妃(雅子さん)、皇后1、天皇1
計19の句を読んでいくわけですよ。
天皇の「おおみうた」に至っては、最初の読み上げを3回やるんですよ。

貴族なんて、これとケマリくらいしかすることがなかったから、
こういうスローな展開が許されるんだろう。
現代人の時間感覚とのズレが何とも言えず面白かった。


それ以外にも、小さいツボが。
それは、人の名前の呼び方。
句を読む前に、当然作者の名前を呼ぶんだけど、
例えば上の句を書いた新潟県の丸山一さんだったら、

 にいがたけん、まるやまの、はじめ

って言うんですよ。
マルヤマノハジメですよ。
ナカトミノカマタリとかミナモトノヨシツネとか、カンノミホとか、
そういう歴史上の人物と同じですよ。
自分の名前がこういう風に呼ばれてるところを想像すると笑える。


皇后の歌がよかった。


 ひと時の幸分かつがに人びとの佇むゆふべ町に花ふる


街を歩いていると、あれだけたくさんのヒトがいるのに、
まわりに誰も「人」がいないような気持ちになって、悲しく、怖くなるときがある。
自分には関係のないヒトたちの群れが、
自分が一人であるということを浮き上がらせてしまうのだと思う。

たとえばそういうときに、どういうわけだか分からないけど、
空から色とりどりの花びらが、夕陽を浴びながら舞い降りてきたらどうだろう。
自分も、自分のまわりにいる「ヒト」たちも、
その美しさに息を呑み、立ち止まり、幸せを感じ、笑みを浮かべ、心をひらく。
そしてその時、束の間でも、同じ感覚、同じ感情を持つ「人」として、
その時間と空間を共有する。

みんなが同時に見た夢。

花びらが降り終わって、落ちた花びらはアスファルトに融け、
人々はまた思い思いの方向へ歩き始める。
心の片隅にかすかな美しさと花の香りを残して。

街は少しだけ、優しく色を変え、夜を迎える。

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オモテサンド - 2003年01月14日(火)
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10:00頃学校着。
図書館に本を返しに行ったり(もう更新じゃない!)、
木部先生の仕事をしたり。

カノジョからjeudiの最後の曲を吹き込んだテープを入手して、
木部先生の仕事の続きをする。

それから、キャレルで2時間かけて作詞。
今回の曲はすでにアスカからストーリィ的のものが提示されていて、
それにしたがっていくつか言葉を拾っておいたので、
割合スムースに完成。

+++++++
「omotesando」

星の果てもはるか映す空見上げる 霜月の午後
おろしたての固いブーツ 石畳では躓きそうで

突然、優しい風に目を上げて
その瞬間 世界が止まる

車線の向こう側 人の流れに切り取られた君の姿
私と歩いてた頃は見せなかった横顔に 戻せない時間をただ重ねる

歩道橋を駆け上がって 息を切らす霜月の午後
通りすぎる車たちが描き出す 鮮やかな色彩

乾いた落ち葉が風に舞い上がり
突然、夕陽が照らす

少し伸びた髪と大きな紙袋 君はとても眩しすぎて
私と歩いてた頃とは違った後姿 消えていった想いをただ重ねる

光が溢れだす表参道 全ての意味が変わり始める
思いを断ち切って青山通りへ_
風邪をひいた太陽に長く伸びる影
+++++++

16:30からバイト。

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ODB - 2003年01月12日(日)
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カノジョとデイト。お台場。

去年12月1日に開通したばかりの、りんかい線直通の埼京線で。
交通至便。
うちから乗り換え1回で台場にいけるなんて夢のよう。
しかも早い。

あっという間に台場、東京テレポート前へ。
自動精算機に切符を裏にして入れたら

 「オ゛モ゛テ゛ム゛キ゛ニ゛シ゛テ゛イ゛レ゛ナ゛オ゛シ゛テ゛ク゛ダ゛サ゛イ゛」

と濁った機械音で言われてムッとする。
機械の分際で人間に指図するな、と。
裏向きに入れた切符を読めないお前の性能の問題を人間の責任に転嫁するな、と。
あんまり悔しかったので、カノジョに精算機の声の真似をずっとしてやる。

ゆりかもめでくると降りるのはお台場海浜公園か台場なので、
必然的に目の前にあるデックスかアクアシティーに入ることになるのだが、
東京テレポート前はビーナスホートが目の前。
台場デイトが変わった!


宝石


ヴィーンに行ってきました


ビーナスホートは写真に撮るといろいろオモシロイ。
いつもはすぐ出てきちゃうんだけど。

続いて、観覧車横にあるゲーセン。
ドラムマニアで失敗。太鼓の達人で憂さ晴らし。
で、銀だこを食べながらファンタオレンジを飲む。体に悪い&体に悪い。

それにしても、台場ってちゃんと混んでるんだね。
どこも人がいっぱい。観覧車も45分待ち。
いつも来るときは、他の人が休みじゃない日ばかりだから、
今日みたいな連休の中日、バリバリ観光日の人出にゲソリ。


カニみたい


反重力


ゲーセンを出て、ビーナスホート前の広場で大道芸人のショーをただ見。
で、インザルームに入ってツッコミまくりショー。
ついでにヴィレヴァンへ向かうが、あまりの人にうろたえ、入り口で引き返す。



シルエット


そしてようやく海浜公園の方へ。
デックス。
ここの4Fが、「お台場一丁目商店街」なるアトラクションに変わっていた。
昭和30年代の町並みを再現した売り場になっていて、
露天みたいな雰囲気の食べ物屋も。
この上の「台場小香港」もオモシロイけど、ここもなかなかいい。


かわいい

んだけどアップだとあまりかわいくない



駄菓子屋で見つけた。ツッコミどころいっぱい。
1)左の絵の女の子の上目遣い
2)右の絵の男の子の右手の付き方がおかしい
3)「いたずらをしてごめんなさい!!」という顔をしていない
4)「アッ!!いたい これはパンチガムだ!」・・・セリフが説明的すぎる。

しばらく右の絵の男の子の真似をカノジョにしてやる。
あんまりしてたら飽きられた&呆れられた。

晩飯、結局麻婆豆腐。
いつもはすぐ入れるのに、今日は行列。
なんかいつもより辛くないか?
なんとか食べ終わったあと、猛烈な倦怠感に襲われ、
ゲーセンのカップル専用シートで呆然。

あの麻婆豆腐は麻薬みたいなもの。体に悪い。
食べてる間や食べ終わってしばらくは「二度と食うか!」って思うんだけど、
1ヶ月もするとまた食べたくなる。
依存症。

帰りも便利なりんかい線で・・・と思ったら、
20分待ち・埼京線直通なしで不便なりんかい線。
時間&ニーズ(景色は圧倒的にゆりかもめの勝ちなので)によって
ゆりかもめとりんかい線を使い分けるべきだということを学んで帰宅。

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茲ニ辣申ヲ採リ哨戒為サシム可カラズ - 2003年01月10日(金)
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今日は授業も仕事もバイトもない=休みなんだけど、午前中から学校。
時間の余裕があったので、図書館でフラフラしながら博士論文のソースにあたりをつけてみる。
おおかた予想はついてたんだけど、
明治時代の研究をするなら当然明治時代の文献を読まなきゃいけないわけで、
そうすると「而被可成思惟、茲ニ辣申ヲ採リ哨戒為サシム可カラズ。」(←デタラメ)
とかいう文章でいっぱいなんですよ。
まず意味の分からない漢語がいっぱいあるわけですよ。
まさか日本語読むのに辞書が必要になるとはね。
あと、送りがなが書いてあるやつはまだいいんだけど、
明治初期はまだ漢文で書いてる人がかなり多くて、
レ点とか一二点とか上下点とかためしてガッ点とかがついてるワケですよ。
中・高の時、漢文なんてぜーーーーったいに将来役に立たないと思ってましたが、
見事に裏切られましたね。
そういえば高2の2学期の漢文の期末テストで100点とりました(自慢)。
そういえば大学1年の春学期のキリスト教概論のファイナルも100点でした(自慢&関係ない)。

というわけで、悩みの種が増えそう。
フランス語もやらなきゃいけないのに・・・


午後、jeudi jauneの練習。
お気楽にコンガを叩いて遊ぶ。

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世界でもっとも無駄な1370円の使い方 - 2003年01月09日(木)
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ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
私はこの3月で大学院の博士前期(修士)課程を修了して(見込み)、
博士後期課程に進学することになっています。
で、うちの大学は、内部進学でも試験を受けなければいけないんですよ。
それの受験料が、35000円。
まあ、これは我慢しましょう。
願書500円、これもまあいいです。

で、募集要項を見たら、揃えなきゃいけない書類が列挙してあって、
その最後に、「入学申請書類一式は必ず書留郵便で本学入試事務室に郵送すること」
とか書いてあるわけですよ。
アホかと。アホかと。アホかと。アホかと。アボカド。

あのなあ、俺が勉強してる部屋から歩いて2分で入試事務室なんだよ。
しかも、俺修論たくさん書いちゃったから、郵送料絶対高いんだよ。
というわけで、入試事務室に、ブ厚い修論を持って掛け合いに行く。
こんなクソ重いものを、そもそも何で郵送させるんだ、と。

お答え

「ええ、まあ、外部からの志願者の方との公正を保つというか・・・」


・・・それ、絶対言うと思った。

あのなあ、じゃあ願書が事務室で買えるってのはどうなんだよ。
おかしいだろ。
うちの大学に通ってる奴の方が(学校に行きさえすれば)
入試事務室に近いから、願書が手に入れやすくて有利じゃねえかよ。
ガイブノカタトノコウセイヲタモちたいなら願書も一切郵送で買わせろよ。

だいたい、うちの大学に通ってる奴が大学の近くに住んでるとは限らないだろうよ。
まして院生なんてそれほど学校来なくてもいいから、
それこそ郵送した方が便利な奴だっているんだよ。
バーカ、バーカ、バーカ。

とか思いつつ、事務室のおっちゃんがすごく腰の低い人だったので、
とても口論する気にはなれず、すごすご退散。

で、一式封筒に入れて、大学内の郵便局(事務室から直線300m)に行く。
「すみません、これ書留で送りたいんですけど」
「1370円ですね」

は?

思わず「高い!」って叫びましたよ。
この封筒を300m移動させるのに1370円ですよ。
バカじゃねえの。バカじゃねえの。バカじゃねえの。バカじゃねえの。アボカド。

一日収まらず。


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オサムをひたすら振り返る - 2003年01月08日(水)
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オサム最終稿、提出!!

思えば一昨年の6月に動き始めて、
あんなことやこんなことがありました。
自分の日記から振り返ってみましょう。

2001年6月、昭和23年政令401号が見つけられませんでした。
2001年10月5日、図書館にこもるも収穫はなし。
10月9日、人事院に行くも、結果は散々。
11月28日、初めての国会図書館。政令401号はありましたが、今度は政令401号施行細目がありません。
当時はこの施行細目の法形式すらわからなかりませんでした。
(ちなみにこれは新給与実施本部通牒62号。法令集に載ってないはずだ)
5階の憲政資料室で所在なくSCAP文書に当たってみたりも。
2002年1月22日、先生のオフィス。「うーん。いよいよ主題を変えないといけないかも知れないぞ」・・・聞かない振りをしました(笑)
2月15日、隆先生に「春休み中は修論のことしか考えません」宣言。履行されず。
3月15日、先生に新アウトライン提出。先生のコメントは「ほう。なかなか面白いものになるんじゃないですか。資料があれば。」・・・聞かない振りをしました(笑)
しかしこの時、先生はまた人事院に連絡をしてくださいました。
思えば、これが縁でUさんにお会いできたのでした。
3月20日、人事院。先生が連絡してくださったYさん(エライ人)の紹介で、Uさんと初めてのご対面。
優しい方でした。官庁に行って初めて優しくされました。感激でした。
Uさんに欲しい資料をお伝えして、捜索を依頼。
3月28日、再び人事院。Yさんと面会。
エライ人苦手。なんか怖いし・・・。結局話かみ合わず、何も通じず、Yさんも困って結局Uさん登場(笑)。
部屋に入ってきたUさんの笑顔がどんなにありがたかったか・・・
思えばこの時、僕の面倒を見る担当はUさんに決定したのでした。
でも、肝心の資料は何も出てこない。落胆。
そして、人事院を一歩出た瞬間、頭の中から修論という文字が消滅しました。
暗黒時代の始まりです。
5月3日、思い立ってちょっと修論を書いてみたようですが、何を書いたかは覚えていません。
きっとろくなものを書いていないのでしょう。
ちなみに当時の僕は「来年の2月には書き上がっているということが
まだぜんぜん信じられない」
と記しています。提出期限を間違えてますね。
ただ、この時、ようやく僕の修論スイッチが入ったようです。
5月7日、図書館で徹底的にリサーチしてます。
5月13日、国会図書館と人事院。Uさんと1時間ほどお話。
この時、職階制に関する資料がぽつぽつ出始めて、若干の光が射してきました。
6月1日、西尾隆『日本森林行政史の研究』を読む。行政史に目覚め始める。
これが一つの大きな転機でした。
6月24日、タカシ先生の授業のレポート「『キャリア』の歴史〜概念史・言葉史的アプローチ」をタカシ先生と先生に提出。
これが修論の第1章第3節を構成することになります。
6月28日、飲み会の席で24日に提出したレポートを誉められました。
当日の日記より「なんかオサムやる気になってきたぞー!!!」
7月1日、「オサムポーチ」作成。情報カード、ボールペン・付箋などをダイソーで買いまくりました。
そしてこの日から、ノートを取り始めました。
7月10日、「オサム書けそうな気がするのとオサム書けなそうな気がするのが交互にやってきて精神状態があまりよくない」
7月11日、完全凹み。「修論書けない→卒業できない→研究者になれない→路頭に迷う」
7月15日、いよいよ本文を書き始めました。この決断は正しかった。
7月21日、「歴史を書くということの難しさを実感する。」
7月23日、20枚を越えました。
7月24日、先生と面談をしました。先生のコメント「まあ、調べてください。書いてください。としか言えないねえ。はっはっは」
はっはっは。
そして「夏休み中に草稿を書き上げます」と宣言。今考えると片腹痛し。
7月31日、東京大学経済学部図書館。今井一男の著作・談話録と、「国労関係資料」の閲覧。
思えばこの頃は公務員給与をめぐる昭和20年代前半の状況に関する知識がまるで足らず、
せっかくの1次資料もほとんど役に立たずでした。
「もう少し自分にとって何が必要か明確になったらまた足を運ぼう」と思いましたが、
恥ずかしながらこれ一度きりになってしまいました。
8月5日、jeudi jaune正式始動。これは関係ないか。
8月20日、人事院。初図書室。こもって5時までノートをとり続けました。
この日から28日までに4回人事院図書室通い。
その度にUさんにお昼をごちそうになり、
しかも書架を漁ってみると、いろいろな興味深い資料が。
この時、初めて調べる喜びを味わった気がします。
めげずに通い続ければ、必ず何かがあるもんだと。
8月31日、ソツロン合宿で修論途中経過を発表しました。
9月8日、97枚。
9月29日、115枚。
10月1日、中間概略を提出しました。
「論文の根幹にかかわる部分を、いままであまり真剣に考えてこなかったことに気付き、ノートにいろいろ書き殴りつつ思索する」
10月2日、「概略を書くときに本質論ばかり練り直してしまったためか、
考えすぎで本文が書き進められなくなる」
10月7日、突如として決まった、先生への中間報告。
11月13日、人事院。この日は素晴らしかった。
貴重な資料が図書館から出てくるわ、貴重な話しをUさんからいろいろ聞かせてもらうわ。
この日の静かな興奮は今でも忘れられません。
11月19日、136枚。
11月22日、140枚突破。
12月1日、鬱。
12月2日、初稿完成。157枚。
12月3日、タカシ先生に初稿を提出しました。
12月6日、先生にも初稿を提出しました。
12月7日、アブストラクトを作ってみたものの、圧縮できず。
12月10日、先生から初稿に対するコメントが返ってきました。
いくつかの足りない点は指摘されたものの、大筋で誉められて、ホクホク(単純)
12月20日、タカシ先生からコメント。年表を作り始めました。
12月30日、プリントアウト開始。いきなりインクが切れる。
2003年1月5日、プリントアウト。
1月6日、プリントアウト。さらに図書館で最後のリサーチをしました。これで全部完成!最終的に本文212枚。
1月7日、3部コピー、製本。
1月8日(本日)、ついに提出。
目次・凡例3枚、本文212枚、年表6枚、参考文献6枚、
合計227枚。
おそらく行政学研究科始まって以来のヴォリューム。
書き始めてから実に178日。
長かったような、短かったような。

絶対書けないと思ってた時もありました。
今こうして、無事に出すことができて、本当に嬉しい。
みんな、ありがとーーーーーー!!





<今後の予定>
1月28日 最終試験(口頭試問)
2月20、21日 博士後期課程編入試験


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アホネンな冬(オサムコピー完了) - 2003年01月07日(火)
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久しぶりに朝早く起きて、とっとと学校。
昨日に引き続きオサムのコピー。
そして、およそ1時間かかってようやく完了。
おもしろいので撮ってみた。


量感がイマイチ伝わらないのが残念。
一山226枚あります。
226×3=678枚。

木部先生の仕事して、いよいよ製本@売店。
ついに、ついに、完成!!
提出は明日にします。
楽しみだなあ。

で、完成した修論を前に、一気に燃え尽き症候群。
16:30、いやいやバイト。
通りかかったむっちゃんに饅頭をもらい、
やってきた古川さん(図書館職員)に饅頭をもらう。
冷静に考えてみたら、一日に二人から饅頭をもらうことなんて、
一生に一度ではあるまいか。

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<今日のアホネン>

ヤンネ・アホネンは、日本の小学生が泣いて喜びそうな名前だけど、
スキーのジャンプがとても強いんだ。

フィンランド語では「アホ」が「乾いた小さな牧草地」という意味。
「ネン」はフィンランド人の名字の末尾によく使われる言葉なんだって。

「アホ」という短い単語で、形容詞が二つもついた名詞を示すなんて、
フィンランド語は本当にすごいね。

ちなみに、明石家さんまが演じた往年の名キャラ、パーデンネンも、
フィンランド語に由来しているってこと、知ってたかな?

フィンランド語では「パーデン」が「虹の架かる晴れた青い空」という意味。
「ネン」はフィンランド人の名字の末尾によく使われる言葉なんだって。

さすがひょうきん族。
フィンランド語だとは思わなかったね。
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オサムフィナーレへ向けて - 2003年01月06日(月)
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□BGM: Love Circus「Little Faithful」


 誰かを憎んで 争って ひとりよがり
 答えようもない 問いかけを
 何度も くりかえした あのときも きみは
 静かに光を浴びて笑ってた

 きみがいるだけで 聞こえない声が聞こえてくる
 そこにいるだけで 見えない何かが見えてくる
 いつだって つながって
 夜空をこえる
 (lyrics: Shioya Tatsuya)

ラヴカスの名曲から。
ラヴカスは一緒に歌いたくなっちゃうようないい曲が多いんだけど、
これはその中でも本当にいい曲。美しい。
アルバム「約束」に収録。

このバンド、某JFK出身。
ベーシストに至っては某キガクブ出身。微妙に知り合い。
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今日から学校。リハビリ期間。
だらけきっていた休みの分はなかなか取り戻せず。

昨日の夜と今日の午前中にプリントアウトしたオサムの一部をコピー。
オサムは最終稿も3部提出。
僕の場合、分量がハンパじゃないので、計画的に分散させて作ろうと。

15:20、jeudi jauneの練習。
ライヴに向けて着々と進んでおります。

16:30、バイト。

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実験日記〜連想ゲーム - 2003年01月05日(日)
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冬は、唇が切れる。
唇が切れれば、もちろん血が出る。
朝一で会った友人に驚かれるほど血が出ることがある。
一度、「生肉食べてきたの?」というリアクションをした友人があった。
そんなわけはない。

そもそも冬は、空気が乾燥しているので、唇に潤いがなくなり、唇が切れる。
オーブのCMの井川遙くらい潤っていれば、唇は切れないはずだ。
そういえばあのCMの井川遙はすばらしい。
彼女のすばらしいところがこれでもかこれでもかと引き出されていて、
あれじゃあTVのこちら側にいる私はノックアウトされるしかないではないか。

なんでこんなことを書いているかというと、
今まさに唇が切れて血が出ているからだ。
そういえば血はどうして鉄の味がするのだろう。
いや、ちょっと待て。鉄の味って何だ。
みんな鉄なんて食べたことないはずだ。
俺は騙されない。
「私はあきらめない」というNHKの番組がある。
一茂が司会をしているやつだ。
こないだの年末スペシャルに清原が出ていた。

清原の肉体改造シーンが今でも放映されることがある。
あれは怖い。
後ろからゴムで引っ張られながら超高速のルームランナーで走っているあれだ。
肉体を「改造」するにはさすがにああまでしなければならないらしい。

改造と言って思い出すのはもちろんミニ四駆の軽量化だ。
僕はなんと彫刻刀でボディーを削っていた。
彫刻刀を使っていたのはクラスでも僕一人だったはずだ。

小学校低学年の時、僕は彫刻刀を使うのがとてつもなくヘタだった。
毎回、毎回、左手のあらゆる指を突き刺して出血していた。
悲惨だった。
そしてその血は鉄の味がするのだ。
そこに戻ったか。

最近の子どもは正月に双六でふりだしに戻ったりするのだろうか。
しなそうだ。ふりだしって何?とか言いそうだ。
やったとしてもプレステ2で桃太郎電鉄が関の山だろう。
そもそも、プレステ2で桃鉄を作る必然性は全くない。
あんなのはハードの性能としてはファミコンくらいで充分なのだ。
プレステ2は高性能すぎて、マシンの能力にソフト開発がついていかないという。
なのにプレステ3を作るとか言っている。
一体何を考えているのか。

俺がCMプランナーなら、プレステ3のCMはガレッジセールだ。
もうみんな気付いてしまったかもしれない。
そう。
エンジョイプレイステーション!
そういえば最近彼らがエンジョイプレイと言っている場面に遭遇しない。
そう考えてみると、キャイーンが「キャイーーン!」ってやってるのも見ない。
見ないと言えばシャ乱Qのまことだ。
年は越せたのだろうか。心配だ。

もう一人、プレステ3のCMに出したいのは久米宏だ。
「CMのあと、できるだけゲーム。」

そういえば、一度でいいから、「できるだけ」の限界に挑戦してもらいたい。
放送時間残り3分でできるだけニュース200本とか。
1秒に0.9本ニュースを読まなければならない。
それができるのは古館伊知郎をおいて他にはいないだろう。

古館のイノキボンバイエ実況には参った。
ボブ・サップ登場シーンで、
「おおっと!これがまさに一人重量オーヴァー!」
「ずるすぎる肉体、今年もっとも行列のできた肉体だ!」
多分麺屋武蔵よりも並んだろう。
でも麺屋武蔵は並び過ぎだ。

「ムサシコ」と言った場合、僕の周辺では武蔵小金井を指すのだが、
某義塾高校→大学に通っていた友人に言わせれば、武蔵小杉なのだそうだ。

ケイン・コスギはもう跳び箱飛ばないのだろうか。
ケインが出てきてくれなきゃ、照英の仕事がなくなるじゃないか。
それはそうと、こないだのスポーツマンNo.1決定戦の、
跳び箱スペシャルマッチはすごかった。
参加したのは体操選手ばかり4人。
残念ながら世界記録23段の更新はならず。
しかし23段といえば3メートル6センチだ。
ミニモニを縦に積み上げて二分割するとちょうどそれくらいだろう。

ありがちだが、私には未だに辻と加護の区別が付かない。
さすがにじっくり見れば分かるが、
ぱっぱっと切りかえられると、何がなんだか分からない。
悔しい。

悔しいと言えば、松浦亜弥の「Yeah!めっちゃホリデイ」が結構好きな自分が悔しい。
あの曲を聞いてるとなんだか気分が盛り上がる。
盛り上がりはするが、あれで盛り上がる自分がなんか悔しい。
無心に「うおーー!あややーーーー!」と叫べる男子がうらやましい。
いや、うらやましくない。

松浦亜弥のキメ顔はワンパターンだ。
でもファンにはあのワンパターンがたまらないのだろう。
由美かおるの入浴と一緒だ。
みんなワンパターンが好きなのだ。

いいかげん疲れた。
結論としては、これを一日中続けることも可能ということである。

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今年も本を買うなら - 2003年01月04日(土)
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新年、ブクオフ初め。
7冊購入。2100円。
 赤坂憲雄ほか『精神病を知る本』
 中村雄二郎『哲学の現在』
 宮沢俊義『憲法講話』
 中山千夏『国会という所』
 黒木昭雄『警察はなぜ堕落したのか』
 篠原一『ヨーロッパの政治』
 岩井奉信ほか『教養 政治学』

夜、ラーメンを食べに行く。
二日酔いで何も食べられない修一を家に置いて、眞由美と二人。

ああ、もう冬休みが終わる。
これからの2ヶ月は怒濤。
精神的にこたえそう。
頑張ろう・・・

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複雑な家庭事情 - 2003年01月03日(金)
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毎年恒例の親戚会。
酒が心おきなく飲める日。
そして年一度、修一が目の前で酔っぱらう日。

13:30から21:00まで飲みっぱなし、食べっぱなし。
お腹一杯。

それにしても、うちの父方の家系は複雑すぎる。
しかも秘密と謎に満ちている。
あんまり話してはいけないことになっているらしい。

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あみパ - 2003年01月01日(水)
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がんたーん

昨日普通に寝たおかげで、8:30には起床。
恒例のおせち料理を食べる。

年賀状が6通来たが、うち5通は出してない人からだった。プ。
あわててはがきを買い足しに行って、新しく作る。

13:00、松谷の家へ。
松谷、あみたん(松谷の後輩)、カノジョ、僕で新年鍋パーティ。
松谷24歳、僕23歳、あみたん22歳、カノジョ21歳。
別に関係ないけど。
さっそく担当の鶏鍋の仕込みにはいる。
大きい鍋でガラと骨付きの鶏をさっと湯通しして、水洗い。
で、昆布を敷いた鍋に移し、ネギとショウガを入れてじっくり炊く。
仕込み中にあみたんとカノジョ登場。
あみたんの話は松谷からたんまり聞いていたが、これが初対面。
うーん、いかにも松谷が好きそ(自主規制)

松谷は松谷で炒め物作ったりワイン空けたり。
僕はスープに付きっきり。灰汁取ったりね。

そんなこんなで14時過ぎにようやく完成。
(この段階ですでに相当飲酒 ※ビール800ml、ワイン3杯)
食べる。
うまい!
鶏鍋いいじゃないか。初めて作ったとは思えない。

松谷の過去をいじりつつ、宴会はまったりと進行。
初対面の人がいて緊張してたせいで、どんどん飲酒。
ワインがぶがぶ、おまけに松谷のウィスキーを勝手にロックで。
さらにバニラアイスにウィスキーをかける始末。

19:30頃、ようやく終了。
飲み続け、食べ続けたので、かなりいっぱいいっぱい。
楽しかった。またやりたいですね、松谷さん。
どうせここ見てないんだろうけど。

家に帰って、こたつに埋まりながらスポーツマンNo.1決定戦をずっと見る。
超越的な人間を見るのは楽しい。

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 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























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