2007年11月20日(火)
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クロワッサン語録とその後 |
はぅ・・・・。
2日連続、嬢ちゃんときたら昼寝もしないで朝から夜までハイテンション( ̄∇ ̄;) 一体どうしてしまったというんだ??? ぐずらないだけでもマシなのでまだいいんだけど、母は心配なのだよ(苦笑)。 疲れすぎてしんどくないかとか、興奮しすぎて知恵熱でも出しやしないかとか。 そんな母の心配をよそに、ほぼ1日全てを遊びつくし、寝付いて1時間もしないうちに案の定、 奇声とともに一時覚醒(笑)、きっと頭の中では色んな情報が整頓されつつあるんだろうけれど、 追いついていかないもどかしさ=「奇声」なんだろうと容易に察しがつくものの 昼寝さえすればこんなことにはならずに済むのにと、ちょっとだけ気の毒に思う。
だけど最近、更によく食べるようになったし、体重も増えてきたみたいだし。何より何より^^
そうそう。 「とぉと」に遅れる事およそ2週間。 やっと「かぁか」が出るようになり、つい先日は何となくではあるけれど「かぁちゃん」っぽい発音にも。 言える言葉もだんだん増えてきている。
「クロワさん、りんごは〜??」
「あっぷん♪♪」
コレは、あたくしの自己満足で、彼女のおやつにりんごをあげた時、繰り返し、繰り返し
「りんごはね、あっぽ〜ぅ^^」
と教え続けた賜物(爆笑)。「りんご」とは言えないくせに「あっぷん♪」はOK(笑)。 早速、わけのわからない語彙を加えようとしています、バカ母( ̄个 ̄) フォッフォッフォ
「クロワさん、ねこは〜?」
「にゃぁ〜〜〜♪♪」 (なぜか1オクターブ高い声)(笑)
「いぬは??」
「わぅわ♪」 (元に戻る声)(爆)
「んじゃ、かぁかは?」
「かーか。」
「うは♪ かぁかだよ〜〜♪」 ←アホ丸出し( ̄∇ ̄;)
「クロワさん、とぅとは?? とぅとだよ〜。」
「・・・・・・・・。」
「( ̄□ ̄;)!! とぉとだってば。。。」
「・・・・・・・・。・・・・・・・・。」
「ねぇ、前みたいに『とぉと♪』って言ってみてくれよぉ〜!」 ←アホ丸出し( ̄∇ ̄;)
「かぁか」が言えるようになるのと同時に、どうやら語彙集の中から「とぉと」がデリートされた模様で ここしばらく、クロワさんは「とぉと」と言っていない。 彼女のことを一所懸命世話をしてくれる上、最近ではあたくしにまで気を使って 家事も色々と手伝ってくれるぷよ2がコレではあまりに不憫なので、 あたくしも彼が会社に行っている間に色々と水を向けてみるんだけどね。 「たぁた」(=くつした)は言えるのに「とぉと」は出ない( ̄∇ ̄;) 何でだ??
あたくしが昔、学生時代とかに受けた訓練の中に「ジブリッシュ」というのがあるんだけど、 まるであれの時に使う、オリジナルの難解言語を次々に話し出し、最近終日やかましい(笑)。 恐らく、色々と言いたいことが山積しているんだろう。 だけど大人と同じ言葉が使えないから、とにかく体の外に音声として放出しているって感じ。 大人になってからトレーニングとして叩き込んだ「ジブリッシュ」を、まだ生まれて1年ちょっとの 子供の中の子供が、ぺらぺらぺら〜っと流暢にやっているのを見ていると不思議な気持ちになったり。 彼女の話していることを頭ごなしに「わからない!」としてしまうんじゃなくて、 あたくしも彼女のジブリッシュに付き合って、何を要求しているのかを探るのも結構楽しい。 きちんとヒットすると彼女も嬉しそうな顔をする。 「あ、わかってくれたの??」とでも言いたげな表情で、こっちを覗き込んできたりする。 「言葉」を共通認識として介在しないのが「ジブリッシュ」。 音の中に含まれるちょっとした抑揚や語気の中に、話す人間の感情を見いだす。 少し前に「ベビーサイン」というのがすごく流行って、あたくしも興味があったんだけど アレを1から習得するよりも、学生時代に覚えたこの技術が結構育児に役に立っているみたい。 彼女が大人と同じ言葉を覚えるまでのあと少しの間、この不思議な言葉の中で 彼女の発する「神様の言葉」を堪能してみようかな、と思う。
言葉が少しずつ発達してきたここ1〜2ヶ月ほど、実はベビーカーや スーパー、モールにあるカートがオールNG(涙)。 買い物となると抱っこ必須で、両手がふさがると買い物どころではないので、 荷物になるとわかっていてもスリングも携帯しなければならず、何だか大変だった( ̄∇ ̄;) こっちの言っていることが少しずつとはいえわかるからこそ、 無理に座らせようとすると極端に嫌がったりしたのかもしれない。 それが、つい1週間ほど前くらいから、またどっちも平気になった。 更にこっちの言っていることがわかり始めたからこそ、座るべきところで座ってくれるようになったのか。 スリングをおいて外出できるようになっただけでも、ちょっとは身軽でラクだな。
そしてご機嫌ついでに鼻歌まで出る(爆)。コレがすごく面白い(* ̄m ̄) ププッ なので母ちゃんは多少しんどくても、ちょっと頑張っちゃう(笑)。
だんだん寒くなってきたので、その母ちゃんの頑張りもどこまで続くか、それもまた注目ですw
毎週月曜日。 アパートのお向かいにある地区センター(公民館みたいなトコ)で子育てサロンが開かれる。 午前中の2時間だけとはいえ、近隣から似たようなサイズのおちび&かあちゃんがぞくぞくと集う。 この7月から、新しくこの地区センターでもこのサロンが始まったんだけど、 そんなに広くない会場に、初日は200人以上も集まっちゃって、とんでもない状態になった。 が、開始3ヶ月。 この日は適度に人出も落ち着いて、子供らも普通に走り回ったり歩き回ったり、 おもちゃで遊んだり、ボールプールに飛び込んだり、お絵かきに興じたり・・・・ うちの子のようにおままごとの包丁を握って離さず、各地を突撃する簡易強盗も登場してみたり( ̄∇ ̄;)
それにしてもクロワさん。。。 サロンが始まった頃はまだハイハイやつかまり立ちだったんだけど、あっという間に歩けるようになって、 今や、その移動速度が日に日に速まって、あぁいう広いところに連れて行くと 「うっきゃぁ〜〜〜っっ♪♪」と、嬌声を上げて走り回るように・・・・。 何だか、自分の子なのにホントに早いよ。。。成長が。 今出来なかったことが30秒後にはできるようになっているかもしれない、刹那主義の塊と一緒にいると 毎日退屈しないというのは本当でした。
ところで。 あたくしの実家の学区内は、昔からさまざまな教育施設が充実していた。 大きな総合病院があったというのもあって、その院内にある院内学級もうちの小中学校の扱いだったし、 乳児院も学校の近くにあった。 学校の中にも、言語学級といって、言葉の発達が少し遅れ気味の子に対応したクラスが 普通学級と平行してもたれていたり、普通学級に入るのは難しいと判断された子達が通う特殊学級も 養護学校ではなくて同じ校舎内にあった。 それとは別に、障害者福祉施設として、ひまわり学園という施設もあって ここには療育を目的とする子供たちが(親子で)通ってきている。 子供の絶対数が減ってきているので、あたくしたちが学校へいっていたときにあった言語クラスも ここに編入されているかもしれない。就学前の子供たちも通っているようだ。
そんなさまざまな形の教育療育環境が周囲にあったし、 是も非もなく、そういうところの人たちとも交流があった。 普通学級に通っているのが普通で・・・・と、今でこそそんなことは思わないけれど、 やはり自分たちと違う何かを持っている子達を「異端」として見てしまう ある意味残酷な素直さだけは、何故かちゃんと持っていた子供でもあったので 交流においてはやはり多少の違和感を感じていたというのが正直なところ。 特にあたくしなどは、とてもずるい子供だったので、 そういうのをおくびにも出さず、表面を上手に取り繕っているタイプだったりしたので 余計にタチが悪かったかもしれない。
なぜこんなことを唐突に思い出したかというと、この日のサロンにこの学園の先生がいらして、 子供たちの様子を見たうえで、色んなアドバイスをくださったからだ。 さまざまな個性豊かな子供たちを長年見つめ続けてきた先生は、 あたくしのようにまだ駆け出しの母親には気づけないようなポイントを上手に観察していた。 歩けるようになってまだ日が浅いクロワさんをニコニコ笑顔で見つめながら先生はこう言った。
「まぁ^^ ホントに木の葉がカラカラカラ〜と舞うように歩くのねぇ♪ 元気いっぱいで、あら・・・・そう、うれしいの^^」
クロワさんは先生を見ながら、「ふふ〜♪ ふふ〜♪」と機嫌良さそうに笑って 追いかけてほしそうな表情を残して、あちこち駆け回っていた。
「あぁ、こっちを見て『共感してよ〜』って表情をちゃんとしてますね〜^^ ちゃんと相手のことを見ようとしていますよ。上手に1人で遊べていますね。 これからも毎日、いっぱい言葉をかけてあげていってくださいね^^」
プロはちゃんと見ている。 そして、子供もプロがわかるみたいだ。 クロワさんは先生が自分のそばから離れていった後も、先生のそばに自分から寄っていっては 顔を覗き込んで、微笑みかけたりするのを繰り返した。 そうか・・・・子供の気持ちがわかる人というのが、子供にはわかるんだ。 目からうろこの光景とは正にこのことだった。
それはさておき。 あたくしは、先生が言った「木の葉が舞うように歩く」という素敵な比喩が、 その後、いつまでも頭の中に残っていた。 頃も秋。 街をゆけば、街路樹が葉を落とし始める時期で、 道の上で葉が同じようにかさかさとリズミカルに舞うのも目にする。
先生は、体の発達が平均よりゆっくりの子や、自由の利かない四肢を持て余している子供たちを 常々ずっと見ていて、色んなことを思うのだろう。 うちの子は今のところ健康で、お医者や専門家にも問題の指摘をされていないので これが当たり前のようにも思ってしまうのだけれど、 わが子が葉っぱのダンスのように、楽しそうに笑いながら駆け回るのを見ることが出来る幸せというのは きっと、そう出来ない人からすれば本当にかけがえのないものなんだろうな・・・・ということを痛感する。
風に吹かれて、フワフワー、カサカサーと路上を行く葉っぱの自由気ままさが 今のこの子に恵まれた本当の自由気ままさであることを知らされ、 あたくしは、心の底からこの子の健康を感謝したのだった。
しかし、それはこの年頃の子のトレードマークらしく、 同じアパートに住む1歳児は、風邪をうつしあうが如く、同じような勲章を誰かがこさえている(笑)。 それは痛々しいのだけど、反面ほほえましくもある。 だって、みんなで葉っぱのダンスをしている証拠だから^^
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