クロワさんも今年1年、親も納得するほどによい子だったので、だからというわけではないけれども都合4名ものサンタさんがやってきました(笑)。素敵なおもちゃやお菓子、名古屋からわざわざやってきたサンタからは三輪車をいただき、毎日乗り回している・・・・のならいいのだけど、どうも乗るより後ろから押すのが楽しいらしく、地区センターの駐車場に愛車とともに乗り付け、現地では30分〜1時間くらいは延々と三輪車を後ろから押しながら歩き続けるという、大人泣かせな遊びにはまっている模様( ̄∇ ̄;)何が楽しいのかは知らないけれど、コレをやっている間は非常に機嫌がいい上、やっぱりある程度疲れるのがいいのか、夜ぐっすり寝てくれるので、大人は寒くても、つらくても、彼女のコレに付き合うことにしているのだ。テレビでは、本場のサンタやら、即席サンタやら、さまざまなタイプの赤い衣裳の人々のことがニュースなどで紹介されていて、あたくしもそのたびに「ほら、クロワさん。サンタさんだよ、サンタさん^^」といい続けていたら、すぐに「さぁーさん、さぁーさん♪」と言えるようにもなり。沢山のサンタさんから貢物をいただいたせいではないだろうが、24日の午後、いきなり高熱を出した(苦笑)。しばらく様子を見てみようと、彼女を寝かせ、短い昼寝から覚めたら、すっかり良くなっていたので、そっちの方がビックリした。実はうちのインチキクリスチャン(笑)、あたくしにもちゃんとクリスマスプレゼントを買ってきてくれた。高価な物ではないけれど、あたくしが欲しがっていた物だったので、そのビンゴ性に感激して、この日はご馳走&アイス。しかもハーゲンダッツ(爆)。いつもはあんまりイベントに走らない我が家ではありますが、やっぱりちびがいると、それなりに盛り上げた方が楽しく過ごせるというのもあり、今年はこんな風になりました。安らかで、いい日でした。それはさておき。最近、めきめきと言葉も増えてきて、それに伴い、できることもちょこっとずつ増えてきた。いたずら・・・・というよりも、大人のまねっこをすることの方が増えてきて、確かに迷惑なこともあるんだけど、一所懸命お手伝いをしようとしている健気な姿が何ともいじらしくて、怒る気にもなれず、納得するまでやらせてみることにしている。おもちゃも、根気よく言い聞かせていたら、少しはお方付けできるようにもなり、べたべたに褒めてやると、これまたものすごく嬉しそうな顔をするので面白い。そんな感じで、彼女に合わせた生活でこの年の瀬も過ごしているわけなのですが、2、3困ったことも、まぁ無きにしも非ず・・・・と言った感じで。食事中のこと。珍しく、席を立ってシンクのところまで歩いていこうとする。食事中は座って食べなさい、と、いつも厳しく言っているので、注意すると、「( ̄□ ̄;)!!」「どうした?」「ごめん、ごめん・・・・母ちゃんがちゃんとしてなかったからか?」「( ̄∇ ̄;)クロワ、また直しにいったのか??」ほんの少し閉まりの甘かった台所下のひきだしを丁寧に閉めて満足げな顔をして再び食卓に戻ってきて大人しく座る。「う〜む・・・・鬼姑に見張られているような暮らしだ。。。」「ぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!」台所だけではなく、電話台のひきだし、食器棚のひきだし、冷蔵庫や自分の物がいれてある物入れ等々きちんとしていないと気になるようで、しょっちゅう直して回っている( ̄∇ ̄;)コレだけではない。掃除機をかけて部屋中がスッキリし、さぁ、掃除機を片付けましょう♪ という段になって、面倒なことに、あの小さな指でしかつまみ上げられないような細かいごみを見つけてきては律儀に報告してくださる( ̄∇ ̄;)で、彼女が納得いくまできちんと掃除機をかけなおすのだ(爆)。「何かさぁ。本物の姑が優しくて理解があるのに、何でこんなところに鬼姑みたいなのが出現するかなぁ・・・・( ̄∇ ̄;)」「『コレで掃除したと言えるのっっ?』とでも言いたげな雰囲気でごみを拾い上げるのはやめてほしいよな。つか、どっから探してくるんだよ??」そもそもがだらしのない、うちら夫婦の間にできた子供とは思えない細かさ(爆)。しかし、アレだ。彼女があれこれ指摘してくれるおかげで、うちらも以前に比べたら格段にきちんとしてきた(笑)。ぷよ2は彼女が生まれてから、結構まめに掃除を手伝ってくれるようになったし、前は片付けもすごくヘタクソだったけれど、今は下手でもやるだけマシだ。子供は親の適性に応じて生まれてくる・・・・という「神話」をあたくしは本当に「神話」としてしか信じてなかったけど、ここにきて、「現実」として考えられるようにもなってきた。うちら夫婦はお掃除やお片付けがヘタクソだから、まだろくろく話せもしないちびがうちらに無言のプレッシャーを与えつつ、軌道修正をしてくれているのかもしれない。すごいことだよなぁ。ホント、文字通り彼女に「親」としての自分を育ててもらっているような感じだ。自分の親から「親」としてのあり方を教えてもらうより、億万倍リアルで必要性を説かれる感じだ。ちょっと前まで、あたくしのバッグを荒らしては、財布や携帯を引っ張り出し、どえらい悪戯をかましてくれていたのが、ここしばらくで少しずつ変わってきた。「ほら、クロワさん、ここん中にナイナイしといてよ。クロワさんがやってよ。あ、おりこうね♪ できたね♪ ありがとーーーーっっ!!」と畳み掛けると、最近ではバッグのファスナーまで閉めようとする進化ぶり。おぅ・・・・手先、指先も徐々に器用になってきてる(゜゜)(。。)(゜゜)(。。) こんなトコも進化してる♪もうあと少しで満1歳5ヶ月。父ちゃんや母ちゃんがサボらないように、今日も監視の目を光らせるクロワさん。やっと1歳になったばかりのちびちゃんに教えられることが満載の毎日に、結構満足している。そんな感じで、また来年も頑張るのであります。↑親バカ仕様です( ̄∇ ̄;)
あたくしの心のトモ(笑)、ワルサというワルサをつるんで重ねてきた生粋の悪友、見てくれも腹ん中も可愛くて、憎めない小悪魔・・・・おじょ〜。あたくしがつわりMAXの時に無事に挙式。立派なお嫁ちゃんになったわけですが、そんな彼女ももうすぐ立派な母ちゃんになる。ただいま妊娠8ヶ月。予定日は2月。・・・・だというのに、彼女は未だつわりもどきに苦しめられ、吐き気(&胸焼け)やげっぷ、強烈な圧迫感に辟易としている。・・・・あぅ。。。わかる、わかるよキミの気持ちぃ♪♪(こらこら)メールしたり誰かと話していたりすれば、そんなのも少しは和らぐというので、そういう理由を大義名分にして、あたくしは久しぶりに彼女と長電話をするにいたった。思い起こせば、自分が妊娠8ヶ月の時。彼女のようにいつまでも気持ちが悪かったり、吐き続けたり・・・・なんてことはなかった。むしろ、つわりの間もちっとも吐けないばっかりに、摂った栄養が全て血となり肉となってしまうというある意味「地獄」を見る羽目になってしまったのだ( ̄∇ ̄;)あの時に培った血とか肉が未だに削ぎ落ちていかないこの現実を、どうしてくれようかと思うよ。。。まぁそんなことはさておき、だ。自分が妊娠8ヶ月の時・・・・というと、ちょうど頃は5月くらい。屋外はどんどん暑くなってきて、外を歩き回るのがだんだん危険になってきたり(笑)。腹はどんどん大きくなるし、重いし、しんどいし、何より「痛い」!!そう!! 胎動がすごく痛かったことを鮮明に思い出した。物の本やら、知人の話に耳を傾ければ、「ぽこぽこ、ぐにぐにとお腹の中で動くこの子が愛しい♪」 だの「動いてくれるたびに『あぁ、今日も生きてる♪ よかった♪』と思う。」 だの、あたくしにしてみれば、何だか見当違いなことが書いてあって、よっぽど世間の皆々様は痛みに対して我慢強くて、半ばマゾみたいに幸せを感じているんだなぁと皮肉半分に感心していた。あたくしの腹の中は、明らかにこんなに穏やかな様子とは違っていた。動くとなればいつでも全力だったクロワさん( ̄∇ ̄;)あたくしは彼女の胎動が始まると、何をしていても中断せねばならないくらい身動きできぬほどの痛みをそのたびに感じていて、実質とても不便で、正直な話、かなり不愉快だった。コレを逐一我慢するだけでも大変なのに、何が悲しくて「幸せ〜♪」と言わなくてはならないのか、本当に妊婦に求められている「幻想」に幻滅、愕然の繰り返し。早く出したいと、口に出して言うと「不謹慎だ」とぷよ2には言われるし、だったら、この痛みをどうしてくれるんだよ!? とストレスもたまる一方。どんなに手がかかるようになろうとも、あたくしはこの子を腹の中に戻したいだなんてこの方一度も考えたことがない。産み落とした今となっては、妊娠中が本当に一番しんどかったので、今、多少、激しくぐずろうとも、あの時の痛みに比べればあやしたり抱っこしたり、おっぱいあげたりその方が、億万倍ラクチンなのである。なんてことを、おじょ〜にも話していた。彼女はしんどいながらも、胎動に関しては普通で、「早く産みたいなぁって思うけど、この胎動がなくなるのが寂しいな。」なんて言っていた。あたくしが胎動の痛みを懇々と訴えるのを聞いて「痛い・・・・なんてことはないなぁ。膀胱や肋骨を押されてる感じはするけど、痛いってことはない。気持ち悪いからやめれ〜ってことはあってもね(笑)。」「( ̄□ ̄;)!! あたしゃ、ほとんど毎日、泣くほど痛かったのに。。。」「胎動激しい子って、生まれる直前まで動いてるって言うよね。」「そうそう!! うちの子、そうだったよ。胎動が収まったら生まれるサインって言われてたのに、破水してもまだ動いてて、結局分娩台の上に乗ってからも、動いてるのがハッキリわかったもん。」「ひょえぇ〜〜っっ!! それはすごいな。」クロワさんが腹の中にいた頃から数えて1年半。あたくしはやっと、自分の腹部に胎動として感じていた痛みが、物の本や知人、多くの妊婦さんたちが経験するレベルの感覚とは、隔絶していたということをハッキリと悟った。初めての妊娠で不安なことが多々あったり、病気との兼ね合い、体重の増加に伴う様々なストレスで自分の体に起きている事態が異常なのかそうでないのかの認識すらしっかり出来ていなかったのだ。さまざまなマイナートラブルや、入院を余儀なくされるような状態にもならず、頗る順調にきていたので、胎動が痛いと訴えることもしなかった。・・・・つか、訴えたところで、あの産院の先生は何もしてくれなかったと思うけど( ̄∇ ̄;)どおりで、周囲の妊婦たちが幸せにしていられたはずだ。あの痛みがないのだったら、あたくしだってどんなにか楽だったかと思う。同じ産院に通ってきていた、幸せテンションの高い妊婦さんたちが疎ましく感じていたこともあってマタニティライフを完全に謳歌しまくっている人に対しては、ホント、殺意を抱くくらいだった。例えばぷよ2に痛いと訴えても、「胎動=幸せの証」だと信じて疑わないわけだから、取り合ってさえもくれない。あまりの痛さに、あたくしがクロワさんに悪態をついていたりすると、あたくし1人が悪者になっていったのだ。そんな状態で、およそ半年(胎動開始から数えて)。「早く産みたい」と心底願って、何が悪い!!??・・・・と今なら堂々と言えるけど、当時はそれすらも咎められて、あたくしは本当に1人っきりにされた感じだった。周囲からは「辛抱のきかない母親」扱い、そして腹の中ではわが子が縦横無尽に暴れる・・・・肉体的にも精神的にも疲弊しきっちゃったよ、ホントに。で、こんな痛みと始終付き合っていたから、一体、どこからが陣痛なのかもよくわかんないままだった。ということはだよ。ある程度の月齢からは、それこそ微弱陣痛並みの痛みを毎日のように味わい続けてきたといっても過言ではなく、あたくしは辛抱がきかないどころか、人一倍我慢を強いられてきたともいえる。陣痛の間もずっとこの子は動き続けていて、この子が動くから痛いのか、さぁいよいよ子宮が収縮し始めて痛いのかの区別がつかなかったのだ。それもコレも終わってみたからいえること。おじょ〜のお産を控えてやっと冷静に振り返ることができて、やっと、やっと、わかったことだ。あたくしは、自分の「アレ」が普通のことと思っていて、みんな同じように痛いのだとも思っていた。認識のズレを是正して、やっと少しほっとできたかも。おじょ〜はあたくしに比べると身長が10cmほど低く、小柄だ。お腹が大きくなるにつれ、胃が押し上げられる感覚が強くなって、それでしんどいみたいなのだ。コレも個人差、個体差、腹の中の子供のサイズ、諸々の事情で表面化する問題にも違いがあろうが、コレも冷静に考えれば、すぐに納得のいく物理的な問題なのであった。身長163cmのあたくしが臨月、50cm、3000gの物体を腹の中に抱えるのと身長150cm強のおじょ〜が同じように50cm、3000gの物体を腹の中に抱えるのとでは状況が全く異なる。頭や体の大きさの比率が同じと換算して、身長が10cm違えば、胴の長さもそれだけ違う。そこに、大体同じくらいのサイズの物体が宿る。胃が押し上げられる人とそうでない人がいてまたコレ当然なのだな。うちの子は、よく動くしよく食べる。腹の中からそんな具合で、今もそのまま大きくなりつつある。ありがたいことに健康そのもの。発熱もたった1回、1日のみ。風邪らしい風邪はそれだけだった。活発に手足を動かす、丈夫な子。腹の中にいるときは、それが本当に煩わしかったわけだが、今ではその元気のよさで母として随分救われている。きっとどこかでしんどい分、どこかでラクができるようにできてるんだろう^^;↑こりごりなんです(; ̄- ̄;)おじょ〜も無事にお産を終えられるといいな。年末年始にかけて帰省し、こっちで産む。生まれたら、はりきって駆けつけちゃうもんね〜♪♪
まるで申し合わせたかのように、2人のスポーツ選手が同じ日に謝罪会見を開いた。言わずと知れた2人である( ̄∇ ̄;)会見そのものは見ていないんだけど、その後の報道番組でしつこいほど検証していたのでさすがのあたくしの目にも届く運びとなる。まず、2人が同じ日にというのを聞いた時点で、あたくしなどはどんびきであった。何を考えているのやら。で、各報道番組であれやこれやと検証される前に、あたくしは素直に思ったことがある。「そんなにイヤなら、謝らなきゃいいのに。。。」「そっちの方がよっぽど潔くてスッキリしてるよ。。。」横綱も、18歳のビッグマウスも、本当に申し合わせたかのようにまず「悪い」だなんて思っていない、そんな空気がバンバン出ていて、どこが謝罪だよといった感じで( ̄∇ ̄;)そもそも、粗相の内容が世間をなめているレベルなので、「それがオレ様の価値観だぜ。」とでも言って、ぶっちぎってしまったほうが内容はどうあれ「信念」には違いないわけだから、カッコはついたわけだ。イヤイヤ謝るなら、謝らない方がマシだよ。あたくしはマジでそう思う。だってさ、あの2人、どっからどう見ても「謝ること」について全然納得してないもんね。体裁を整えるのであれば、もう少しきちんと演技しないと皆がしんどい。あたくしも幼少の頃から「謝らないヤツだ」と親から散々に言われてきた。そのとおり、納得できない案件に対しては「謝れ!!」と言われても絶対に謝らなかった。イヤイヤ謝ると、更に叱られたからだ。そして、自分が悪いと本当に理解できたことの方が少なかったから。兄弟喧嘩の後に待っているのは理不尽と不条理のカタマリ(笑)、どれだけ弟が悪くても、「謝れ!!」と言われるのは私で、謝ることに対して納得できる説明なんてこれっぽっちもしてもらえなかったものだから、あたくしの不満はどんどん膨らむばかりだった。だから、学校に行っている間は本当に平和だった。何かことが起きると、ほとんどの場合、結構な数の目撃者がいるからだ。自分が悪かった場合は「納得」を手に入れてきちんと認めることも出来るし、逆にシロであることはきちんと主張すれば、ちゃんと立証されて、無駄に「謝れ!!」だなんて要求されないからだ。あたくしが悪かった場合には、相当量の説明が付いた気もする。だから納得できたともいえる。面倒だけど、白と黒がハッキリ付くような検証をする人もいるので、そっちに便乗した方が、外面のよかったあたくしなんかにしてみれば相当有利だったし。コレが家だと、弟とのいさかいにほとんどの場合は目撃者なんかいるはずもなく、泣いたもん勝ちで、泣いていない方が悪いとされてしまうからたまったものじゃない。とにかく謝れ、と、謝ることだけを強要された気がする。まぁ・・・・な。それが世間の縮図といってしまえばそうなんだけどね。日常の家庭生活で、このような理不尽とか不条理にまみれていると、毎日毎日頭にくることばかり。謝らなくてもいいことまで謝っていると、自分に信念がなくなる!!とあたくしは感じた。子供らしくないといえばそうなんだけど、逆にグレーゾーンが理解できない、子供じみた発想がこびりついていた所以かも。と、このような育ちであったので、あたくしには彼らが本当に反省しているか、悪いと思っているかその真偽は一発で見抜ける!! と自負している。恐らく、何で謝らなければならないかという点に関しては、2人とも未だにきちんと納得できていないと思う。流暢な日本語で話しているように見える横綱も、よくよく会見の内容を聞いているとニュアンス重視で話を進めようとするので、ツッコミどころ満載な言葉遣い。ビックリするほどに間違いだらけの日本語で、更に品格を乏しくしたと思う。ビッグマウスはもう若さと兄ちゃんに免じて・・・・と思わないことには、ね(苦笑)。まぁ、彼は、もういいや(笑)。世間に対して謝るよりも、ボコった相手に平身低頭謝罪すればそれでいいと思うし。横綱だって、自分に信念があって本当に伝えたいことがあるのなら、簡単に謝罪会見なんか開かずに、その旨をまずは協会なりに主張しにいけばいいのに。彼は日本人じゃないんだから、そういう自由さがあっても誰も責めない。謝れ、謝れ、まず頭下げろ・・・・と言われて「????」なら、そう言えばいいのに。悪いと思っていないのに謝っている人たちを見ると、何だか気持ち悪くてね。形式と礼節を同じくらい重んじる日本人ならではの発想からくる「謝罪会見」。どっちも大事だと日本人であるあたくしは思うわけだけれど、そこにはやっぱり「信念」みたいなものがある程度伴わないと、本当にしらける。↑どっちでもいいか、もう(苦笑)つか、そもそも、謝らなければならないようなことをしなけりゃいいだけの話なんだけどさ( ̄∇ ̄;)