最近・・・・。
すっごく文芸らしいことを書いているような気がする(爆)。誌評だの書評だの短歌だの・・・・
文芸ジャンルにいるんだから、それがそもそも当然なんだけど、
やってるうちに、だんだん不健康になっていくような気がして(笑)、でもやめられない哀しきサガ。
この、清廉潔白ともいえる、溌剌とした「健康さ」を求める気質が(自分で言うなや( ̄∇ ̄;))
自作品に鮮烈な閃きを齎さないのだ・・・・などと、あたくしの主治医・オーアエは
尤もらしいことを言うのだけど、文芸人=不健康という方程式が一般社会で蔓延している
その常識ともとれる事実が嘆かわしいわ(トホホ)。
今日、クイズ番組で、紀貫之の歌が出題されて、あたくしはその答えが
間違いなく「橘」だと認識していたのだけど、正解は「梅」であった。
奇しくも、百人一首の中の歌のことだから、ハッキリ言って逃してはならない問題のはずなのに。
あたくし、起きぬけの自分の頭を恨みます。
でもなぁ・・・・何となくなんだけど、「橘」のような気がしたんだよなぁ。
多分、皆さんもご存知かと思われる、有名な歌です。
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける
これです。教科書かなんかで見たことくらいはあるかなぁ・・・・って程度の歌ですけど。
こっから、文芸です(爆)。
えっとですね、普通、和歌の中に「花」という言葉が出てくると、
それはほぼ十中八九、「桜」と訳されます。
で、この歌に限り、出典の前後文から割り出していくと、桜ではなく「梅」だということがわかっていて、
上記のように、よくクイズなんかでも出題されます。
迂闊ですよね。そんな常識中の常識に惑わされて、桜と解釈するならいざ知らず、
事もあろうに、「橘」と思い込んでいたあたくしの不甲斐なさったら( ̄∇ ̄;)
きっと、何かの和歌と勘違いしたんでしょうなぁ。
あまりに気持ち悪いので、思い当たるフシのある高校時代の国語の教科書を
見てこようと思います。
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あった・・・・。あたくしの勘違いを引き起こしていた和歌は、古今和歌集の中にキッチリ存在しました(笑)。
(数分で探し当てる、あたくしの執念もすごいよな・・・・)
どうして「橘」が頭から離れなかったのか、その理由は明々白々で、
当時、あたくしらの国語の教鞭をとっていた、タカセ師が、授業中によく、
いらん事を色々と吹き込んでくれて、例えば和歌のくだりになれば
男と女の情愛についてだとか、
ややこしい純文学のくだりになれば、作者がいかにキ●ガイであったかとか、
石川啄木の手にマメなどない( ̄^ ̄)と言い切ったのも彼だし、
いいか、お前たち、教科書にはこう解釈してあるが実際の社会でこんなものは一切通用せん( ̄^ ̄)
だとか、教育委員会が聞いたらビックリするようなことを平気で授業中に
うら若き高校生に吹き込んでいたことが原因かと思われる(爆)。
あたくしが「橘」を勘違いして覚えていた歌はこれでした。
五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする
何となく印象が似ていたので、勘違いしておりました。
オマケに、この歌に前後して、紀貫之の別の歌も教科書に掲載されていたので
記憶の回路が混線してしまったようです。
しかもこの歌、題知らずの上、よみ人しらず。
要するに作者のことやその背景なんかもあんまりよくわかってないんだけど、
解釈すると何だか情緒豊かでいい歌なので、教科書にも載っちゃうくらいの、ある意味、勢いある歌です。
これを、件のタカセ師がどう解釈したかというと、
当時の記憶を、まぁ徐に辿って、要約して云うと・・・・・・
「この歌はやなぁ、男と女の歌や。
お前ら、橘の花がどういう匂いするか知っとるか?
柑橘類って言葉があるやろ、要するに『レモンの香り』や♪
その『レモンの香り』がやぞ、袖についとったっていうのを思い出したってことはや、
これ、即ち、『腕枕』の記憶っちゅうわけや。
教科書には『昔の人』っつうのが『昔馴染みの人』なんて書いてあるけど、
アホらしい、とろくさいなぁ・・・・『昔のオトコ』のことですわ。
このオトコもアレやなぁ・・・・覚えやすい香りを身につけとったっていうわけや。
よみ人しらずって書いたる場合、大概、詠み手はオンナ( ̄^ ̄)
このオンナは、五月になって橘の花が咲いて、その匂いをかぐと、
自動的に昔のオトコを思い出しちゃうわよん♪と、まぁ、こういうふうに歌にしたわけやな。」
と、彼にかかると、古今和歌集もこんな感じになっちゃうのである(苦笑)。
「まぁ、お前らもいずれこういうシチュエイションに出会うこともあろうが、
いいか、騙されるなよ。
匂いの記憶っつうのは案外厄介でなぁ。
同じ香水をつけているオトコと出会ってしまうと、不思議なことに
昔のオトコのことを鮮烈に思い出してしまうっつうのは事実や。
そういうのにホイホイ騙されて、本能の赴くままについていかんように。
同じ間違いをするぞぉ~~(笑)」
オプション解釈として、このようなことまで授業中に話してくれる、
なんともありがたい先生ではあった。
古今和歌集が国語Ⅱの教科書に載っていたということは、この授業を受けたのは
高校3年の時になる。
その、高校3年の時の授業内容を、ここまで明確に思い出せるのは、
多分、オプション解釈がついていたからだと思う(爆)。
実際、彼の言っていることはほとんど正しくて、
同じような匂いを身に纏っているオトコにほだされかけた時に、タカセ師のこの言葉が頭を過ぎり
「いかん、いかん!」と首を横に振りつつ、でも、本能的にフラフラ~っと
ついていってしまった思い出とかは少なからずともあったりして、
本当に彼の言う通り、実生活で役に立つ、とてもいい勉強をさせて頂いた(爆)。
あたくしが高校3年の時・・・・即ち、そこは私立文系を目指す女子クラスである。
このオプション解釈も、男子クラス用・女子クラス用の2パターンと、
共学クラス用の汎用パターンがあったりして、
あたくし、本当は女子クラスなんか大っ嫌いで、共学クラスに行きたかったんだけど
こういう授業が、大好きな国語の時に受けられるのはお得だったので、
何とか1年間、我慢できたようなものだ。
共学クラス(同私立文系)の授業内容を聞くと、同じ古今和歌集をやっているのに、
解釈が全く違って、ノートの内容も随分違うのだ(爆笑)。
そして、もっと面白いのは、理系の男子クラスの連中に同じ古今和歌集を教えている際の
オプション解釈が女クラバージョンと全然違っていたことだった。
当時、仲の良かった男クラのひとりに聞いたところ、要約すると、あの歌はこんな感じに解釈されていた。
「オンナっつうのは厄介なものでなぁ・・・・。
この歌みたいに、橘の香りで昔のオトコのことを思い出して、
ひとり夜な夜な枕を濡らす・・・・なぁんていう幻想を持ったら、お前らも終わりや( ̄^ ̄)
えぇか、お前ら。オンナの涙には騙されるなよ。
『この香水の匂いで、どうしてもあの人のことを思い出しちゃうの(ノд-。)クスン』
なんてやられて、『そうか、そうか・・・・』と物分りよく抱きしめたら、
そこでお前らは終わっとるぞ。
オンナはその裏で、勝利の笑みを( ̄ー ̄)ニヤリッと浮かべるんやでな。
涙はオンナの武器や。ひとり夜な夜な泣くほど、オンナは泣いてへんもんなんや。わかったか?」
タカセさん、そりゃないぜ?(爆)
そりゃあ、計算高く、男の前でだけ涙が出るシステムを確立させているオンナは山といるけれど、
女クラと男クラでこの差・・・・( ̄∇ ̄;) 一介の国語教師が、授業中に一体何を教えているのさ(爆)。
しかし、このような臨機応変な授業が功を奏し、彼は、風貌はともかく、
生徒たちから厚い信頼を集めており、当時は物凄い人気者であった。
そんなタカセ師が、我々が1年生の夏場だったか秋口だったか、
とにかくそのくらいの時期に、こんな名言を授業中に吐いたことがあった。
当時は、全クラスが共学クラスだったので、タカセ師の出入りしているクラスの人間は、
多分全員、耳にしているだろう。
「お前らなぁ、高校生になって、新しい恋を探すのに夢中になるのもわかるけど、
1つだけ、俺から忠告しといたるわ。
男子諸君・・・・まだキミたちは同級生の本当の素顔を知らんだろう。
何も慌てることはない。
この学校には、代々、体育祭で女子生徒だけで行われる『棒引き』という
凄まじい競技があるから、その競技内容を見てから、自分に見合った彼女を
選ぶこっちゃな・・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ」
確かに、「俄かカップル」みたいなものが出来たり、すぐに別れたりと
そんな時期だったし、同時に夏休みが絡むような時期だったので、
嗚呼、これは生活指導の一環なのかもしれないな・・・・と、男子に忠告されたこの名言を
女子もそれとなく聞き流していた。
それはまだ、女子生徒全員参加による「棒引き」の本当の恐ろしさを知らなかったからである。
ここから、かなり文芸から離れた話をします(笑)。
うちの母校の体育祭の目玉競技とも云われる、棒引き。
参加者は、1年から3年までの女子全員。
赤・白・黄・緑の4団総当り決戦で行われる。
ルールは極々シンプル。
大小計11本の竹の棒のうち、6本自分の陣地まで持ち帰った方が勝者。
案外簡単だな・・・・と思っていたら、実は全然そうではなかった。
竹は、男子が棒倒しに使うような、ど太く、数メートルあるようなモノから、
1人ででも引っ張ってこれそうな、細っこいものまで多種多様で、
長さもそれぞれ全然違う。
これが校庭のど真ん中に並べられ、奪い合うのだ。
各団の戦法も様々で、とにかく数獲った方が勝ちなのだけど、
総当たり戦なので、獲り方にかなり重点を置かねばならないらしい。
見れば、我が黄団応援団の3年女子幹部の気合とテンションがかなり異様。
そして1・2年の女子応援団は競技前に前線に呼びつけられ、それぞれに作戦を言い渡される。
「何をしてもいいから、あんたたちのノルマは3本。」
「あのぅ・・・・何をしてもいいっていうのは・・・・?」
「獲れなかったなんて言い訳は聞きたくない。
とにかく、初戦で1年が3本獲れば、勝負が決まんだから!!」
「・・・・は、はい。」
後にわかったのは、先輩の言う「何をしてもいい」というのは、本当に文字通りの意味で、
殴ろうが蹴ろうが、髪を引っ張ろうが相手を踏み付けようが、
とにかく、自分の陣地に棒が6本揃うまで、死ぬ気で闘え・・・・という意味であった( ̄∇ ̄;)
タカセ師の言葉が脳裏を過ぎる。
なるほど・・・・これを見てからでも、オンナ選びは遅くはないというわけか・・・・。
妙に納得した瞬間であった。
その納得が実感に変わる時は、すぐに来た。
競技開始の雷管がなるや否や、怒号みたいな雄叫びがこだまして、
花も恥らうティーンエイジャーたちが、形振りかまわず、竹の棒に喰らいついていくのである。
どこの団でも、1年に出されるお達しは同じ。
しかも、1年から3年までの女子全員が入り乱れての競技なので、1年はなるべく
2・3年が絡んでいる棒には近づきたくない(爆)。
そう。
そこでは既に、過去の経験者たちが殴りあい押し合い圧し合いを繰り広げ、
非常に危険な地帯になっているからなのである。
すると必然的に、1年は1年対決となるのだが、先輩からの通達があまりに恐ろしいので、
とにかく3本獲らなきゃいけないの!!と、あたくしら応援団は、1年生全員に
その旨と、本当の意味での恐ろしさを伝言ゲームのようにして伝えて、競技に挑む。
と、1年の時の棒引きは、先輩たちに煽られながら、何とか事無きを得た。
翌年からは違う。今度はうちらが通達を出す番だ(爆)。
もう男子に何を隠し立てするものもない。
いいかお前ら、棒獲って来い( ̄^ ̄)という、3年幹部の言葉に無言で頷き、
自分たちが引きずり込んだ棒の他に、荒れているところがあれば率先して挑んでいき、
競技の名前が「棒引き」なのにもかかわらず、相手に引かせず、
後ろに回りこんで押し返す・・・・などという荒業も繰り広げられた。
そして、幹部になった3年時。
あたくしが総指揮を獲っていたので、女子全員を集めて、通達を出すこの快感(爆笑)。
「いい? 今年のうちの男子はアテにならんからね。
ここで3勝納めて、凱旋じゃ~~!!」
全員
「おぉ~~っ!!
(/― ―)/」
やる気があって、大変結構。
この年、本当に総当たり戦で全勝を納め凱旋し、
女子の士気を高めるために引き合いに出した男子も、棒倒しで大健闘を納め
見に来た(恐ろしい)OBに恥をかかせることなく、例年通り体育祭は終了していったのでありました。
例年通り・・・・というのには、まだオマケがある。
この「棒引き」が終了すると、各団から必ず負傷者が数名出ることでも有名なのである。
男子限定の「棒倒し」ではあんまり負傷者が出ないにも拘らず、だ。
要領を得ない可哀想な乙女数人が、毎年、失神寸前の有様で、救急テントの下に運ばれていく。
ある者は、棒に触れたはいいが引きずり回された挙句、敵か味方かわからないけれど
何人もの脚にぐちゃぐちゃに踏みつけられ、
そしてある者は、具体的に、捻挫であるとか打撲であるとか、
とにかく、女子限定競技にしてはかなり凄まじい怪我で、
しかも、毎年その負傷者は後を絶たないのである。
よくもまぁ、あんな競技が数年にわたり続いたものだと、今では不思議なほどだ。
そういう有様なので、本当に何でもアリなんだと乙女たちは悟る(爆)。
ここぞとばかりにわざと相手の団のリレー選手のホープを潰しにかかったり、
こっちはというと、足の速いのは最初は前線に立たせ、早目に棒の位置をずらすきっかけを作らせたら、
後は体力を温存させるために、もう確保同然の棒を陣地に運ばせるといった役割を当てたりする。
そのために、ある意味「女らしい」汚い作戦が次々と飛び出すのである。
同じようにホープを後ろに隠してなかなか出させない相手には、
もう捨て駒同然の棒に対しても果敢にアタックを仕掛け、
絶対に陣地内に入れ込ませないように、珠玉の攻防戦をわざと仕掛けたりもする。
さっきも書いた、「押し返し」だ。
この「押し返し」に耐えられる竹の棒は、大体半分くらいしかない。
大物が結構最後の方まで残るので、そこに女子生徒全員が突進していって、
引き合いをする後ろ手に回って、引けないように押し返す・・・・この作戦は
あたくしが最後の年に、3年女子に通達した「怖いモンなしの女たち」を作るに相応しい
集大成的作戦となった(笑)。
あたくしは、高校時代、同じ学校に彼氏を作らなかったので、
体面や体裁を気にすることなどなく、本当に、どうとでも、何とでもなるのであった(爆)。
しかし、あたくしの煽りに対して、怒号で応えたあの乙女たち・・・・。
キミたちは多分、間違っていると思うよ(爆笑)。
キミたちは、花も恥らう乙女たちで、これから素敵な恋が待っているかもしれないんだ。
キミたちのことを、普段、校舎の陰からそっと覗いていた男子生徒がいたかもしれないじゃないか。
それを高々、体育祭の「棒引き」でイメージをぶち壊すことをしてはならないよ、やっぱり(苦笑)。
と、このようなことは、あたくし自身にも言えるのだけれど、
如何せん、あたくしは当時、外にステディがいたので、あんまり関係なく、
殊「棒引き」については、本当に楽しませてもらったクチだし、
ひょっとしたら、誰かに危害を加えていたかもしれない(爆)<ゴメンね♪
橘や梅の香りに恋心を重ね合わせる歌を、国語の授業で習っても、
オンナの本性というのにはあんまり影響がないらしく、
仄かに香る、そんな花々より、
白檀や麝香の匂いに触発されて、戦闘モードにスイッチが切り替わってしまう
厄介な生き物なんだ、オンナというヤツは。
麝香というのは、ムスクに近い匂いがします。
ただ、植物からではなく、動物から獲った匂いなので、かなりきついです。
えへへ♪ 最後まで読んだ人はちょっとだけ勉強になったね♪
(長かったよな・・・・)
【追記】
この日記を書いた後、母校のHPを覗きにいった。
昨年の体育祭の模様が、写真画像としてアップしてあった。
応援団のことについては、昔、この日記にも書いたので、あまり触れずにおくが
な、なんと!!
「棒引き」いまだ、健在(爆笑)。
棒は竹ではなく、ポリ製の洗濯竿みたいなモノに変わっていて、
太さも長さも統一されているようだったが、未だにあの競技が続いているとは
それこそビックリ仰天である。
あんなに沢山の怪我人を輩出しておきながら、取りやめにならない、伝統競技・・・・「棒引き」
マスゲームの露出過多な衣装については、すぐに訂正案が出され、
あたくしらが卒業した数年後には随分大人しくなったというのに・・・・
怪我人多数の「棒引き」は健在かぁ・・・・(-。-) ぼそっ
21世紀になってもこの競技は、女性の底力を試し見るための大事な儀式として、
母校の乙女たちは毎年奮闘しているようである。
あれから、10年以上経つというのに・・・・(爆)
そして、この競技が生まれたのは、あたくしが入学するず~っと前だというのに(爆爆)