● おさるのひとりごと ●


←目次へ昔のハナシ最近のハナシ
感想などはコチラ


2003年10月31日(金) はろうぃん

昔は毎年何か1つカボチャグッズを買ってたなぁ。
カボチャパンツ(と言ってもアラレちゃんがはいてる様なのではなくて)を買った時もあったなぁ。

そんなわけでハローウィンです。
いや、だからって。
いやいやいや・・・。(謎)


2003年10月30日(木) 出張

明日から旦那が九州に出張である。
うひょひょ♪亭主元気で・・・と思いきや、私は仕事なのであった。
皆様は今月は10日は休みがあるのに、うちの会社の規定で月6日まで、しかも土日は却下なので
先日招待状を提出して許可となった友達の誕生日に2日を使うのであと4日。
だが、実は来週の平日に用事があるので1日、もう3日しか残らない。
ので、休まず働く週もアリなわけで・・・。
連休なんて持っての他なわけで・・・。
ましてや3連休なんて・・・。
友達とも会えないなんて悲しい人生だ。

ちなみに旦那は3連休を利用して、仕事が終わった後は実家に帰る予定なのであった。
いいなー。
(ずーっと顔を出していない嫁、な私・・・。)(^^;


2003年10月29日(水) ばたばた

夕べは12時前に床に着くも、なんだか変な感じで眠れず。
旦那にゴネてみたりする。
しまいに泣き出す。
丸っきり矛盾した事を言い、感情のコントロールが出来ない。
結局3時までゴロゴロして、その後は5分〜30分の間隔でちまちまと目を覚ましていた。
そのまま朝。通常勤務する。
やっぱりこれってこないだも書いた月経なんとか症候群なのかなぁ?
朝起きたら何事もなくスッキリしていたし。
それとも単純に鬱かなんかになっちまったのでしょうか?
自分でもよくわかりません。

会社帰りの電車は結構長く座れたのでよしとする。
途中、落ちかけたけれども。(^^;


2003年10月28日(火) ショック・・・

今日は色々とショックなことがありました。
その中のひとつ。
そごうのペットショップになごみに行って、だがしかしすでにもう動物はキャリーの中。
なのでグッズを意味もなく見る。
すると、全部英語でかかれた箱に奇妙な物体が。
ビーグルぐらいのサイズの犬の下半身の人形が。
なんだこれ?
触ってみる。軟らかい。
スイッチがある。押してみる。
・・・・・・・・・。
キャンキャン言いながらしっぽをふりふり・・・。
後ろに回ってみると穴が・・・。
・・・これって。
ショックでした。
とてつもなくショックでした。
いや、犬だって欲望のはけ口が必要な時はあるんだろうけど、こういうのがあるとは・・・。
マジでショックでした。
打ちひしがれてます・・・。


2003年10月27日(月) 任される

昨日、現場に行ったところの図面を取りあえずは任される事になった。
一応書いてみる。うまく纏まったとは思うが、現場に行った時の荷物の多さを考えると
結局どうにもならないような・・・。
まあ、明後日また考えてみよう。
だって明日は休みなんだもーん。(⌒-⌒)

・・・でも遊ぶ人がいないよぅ。誰か遊んでぇ。(^^;


2003年10月26日(日) 家族の幸せ

今日は近くの現場に直行だったので朝は楽だった。
が、しかし会社に帰ってからは忙しかったです。
なわけで帰って来てシャワー浴びたらこんな時間。(27日の午前1時5分)
明日も早いしちょっと疲れるなぁ。生理も始まったし、頭ぼーっとして辛い。
でも、実はこれでもみんなより先に帰って来たわけで・・・。
みんなと同じ時間までやったら帰って来れないわけで・・・。
土日祝は最高に遅くても22:34?37?の電車に乗れないと帰って来れないのだな。
でも、仕事が忙しいのは土日祝。
むむぅ。大変でし。

でも、セールス(?)トークで『御家族の幸せのために』とか『御家族のこれからのために』とか
この会社だけじゃなくて住宅屋は大体そんなセリフを吐くのだけれど、私はいつも不思議でしょうがない。
『それって自分ちは含まれないの?』って。
この業界人の離婚経験者のなんたるほど多い事か。
(ちなみにうちの会社の最高は35才でバツ3、しかも現在4回目の結婚中、って人らしい。)
自分の家庭を犠牲にしてまで他人の家庭をサポートする必要がどこにあろうか。
とか言っても、この業界に携わる人の多い事・・・。


2003年10月25日(土) Cタイプ

これを見て納得。
私『C』かも!!Σ( ̄□ ̄|||)しかも思いきりかなり。
こないだの不安で落ち込みまくってたのもこれかも!
・・・てなわけではじまりつつあります。(笑)

でも、明日は朝から現場だ。
三ツ鏡だ。
近いぞー。わーい。少し寝てられる♪
とは言え、明日は設計として行くのは私だけ。責任重大です。
うおー。しっかりしなきゃー。(^^;
休みが待ち遠しいわ。
誰か遊んで。
ぱあーーーーっと、ぱあーーーーっと!!


2003年10月24日(金) 掛け合い漫才

通勤電車での密かな楽しみ。
それは男子高校生2人組みの会話だ。
まあ、通勤通学って、大体乗るところが決まってるから、会う人も同じ。
でも、まだ1週間と乗ってないので本来の私ならばわからないハズなんだけど、その2人組は
顔は見てないのでわかんないけど、いつもツッコミところ満載のおかしな会話をやりあってるのだ。
どうやら受験生らしく、ネタは受験ネタが多いのだが、その受験ネタが面白いってのはどうなんだ?(笑)
でも、ちょっと感動(?)したセリフも言っていた。

『俺、「人生カン違い」だと思うんだよ』
『なんだそれ?』
『自分の都合のいい様にカン違いするんだ。』
『で?』
『後ろ向きじゃない、ってことだ。いいだろ?』

ほう。
なんだか必須な気がしました。
ただ、その後の会話がなんなんだけどね。(^^;

『俺、こないだのテスト、思ったより出来なくてさ・・・』

いい様にカン違いしてたのかしらね?(笑)

お話変わりますが、HPを見てもらえると分かりますが、うちのプロバイダ、メール機能が死んでおります。
夕べの分から届いておりません。今だ復旧してません。
なので、急いで見て欲しいのがある人は携帯メールまで。m(_ _)m


2003年10月23日(木) 直行直帰

今日は上大岡と川崎で打ち合わせと現場調査だった。
上大岡が10時半からだったので、直行してもよいと言う事になったが、ゆっくりしないで
早めに出て、住民票を取ったり、郵便局に行ったり、銀行に行ったり、バスの定期売り場を探したり
してるうちに約束の時間に。
が、待ち合わせ場所に着く直前で遅れるとの電話が。
結局、1時間近く遅れて来たので、その間、ちょっと待ち合わせ場所の店舗を物色。
灯油のポリタンクのふたが割れたままなので、それを購入。満足。
打ち合わせは内容が異なるので比較してどうとは言えないが、やっぱり色々考える事があるのねぇ。
あと、やっぱりリーダーはかっこええのう。頭の回転いいですわ。
でも、施主さんが『あっ、建築士さんじゃないんですもんね』と言うのはやはり女性だからだろうか?
みんなちゃんと持ってるんですけど。(しかもリーダーは1級だし。)
川崎の現場調査は1からだったので結構細かいし大変だったけど、これらが現況の図面起こしには
必要不可欠なので必死に計ってはメモる。
終わったら5時近かったので、『直帰していいよ』と言われる。ラッキー(はーと)
でも、浜川崎なんて初めて行ったなぁ。
なんだかんだで川崎からじゃないので、思ったよりは帰るのに時間がかかった。
あ。営業車、ちょっと運転させてもらった。ブレーキが軽くてちょっと運転しずらいな。(^^;
毎日こうなら楽なんだけどなぁ。(笑)(それは贅沢過ぎだ。)


2003年10月22日(水) 意気込んで

朝、エレベータの中でチームリーダーと会った。
『おはよう。やめようと思ってない?続けられそう?』と聞かれたので『辞めようと思ってます。』と
言うと、まさかそんな事は軽く交わされると思っていたようでえらく驚いた顔をされる。
朝礼前にブースに呼ばれて話を聞かれた。
ほんとに辞めようと思っていたので、思った事を言う。
まあ、するとチーフも私が腹を割って話したので、自分もそうしなければと思ったのか
朝っぱらからディープな話題満載。
今回が会社初の女性だけのチームで、それはリーダーが社長に作らせてくれ、と頼んだらしく
『残業当たり前』な感じの社風を『横も縦も連係しあって効率良くしたらそんなに毎日毎日遅くまで
残業しなくてもいいのではないか?早く帰れる時は帰ろう。休める時は休もう。既婚者や子供がいる人でも
働きやすい、特に女性が働きやすい環境を作ろう』の実験的とも言えるプロジェクトとして設置されたのが
私が配属されたチームらしく、色々説得されて取りあえずしばらく頑張ってみる事に。
体良く担がれた気もするが今は担がれておこうかな、とも思えたし・・・と言うかチーフはいい人だ。
なにより美人だし(おぃ)仕事もできるし人との和も大事にしている。
本気で言ってるのか冗談なのか(会社には美人だらけなのでほんとっぽい気もするが)パソコンが
フリーズしたら某おっさんが『可愛くないからフリーズしたんじゃないのか?』とか言うやつもいるが。
(セクハラ発言じゃないのか?それ。)
中間層はともかく、リーダーは信頼できそうなので頑張ろう。
その他『試用期間終わったら切っちまえ!』とかみんなの前で言ってる上司もいるし。(誰の事かは不明。)
話を聞くと、毎日3〜4人は面接に来てるらしく、私が面接でプランを書いてみせた人に今日ばったり
会ったら『よく受かったね』と言われた。
・・・受からなそうだったのかな?(^^;
まあいいや。昨日も聞いた様に入れ代わりの早い職場のようだし色んな人がいるのであろう。
とりあえず今日はJWってのを使ってみた。まあまあ。昨日のPC2000の方が面白かったな。
どっちもどっちの長所短所はあるみたいだけどね。
覚えが早いと言われたので、明日から私に専用パソコンが当てがわれるらしい。
人数分ないのね。(おかげで私は今日までは休んでる人の席を行ったり来たり。)
でも明日は現場に行く事になったのよん。
現場は横浜南区で10時半に行く事になってるので、私は会社に始発で行っても間に合うかどうか?に
なるので現場直行になった。うーん。ラク♪
9時に家を出てもおっけーでしょう。毎日こうならいいのに。(おぃ)


2003年10月21日(火) ドツボ

なんだか精神的にドツボにハマっています。
ここんとこ色々あって疲れがたまってるのかなぁ?
急に気が抜けたと言うか、何もしたくないと言うか、訳もなく不安と言うか、なにもかも嫌と言うか。

・・・(不順なので断言は出来ないが)生理前のせいかなぁ?

行方知れずになりたい気分。


2003年10月20日(月) 初出勤

『8時半までに7階まで来てね。開いてるとこどこからでも入って来ていいから。』と言われ、先日同様
6:52のバスに乗り会社に向かう。
・・・が、こないだ入ったところは開いてなーい!(^^;
15分程早く着いたので、自力で探そうとウロウロするも、見つからず。
5分前になったので思いきって電話して聞いてみた。『あのー。どこから入ったらいいんでしょう?』。
答えは会社を通り越して階段を3階分ほど下り、駐車場の中を通ってエレベータに、でした。
わかるかい!んなもん。(^^;
さて、なんとか8時半に着くと、40代とおぼしき男性が。この人も今日からの出勤だそうだ。
部署は違うけどね。
その人曰く『あとで受付の女の人が来るから、ここで待ってなさいとのことです。』と。
待つ。・・・待つ。・・・・・・待つ。・・・・・・・・・待つ。待つ事1時間20分。
10時からは会社(店舗)が開店して一般客も来るのでハラハラしつつ、なんとか10分前に
受付のお姉ちゃんは来た。
来てから『この書類の書けるところを書いて下さい。今書けない書類は1週間以内に出して下さい。』と。
だったら待ってる間に書かせろー!!(ーー;
書類は役所とかで貰うものも必要そうだなぁ、なんて思った瞬間にもう担当者が来てさっきの男性とは
別々になる。そして私が入るチームの女の人が来た。
うわー。美人だー。仕事もできそー。かっくいー!都会的ー!・・・ってな感じの人だ。
この人と仕事するのかー・・・ぽーっ(おぃ)なんて思いつつ、話をする。
でも、話を聞いたら不安になったぞ。(^^;
面接でも平均8〜9時って言ってたけど、11時はザラだって。
・・・たしか、私の終電10:50とか55だったような気がするんですけど・・・。(^^;
いくら頑張っても『あの人またみんなより先に帰ってる』って言われるんですかい?
そして忙しい時は7時ぐらいから来ると・・・。(あの、始発乗っても無理なんすけど・・・。)
で、みんなに『みんなこんなに早く来て頑張ってるのにあの人はいつも遅い』って言われるのかなぁ。(^^;
とか言う不安の中、今月いっぱいで辞めると言う女の人に会う。
私好み(☆o☆)キラキラキラキラ〜ン(おぃ)
おばあさんが弘前出身の人で、一昨年はたちねぶたも見に来たと言う。
親しみを感じつつ、好みのお姉ちゃんの話を聞いていると、ニッコリ笑って『こう見えても身体壊しちゃって
辞めるの。』と。あまりに忙しくて、戸塚の実家を出て会社のそばにアパート借りたのに、である。
その他、話を聞くと終電終わるまで働く事もザラでタクシーで帰る人(自腹)、何ヶ月も休みを
貰ってない人、仕事の出来が悪く、辞めるように追い込まれた人、身体を壊した人(他にも結構いるらしい)
など、2〜6ヶ月で辞める人がほとんどだとか。
『うちは回転早いよー』とか言われてもさぁ・・・。(^^;
そんなわけで今日初めて使ったPC2000とか言うCADは今まで入社した人の中で私が一番のスピードで
覚えたらしいが、会社初の女性だけのプロジェクトチームの一員にも選ばれてるらしいが、長い目で考えると
どうなのかな・・・と悩んで来た。
ちなみに急に『あ、明日休みだから』と言われ『なんかしたんですか?』と聞くと『うちのチームの休日は
大体火曜に取ってるから。』と。ほえ?交代制では?チームで交代ってことか?
『ちなみに土日は休めないから。冠婚葬祭でも証明するものないと駄目だから。前にあんまり休みが取れない
からって嘘ついて休んだ人がいてから結婚式なら招待状とかそう言うのを見せないと駄目だから。』と。
マジでつか?!Σ( ̄□ ̄|||)
うにょー・・・。せっかくだけどもし辞めるなら早い方がいいよね?
最初で最後の出勤か?(ーー;
(明日1日悩むとしよう・・・。)


2003年10月19日(日) お墓参り

今日、お墓参りをして、一連の行事(?)が終わるらしい。
次は3・7日(みなのか)とか、そんな2週おきの行事になるようだ。
明日は疲れを取りに父さん母さん2人して温泉に行くらしいが。
ある意味、今までばあさんがいたので(しかもちょっとボケてたし)どちらかが必ず家にいるとか
家を明けても2〜3時間とかだったりしたので、これからは2人一緒に楽しめる事でも見つけて
仲良くやって欲しいものだ。
もちろんしばらくは心にぽっかりと穴でも空いた様になってるとは思うけれど、徐々に2人の楽しみを
見つけて行って欲しいと思う。
この年で初めてのパスポートでも取って海外とかでもいいではないか。(でも行かなそう。(^^;)

それはともかく、ばあさんの写真がえらく好評であった。
訪ねて来る人訪ねて来る人みんなが『あら〜、なんぼいい写真こだっきゃの〜。』と言ってくれた。
元になった写真は、じいさんばあさんの金婚式の記念写真。
じいさんのときもそこから取ったので、ばあさんもそれに合わせてそこから取ったのだ。
でも、じいさんのは白黒に加工したんだけど、あまりよろしくなかったのでばあさんの時はそのまま使用。
お陰で女性らしい綺麗な淡い色の紫を着たばあさんが微笑んでいる写真となった。
前に若く(30〜40代?)して亡くなった女の人の仏壇の写真を見た事があったけど
それもその人が好きだったという綺麗な赤のドレスを着ていた。
女の人の写真はやっぱカラーだな。
仏壇の写真とは言え、なにやら華やかしくてよい。悲痛な感じが少しでも和らぐ。

さて、明日からは今度こそほんとに初出勤。
と、何気にまた求人広告を見ていると、この後に及んで私の希望する条件の仕事が沢山出て来てちょっと悩む。
まあ、受かるとは限らないが・・・ひどいよ。(^^;
仕事に就けたのはいいことだけど、実際は求人広告とかなり違ったもんなぁ。
・・・って、今見て『いい』と思ったやつもその可能性がないとはいい切れないけどさ。
ちなみに明日から行く会社は『勤務地希望に応ず』『始業9時』と言う募集記事だったのだが、
受かってから聞くと『勤務地は多摩センター』だし『8時半までには出社してること』だもんなぁ。
お陰で最高に遅くても6:45には家を出ないといけなくなっちゃったし。
もし、仕事を辞める事があったら、最後までこれがひっかかていた、と思ってもおかしくないぐらいの
ポイントだな。(^^;
『受かったけどどうする?』って言われて『行く』って言ってから『ところで・・・』ってことで
その話をきいて『んじゃやっぱり辞めます』とは言いがたいもんなぁ。(^^;
とりあえずは頑張ろう。


2003年10月18日(土) ここんとこの話し

もしかしたら『ああ。おさるも新しい会社に入って日記を書く余裕が無いくらい忙しいんだろうな』な
なーんて思ってる方もいらっしゃるのかもしれませんが、実は今日の夜に実家から帰って来ました。
13日(月)の夜10時半、とうとうばあさんが亡くなったのです。
初出社に備え、14日になると同時に布団に入ったところに電話の音が。
こんな時間の電話って・・・と思うとやっぱりそうでした。
諸処の状況を聞き、電話を切ってしばらくするとまた電話が。
今度は何かと思ったら『お前は来なくていい』でした。
理由は『この不景気な中でやっと仕事を見つけたのに、こういう理由だとしてももし仕事を無くしたら
今度はいつそのぐらいのレベルの仕事が見つかるかわからない。下手したら見つからないかもしれない。
これからずーっと生きてく人の生活が、亡くなった人の為に犠牲になるべきではない。』と言うのです。
とても真剣に言うので、とりあえず電話を切って、『これこれこう言われたけど私は仕事を失っても
実家に帰りたいけれどもいいか。』と旦那に相談したところ、『俺もおさると同じ考えだ』と言うので
また実家に電話をして『旦那とも相談したけど、やっぱり何がどうなっても実家に帰るよ』と連絡。
でも、最後まで反対していた。なので、勝手に行く事にする。
もちろん、みすみす職を失いたくは無いので、時間的なロスは大きいけれども誠意を持って会社までは行き
電話ではなくて自分の口で事情を説明したらわかってもらえると思う。そうじゃないならそんな会社は
入れなくても構わない。そう思って眠れないまま次の日6:52のバスに乗って会社に行った。
そしたら事情をわかってくれて入社は1週間遅れになる事になった。ありがたい。
入社したら一生懸命頑張らせて戴きます。m(_ _)m
折り返し家に戻り、今度はパソコンで飛行機のチケット検索。
往復割引きでなんとか取れた。でも高いなぁ。(^^;安い時じゃない飛行機なんてそんなに乗ったこと
ないです。(ビンボー人)
そして実家に向かう。夕方6時頃到着。
ばあさんはもう棺に納められていた。死に化粧をしているらしいのだが、死に化粧のせいか、それとも
黄疸がきついせいなのかどことなく黄色っぽい肌色である。
先週見た時よりはむくんでるせいなのか、ちょっとふっくらしてみえた。
外孫の兄ちゃんが一目もはばからずに泣いていた。
なんとも言いがたい。
妹も職場に顔を出してすぐに来てくれたらしく、洗い物や料理の手伝い等、裏方家業に徹していて
妹が大好きな父さんは正直、ばあさんが亡くなった事よりも妹に約2年ぶりに会えた嬉しさの方が
大きいように思えた。事実、声のトーンも張りも、表情もイキイキしていて数年見た事のない様な
嬉しいオーラを全面から放出していた。
まあ、気持ちはわかるけどね。
そんなこんなでこの日から14〜17日までの4日間、まるでホームドラマの様な食事シーンだらけの
生活が始まる。作る量も半端じゃないし、食事と食事の間隔は短いし、アルコールありなので
作ってるか喰ってるか、もしくはばあさん関連の行事(通夜とか葬式とか)をしてるかのいずれかしかない
生活をしていた。おかげで今日はもう胃が痛い。そして体重計に乗ったら久々の大台突入・・・。
ああ。悲しい。非常に悲しい。
・・・と、それはいいとして、日程的には13日死亡、14日納棺、15日火葬、16日通夜、17日葬式で
今日の18日は法要だったのだけど、飛行機の都合で参加できず。
こっちに帰って来たよ、と電話をすると『さっき法要もみんな終わってお客さん達も帰ったよ』と。

ところで、今回、宗教について、と言うかお寺の経営方針について、と言うか宗派について、と言うか
とにかく疑問や不満に思う事が沢山あって、反対されるとは思うけど、個人的に宗派変え出来ないものかと
真剣に考えるようになった。
『地獄の沙汰も金次第』とはよく言ったもので、戒名とやらをつけるのに『いい戒名』にすると高いらしく
お寺さんではそれを薦めるのだそうだ。
だけど、うちの両親が(金が惜しいわけじゃなく)『普通でいいです』と言うとあからさまに
不満気な態度を出したそうで母さんなんかは『あの顔は一生忘れられない』と言うぐらいだったそうだ。
そもそも、亡くなったらみな平等ではないのだろうか?それりゃあ善良な人と凶悪な人とは違ってくれないと
むしろ困る様な気もするが、真っ当に生きて普通の生活送ってる人はどうなんだろう?
戒名で救われたり救われなかったりするのか?
それじゃあ結局前世での財力次第ではないのか?
お経では滅相な事を読経していたけれども、その教えの神髄とは一体なんなのだ?
とか、真剣に考え始めてしまいました。
私はそんな墓に(お寺に)入りたくない。(ってーか、基本的には嫁に出てますけど(^^;)
ちなみに旦那に言っても変な顔をされた。

そんな不満タラタラの私に対して、旦那が実家に電話して聞いてくれた。
『戒名とかなんとかはどうしてるのか』と。
そしたら旦那の実家のお寺さんでは生前の寺への貢献度や信心度で戒名を授けてるらしく、
金額も『心づもり』って感じでいくらと言う決まりなはいんだそうだ。
でも、その地方がそうなのかと言うと、そんなわけでもないらしく、去年行った旦那のお母さん方の
おばあさんの葬式のお寺ではやっぱりうちの実家の方同様、料金制と言うか、そんなのが決まってる
みたいだ。
でも、そんなの聞いてみないとわからないね。ほんと。
でも、聞くにしてもどう聞いたらいいんだ?
お宅の寺は定額制ですか?ってわけでもないし・・・戒名や葬式に関する考え方はどうですか?になるのか?
なんだかよくわからない。でも、納得したところに納まりたい。
本当は墓だ、寺だ、と言うのはあまりこだわりがない。
あくまでも残されたものが祈りの対象にするためのものの様な気がするから。
きっと、宗教や宗派なんか関係なく、魂の帰る場所はひとつだと思うから。
・・・だとしたら私はこれにはこだわらなくていいのか?
でもなんか違う気がする。
これにはもう少し時間が必要だとは思うけど。別に今決めることでもないと思うし。

さて、話は変わるが、もう後厄も残り少なくはなってきたけど、これから使う機会もあるかもしれないし
そんな時に急に探す時間もないだろうと言う事で『厄年には長いものを送られると良い』というので
前々から母さんに『何か考えておいて』と言われていたのを今使ってみた。
苔瑪瑙の長い数珠を買ってもらったのだ。
もちろんばあさんの葬式も終わって帰る前の話しなのでばあさんの葬式には使ってないけど。
でも、できるならこの数珠を使う機会がありませんように・・・とは行かないと思うので
なかなか使いません様に、としておこう。

今回、約2年ぶりに妹に会って、まあ、例によって会うと必ずと言っていい程『なにか』では
モメたりするのだが、今回もちょっとそうで、でもいつもはそうなると私が反発と言うか逆ギレとか
怒り返す事はなかったんだけども、今回は自分でも『あ、やっちゃった』と思うぐらい不快感を前面に
出してしまった。と、言っても怒鳴ったりはしなかったんだけど。口調がちょっとキツくなっただけ。
妹も私がそう言う風にするのは『?』と思ったのか、『はぁ!?』とか言って来て
『謝る気がないのね。わかった。』とか言われたけど謝ってない。
まあ、これらは二人きりの時の話しなので、周りの人には余計な気は使われてはないと思うが。

その他、周りで煙草を吸う人が多いのと、本人手持ちぶたさなのはわかるけど旦那の煙草の量がえらい増えて
私も疲れてるせいか、それに過敏に反応するようになってあちこち痒くなったり気持ち悪くなったり
息苦しくなったりして、『お願いだから吸わないでくれ。』とか『せめて私のいない時に吸ってくれ』とか
言っても全く聞き入れてくれず、マジで倒れるかと思ったのに、本人に文句を言うと『俺だって
知らない人ばっかて手持ちぶたさなんだよ!』と怒鳴り返して来た。
だから、それはわかるけど、せめて私の体力がある時にしてよ、って感じで、前々から煙草が嫌いな
私としてはいかなる理由があれどもこんな心身ボロボロの時にいくら訴えても煙草を辞めてくれない
旦那に対してマジで『こんな思いやりのない奴とは一緒にいれん』とか思ったり。
生理痛とか他、つわりとか?なんでもそうだと思うけど、自分でその辛さを体験してないと
いくらそれを訴えても『大した事ない』って思う人っているもので、『甘えだ』とか『痛がり過ぎ』とか
『じゃあお前にこの辛さを転嫁できるものならばしてみるよ。それでお前が我慢出来るなら
私も我慢してやろうじゃないか』と思う事もしばしば。
原始の時代はそんなやつはひょっとしたら淘汰されて生き残れなかったのかもしれないけど
現代社会において、生かされてしまっている。そうなるともちろん弱音ばかりを吐いてもいられないので
我慢はするけれども、我慢にも限度があるもので・・・。ああ。難しい。
そんなん言うんだったら一般社会で生活するな、って言われるかな。
ちょっと煙草ネタから話が飛びまくりましたけど。

そんなこんなで色々考えるところの多かった今週でした。


2003年10月13日(月) 明日から

いよいよ久しぶりの有職者になります。
前の仕事も最後の方は早く帰らせて貰ってたから、慣れない仕事でしかも遅い、ってのはヘロヘロに
なりそう・・・と思いつつも、頑張るしかないのは目に見えてるわけで。

今日は昨日買ったシャツを着てみた。
・・・ケンシロウごっこできそうである。(^^;
肌色キャミ買わなきゃな。
もしくはジャケットを決して脱がない。

はう。マジで不安いっぱいです。
ちょっと自分の実力以上のとこにいっちゃったかなぁ。
まあ、ほんとやるしかない。(こればっかやな。)


2003年10月12日(日) ポリ100

ポリエステル100%のブラウスを探しに一人横浜へ。
以前、某Oさんにポリエステル100%のブラウスを戴いてからどうもお気に入りだ。
アイロンかけなくてもいいし、乾くの早いし。
でも、案外探すとなかなかなくて、昨日はイオン大和で探したり。
聞いてみたところ、綿100%もしくは綿入りの方が人気だそうで。
そう言う私もOさんに戴くまでは綿100派だったんだけどさ。(^^;
欲しくなるとなかなか見つけられないもんですね。
そんなわけで横浜に行ったわけですが、やっぱりちょっと探しづらかった。
でも結構ありました。
しかも選べるぐらい。
まあ、予算の都合ってもんがあるので、そう沢山は買えなかったけどとりあえず3枚買ったからいいかな?

それはともかく、帰ってから旦那に聞かれる。
『どこでコーヒー飲んだ?』
『どこでデザート食べた?』
なんで?って聞くと、『その2つは絶対に行きそうだから。』と。
・・・ええ、ええ、確かにどっちも行きましたとも。(^^;
ううう。読まれてる。(笑)


2003年10月11日(土) 6人→2人

いよいよKー1グランプリ開幕戦。
数々の試合が展開される中、ちょっと意外な結果に終わったのもあり。
それにしても、実は世相とは反対かと思われるが、うちはレミー・ボンヤスキー派。
ボンヤスキーがグランプリ決勝へとコマを進められてよかったです。
イグナショフも出て来たし、こいつらのフライングニーバトルも楽しそう。(⌒-⌒)

なんて話題はともかくとして、再び実家から電話。
今度は母さん。でも声が暗い。でも、泣きそう、とかではないので亡くなったわけではないのは
わかったけど、それにしても悪そうな感じ・・・と思ったらやっぱりそうで。
結局ばあさんはその後容態が悪化して6人部屋から2人部屋に移ったそうで。
と、言うのも黄疸が出始めたんだそうである。
今朝は顔だけだったらしいけど、夕方行ったら足も黄色かった、と。
食事は相変わらず全然してなくて、今日は水も飲まなかった、と。
それに便の色も(食事しながらの方、ごめんね)悪い感じに変わって来たとか。
うー・・・ん。
なんだか聞くからによろしくないよね。黄色いってのはさ。


2003年10月10日(金) 単身赴任

もし、来年になっても仕事が続けられて、私もこのまま続けたいと思っていたとして
本当に毎日夜の9時10時に会社が終わるとして、朝が8時半まで出社だとしたら、
単身赴任した方がいいのかなぁ?なんて思ったりしてふと調べてみる。
会社の近くに3〜4万ぐらいのワンルーム程度でいいので小さなアパートでも、なんて。
で、休みになったら洗濯物持って帰るの。(^^;

とか思いつつネットで検索していると旦那が後ろから覗いていた。
で、激怒。
いや、『例えば』の話しだって。と言っても機嫌悪いまんまで・・・。
家賃だけじゃなくって水道・電気・光熱費・食費とかも2倍になるんだよ!・・・って。
でも、食費は私がこういう仕事についたら一緒に住んでも2倍では?
先に帰って来てても作ってくれないみたいだし。
食べるのは待っててくれる、って言うけどまさかそれってそれから私が作るのかな?(^^;
うむ。


2003年10月09日(木) 決定?

10時半の面接に備えるべく旦那が出勤して間もなく私も出発。(遠いのだ。)
でも、遠い割には順調に到着する。
まあ、希望地考慮のハズだったし、面接ぐらいならいっか、なんて思ったり。
実際に行ってみると、前に面接して不採用だった平塚の某リフォーム業者のアットホーム感に比べ
なんかちょっとお上品と言うか一流企業っぽいと言うか、なんかその品の良さが私に合わなそう。(笑)
まあ、それはいいとして一生懸命頑張りました。時にはちょっとハッタリも加えて。(^^;
そしたら最初に面接した人は営業のお偉いさんっぽく、しばらくすると『じゃあちょっと技術の人
連れて来るから。』と言って技術のお偉いさんっぽい人を連れて来た。
しばらく話をしていると『じゃあやってみて』と言う。
おそるおそる『何をですか?』と聞くと『シュミレーションだよ。』と営業のお偉いさんっぽい人が。
!Σ( ̄□ ̄|||)え!とか思っていると技術のお偉いさんみたいな人がお客さんに扮してLDKリフォーム計画の
シュミレーションが始まった。
ひえええええ。その類いの現役離れて8年近いんですけど・・・。
もう、こうなったら勢いと人当たりの軟らかさでごまかす(?)しかない!なんて思いきって問答風にして
意見を聞きつつ提案、みたいなのをやらせてもらう。
終わってみて、営業のお偉いさんの感想は『やっぱり新築やってた人の話の進め方だよね。』と。
だって、そうなんだもーん。(^^;
でも、『それはまあ練習すればリフォームのも分かるようになるよ。ポイントは決まって来るから。』と。
・・・まあよし、ってことですかね?
その他、旦那の事(仕事とか、私がこういう仕事をする事に関してどう思ってるかなど)は聞かれたけど
仕事のグランクや子供の事に関しては一切聞かれもしなかった。ちょっと拍子抜け。
って言うか、実は聞いて来る時点でやんわりと断わりの予告されてたのかしら?今まで。なんて思ったり。
採用か不採用かは今日明日中に返答くれるとのことで、あとは館内を見学して行ってください、と
言われ、面白かった事もあり、気がつくと4時間も見ていた。(見過ぎ?)(^^;
3時頃に遅い昼食を食べようとコーヒーショップ(と言いつつ、実はビールなどもあった。ギネスの黒生が
あったので心が動いたのは内緒だ。(笑))で注文をして待っていると、もう面接した会社から電話が
かかって来た。早っ!まだ近くにいるんですけど。(^^;なんて思いつつ出る。
そんなわけで14日から働きます。わたくし。(急だ。)
しかも、毎日ここまで来ないといけないみたいですぅぅぅ。(T_T)(通勤長い。)
もちろん、断る事も出来るわけだが、とりあえず『お願いします。』って言ったわよ。ええ。
これでよかったのかどうか、と言うと、まず朝の早さに死にそうな気もするが・・・。
とりあえず年内は試用期間とのことで。
そう言えば休みとか福利厚生とか給与の話しとかって丸っきりしてないな。(^^;
そんなんでOKしちゃったけどいいのかな。

なんて思いつつ今度は急いで戸塚に。
歯医者の予約をしていたのだ。5:20からの予約で、その時間から歯医者にはいたのだけれど
ちょっと色々手間取って(口の中が狭すぎ)終わったのは7時半頃だった。
口の両端が痛いです。


2003年10月08日(水) 移動

明日の面接に備え、4年前にこないだまでいた会社の面接の時に買ったスーツを着てみた。(笑)
・・・あれ?スーツに着られてますけど。(^^;
考えてみたら、4年前はまだホルモン系の薬飲んでて今よりも7kg多かったんだっけ。
どうしましょう?
とか思ったけど、しょうがない。このまま着よう。(苦笑)
仕立て直しも高いだろうし(そもそも間に合わない)、買うのも高いだろうし。
そのうち時間があったらウエストと肩をしぼって袖を短くしたいなぁ。(^^;
って、大掛かりだ。新しいの買った方が安いかも。(そもそもこれはそんなに高いスーツではない。)

夕方、甥っ子共の誕生日プレゼントを物色しに出かける。
なんかすごい寒いんですけど。(^^;
2才のお誕生日の今年はGAPのニットとネルシャツとTシャツにする。
週末には届くかな。

久々に、ちゃんとした蕎麦屋(?)で蕎麦を食べたらなんかとってもうまく感じた。
汁も結構飲んだ。(普段はあんまり飲まない。)
元々うどんよりは蕎麦派ではあるのだが、ここんとこは美味しいうどんに心が動いていて蕎麦を
あんまり食べてなかったかも。また美味しいお蕎麦が食べたいなぁ。
ちなみに『お蕎麦屋さんのコロッケ』とか言うのがサイドメニューであって、試しに頼んでみたら
予想以上に美味しくってこれまたびっくり。
衣のザクザク具合といい、かなり私好み(はーと)
ちょっと豊かな気持ちになる。(相変わらずお手軽な私・・・。)

夜、実家から電話が。
うちからの電話は9時過ぎに来る事は滅多にないのでドキドキする。
(もし電話があったとしてもその前に留守電とかに『また電話するね』とか入ってる。)
かなり緊張しつつ電話に出ると、別に普通のトーンの母さんの声。
ばあさんは今日は外科に移動している、とのことで。
なんでだ?やっぱり癌も併発してたのか?と思ったら、もう点滴が入らないとのこと。
なので、首のところに直接チューブ(?)を埋め込んでそこから入れる様にした様だ。
これで動いても針がズレたりして痛いとか外れるとか言う事は無いらしい。
ちなみに容態はさして変化無し、との事ではあるけれど、1日(1食ではないんだけれども)のうち
2〜3口はおかゆを食べる様になった、との事である。
これは回復にちょっとは向かっているのでは?・・・なんてのは素人のぬか喜びなんでしょうかねぇ?
でも、ちょっとづつでも回復に向かってるならいいんだけどなぁ・・・。


2003年10月07日(火) 何気に多忙

明日は甥っ子の誕生日。もう1人の甥っ子も今月中には誕生日なので、毎年まとめてプレゼントを送る。
妹からはくまのプーさんのハローウィンバージョンを頼まれていて、それを買って送る。
そろそろ髪がぼさぼさしてきたので美容院に行く事にする。
膝下のスネ毛(笑)の処理に向かう。
スーツに合う、足の痛くならないパンプスを探しに行く。
・・・一応、礼服を物色しに行く。

なんて思いつつ。
でも、全部はこなせなかった。
美容室には行って、髪の毛を10年以上ぶりかどうかぐらいに黒に近く(光に当たったらちょっと茶色?か
どうかぐらい)してみました。うーん。見なれてないせいか違和感。(笑)

スネ毛の処理は、最初に比べて仕事が丁寧で優しかった。
なーんだ。最初の当たりの人が悪かったのね。最初からこうだったら苦情電話はしなかったのに。
でも、それって当たった人によって効果にえらい差が出るってことよね。
同じ金払うなら上手い人にやって欲しいじゃん。最初の人みたいに散々脅しておいてへたくそってどゆことよ。
って感じですね。
ちなみに隣の個室からは男の人の声が聞こえてたので、その人が帰ってからこっそり聞いてみた。
『何やってたんですか?ヒゲ?』と。
そしたら『身体・・・ですね。上半身』と言うので『胸毛?』と聞いたら、『それも含めて色々と・・・』との
事でした。わき毛とか乳毛とかギャランドゥ(笑)ですかね?よくわかんないけど。
でも、そう言うのしに来る男の人っているんだなぁ。男は別にいいのにな。

プーは買って送れた。小包や宅急便にすると高いので、コンパクトにまとめて郵送で。
240円で済んだぞ。えらい違いだ。

その他はいいのがなかなか無く。
ダイエーで旦那の靴下を買う。そうじゃなくても安かったのに、優勝セールで更に10%引き。
いやぁ、すごいね。

ばあさんに関しては何も連絡がないので回復の兆しはやはり回復なのか?


2003年10月06日(月) こんな時だけど

急な話だけどライブのチケットが当たとメールで届いていた。
気分転換も兼ねて行く事にする。
聞いた事ないバンドばっかなんだけど、新規開拓になるかもしれないし。

ばあさんの容態や薬局との話に関しては何かあり次第連絡くれるとのことだったし。
疲れが溜っていたせいか、何気にだるいけど、ここで気分まで滅入ってても仕方ないのでいい機会かな。
時間的に開始が早かったのもあって、前に一緒にクレイジー・ケン・バンドのライブに行った
前の会社の男の子と行く事にした。
ライブはちょっとだけ名前を聞いた事がある、ってのが1組いて、それがトリだったのだけど
それはなんかイマイチで、一緒に行ったSくんもそう思ったらしく。
元々音楽の趣味が近いので今回のライブも誘ったのだが、やはり出た中での好みも一致していて
一番よかったかな、と思ったのは京都から来たバンドでした。
Sくんは若いので(22才)知らないと思うから話さなかったけど、私はちょっぴり『どんと』を彷佛したよ。
勢いがあるんだけど優しい歌詞。どんとも京都出身だか京都にいたことがあるんだかだったと思ったけど
京都の音楽に携わる人にはこんな人が出てきやすいのかなぁ、なんて思ったりしました。

ライブが終わって飲みながら話をしていると、うちのばあさんの話に。
なんで知ってるんだ?と思ったら、私は金曜日に嬢ちゃん(K様)にばあさんに関してちょっとメールを
送ったのだが、どうやらその時に一緒に飲んでたらしい。
そう言うつながりがありましたか。
ので、就職活動含め、コルセット話やなんや色々と近況報告。(?)
Sくんの近況も聞いたり。
そんでもって私もSくんもこないだまでいた会社の話になった。
ちょっとビックリなんですが、リストラで辞める人が出るらしく。
その人は今週いっぱいで辞めるそうなんですが、もう会社には出て来てない、とかなんとか。
色々聞いてるとその会社自体の存亡はいかに?ってぐらいまで話が行ってしまい。
でもしょうがないのかな?あの体制だと。
年末までにあと2人辞めるみたいだし。結局所長と専務のお気に入りのみが残る事となりそうです。
新しい人入れないのかな?でも入れても大変そうだな。

なんて濃い話をしてたら終電になってしまいました。(まあライブ終わったのも10時だったけど。)
帰ったらさすがに旦那も疲れて爆睡していた。


2003年10月05日(日) 回復のきざし?

今日も病院に行く。
近くに住む親戚が朝早くに行ったら、今までになく具合が悪そうだ、と言う事で、市内だけど
ちょっと遠くに住む親戚にも連絡したみたいだ。
私が行ってしばらくすると、近くに住む親戚2名、市内だけどちょっと遠くに住む親戚2名、そして私の旦那、
母さん、私、と総勢7名がベッドサイドに付く。
でも、私が行った時は昨日よりは全然よくなった様には見えた。
目の開きも昨日よりはある。
相変わらず私の事は▲▲(外孫の名前)と呼ぶけど。

近くに住む親戚は老人福祉施設の様なところに勤めていて、医療に付いてやその他、今回の様な事例を
いくらか聞いているらしく、ばあさんが倒れた事でいっぱいいっぱいなうちの母さんや、そのサポートと
雑務に懸命な父さんに変わって薬局との今後に付いて動いてくれるとの話しだった。
話し合いは明日の夜らしい。
今回初めて聞いた話としては、薬局は薬局の保険に入っているので、もし賠償だなんだとなってもお金は
保険から出ると言う事。でも受け答えのマニュアルがあって、例えば『過剰投与』は事実として曲げられない
事なので認めるけど、『それによる副作用』とか言う話に持って行こうとすると猛然と否定するらしい。
私が前にいた会社で集団で牡蠣にあたった時の牡蠣業者みたいな感じらしい。
牡蠣業者も牡蠣業者の保険に入ってるから、その保険からお金は出るんだけど、出す、ってことは
非が自分にあると認める事で、それは牡蠣ならブランド名に傷をつけるだとかイメージが悪くなるとか
信用問題に関わって来るのでありとあらゆる証拠がそろわなければ認めたがらないと言う事だった。
単純に考えると、会社の人間が共通で食べたものがそれしかないにも関わらず、である。
そんなこんなで色んな細かい話の持って行き方ってのがあるらしい。
それは素人にはわからないので、私からもお願いする事にした。

ばあさんはと言うと、市内のちょっと遠くに住む親戚が『あらぁ。調子いいでばの』と言うぐらい昨日に比べると
元気で、市内のちょっと遠くに住む親戚と昔話に華を咲かせていた。
昔はよく踊った、とか踊りが好きだ、とか言う話をしている時は手首を動かすぐらいの感じで踊りの手付きを
していたし、人が沢山来ていて嬉しそうだった。
でも、それでもやっぱり私の事は▲▲(外孫の名前)で呼び、親戚に『あらぁ、●●(私の名前)だでばのー』と
言われていたけれども。
一瞬、それですごくはっきりと我に帰ったのか『んだおん。こいだばじさまさそっくりでのー。
◎◎(うちの苗字)家の顔だぉん』とみんなに言った。
私は小さい頃から『じいさんに似てる』とか『じいさんの母さんに似てる』とか言われていたので
『あ。思い出したんだ』と嬉しかったけど、またしばらくすると▲▲(外孫の名前)と呼んでいたので
その時だけでも元に戻ってくれたのかなぁ。
私は小さい頃はじいさんばあさんに育てられたのだけど、それでも覚えててくれないと言うか忘れてしまう
ものなのかと少し悲しい気分だった。

夜、一連を妹にメールしたら『どうせ昔からうちらより外孫の方が気に要ってたんだよ』とか返事が来た。
その他、今回の事に関して色々来たのだが、親に『○○(妹の名前)と連絡は取れてるか』と聞かれても
取れてるとは言えても後は『仕事忙しいみたい』とかしか言えない。
妹からはもっと色々返事は来たが。
ばあさんの事とは直接関係はない話だけど、男親ってのは息子より娘がかわいいとか言うけど
それもそうは実感するけど、『自分に似た方がかわいい』んだなぁ、と昔から実感させられてきた。
よく男は子供が生まれてもすぐに父親になるなるわけではなくて、徐々になって行くものなんだ、って
聞くけれども、それは育児の手伝い等も去る事ながら、自分から生まれたわけでもない生き物がどうやって
自分と繋がってるとかを実感するのはやはり『自分に似ている事』なんだなぁ、とうちの父さんを見ていると
実感させられる。知り合いとか男友達の話を聞いても、もう子供がいる人は『自分に似てるとかわいい』と
言うし、まだいないけど欲しい人は『自分に似て欲しい』と思う人が多いのを見てもそうなのかもな。

・・・と話は少し(?)逸れたが。
ちょっとだけばあさんの意識的な回復の兆しを見た様な気をしつつ、明日出社な旦那と深夜バスにて帰路についた。


2003年10月04日(土) 回想

早朝、青森に着く。始発は2分前に行ったばかり。
次の電車は・・・約2時間半後!?(^^;
うろつき、バスを調べる。バスは1時間ちょっと後にあった。これで行く事にする。
でも、乗り場が変わっててちょっとわかんなかった。
ほんと、田舎の何が不便って交通よね。住んでた時は車持ってたから気にしなかったけど。

家に着く。朝御飯を食べながら詳しい事情を聞く。
薬局との話し合いは延期になってるみたいだ。
母さんが先に病院に行って、父さんは留守番。
私と旦那は朝御飯の片づけをしてから出発。
聞いたように病室に行く。ある意味勝手知ったる病院だ。
私自身も小さい頃はよく入院してたし、じいさんの入院もここだったし、ばあさんが癌で入院したときも
みんなここ。田舎のちょっと大きい病院なんてそんなもんか。

さて、病室に行く。
正直、どうしようかと思った。
じいさんを最後に見舞いに行った時と同じ印象を受けた。
年寄りがモノ食えないってのはみんなこうなるのか。
警察の鑑識で見る、頭骸骨に粘土で肉付けしていったらこんな顔でした、みたいなぐらいに肉がない。
必要最小限の肉。
小さい。
うーむ。
身体にも水分が足りてない。
口や目がくっついて開きづらい。
そして『あらぁ。誰だぁ?▲▲(外孫の名前)だがぁ?』なんて言う。
うーむ。

まだ幼稚園の頃、ばあさんとばあさんのお母さん(ひいばあさん)の見舞いに行った事がある。
ばあさんが病室に私と妹を先に入れ、ひいばあさんが『●●(私の名前)と○○(妹の名前)だがー』と言う。
続いてばあさんが入る。ひいばあさんの娘である。
『あんだ、誰でしたっけ・・・』
ばあさんが苦笑して言う。『わいはぁ。自分の娘忘れだんだがー。』
そしてうちらに小声で『自分の娘忘れでも曾孫は覚えでるもんだんだっきゃの』と言った。
そんなもんなのかなぁ、と思った。
でも、ばあさん私の事忘れてるね。

母さんが『わいはぁ。●●(私の名前)だでばのー』と教えてあげる。
『ああ、●●(私の名前)だが。よぐ来たのー』と言う。
でも、ちょっとするとまた『あらぁ?あんだ誰だっけがぁ?▲▲(外孫の名前)だがぁ?』と言う。
結局、病室にいる間、そのくり返しだった。
酷い時は私をじーっと見て『△△(外孫の旦那の名前)だがぁ?』と言う。
『違うって。(^^;それに男じゃん。』と言うと『そうかそうか。』と。
ちなみに▲▲(外孫)はもう50才で、△△(外孫の旦那)は53〜4才ぐらい。
年令とか性別の判断も付かないのか・・・なんて。
それでも極々まれに本当の私の名前も呼ぶ事もあって・・・。意識が混濁してるんだろうなぁ。


2003年10月03日(金) ヘバりぎみ

夕べあれこれ寝床で考えた。
じいさんの魔法ももう切れたかな?と。
10年前、じいさんはばあさんが2度目の癌に犯された時、願掛けをした。
『俺の命はいいから、ばあさんを生かしてやってくれ!』と。
その願掛けがかなったのか、ばあさんは助かり、年が明けてじいさんは亡くなった。
その後もばあさんは3度目の癌にかかるも無事復活。
じいさんの願掛けがずーっと続いてると思った。
で、今回。ヤバいなんて事になって、記が付いたら10年目。
魔法は10年間だけだったのか、なんて思ったり。

朝になって、バスチケットセンターの営業してる時間になって、電話する。
でも、ほんとの地元行きのは満席で、弘前行きのも満席。
青森行きはJRバスなので、JRバスはみどりの窓口でなければ手に入れられない。電話じゃ駄目なのだ。
てなわけで支度をして、携帯片手にバッグを肩にかけ、さあでかけるぞ、バスの時間も迫っている
・・・なんて思って玄関に向かって歩いていると、父さんから電話が。

事態は急転(?)。
今朝になって気付いたらしいけど、どうやらばあさんの常備薬の量が倍に間違われていたらしい。
お医者さんの処方せんはちゃんとなってたらしいんだけど、薬局が見間違えて倍の指示を出していた、と。
それで9月頭に貰ったらしいんだけど、前の薬が残っていたのでしばらくは飲まなくて、
新しい薬になってから3週間程?
蓄積されたダメージが一気に出たのだ。
80の老人に毎日倍の薬・・・自殺行為である。
そんなの素人にはわからない。言われた通りに薬を飲むのである。毎日毎食。
とりあえず、こういうわけだから、薬はしばらく止めると言う事で、様子を見て、これで回復して
くれるのかどうか・・・。
今晩、医者と薬剤師がうちに来て話をするそうだけど・・・。
ほんと、これでどうにかなっちゃったらやり切れないよ。
医療ミスだ、薬餌ミスだ、なんて言うけど、こんな身近で起こるとはね。

青森行きのチケットは無事取れ、とりあえず今夜出発するけれど。
重い頭をかかえて一旦家に戻るべくバスに乗る。と、電話が。
げっ!こんな時に限って履歴書出したところから電話だよぉ。(ーー;
かけ直してくれると言うので30分後、と言っておいたけど、1時間以上経った未だにかかって来ず。
あああああ・・・。(T_T)


2003年10月02日(木) まるほちんちに行く

久々にまるほちんちに行く。
今日は初めて猫のうぃちゃんに男の勲章(傷)を付けられてしまった。
(ちなみにうぃちゃんはメスだし、まるほちんも女。私も一応女。)(笑)
バリ記を見せてもらう。
すんばらすぃ〜。これをそのままHPにしたり、本を発行してしまわないのが勿体無いぐらいだ。
絶対売れるぞ、これ。
いっぺんどっかで公開してみ?って感じです。是非是非。(⌒-⌒)

なんて楽しいひとときを過ごし、家に帰る。
留守電入ってる。
父さんから。
父さんかぁ?普通は母さんなのに。
父さんからの電話って深刻な話が多い。
おそるおそる電話してみるとやっぱり深刻な話。
ばあさんがヤバいらしい。
ばあさんは3度の癌を克服し、それ以前の若い頃にもかなりの大病をしたらしいが
今までなんとか元気にやってきたのだ。
今年83歳。
そんだけ大病を何度も繰り替えし、この年ってのはある意味天寿に近いのかもしれない。
本人には教えてないらしいので、そんな人は見てないとは思うが、もしここでそれを知って
ばあさんに告げられる距離の人がいたとしても、この事は言わないで欲しい。
って、ネットに書いたってことは可能性が0ではないのはわかるけど。
そんな悪意のある人はここを見ていないと信じている。
それより母さんはこの話を聞いてやはりかなり動揺しまくってるらしいし、頼りになるのは
父さんだけだな。精神的要として頑張ってくれい。
そんなわけで、取りあえず明日の晩の深夜バスで実家に帰るつもりだ。
勝手な予感としては、うちのばあさんがそんなにすぐ逝くわけがない。
私が行っても元気に迎えてくれるであろう。(入院先の病院で、だけど。)

そんな折、ふと先日占っていただいた事を思い出す。
『3週間後ぐらいに何か劇的な変化がおとづれる』・・・と。
あれはいつ聞いたんだっけ?3週間後っていつだったっけ?
願わくば、この事で、しかも悪い方向じゃないように・・・。


2003年10月01日(水) 人生SASUKE

ふと、テレビを見るとSASUKEがやっていた。
ほんと、SASUKEの為にみんな会社辞めたり、休職したり、転職したり、身体壊したり、ほんと馬鹿だよなぁ。
でも、ここまで馬鹿になれるっていいよなぁ、なんて思いつつ。
うらやましいなぁ、とかいいなぁ、の意味を込めて『ほんと馬鹿ばっかし』と言いたい。(⌒-⌒)
毎度の事ながら、予想も付かないところで予想も付かない人が落ちたり、大丈夫だろ!?ってところで
大丈夫じゃなかったり、見てるこっちも身体に力が入ってしまうのだが。(笑)
みな、SASUKEは完全攻略したい気持ちと、そうじゃない気持ちが複雑にからみあってそう。
(まあ、最終的には完全攻略したいとは思うけど。)
人生狂わすSASUKE。たかだかテレビ番組じゃん。
だけど、その魅力に取り憑かれたものは数知れず。
なんでそこまでして?と思いつつ、世の中、こんだけ人がいて、こうまでして自分の夢に打ち込める人間って
何人いる?みんなそれなりのリスクを担ってもやりたいことなんだから、それはそれでいいじゃない。
・・・なんて、毎度の事ながらこの馬鹿共を見ていると微笑ましくも清々しい気持ちになるのであった。


おさる |おさるにメールおさるにひとこと
あなたはここに来た 人目です