セルフプレゼンシングのつづき。 - 2016年07月13日(水) 続きです。 昨日寝る前に、ふたつのことを思いました。 ひとつは、父と母との関係性が、今気づいているものを通したら、これまでとは別のものになるんじゃないか?ということ。 もうひとつは、昨日あった出来事について。 少し前に、職場の後輩がミスをしました。 それがわたしの担当しているものが関わっていたので、当日にまず謝られました。 次の日に出勤した時もまた謝られました。 それからその子が休日を二日ばかり挟んで出社した昨日もまた、朝出勤したら話しかけてきました。 わたしは咄嗟に「え!もういいよ!」と拒否反応が出ました。 実際は、その子が休んでいる間になにかミスしたものに関して変化はあったかを知りたくて話しかけてきたようでしたが、あ、拒否反応出るんだな、とそこで自分の反応に気付きました。 拒否反応。 わたしは何か怖がってるなと。 関連して出てきたものはなんとなくあって、 「いつまでも過去のことに関してぐるぐるとしていて、わたしに対して申し訳ないとか、いくらわたしが許したとしても全然関係がなくて、何度も何度も同じことを言われることが、怖い」 ということに気付きました。 それの何が怖いのかなー。 わたしの時間が無くなる、という恐れ? 次に進めないという恐れ? あまりピンとこず、わからないまま、終わりました。 で。 寝る前には、どちらのことを主に手を付けようかな、と思って、後輩に対して拒否反応が出たその恐れ、のほうにしてみました。 その時の感覚を思い出して、体の感覚を観察してみます。 すると、顔にそれは表れてきました。 今回は、噛む筋肉というよりは、口の周りが緊張しているようでした。 ふうん、と思って、口の周りを覆うように手を当てて、体の感覚を感じました。 そうして体の感覚を感じる時間をしばらくとってから眠りました。 今日の夢。 犬の夢を見ました。 先日も犬の夢を見て、先日は人懐っこい犬が二匹出てきて右側が擦り傷作ってるというものでしたが、今日のは犬だけど人の形をしていました。 (夢っておもしろい) 犬さんの限界が近づくと、口の中でお肉をいつまでもぐちゃぐちゃしてる行動になるらしくて、そのままにしておくと、その後に体に変調が来るというパターンがいつもある、みたいな感じのことを周りで言っているのを聞きました。 わたしは、んじゃお助けに行ってこよう、と犬小屋へ入りました。 犬さんは、前回の夢での犬と同様にやっぱり人懐っこくてウェルカム!って感じ。 容姿は、小中学生くらいの女の子かな。髪が肩より下くらいの長さ。 犬小屋は4畳半くらいで、普通に入れます。 入ったとたん、すごく犬臭。くさい! それなので、反対側にあるドアも開けて空気を通しました。すぐに匂いは解消しました。 犬さんの(髪の)毛は抜け毛が多くなっているのか、本来はもっと毛量が多そうだな、、、という感じがしました。 顔の皮膚も荒れていて、乾燥して皮膚がはがれちゃってる感じ。 で、わたしはどう関わろうかな、と思って、まずはブラッシング。 初めは何も考えずにブラッシングしだしたのだけど、毛量が少なめなので、あ、これでは痛いかも、と感じ、ブラッシングというよりも整える、そんな感じでやってみました。 それでも気持ち良いらしいし、見た目もだいぶつやつやとしました。 話す言葉や表情は明るくて、精神的に落ち込んでいたりとかそういうものはまったく見えなくて、でも体にたくさん出ている、そういう感じでした。 犬小屋に入る前の犬さんは、ぐちゃぐちゃただ噛んでる姿はあまり健康的とは見えなくて、人がいるとそういうのが見えにくくなるのかもな、と思いました。 こたつテーブルがあって、そこに二人(?)で座っていたのだけど、犬さんの骨盤の辺りを左右から挟むようにして手を当てました。 くっついて座ってる感じ。 そうして、わたしはプレゼンスになりました。 そこで目が覚めました。 でもそのまま夢の続きをしてみました。 犬さんに手を当てて、わたしはプレゼンスになって、犬さんの感じを感覚しながら。 そうしたら、わたしの腰が緩んだのを感じられました。 今度はそのまま下腹部へ移りました。 緩むという感覚は得られず、むしろ、不快な感覚に気付きました。 もともとあって気づいていなかったものに気付いただけだけど。 不快な感覚はあるのだけど、引き続きプレゼンスにいるので、 なんてことはない、 そういう感じでした。 そこでわたしが気づいたのは、 ああ、また「体を治す」みたいなところに入っていたのだな、 ということでした。 全然問題がない。 その感覚を得てから、布団からのそりと起き上がりました。ちゃんと起床しました。 そして、昨日寝る前に何をテーマにしたのだったかな、と思い返してみました。 それと重ねると理解できるのでは?と。 (わたしはいつもそうなので、そういうことへの信頼がある) その通りでした。 父と母との関係性も、わたしがプレゼンスにいる状態で見るなら、二人がどういう状態であっても、どういう行動を選んでいても、別にわたしは気にならないし、直そうとしたり教えようとしたり、賛成したり反対したり、全然そういうのがいらない感じで接するんだな、と感じられました。 意識してこれまでと別のとらえ方をする、というより、それは自然なことで、水の流れがそこに向かうみたいなのと同じで、そこに行くものだという感じ。 後輩との関わりで見えた拒否反応についてもわかりました。 「いつまでも過去のことに関してぐるぐるとしていて、わたしに対して申し訳ないとか、いくらわたしが許したとしても全然関係がなくて、何度も何度も同じことを言われることが、怖い」 わたしは、自分の話を聞いてもらえないこと、自分がそこに関わることを受け入れられていないと感じること、が怖かったのだなあとわかりました。 これもプレゼンスになっていれば、問題を感じません。 それに、受け入れられないというのはその相手の状態がわかることというだけで、自分がそこに関わる関わらないというのはわたし次第なのだ、とわかりました。 受け入れられない状態だと関われない、と思っていたのだなあとわかりました。 勉強になります。 ... セルフプレゼンシングのつづき。 - 2016年07月12日(火) 前回の続きです。 あの後第一チャクラの説明をいくつか読んだのですがやっぱりピンと来なかったので、第一チャクラじゃないんじゃないの?違うんじゃないの?ということで、もう一度見直し。 第一チャクラでいう焦点を当てている「存在」と、わたしが反応をした「存在」はちょっと違う感じがしたのでした。 とはいえ、主とするものは違っていたのかもしれないけれど、そうして体を感覚していたことから訪れてきたもの、収穫したものはあって、 「臭い、汚い、みっともない、近寄らないで!」 と拒絶する自分と、 「そう思う自分は悪い子!」 と自分をジャッジする自分とを見られました。 ついでに言えば、子供の頃の感じを持ち越してる感覚もしました。 そこから記憶として挙がってくる「過去の状況」がありましたし、それはわたしの母と関連がありました。 わたしは、寝る時と目覚めた時にそれぞれセルフプレゼンシングをしています。 それで寝る前に「臭い、汚い、みっともない、近寄らないで!」と、それに葛藤する意見とを、体の感覚で感じてみました。 その感情や意見が出る時に、体の感覚はどのようなものをわたしに与えてくれているのか。 感覚は、噛む筋肉、顎から耳の前を上がるラインにありました。 なので、わたしはそこに手を当てて感覚しました。 特に、顎関節の周りが強い感覚がありました。 感覚を感じていると、頭部や顔の筋肉がリリースするのを感じました。 力が入っていたのを、ふっとゆるめるような感じ。 ゆるまったから、力が入っていたことに気づいたような感じ。 こんなに緊張させているんだなあ、と思いました。 (緊張させている感覚に慣れていたので、実際にやるまでは自覚がなかった) それから、最近しばらく気にかかっていたのは、これまで生きてきた中で、母に対しては不満なり怒りなりが出てきたとしても、父親に対しては全くそういうものがないということでした。 わたしは父が大好きだったのでそういうものなのかなと思っていたのですけど、そこも盲点でした。 父は母をよく怒鳴っていました。 そしてそれに対してわたしは違和感を感じていませんでした。 本当に小さい頃、その頃のわたしは、ケンカはやめてと止めていたのですが、声が大きいだけ、とよく説明されていて、それなのでだんだんとそれを納得していきました。 (実際、地声が大きい) ただ、今更ながら振り返ってみると、紳士的態度ではないかもしれませんなと、父が亡くなって10年経って、思った、みたいな感じです。 父のことを大好きなのは変わりませんが、これまでとは少し違う感じがします。 例えて言うのなら、「その人の行動は、好き嫌いの判定に入ってない」って感じ。 これまでは、行動が好きというわけでなくても、お父さんは大好きだから大目に見るような感じがあって、それが今は、間違っているものは間違っているよね、みたいな感じというのか。 また一方で、母は間違っている、とずっと思っていました。 わたしは母も大好きで、でも父親の意見・価値観のほうが自分に近かったので、母は間違っているもの、と思っていました。 父と母の関係だけではなくて、近い親戚の人も母をそう扱っていたので、「それが正しい」と思っちゃっていたんですよね。 思っちゃってたんです。 それにやっと気づいたのが今週に入ってから。 参議院の選挙がありましたが、それがわたしを刺激したのだと思います。 「正しさは多数決で決まるものではない」 そうだよね!って感じ。 正しさは、誰かの意見によったり、多くの人の意見だったりに、よらない。 自分の、元となる部分に、正しさを選んでいるか、ということ。 これからしばらくの時間は、自分の再教育の時間になるなあ、と思いました。 今のわたしのその気づきを持った過去は、どのような彩りで、どのように父と、母と、わたしは接するだろうな、と思いました。 さてさて、話をぐーんと戻しまして、チャクラの話。 言葉での説明としてしっくりしたのは第二チャクラと第三チャクラの辺りで、うーむ、じゃあお腹かあ、ということでお腹に手を当てて感覚をしてみました。 そうしたら、これまでどのように人の意見を使っていたのかが、よーくわかりました。 たくさん、いろんなものを、入れるだけ入れてた。 そこから何かを知ろうとしてた。 共通項を見よう、みたいな。 外から得よう、みたいな。 これが、父や母との関係性の作り方とすっごくマッチして、あらららら!と思いました。 そうではないなと。 自分で、まず最初に選ぶんだなと。 そういうことがわかりました。 (大体、共通項を見ようとしても無駄というか、見るとしたらすんごい壮大なくくりになるかもねー) 「存在」は、社会との関わりとしての「存在」でした。 第三チャクラでしたね。 これまでわたしは、 知識は、自分の本を読む速度以上に手に入れようとするし、 食べ物は、食べられる能力以上に買いたくなるしで。 表れている行動という部分でも、すんごい腑に落ちました。 好きなものを、消化できる分だけ、得る。 ... セルフプレゼンシング - 2016年07月10日(日) ご無沙汰しております。 あるいは初めまして。 5年ぶりに戻って参りました。 パスワード覚えてたーよかったー 最近はどう過ごしているかというと、 「プレゼンシングソマティクス」 というボディワークを学んでいるところです。 体の感覚を感じて、 今起こっていることに気づいている。 そういうボディワークです。 体のことも、 感情のことも、 思考のことも、 トータルでケアができるので、 頭でいろいろ考えることの多いわたしなどは まず自分自身がとても助けられています。 (精神的なものが体に現れやすいほうなので) 今日もセルフプレゼンシングをしました。 自分の体の内側から、体の感覚を感じていきます。 最近気になっていたのが第1チャクラと呼ばれる辺りで、 ずっと「体の感覚を感じる」ということをしていましたが、 ほとんど変化がありませんでした。 でも、先日クラスに参加していた日にはその違和感が消えていたので、 なにかわたしの思考、思い込みパターンが関係してるのかもね、 と思い、 第1チャクラといえばどんなだっけ?と今日になって初めて思ってみました。 存在、地盤、衣食住。 そんな感じですよね。第1チャクラ。 衣食住に心配、というのはピンと来なかったので、少し幅を大きくとって、存在、というところで自分に問いかけてみました。 「そのまま、今のままの自分でいてはいけない」 と体を緊張させていたりするのかしら、と。 この時点では別にピンと来ていませんでした。 探っているので、もちろんそこに当てはめようとする気もありません。 照合してみるけどどうだろう?みたいな感じ。 合ってますか?みたいな感じ。 合ってるとも合ってないとも感じなかったので、 もしもそう思っているとしたら、それはどうしてだろう、と問いかけてみました。 そうしたら、 「今のままの自分でいたら、 部屋は散らかったままでしょ、 全然自分のやらないことをやらないままでしょ、 それから、、、」 というマインドの声が聞こえました。これまでの沈黙はなんなのか。 で。 ということはと整理してみると。 わたしにとっての「今のままのわたし」というものは、 1、部屋を散らかしたままでいる (そんなことではいけないのに!) 2、自分のやりたいことを始めない (そんなことではいけないのに!) などなど・・・ そういうものだと思っている模様。 そんな感じで整理していたら、は!と気づきました。 「今のまま、そのままの自分」というのは、 「わたしはそう思っているんだなあ」「わたしはこういうことをしているなあ」 と見ている、それを「見ているわたし」のことだなあと。 ん? ということは。どういうこと? つまりは、プレゼンスになる、それだけでした。 最初に書いた通り、わたしはこのワークを学んでいて、学び始めてもう4年目で、ずうっとプレゼンスについて学んできたのですが。 「今のままの自分でいてはいけない」 つまり、 「今のまま=プレゼンスになってはいけない」 としていたんだなあと、少しポカーンとしました。 学んでいるとか関係ないねー。 違和感のある体の箇所の感覚を感じる。それはやっていました。 でも、 それにかかわる思考のほうもプレゼンスになって気づいてあげる、 それはしていなかったなあ、と気づきました。 盲点というお話。 ...
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