日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年03月31日(火)

身体とこころの関係が書かれているということで手に入れたら、宗教家さんが書かれた本でした。
宗教かぁ・・・と思いつつ、まあ、知りたいことが書いてあるなら読もう、と思って読んだので、6割くらいの満足でした。
宗教で出てくる、「戦い」「耐える」「恐れへの刺激」みたいなのが、どうもわたしの興味を惹かないですねぇ・・・。

宗教で言われていることと、わたしの好きなことの共通点もあって、例えば「考え方を変える」「幸せは自分次第」みたいなこと。
でも多くの宗教家さんが言っていることを振り返ってみると、「考え方を変えられるんだから、“耐える”必要はないんじゃ・・・」と矛盾を感じるというか。
わたしは単純明快なものが好きです。

わたしはこの本を読むことになった理由があるのなら、ひとつ思い浮かびます。
最近、対立について感じた(経験した)ばかりでした。

対立というのは、「あなたの意見を聞きません」とどちら側もそういう態度であることで成り立つのだろうなあと思います。

こういうところがあなたは悪いから、あなたが良かれと思ってやっているのも理解するけど、気をつけた方がいいんじゃない?誤解を受けるよ。世の中そういうものだよ。
そういう忠告に、「いえいえ、わたしは良いと思ってやっているので誤解ではありません」と対する場合、対立が起こっているような感じがします。

前者は、相手を理解する扉を開けていますよ、と言葉にしていますが、本当に開いているわけではないように感じます。
以前わたしは、「この言い方はずるい」と感じていました。
以前まではその理由がわからず、何か嫌な感じ・・・と思うだけだったのですが、要は「誤解が生じるのは相手の問題」としていたからのようです。
でも以前のわたしも、「相手の問題」と扱っていたから行き詰っていたように思います。
どっちもどっち、ってやつですねー。

「関係性はお互いが共同して作り上げるもので、どちら側一方だけの問題じゃないからねえ」
そう受けとった時点でお互いが歩み寄れるように変化をするし、この人はわたしと意見が違うのかもしれないけれどわたしの意見をきちんと聞いてくれる人だ、と安心します。
そしてそこで対立がなくなる、それまでとり上げられていたはずの「誤解」という問題が、結局どうでもいいもの、象徴していただけに過ぎないもの、ふうっと無くなってしまう感覚を経験して、おもしろいもんだなあ、と思ったのでした。

魔法ってこういうことなのかなあ。
あとはただ、意見を組み合わせてお互いが望むように作り上げるだけですもんね。


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つらつら - 2009年03月28日(土)

何だか、おいとましたいような雰囲気になってきたなあ、と感じてコートを着だしたけれど、ずるずるしていたら泥沼化しました。

自分の感じていることを、言葉にして表すことができるようになりたいと、ずうっと昔からわたしは思っています。
自分の感じていることを相手に伝わりやすいように、伝わらないならそういう状況の自分も相手も受け止められるように、なりたいんですけどねえ。。。

んー、まだまだだったー、ということを確認できたいい経験をしました。

今現在のわたしは、「違っている個性であるかもしれないけれど、そういうわたしのことを認めて欲しい」と感じています。
そしてそれは、わたしがわたし自身を認めていないということだということもよく理解しています。

頭ではわかるんだけどなー。
まあ、ひとつひとつやっていくしかない。

そしてやっぱり、真剣に伝えようとしていても、冷静に、そして微笑むくらいのゆとりを持って、伝えられるくらいに理解したいよん。
今は自分も充分にわかっていないことを伝えている感じがあるから、必死になっています。冷静ではあっても、笑顔がない〜。


ひとつ気づいたことがあります。
スピリチュアルなことを勉強していると、誤解されることもあります。自分のことも、スピリチュアルということ自体にしても。

でも、その誤解に対してはあまり傷つかないんだなあと。まあ、誤解に対しては昔から課題だったので慣れている(それが諦めかどうかは、ちょっと観察中)ともいえるのですが、このことについては、「わたしを認めてほしい」という感情が出てこない。
ただの現象とかルールとかだからかな。何がわたしの中で違うのか、興味があります。「何を」誤解された時、エゴちゃんが「わたしを!」と出てくるのだろう。


もひとつ、自分の中にあると気づいたもの。
「お天気屋の自分が嫌い」
おー、そういうところあったなあ。感情や思いがコロコロ変化するので、わたし自身(頭の方)がそれを面倒くさく思っていました。
そういう自分も受け止めよう。コロコロ変化してるなー、と受け止めよう。
他の人がそうだとしても、「女性的なところが出てるのねえ」「切り替え早くておもしろい」と受け止めるのに、自分に対して厳しいようです・・・。もっとリラックスしよう。

「違っている個性であるかもしれないけれど、そういうわたしのことを認めて欲しい」

うーん、そんなに違っていなくても認めてなかったねえ。嫌ってた、ごめーん。


「鈍感」と思われたり、「敏感」と思われたりします。
敏感という意味が、嫌なところに気づいてそれを騒ぎ立てることを指すのであれば、わたしは「鈍感」がいいなあと思います。
鈍感という意味が、自分が好ましく感じるところにも嫌だと感じるところにも気づかないことを指すのであれば、わたしは「敏感」がいいなあと思います。

わたしは今、「自分が嫌だと感じることに気づいて、そこをヒントに自分の望みをはっきり」させることを練習しています。


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つらつら - 2009年03月27日(金)

やっぱり自分で見つけるしかないんだなあ、と思いました。

目に見えない系の内容の本、といっても。

自分にとって、「すごいおもしろいよ〜!」とワクワクするものと。
ワクワクも逆の感情もわかず、良いことが書いてあるけど興味がないなあ、と感じるようなものと。
難しいものと。
何だか読みたくないものと。

いろいろあります。

わたしがワクワクする本は、自分の日常で試せる内容が書かれているもの、そして例えその本に書いてあることをやらなくても、責めたり見捨てたりしないように感ずるものです。
「僕はこれがお勧めだけど、君がそれを選ぶならそういう選択もありだね」みたいな。

スピリチュアルな土台を身につけたくて。
前世療法講座を受けに行って、自分に足りないもの(もっと高めたいと感ずるもの)をたくさん感じて、テクニックや知識ではない「他のもの」でわたしはたくさん癒されると感じたので、今はその「他のもの」をしっかり身につけようとしているところ。
そこがあれば、テクニックや知識を得た後にすぐに使っていける、自分がクライアントだったら何度も受けたくなる、そのようなセッションが出来ると感じるからです。

その基礎作りがなぜかディズニーリゾートの経営本ばかり読むことに。
スピ系の本じゃないみたいです。
(ヒックス夫妻エイブラハムの引き寄せの法則は別ですが)

ワクワクする気持ちに任せていますが、一体わたしはどこへ向かって行くのだろう・・・。


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つらつら - 2009年03月26日(木)

しばらく混乱してました(苦笑)
混乱から離れて、混乱してたことって気づくものですなあ。というか、落ち着いてみると何を思い悩んでいたのかがわからないというおもしろい体験をしました。
やっぱり春だからねえ、エネルギーが上に行くのですわね。

混乱をしてたのは、自分の内部に勃発した「やりたいこと」VS「やるべきこと」みたいな戦いで、って感じ。
「やるべきこと」ってのは、まあようするにわたしの「思い込み」なんですが。

だんだんと自分がやりたいことがはっきりしてきて、それに向かっていくようになりました。
そうしたら、今までもずっと持ってたけど自覚がなかったという種類の思い込みが、うりゃー、やりたいことだぁ〜?そうはさせるかー、と出てきた感じです。

そうはさせるかー、と出てきた思い込みは、「やりたいことばかりをしていても・・・」という思い込みです。
未来のビジョンが特に持っていない「やりたいこと」に対して、わたしはずっと否定していたことに気づきました。

多分少しずつ、「今現在を楽しむこと」が出来てきたから、気づいたことだと思います。「今現在」をじっくり楽しまず、過去や未来のビジョンを頭に浮かばせているような時は刺激されなかったものが、「今現在」にいられるようになったら出てきたのだろうなあと思います。

わたしの「今現在」を見なかった証明ものの代表的なものをあげるなら、これ。
「結婚するなら30年以上一緒に生活できるような人と」という思い込み。
なんじゃそらー。
ハートでは「一緒にいて楽しいのが好き!」と今現在を求めているのに、また違う部分(無意識下)では「30年以上後のこと」を見ようとしていて、おもっきし分離してます。

というか。
30年前にわたしは今のわたしを想像できましたか、と自分に問いたくなりました。
今、30年後の自分がどんな人かもわからんがー。
その頃の好みが今のわたしの好みと同じかもわからんがー。
わたしは、長く結婚生活を送れること=素敵なパートナー、と思いこんでたところがありました。
あほらしかったので、手放しました。
それがいつの時代でも、隣りにいる人がその時その時の自分の好みの人であるなら、たとえその人が同じ人でも違う人でも幸せだなあと思います。



話が変わりますが。
2月6日の日記にこんなことを書いています。

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わたしは「好き」といわれても、「見た目でわかることくらいしか知らない、わたしのことを何も知らないくせに」とすねているような部分がありました。褒められてうれしい反面、微妙だ・・・と感じているところがありました。
でも、わたしも人を好きになる時に、「見た目でわかることくらいしか知らないんだけど・・・」と気づいて。
あれ?と思ったので、周りのひとに聞いてみました。「見た目が好きっていわれるのってうれしいもの?」と。
そうしたらいちばん初めに聞いた人から、ストレートに「うれしい」と、微妙さが何もない答えが返ってきました。当たり前だと。

ええー?と思って他の人にも聞いてみたら、まあうれしいけど微妙、みたいな意見が多いようでした。

でも、わたしはいちばん初めに聞いた方の意見にかなりショックを受けて。
ああ、「うれしい」のシンプルな感覚でいいかもしれない、と思ったのでマネすることにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、ひとつ気づきました。
わたしは「見た目」をよく見れていなかった(笑)

パワーストーンも自分が身につけるものも見た目で選びます。
石に接し始めた頃、見た目だけじゃなくて意味合いも、と購入していたところがありました。でも、実際見た目だけで選んだものが、後からその石の説明を読んでぴったりすることを幾度も実感したり、そしてお香やアロマ、オーラソーマのポマンダーなど、香りを楽しむところに向かったために、自分の感覚を信頼していく方向へ行きました。
(だって意味合いで買ったとしても、好きな香りじゃないとなかなか使わないから全く減らない、その差が明らかなんだもの)

超感覚も自分の得意分野と関係しているそうで。
そういえばわたしは現在のところビジョンではあまり見えません。香りや肌の感覚など、自分のセンスを使う分野では認識できるようです。(比較すれば、です)

ということは。
相手の人のエネルギーを感じてみたり、匂いをくんくんかいでそれで相手を知るということが得意なのかしら・・・。

ありかもね(笑)


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つらつら - 2009年03月22日(日)

夢と現実っておもしろい関係だなあと思います。

昨日、友人と「関係性」に関して話していました。友人の意見を聞いていて、反対意見ではないし、友人の意見は合っていると思うのだけど、半分同感で半分そうは思わない、みたいな感覚がして、でも説明できる言葉としてなかなか出てきませんでした。
わたしはそういうことが多いです。

で。
寝る前に、
「睡眠中、身体はたっぷり疲れを癒し、魂は学んでくる、そのサポートをお願いします。夢は起きた時に覚えていられるようにしてください。」
と設定してから眠りました。
設定すると大抵その通りになるので、最近のわたしは設定して眠ることが基本です。

で。
今朝見た夢に教えられました。

舞台は中学生の頃だったのですが、その頃に好きだった絵本「ぼくを探しに」が、目覚める寸前に出てきました。
夢に出るまではこの本のことをすっかり忘れていて、思い出すことも今までありませんでいた。

で。
何でそういう本が夢に出たかなあ?と思ってみました。
内容を思い出すと、なるほど、関係性で昨日わたしの言いたかったことがわかりました。

中学生の頃、この絵本を読んで「欠けている自分を受け入れて楽しむ」姿にワクワクしたんですが、今のわたしの視点からこの話を見たら、欠けている自分を受け入れた時点で、完全であり、欠けていないなあと。
一見欠けているように見えていても、それはただのお気に入りデザインみたいな・・・、ちょっと崩して着てみるデザインなのー、ってね。

中学生の頃、わたしはこれを主人公と誰かの関係性、という感じで読んでいました。ひとりも楽しむよ、みたいな。
ストーリーを思い出すと、今のわたしは「自分との関係性」として意味を受け止めるんだなあ。同じストーリーを。
そして、これをわたしは友人に伝えたかったのか、とわかったのでした。

相性がいい人を見つけるとは、自分の欠けたところに合うパズルのピースを見つけることではない・・・とはいえないけど、欠けていても欠けていない状態になって、そうして一緒にいることを楽しみやすい、そういう相性の良さのが好きだなーって伝えたかったことを、夢からわかりました。

夢ってすごい。


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つらつら - 2009年03月18日(水)

背中が痛い・・・というのに、HP用素材探し(特にFlash)でネットをずうっと見てしまって回復しつつあったのにまた元通り。
(どの系統で統一させて作るかも迷っているしで、夢中になってしまってた・・・)
というか、まずはチラシ作りじゃなかったのだろうか。


で、ひっさしぶりにマッサージに行ってきました!
やぁ〜、気持ちいい〜。人にやってもらうのはやっぱり気持ちいい〜。
久々に身体からのアクセスを体感。
けども、30分コースだったからか完全復活ではない・・・。2時間コース気になるなあ。

勉強になったこと。
「またしっかりためてからマッサージに来よう!」と思ったこと。
疲れをためると取れる時の快感がー。

それに対して、「おーい、ためないようにー」という自己ツッコミ。
ドラマを求める感覚を体験しましたな。
ボディに疲れをためずに、その段階でヒーリングをしてマインドやスピリットの浄化まで浸透させるのよー。

前に、どういう風なことを目的としてヒーリングを受けるものなのか、という質問がありました。
身体の疲れを取るだけ、というのも楽しい。今日、しみじみ「それもいいかも」と思いました。
でも、その後の自分の浄化に繋げると無駄なくていいですな。


髪を切りました。長さ的にはあまり変わらないのですが、髪の量が減りました。
わたし、こんなに頭が小さかったんだ!と喜んでいます。


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つらつら - 2009年03月16日(月)

「ラブシャッフル」の番組BBS投稿になんだか参加しています。いつのまにか結構書いているような・・・。他の人の意見を読むのも楽しいです。
最終回も楽しみだー。


先日、3歳くらいの元気盛りの男の子をもつお母さんにヒーリングをしました。
お宅訪問で、同じ部屋で男の子が遊んでいる中でヒーリング。

んー、静かな場所じゃないけど、どうなんかな?と思いつつ、やってみました。

わたしの方はそれほど問題ないということがわかりました。
クライアントさん側の方も、自分の息子さんだから慣れているのか問題なかったようです。静かな場所でじっくりとならば、もっとリラックスできるのでしょうが、今回はベストを尽くしたと受け止めてみます。

その男の子の遊び相手をしてくださってた方に聞いたのですが、ヒーリング中に男の子が、「何か音が聞こえるねー」とか「誰か来たよ」とか言ってたそうです。
ほー。子供は敏感だー。そして興味深い。どんなんだったんかな。
そして、「何も聞こえないー、怖いから来てるとか言うのやめてー」と怖がる大人。(遊んでくれてた方)
わたしはヒーリングをする時にサポートをお願いするためにお助け隊を呼んでいるので、まあ来ていてなんぼですし(わたしはそのエネルギーを確認して来ていることを感ずる)、怖い人は呼んでないよーと伝えてみました。


第3チャクラ活性中というか、「受け入れる」ことを意識実施中です。
例えば今朝起きて、いきなり「さみしい」というフィーリング。理由なくそんなフィーリング。
「今、受け入れ実施中だ」ということで、「さみしいなあ、春だからなあ、そういう気分になったりするよなあ、季節ものだねえ」と受け入れてみました。「さみしい」のフィーリングは、頭で「寂しさを紛らわすことを人に求めないように」としていて、かといって対処方法がわからなくて、わたしにとって閉じ込めてしまうようなフィーリングでした。受け入れてみよう、と思ったことで気づいたのですけどね。
受け入れてみたら、「さみしい」フィーリングが消え、・・・というか「さみしい」のフィーリングがお腹の中に入って、それまでとは違ったしっかりしたようなエネルギーに変換されて一部になったような感覚になりました。
おもろい。

頭とハートが一致していない物事がまだまだありそうだなあ、と思います。
ハートセンサーが「嫌だ」「辛いよ」と教えてくれるのに、頭はその訴えを聞き入れない思考、そんな物事。

例えば、誰かの喜びを「うらやましいなー」と感じたとしても、頭的には「他人と比べても仕方ないでしょ」とピシャリとされてました。
そこを、「他人と比べよう、そうすれば自分の望みがはっきりわかる」という思考に変えてみたりとかしています。ハートが望む思考。

でもちょっと、まだまだよちよちと行っています。


...

つらつら - 2009年03月13日(金)

最近、欲しい情報がたくさん得られる(気づく)ようです。
うれしいけど、片づけが得意とはいえないわたしは、はわわわ・・・とアップアップしております。

副業化計画、水面下で実施中。形としてはほとんど何もしていませんが、意識の部分では構築が進んでいます。
これはわたしは望むものだな、これは望まないな、これをするにはまだ自分には足りないものがあるな、このことについてはわからないな、とひとつひとつ確認したり、 「わたしがやりたいと思っているものの参考書、参考となるものはすでにわたしは持ってた」と過去の自分に感謝してみたり、ネットを検索すれば、無料でわたしの欲しい情報が提示されていたり・・・。
素晴らしいですねー。

ちなみに「自分に足りないもの」は、「もうすでに自分は持っているけど、もっともっと高めたいと望んでいるもの」という意味だから、いやー、どんな人になるつもりかねえと楽しみです。(他人事)

今のところ本業を辞めるつもりはないので、宣伝をあまりするつもりもなく、だからまだサイトは立ち上げないで、チラシを自分のテリトリー内で配布する程度にするつもり。
(というか、しばらく離れていたのですっかり忘れているHTMLを接するのが面倒くさいのもあります)
チラシを作るための素材探しも楽しいですなあ。

本業を辞めるつもりがないのは、わたしが得られるものがあるからです。その得たものをヒーリングに活かせるんですよー。


エネルギーを少しだけでも理解したいなと思っています。
以前はそれはただ単にコレクター的というか知識欲だったのだけど、今は「理解していれば上手に付き合えるから」という感じ。
エネルギーを感ずることはできてきているものの、「えーと、この感じはなんのエネルギーなのかしら・・・」ととりあえず受け取っているだけなのですね。
一方でそれで充分のような気もしつつ(意識を向けていれば、自分の経験で繋げて理解が出来る)、一方でそんなゆっくりでいいんかな?と思ったり。

まあ、いいか(笑)


ボディ・マインド・スピリット。
病院で「意識レベルが低い」となると、「みちさん!みちさん!聞こえますか?わかりますか?」と声かけされたりぺちぺち叩かれたり。
これはボディの「意識レベル」であって、さらにマインドの「意識レベル」、スピリットの「意識レベル」とあるんだろうなあ・・・とぼんやり思いました。
マインドの「意識レベル」が低くて、「みちさん!みちさん!聞こえますか?わかりますか?」とされて・・・いるんかな?


口内炎が大量発生していました。
これはもう小中学生の頃からそうだったけど、ヒーリングを始めてから月1ペースではなくなって(頻繁・そして長期だった)口内炎ができなくなっていたのですが、久々に大量発生しました。
最近、自分に対してヒーリングをしていなかったので、せっせと行いました。胃の辺りがとても反応します。そして、オーラソーマの黄色のボトルもとても利用してみました。
治った。素晴らしい。

で。
第3チャクラについて意識を向けているところです。
昔からわたしにはここの活性が必要だったんだなあ、とか。
口内炎だけでなく背中が凝っていたのは第3チャクラがぎゅっと縮こまってたことと関係するんかもなあとか。
チャクラのバランスであるから、今、第3チャクラが他のチャクラに追いつく必要がある、もしくは他が以前より成長しているのかなあ、とか。
もっともっと自分を受け入れていこう、とか。
「人に伝えられるように」という以前に自分にもっと伝えようよ、とか。
まあいろいろ。


「不摂生」というのは、身体的なことだけを指すんだなあ、と先日ぼんやりと思いました。
感情の不摂生というのも、あると思います。


昨日、副業からそれ以降に移るとしたらどうするのかな?と、お金のこととか手続きとか書いてある本を見てみたいなと書店へ行きました。
が、結局全然違う本を買って来ました。いや、パラパラと立ち読みして、まだ欲しいという気がしなかったので。(わくわくしなかったし)
ディズニーパークの仕事の仕方みたいな本を2ページくらい立ち読みしたところわくわくしたので、そちらを購入してきました。

それを持って書店内を歩いている時、すごーく頭のてっぺんが冷え冷えになって、おもっきし注がれるエネルギーを感じます。日常でこれだけ注がれるのは初めてというか。
うーん、何だろう?どうやらとても祝福されている感・・・。
と思いながら購入。

まだ初めの方だけしか読んでいませんが、よーくわかりました。
読んでわくわくするし、自分が求めているものやどういう風にヒーリングしたいのかということがわかりました。そしてもともとの、ディズニーパークにわくわくする理由もわかりました。

わたしは「夢と魔法を日常に」というコンセプトのヒーリングをする予定です。
カジュアルなヒーラーがいてもいいよね。


...

つらつら - 2009年03月05日(木)

ハートに聞く、ということをしばらくやっていて思っていたことがありました。

恋をして、胸が痛くなるというのはなぜだろか?

胸が痛むということは、「本当は自分はそれを求めていない」ということ。
でも、「好き」なんだよねえ?

うーん、どういうことだ?と思っていました。

そして多分、謎が解けました。

相手からの愛情を求めることが、胸を痛ませるんだろうなあと。
好きな相手から愛情が欲しい、でも(自分が欲しいように)もらえない、もっとわたしを見て〜、それじゃ足りない〜。
で、痛たたた・・・となるんじゃないかしらん?

わたしはその人が好き。それだけ、というか、好きだ〜という、ほんわかと自分の内側からわいてくるあたたかい幸せを味わう、好きな相手に愛情を「与える」、そうすると胸が痛まないんじゃないかしらん?

愛情をもらおうとすると、自分のエゴさんとのギャップで胸が痛むけど、与えられることが幸せと感じてたら、ハートは開いているイメージがします。

今春は、胸の痛まない方法で恋をしまーす。実験実験!


...

つらつら - 2009年03月04日(水)

昨日からずうっと身体の調子がおかしくなっていました。
気持ちが悪い、お腹が痛い・・・。
今日もどうも気持ちが悪くて食欲がないので、お弁当を作る気になれずに職場で調達しました。食欲はない(味覚の問題かも)けど、もりもり食べることは出来るのであまり調子が悪そうには見えません。

不調の原因のひとつは、多分に昨日読んでいた本だなあ。
わたしにとって、頭も気持ちも大賛成な内容が書いてある本だったのだけど、その内容は今までわたしがやってこなかったことなので、なんかお腹が痛くなってきたのでした。
やるけどね!

それから、昨日の日記。自分で書いておいてなんですが、どうも違和感が感じられました。なんか気持ち悪い・・・。
で。
今晩、その違和感の原因、自分の思い癖を気づくことが出来ました。(本の続きを読んでたら、思いきり出てきた)
あらまー・・・。わたし、そんなこと思ってたの? うーむ、思ってたかも。
自覚して手放してみまーす。


...

つらつら - 2009年03月03日(火)

自分と母との関係性をしばらく見つめていました。
そういうものを扱った書籍も読みました。そしてわたしの兄と母との関係性とは少し違っているなあ、ということを確認しました。本の中で例として出されている方たちとの共通する感情を、自分の中で味わってみました。

「おかあさんを助けたいのに助け方がわかんないよぅ〜。助けられない、ごめんなさい・・・。」としくしく泣く子供の自分が、大人の自分の中にいました。少し前から存在に気づいてるから、今では薄れてきていますが。
わからないことに対する無力感よりも罪悪感を感じていたのだなあ、と味わいました。

自分の意識を変えてみようと思うのと同時に、母の生活しているグループホームの方にも変えてみて欲しいことが見えていて、それをどうやって伝えよう?と思っていました。

そして、そんな必要はなかったことに気づきました。

そういえばいろんな本に書いてあった、と気づきました。自分の意識を変えればいいだけだって。行動して変えようってあまり意識しなくていいって。

それを意識できたのは先日、グループホームの昼食会で、でした。

「せっかく作ってもらったんだから残すと申し訳ない」と母がお腹がいっぱいなのに無理して食べようとしていました。わたしもお腹がいっぱいなので、手伝うことは出来ません。

「残してもいいんだよ」とグループホームの方も言ってくださいますが、母の根本はそこではないからそう言われても頑張り続けてしまいます。

なので、母に「申し訳ないと思う必要がない」ということを伝えます。

「自分がいただけるだけ充分いただいて、それでいいんだよ」
「作ってくださった方の心を充分受け取ったら、それでいいと思うよ」
「ありがとうございました、ごちそうさまですって、お母さんは心で返せばいいんじゃないかい?」

途中で「物質的なものを受け取ることだけが、こころを受け取ることじゃないしねえ」と言いそうになって、あれ?なんだかスピリチュアル感覚で言ってる?と気づいて、そしてふと母以外の周りの方にも意識が向かって、何気に自分が「公演」していたことに気づきました。
あ。 (;¬_¬)

自分の意識を変えると、自分が例として見せられるから周りに伝わります。
・・・ってことを頭ではわかっているのですが、無意識に自分がそうしていることに気づくと、すごいな、と思います。
無意識ってすごいなと。頭が付いていけていません。
意識(頭)的な行動じゃないので、気づくととてもキハズカシイ。

で。
母は物質的なものを受け取ることで態度で示す、ということをやっているんだなあ、ということも理解しました。
(気を取り直してみました)

そして。
わたしは母から「罪悪感」をバトンリレーで受け取ってるだけだなとも気づきました。母の「(残しては)申し訳ない」は、わたしの「(助けられなくて)ごめんなさい」と似ているかもしれません。
解決できそうだなあ。実際、以前のわたしにあった「やらなきゃ!」と追い立てられるような感情はなくなってきているので自信があります。



自分の書籍の読み方が変わったなあと思いました。
なんというか、以前よりも細かく「これはこの人の考えだ」「これはこの人のケースだ」と自分との区切りに気づくようになっていて、今は本を読むのにすんなり読めません。
以前までは、始めから「これがわたしの考え〜」という壁を作って読んでいたり、「あなたの意見を全て体感するわ〜」と自分を相手に任せたまま読んでいたりしてたので、すんなり楽に読めていたんだなあと思いました。

わたしは、今の感じの自分の読み方の方が好きです。
そして、この状態でも楽しく心地よく読める本があることにわくわくしています。


...

つらつら - 2009年03月02日(月)

自分の感情を見つめることに慣れてきたのだと思うのですが、時々自分から出てくる感情に「ええっ!この状況を何でそう感じるのさ!」と思う時が出てきています。

男性に優しくしてもらって、「何か魂胆があるのでは・・・?」と何かを恐れていた自分に気づいた時には、ちょっとびっくりしました。ええー?ありがたく受け取ろうよ!
好かれることに対して、まだ恐れみたいなものがあるなあって気づきました。
(女性に対しては出ない)

じゃまをしようとしているわけじゃないのに、「じゃまされた」と感じたりとかもありましたねえ。

何か怒っているなあ、警戒しているなあ、と感じた時に「どうしてそう感じているの?」と聞いてみると、論理的じゃない自分が自分の中からふうっと訴えてきて、それは意識の自分とのギャップがあって。
「ねえねえ、これはそう感じる必要のあるところじゃないですよ?」と伝えたりしてます。

これまでは表面意識のわたしが気づかないくらい馴染んでいたのだなあ、と感心(?)しているところ。
気にしないで、気にかけないで、ずうっと持ってた、ってわかります。この感情は昔から知ってる、ってわかります。

その思い癖の原因となったことはすっかりわかりませんが、まーた意識できてない自分が出てきたよ、と楽しんでいます。
自分を知るのがとても楽しいです。
自分が謎だったのは、知らない自分だらけだったからなのかもなあ。

ボディ・マインド・スピリットは繋がっている、ということが最近理解できてきました。
マインドが変わると、ボディ(細胞)も変わるしかないんだなあ。


...




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