日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年02月26日(木)

ヒーラー自己トレの成果が出たのか、昨日、職場(フツウの仕事をしています)にて演説をしました。しようと思ってしたわけではなく、まだわたしも実践中であって教えられるほどのレベルとは思っていないので、後からとてもハズカシくなりました。

その演説は、まあ要するに引き寄せの法則だったんですけど、ポジ変換をするという話題の後、室内のエネルギーがガラリと変わりました。その変化に気づいて、ちょっと「わぁお〜」という感じでした。
ネガモードに向かっていたエネルギーが、ぐいっとポジに変わったのではっきりわかりました。こんなに変わるんだなあ〜と思いました。ひとつに向かっていたエネルギーと異なるエネルギーを、反発ではなくて投入するとこうなるのかと思いました。

で。
話が少し変わりますが、「ラブシャッフル」の掲示板を見てて、こちらもまたネガ的なひとつのエネルギーに向かっているなと感じていることがありました。そう感じて眺めていましたが、ここでもどなたかが反発ではなくて冷静に異なる意見を述べたらやっぱり変化しているようです。相手を責めるものではない、そして自分を守るための言葉というわけでもなく、冷静な異なる意見。

職場で感じたことも、掲示板で感じたことも似てるなー、と思って。
というか、掲示板と同じと思ったら、ネガエネルギーが室内の流れになったとしても、よくあるなんでもないことだなー、と感じました。
取り込まれない自信もついてるからかもしれません。

ちなみに本日、また演説してしまいました・・・。(聞かれたから答えただけですが)
「伝えられた」と感じたことで自信がつくのか、今日の方が昨日よりも恥ずかしくはありませんでした。 (^^;)

ポジ変換で、「例えば、○○(ネガティブな考え)というような時はどういう風に考えるの?」と聞かれましたが、聞かれることで気づきましたが、自分がそれに対してネガティブな感情を持っていない時、なかなかわからないものみたいです。だから、自分からネガ感情が出た時は、本当に「チャンス」なんだなあと思いました。
それにわたしと他の人とではハートが喜ぶ内容が同じとは限らないしねえ。
仕方がないので、ネガな考えの素(コントロールされたくない、という意識)となるものだけ伝えました。コントロールされているわけではないという思考にすればいいんではないか、と。


「ラブシャッフル」は、関係性などが何パターンにも用意できるような台詞回しが多いように感じます。野島さんは、人の思い込みやすさをうまく使っているなーというか。だからどう使うか、どのパターンで行くのか、ということに興味を持って見ています。


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つらつら - 2009年02月24日(火)

レイキヒーリングの完全解読本というものを読みました。

途中で読むのを中断しました。
最近、本を読む時はハートを意識して読んでいますが、なんだか辛そうです。そのうちに、お腹も肩もなんだか居心地が悪くなってきたので中断しました。

わたしはレイキが好きですが、伝えてくださった方がわたしのハートを「わあ〜♪」って惹きつけるような方だったのはとてもラッキーだったのかも?なんて思いました。雰囲気や意識も好きな人からは、その方自身からだけでたくさん得られるのかも。見て盗むってやつ?

本を読んで居心地のよくなかったその理由を、今のわたしの頭でわかる範囲であげるなら、他の考え方を受け入れないような言葉遣いが多いということ、そして、何だか怒っている(?)ということ。

引き寄せの法則を思い出してみました。自分から出る「嫌だな」って感覚の裏には、自分の大切なものが隠されている・・・。
そのうちに時間を作って、わたしが居心地がよく感ずる言葉で書き直してみようかなと思います。
自分が伝えるとしたらこういう言葉で伝えたいな、ということを整理するノート作りに使おうと思いました。


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つらつら - 2009年02月22日(日)

「ラブシャッフル」での吉高ちゃんと松田くんのシーンがかわいくて好きです。
いいな〜、かわいいな〜。と思っていたら、「こんなに居心地良く油断してたらきっと、野島さんドラマだからこの先の展開で…!」みたいな一種の恐れが出てきました。

あほやー。まだ起きてもないこと恐れんなー。

ということで今は、このかわいくて居心地がいい感覚を充分味わおうと思います。



松田くんのスピーチだけみたかったなあと、日本アカデミー賞。
どなたか載せてるブログはないかと探して、どんなことを言ったのかを文章で読みました。

うんうん。素敵ですね。
向上心があって今の自分の感情のひとつひとつを正直に見つめて伝えることができる。

かっこいい大人に育てられましたなあと感じました。両親だけでなく、どんな大人たちを見て来たのかなあ。自分が見て、感じて、育つものね。
わたしもそういうかっちょいい大人になるぞう。


で。
わたしはどんな大人たちを見て育ってきたかなあと思い出してみたりしました。
そうしたら、気づきました。
最近の母に、わたしが幼い頃に見ていた母を見るようになっているなあと。
母にヒーリングをしても、なんかずっとわたしは「どういう風に効いているのかなあ」と思っている感じがありました。母が必要として得ているものは何なのかしら…と思っていました。
(本人が必要としているものを得るので)

施術中の表情を見ていると母は泣きそうになっていることが多いので、わたしは「…効いているようだけど?何に?」みたいな感じ。
例えばヒーリングをした後に身体の症状が和らいだりしてても、どうもわたしは疑っているというか「治療もしているからかもね?」みたいなところがあったのでした。

幼い頃に見ていた母、その頃の母はアファメーションを使っていました。今思えばですが。
近頃までずっとわたしは母に対して、物事の良くない部分にクローズアップしがちなイメージを強く持つようになっていましたが、「そういえば最近の母にはこういう部分が出てきてる!」「そしてこれ、今新しくそうしているんじゃなくて、昔のわたしが知ってる!」みたいな発見をすることができました。
(松田くんからこう繋がるってすごいもんだ)

昔の母は、ある時は自画自賛、ある時は「…まあ、言い方を変えればそうも言えるけども」と幼いわたしが呆れるくらいのポジティブな言霊を使っていました。
思い出したー。そうだったー。という、うれしい発見。

そして、それが最近の母に見られてきています。

うーん。そしてここまでの思考の流れを整理してみて…。
わたしも少しはかっちょいい大人になれているのかなあ…とほんのり期待してみました。



頭では当たり前のことなんだけど、気持ちの部分では逆のことを信じていたなあ…これ、と今日気づきました。隠れ葛藤を発見。

「あなたに訪れる豊かさや貧困や病気、健康は、あなたがしたことに対する報酬や罰として、他人によってもたらされるものではない。あなたのスキル、機敏さ、価値を試すために、人生の経験が割り当てられるのでもない。あなたの行動によって、祝福したり、祝福するのを控えたりする、見えない知性など存在しない。」
「物質的存在はいくつかの非常に大きな誤解の下で機能している。一つは、行動することを通じて、得るべきものを得ているという誤解。」
(「引き寄せの法則の本質」より抜粋)

少しずつ理解していくのだなあとしみじみ実感しました。
今を味わって、引き寄せるぞう。


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つらつら - 2009年02月21日(土)

「ラブシャッフル」みました。
気になる・・・。玲子さんの「仕事」って何?
この一言に、わたし的には大盛り上がりです。


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つらつら - 2009年02月20日(金)

前回の日記をぼんやり見ていたら、これは葛藤を手放すワークだなあと気づきました。
エネルギーワークとして、2つの葛藤している思考エネルギーを混ぜ混ぜして新たなエネルギー(自分がもっとも望んでいるもの)にするということはやったことがありましたが、・・・自分に利用できることたくさんあったのにやってなかったのねえ〜、みたいな。
意識の自分が気づくことが待ちきれなくて、自然に行ったようです。(方法は知っていたからね・・・)


しばらくドリームタイム期間でした。寝て起きると寝る前よりも疲れているってやつ。無事、脱出しました。
何を勉強してきたかなー。


ふと気づきましたが、いつの間にか男の人が怖くなくなっているなあと。
前世療法後、変えようと意図したわけでもなく自然に自分の行動が変わって、意識の部分の自分が「え?」と思っていた時期がありましたが、それも思わなくなっているし、そういえば前まで怖がってたよね、みたいな。
へえー。


今は、自分のハートが喜ぶポジティブ変換がマイブームです。

例えば。
裏で誰かをくすくす笑うのが嫌いだったわたしはそれを静かに怒っていた日がありました。気分が良くない。ネガです。
それをポジ変換。
→「そういう時に、一緒にくすくす笑わないという人を見つけることが出来る機会」
ちょっとポジだけど、いまいちわたしのハートは喜ばない。
→「本人に言えないから裏でくすくすしている」
慈愛という感じになるけど、いまいち。
→「そこに同調しない自分を感ずること」
 「笑う人も笑われる人も、1人1人成長の速度は自由であって、自分のペースがあり、押し付けたり押し付けられたりするものではないということ」
 「今はそれを経験しているというだけだということ」
 「経験してそうやって覚えていくのだなあ」
まあまあかな、ということでここでやめました。

ネガな感情が出てきた時に行ってます。

例えば。
たくさん一気に説明をされて、わたしは理解ができない。わからない。
自分に能力がない、とても劣っているように感ずるような焦り、息苦しさ。
それをポジ変換〜。
→「学ぶ・教えるの経験をお互いがしている」
 「自分が教える立場になった時にその感情を理解していることが生きる(「わからない」と言い難い感覚とか)」
わたしは左脳が働いて、そのままでは進まないと計算するので、わからない時は「わからない」といいますが、無力感をむりやり進む感覚があったので、身体に負担だったろうなあと思います、これ。

例えば。
ネガな話題で盛り上がっている。入りたくないがその場所にいる必要がある。
その事実をポジな見方で言ってみる。驚くほどにすぐに賛成された。その後はポジな空気になる。なーんだ、そういうものかと思う。
その時に気づいたのだけど、わたしはネガ思考や自分のやりたくない考えのものに混ざりたくないから、単独行動が好きなんだなあと。
で、ポジ変換。
→「ポジな提案をする」
 「見方を変える発言をする」
意外にダメでした。胸が痛い。過去にそれは通用しなかったのかもしれません。
→「自分がそういう行動をする」
 「1人1人を尊重する」
 「わたしもマイペースで行きたい」
 「自分が選んだもっとも良いペースで進むのがよいと思う」


こんなわけでハマっていたわけですが。

昨日、ヒーラー仲間から遠隔ディクシャ(エネルギーワーク)を受けました。ワンコインでしかもわたしにはおもしろいものなので、かなりワークを受けてます。今回、そのシェアリングでちょっとメッセージをいただきました。
「起こってくる様々な出来事、自分の感情、思いを楽しんでいますか?という楽しげな雰囲気の問いかけが浮かんできたよ」と。

物事には善悪はなくて、ただ次々と起こってくるだけで、それをどんなものであっても心から楽しんで、流れに乗って、みたいなことはわたしも思っていて、前回の日記で書いてた友達の相談でもまさにそういうことを伝えていました。

ただ、そのシェアリングメールをいただいたことで、「楽しむ」のレベルは今よりももっと広く、もっとシンプルでいいんだなー、と感じました。

これまでわたしは楽しむために「謎解き」をしていて、「謎解き」自体に夢中になったり楽しんだりする傾向があって、でもそんな回り道をせずとも経験自体を楽しむことができるんだなあ、と感じました。

わかるっておもしろい。
でも、わからなくてもその感覚を楽しめるんだなあ。「わからない経験」を楽しむ。
何もかもおもしろい。


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つらつら - 2009年02月17日(火)

友達の相談にのったり、自分の相談にのったり(?)してます。

今、友達に伝えている言葉は以前自分に伝えていた言葉だったりするので、「わたし、この部分はあきらかに解決してきているなあ」と確認したり、「そうだなー、こういう時はしんどかったりしたなあ」と見守ったり、そしてその見守る・励ます感覚を味わったりしています。

自分の相談は、自己との話し合いというか整理です。
欲しかった情報が入ったことにより自分の中で整理がついてきたからか、思考や感情で矛盾しているものに気づきました。
その矛盾する思考を自分の外に出して並べてみて、「その思考をどっちも持っててどっちも叶えることは矛盾するから無理で、そうなると結局わたしはどうしたいんですか」と問い合わせ。(自分に)

おもしろかったのは、その矛盾したそれぞれの思考はどちらも、わたしのハートを開かせる思考ではなかったことでした。
そして頭だけの思い込みがありました。
実際体感をして頭だけの思い込みだと気づいたので、ちょっと思考の修正をしてみたら、矛盾せずにそして自分のハートが喜ぶフレーズだけになりました。

だから、自分がどこに向かいたいのかがはっきりしたし、そのための方法はなんじゃいな?と問うことで方法もわかったし、そして今度はどの方法に対する自分の苦手意識に気づいてみたり。

少しずつですが変化してます。おもしろいですね。



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つらつら - 2009年02月08日(日)

以前までは、自分や他人を知りたい気持ちからたくさんの本を読んでいました。たくさんの人のたくさんの意見を知れば、そこから自分がわかるだろうと。

それはかなり回り道だったかもなあと今では思います。
まあ、必要だったからそうなったのでしょうけども。

今は本の読み方が違います。本の内容も違いますが。
自分の今までの体験や感覚、知っているけど知らない自分、それらを使ってロールプレイングして読むから、なんともエキサイティングです。
わたしは自分自身が謎だったので、その分とてもおもしろいです。生まれてからの人生の中で、わたしは今がいちばんおもしろいです。

今わたしはこのことに対してどう感じるか。
それはなぜか。
それに繋がる過去。その感情の原因となる過去。
そして、過去に繋がることで、現在目の前のことを自分がどのように位置づけているのかがわかる。
おもしろい♪

わたしの場合は、まあ謎だらけだったから納得ですが、ぼろぼろとたくさん出てきています。無意識にあった思い込み。

どうしてこういう時に動けなくなるんだろう?と思ってみたら、子供の頃の「大切にしまっておいた自分の気持ちを辱められたと感じた経験」を思い出して、そして思い出したことで、現在動けなくなることに対して、「わたしはその頃と同じくらい、これを大切に思っているのだなあ」とわかったりしています。
そして、もともと本当に求めているものがわかることで、「行動しなきゃいけない!」と身体を緊張させて頑張ること自体、自分の求めていることと違ったことをしていると気づいたりしています。



覚えていたら、夢もきちんとチェックしています。今の状態を確認するのに使っています。

今日の夢は、お店のマスターみたいな人と一緒にいました。(わたしはその人をマスターと呼んでいました)

で、マスターがやったと疑っている人がその場所に乗り込んできました。お前のせいで、みたいな感じ。証拠ははっきりしていないから、自白させたいと乗り込んできたようです。
マスターは無言です。

わたしはその人に「いやだな」という印象。品のなさみたいなものが嫌だなと思ったのと、マスターをわたしは慕っているので嫌だなと感じました。マスターを信じようとしていました。
そして少し、本当にマスターがやったのかも・・・と疑ってもいます。でも、その気持ちをわたしは見ないようにしています。

その場から離れてもそれが気になっていて、気を紛らわせる為にひよこの絵に色を塗ります。黄色のクレヨンで塗っているのに、黄色と青とが混ざってしまいました。

起きてから思ったのですが、・・・あのひと「マスター」ですか。だじゃれ好きといううわさはよく耳にしていますが。
で、この夢で確認できた、少しの疑いを「見ないようにしている」自分をちょっと意識向けてたいと思います。
疑いが出てきたら、確認したりすればいいんだよね。
信じたいことと信じていることは違うし、あの「マスター」がマスターなら、あの乗り込んできた人に対して本当にやっていたかもしれないし、でもだからなんだって話だし。
勉強になるっす。


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つらつら - 2009年02月07日(土)

「サラとソロモン」がおもしろかったので、「引き寄せの法則」も大人買いしてみました。おもろいなー。自分についていた癖がわかります。

で、「引き寄せの法則」を読んでいたら、同じものに対して「売りたい」という人と「買いたい」という人同士が引き合う、というようなことが書いてありました。
違うものを「売りたい」「買いたい」としている人同士や、同じものに対して「売りたい」という人と、「売りたい」という人では特に引き合うわけではないらしい。そりゃそうだわな。

で、ドラマ「ラブシャッフル」。
それぞれ、何に対して「売りたい」「買いたい」を共有している組み合わせなのかなあ、と観察中です。


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つらつら - 2009年02月06日(金)

その日気づいたことを手帳に書く、ということを12月末から始めています。
左のページは1週間の1日ごとの区切りがあるページで、右はフリーページ。1週間に2ページのみのスペースなので、びっしり書いてあります。

今週わかったこともたくさんあります。

A子さんにとって頭ごなしに怒鳴ってくるB美さんという人がいて、A子さんはB美さんが嫌いで、B美さんもA子さんが嫌いです。(今のところ)

A子さんはB美さんを頭から押さえつけてやりたいような感情が出てきていまた。で、1度それを爆発させた時がありました。わたしはその場にはいなかったのですが、話を聞くと爆発した時は「してやった!」的な感じになるけれど、その後ずうっとその日はイライラしたし頭が痛かったそうでした。

A子さんは、自分がされたくなかったこと、「頭から押さえつけられること」をB美さんにしたのだなあ、とその話を聞いて思いました。自分がされたくないことを相手にした時、体(頭、肩、胸など)が痛くなるらしいことがわかりました。


それから、B美さんを観察していて気づくのは、思い込みが人生を作るということの客観的な確認。
B美さんが「そうしてはいけない」と思い込んでいることをしている人を、B美さんは気に入りません。
B美さんが「こうした方がよい」と思い込んでいることをできない人・しない人をB美さんは見下します。
それを見ていて、物事には良いも悪いもないんだなあ、というか、ジャッジしないということの素晴らしさみたいなものがわかりました。


過去の自分が行ったことは、今の自分に関係ないと思っている人を見ました。
今にそれが影響しているんだから、今もそれに一役買った行動をしているんだけどなあ、と思いました。


近しい人が大変な状況になって気づいたこともあります。
自分が気づいたことの全てを、自分だけで行う必要はないんだ、ということ。
そしてこれって、仕事が「出来る人」ががんばり過ぎて、自分に負担をかけてしまうルートと同じだなあとも思いました。本当に出来る人、トータルに出来る人ならそういうルートにはしないと思います。
仕事が出来る、ということがイコール全てが出来ると褒められるような風潮が、わたしはあまり好きではありません。


自分自身に、「愛することには相手の人の許可が必要」と思い込みがあったことに気づきました。
愛することに制限はありません。
愛の受け取りに制限を持つ人はいるけれど、それがわたしの「人を愛すること」に制限をつけることは出来ません。
愛の表現の仕方はさまざまで、ハートの感覚に意識を向けて充分に愛せばいいだけでした。愛を押し付けるというのは、ハートを使っていないことでもあるしね。


わたしは「好き」といわれても、「見た目でわかることくらいしか知らない、わたしのことを何も知らないくせに」とすねているような部分がありました。褒められてうれしい反面、微妙だ・・・と感じているところがありました。
でも、わたしも人を好きになる時に、「見た目でわかることくらいしか知らないんだけど・・・」と気づいて。
あれ?と思ったので、周りのひとに聞いてみました。「見た目が好きっていわれるのってうれしいもの?」と。
そうしたらいちばん初めに聞いた人から、ストレートに「うれしい」と、微妙さが何もない答えが返ってきました。当たり前だと。

ええー?と思って他の人にも聞いてみたら、まあうれしいけど微妙、みたいな意見が多いようでした。

でも、わたしはいちばん初めに聞いた方の意見にかなりショックを受けて。
ああ、「うれしい」のシンプルな感覚でいいかもしれない、と思ったのでマネすることにしました。

そしてもう1個でてきたのは、「なんとも思ってない人に言われてもなー」という考え。
これまた全てを愛せば問題なし!なんとも思っていない人をなくせばOK!


そして今日の夢。
好みの男の人が夢に出てきました。知らない人です。
スケジュールなどを始めとして、整理してわかりやすくしておくと、行動したい時にすぐ行動が出来るなあ、と思うような内容でした。
あと、エネルギーワークを勉強するために外国(?)に行くという夢も続いて見ました。

わたしに今必要なのは、整理整頓という感じです。


母親が入院中だったのですが、良くなってきました。表情もとても良い感じで一安心。(うつっぽかった)
で、はっきりしたことがあります。
今は母はグループホームにいるのですが、そこにいるとどうもうつっぽくなります。わたしが行くと元気を取り戻すのですが。
今の、入院中の母はとてもリラックスした感じです。入院中なのに今の方が表情はとても穏やかです。
そして、「ここの人はとても親切なの」といいます。
もちろん、グループホームの方々も良くして下さるし、たくさんお世話になっているのですが、母がお世話になっているところは「仕事」という感覚を受ける時があります。
なぜかしら。

ああ、わかった。(早いな)
「待っていられない」からだ・・・。

病院の職員の方々のかけてくれる、明るく親切な言葉に元気になるようです。
わたしの母も人のネガティブな思いとか悪口とか苦手だからなあ。
(母は自分からどうにかしようとはしないようですが)

さあて、どう伝えようかなあ。


話が全然変わりますが、「コルテオ」を見に行きたい!という気分が高まってきたのでDVDを注文してみました。とりあえずDVDでいいから、早く見たい〜。


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