日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年01月31日(土)

昨日放送の「ラブシャッフル」を見ました。
わたしは来週がとても楽しみです。恋愛経験も多そうなオーちゃんが本気になるところ、ならざるを得ないところをわたしは見たいのでした。オーちゃんの過去もきっとそうさせるものなんじゃないかなー。
と、翔太くんを鑑賞する予定です。 (^-^)

なるほどー。タナトスとエロス。そういえば組み合わせはそういう風になるのですね。死や滅することに惹かれているか、食・性など生命の躍動を生きているか。
おもしろい提案だなあ。

タナトスとエロスの両者のバランスはどのくらいかなあと、自分自身に対して思ってみたりしました。ほぼ同じくらいかなあ。夢中になると食事を食べないこともあるし、若干タナトスよりか? どうだろ。
オーちゃんがエロス寄りっぽいから言ってみてるのかも知れません。
(そういえばオーちゃん料理得意だったね。伏線かな。)

こうなると頭を使うことが楽しくなって、頭だけ使いだしたりしはじめるので、ハートと頭の両者をちゃんとバランスとって判断していくのを意識してようと思います。


今日、自分の「好き」というエネルギーの大きさを体験しました。
それまで頭で考えていたことが全部意味を成さないくらい、あまりに大きく、そしてそれに大きく流されて、自分のやりたいことがわからなくなるくらいのパワフルさを体験しました。

それから、そのパワフルさを体感して、わたしはその「自分のやりたいことがわからなくなる」、自分をコントロールできなくなることが嫌だったんだなあと気づきました。
「好き」になることを避けようとする理由がまたひとつわかりました。

さあ、どうしようかな。しかし、なんでわたしは「コントロールできなくなること」を恐れているんだろう。
この大きなエネルギーにも翻弄されないくらい、もっともっとグラウディングを強めていきたいなあ。
(かなりだけど)
そうすればもっともっとわたしは受け入れていけるんだなあ、きっと。


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つらつら - 2009年01月30日(金)

わたしはものを覚える時に、大抵まずは形から入ります。
「なるほど、こういうことが気持ちがいいと感じるなあ」とか、「こうすればいいのだな」とか、お手本の形、自分の惹かれるものの形、それを真似することから始めます。そしてそれから自分なりにアレンジしたり、やりやすいようにとかわたしらしさのある自然な形にしていきます。

でもいちばん初めのきっかけ、「これを身につけたい」と思ったきっかけは形ではありません。形ではない、形のない「違うもの」に心を惹かれています。
何かの形をみて惹かれたとしても、形自体というより、形の醸しだす「美しさ」に心を惹かれています。

本で読んだ知識というだけでなくそれを身につけたい、と思うことがたくさんある現在、それだからというか、わたしは形を覚えることに一生懸命になりがちでした。形を覚えることに集中するがために、いちばん大切にしたかったものを忘れていたなあと気づくことが出来ました。
(前世療法の受講中も同様にそれに気づいたのですが、この短期間のうちにまた忘れていました)

今回思い出すことになったきっかけは、あるセラピストさんのサイトでの文章でした。
いつかは予定もしていませんが、自分がサイトを作る時の参考にしようかなとか、そんな気楽な感じで眺めていました。

わたしはそのセラピストさんを知りません。文章の内容も、ご自身が癒しについてどう受け止めているかを書いているに過ぎません。スピリチュアル的な文章というわけでもなく、本当に誰もが耳になじみのあるような言葉、誰もが知っている感覚を表す言葉で書かれています。
それほど長くないその文章を読んで、わたしもこうなりたいなあ、と憧れるような気持ちになりました。自然にハートが開く感覚がしました。

素敵だなあ、と感じて、そのエネルギーを意識して感じてみたくて、時間がある時にでもやってみようとそのページをお気に入り登録するくらい、ハートが開きました。

すごいなあ。こういう方がいるのだなあ。
わくわくします。
「何の気なし」に何の構えもなく読めたから、これほどわたしを惹き付けたのかもしれません。


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買い物日記。 - 2009年01月29日(木)

いろいろ買いました。


まず、ジーンズ。
最近のジーンズは詰め込むのですね。生まれてからいちばん細いサイズを買いました。
やせたとかではなくて、店員さんの「まだいけそうですね」という言葉で、え?これアリなの?みたいな感じで試着して買いました。痛くなければこんなにきつくてもアリなのか・・・。聞くところによれば、履きはじめはボタンが留まらなくてもアリらしい。知らなかったです。


出張ヒーリング用クリアクォーツ。
透明度が高い上に虹がたくさん入っていて一目惚れです。


マカバ型ペンジュラム。
わたしの教わった前世療法のあるルートでは、マカバの形をクライアントさんが知っている必要があるので注文していたもの。


ルームウェア。
ドラマ「ラブシャッフル」で香里奈さんが着ているものです。
ルームウェアはずっと欲しくて、ルームウェアというよりはパジャマとして使うんだけど、こういうのがパジャマパジャマしてなくてかわいくていいんだよなーと思っていたら、ウェブサイトで販売しはじめて。
値段OKだねー、素材もいい感じ、でもわたしは体がミニチュアだからなあ、フリーサイズどうなのかなー、実際に生地の感じとか手に取らないとさーわからないよー、といろいろ思って、でも迷っていて、その迷うままにウェブ上をうろうろとあちこち情報を見ているうちに、もしかしてこれはRight-○n(伏せてみた)でも売ってるんじゃないか?と思ったのでお店に行ってみてきました。

ビンゴ。いっぱい売ってた。袋だししているところでした。

で、試着させていただいて、パイル地がやわらかーい♪かわいいー♪ってことで、ピンクのとターコイズのとを購入してきました。

小さめに着るような感じでつくりが作られているので、わたしのミニチュアの体型でも全く問題ございませんでした。特にターコイズはショートパンツなのがいいのか、とても似合います。(自画自賛)
エンジのもかわいかったのですが、わたしが着るには背丈が145なのでバランスが。エンジは比較的背の高めの方が似あうかと。物自体はかわいいです。

これからピンクの方のズボン丈をチクチクとお直ししようと思います。


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つらつら - 2009年01月25日(日)

これまた夢を見て気づいた話ですが、これまでわたしは「愛される幸せ」に意識がフォーカスしてたなあと。

どんな夢かというと、山崎努さんと同じ集合体(会社みたいな)にいて、普段はあまり親しくする機会もなかったのだけど、その集合体で団体旅行があって、そこでとても気に入られて、一緒に写真撮ったりとかかわいがられて楽しかった、という夢を見ました。

なぜに山崎さん?とも思いながら(好きな俳優さんではあるけども)、その夢で感じた感覚・感情を起きた後で思い出してみました。

その時の感覚は、「山崎さんに好かれていることがうれしい」。
わたしは「山崎さんが」わたしといて楽しそうにしている姿を見るのがうれしい、みたいな感じ。
その感情をずーっと見ていて気づいたのは、「わたしが」山崎さんと一緒にいることがうれしくてそれを楽しんでいる、という感じではないということ。「楽しそうな山崎さんを見ているのが」わたしは楽しい、みたいな感じだということ。

この微妙な差の表現をぼんやり思うと、昨日放送の安倍なつみさんゲストのおーらのいずみで言っていた、子はかすがいの「かすがい」の幸せを夢では味わっていた感じ。

その夢を見て、これからはもっと意識をして「愛すること自体」を楽しんでいこうと思いました。
ドラマも見て、きゃあきゃあしているリアルタイムの松田翔太くんが出てくるわけでもないところがおもしろいですなあ。
(松田くん相手だと、今現在わたしはまさに愛すること自体を楽しんでるからかな?)


いろいろヒーリング関係でできること(わかること)が増えてきたけれど、1度整理したいなあと思います。
自分が今できることはどんなものがあるのか、自分が昔していたようなことをしている人を見てどういう風にサポートするといいのか、わたし自身の入りやすい落とし穴はどれか、ちゃんと「引き出せる」「見やすい」ようにしておきたいなあと。
それだからか、昨日本屋にて「収納の仕方」みたいな本に興味を惹かれました。
買ってこようかな。


ヘミシンクの本を見ていて、あれ?ヒーリング中ってもしかして脳波が変化しているってことじゃない?と思って調べたら、そういう説があるみたいですね。
へー。だから寝る人多いのか。
(ヘミシンクもヒーリングも)


先日、「小さい頃(3歳未満)は覚えていないから大丈夫だよ」という発言を聞いて、自分に「わたしはその考えは無理!」というシャッターが降りました。結構頑ななシャッター。

わたしは最近、ネガティブな感情やら遮断するような感情を体験した時は、これは何かエゴですか?とこの感情を見つめてみます。
うーん、セラピスト講座での体験で、胎児期のことすら覚えているってことを知っているからかなあ・・・それとも荷物みたいに扱うように聞こえたのかなあ・・・とぼんやり思っていました。

そしてヘミシンク本を読んでたらすっきりした答えが。
「体験自体は忘れていても、恐れや感情だけが残っている」

うーん、それそれ。

生まれたばかりの頃はまだ自他の区別もつかないし、何がどれなのか確立していないから体験を覚え難いのかも。でも、感情や恐れは覚えている。

まあ、子供が何を望むかはそれぞれだから、こうするのが良い、という決まったものはないと思うけど、親は自分のハートに聞いてから、子供とどう向き合うかを決めたらいいなあと思うのでした。
思い込みから扱うのでなければいいなと思いました。
理想論かも知れんけど、そういうものを少しでも含めてバランスを考えて行くのがいいんだろうな。
ちょっと難易度が上がるのがその証拠かなと。


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つらつら - 2009年01月22日(木)

ハートがぱあっと開く気持ちの良い夢を見た次の日からは、続けざまに暗い感じの夢を見ました。
わたしの場合、あまり悪夢は見なくて、見たとしても映画を見てるみたいにストーリーを楽しんでいる感じで、「うわあっ!」と怖がって起きる、みたいなことはほとんど記憶にありません。

今回もそんな感じ。膿み出し中でしょうか?

昨日の夢。
あごがなくて、すっかり骸骨になっているへびがわたしに何度も噛み付こうとしてかかってくる。でもあごがないから噛めない。そしてわたしも怖くもないのだけど、鬱陶しい。噛めないんだっちゅーねん。
ふと、火であぶって食べてしまおうか?というアイディアが浮かぶ。香ばしくてうまそう♪と思う。(酒の肴・・・♪)
逃げたという感じもしないんだけど、いつの間にかへびはいなくなっていた。わたしも、それを特に残念ともうれしいとも思っていない。ああ、いないや、みたいな感じ。

今日の夢。
「世にも奇妙〜」っぽい感じの画像でシュールなドラマ仕立て。夢の中で、「TVで見たのが夢に影響していて、多分それを見ているんだなあ」と思うが(夢という自覚がある)、起きてから気づいたけどそんな内容のドラマは見たことがなかった。
子供たちが殺す殺されるとか、そういう物騒な感じのストーリー。夢の中でわたしのハートがぶるぶると震えて怖がっていることに気づいたので、よしよし大丈夫よー、とわたしがハートに寄り添っている。
「先生(大人)」がひとりいたけれど、「生徒(小学生くらい)」に石で殴られて死亡。多分、わたしの表面にあったもの、ストッパー役みたいなものかな? ただ止めるだけの「先生」だったなあ。
そうすると「子供たち」がわたしなんだろうなあ。石で殴っちゃう子も、殺されるって怖がっている子も、どうなるかわからなくてただ不安になっている子も。
最後は話し合おうとしてたから希望は見えるかな。

ちなみにおとといからヘミシンクも始めました。「誰でもへミシンク」を読んでたら、わたしもまたやりたい〜と思って、つられて始めました。
買ったのは去年だったかな、聞いてみるも睡眠CDでしかなくて、全然進めないので途中で飽きてしまって、でもそのうちにまた聞きたい、と思っていて、それをおとといからまた始めたと。
1年で成長?したのか、夜に聞いても眠らずに聞けるみたいです。いえーい。


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つらつら - 2009年01月20日(火)

今朝、こんなに素敵な感覚を得たことは初めてというような、そんな夢を見ました。

初めの方は覚えていないのですが、なにやら大きいたくさんの人たちがいる浴場にわたしもいて身体を洗ったり湯船に浸かったりしています。とても大きい浴場で、お風呂自体が2階建てか3階建てくらいになっていました。

その後、何かの儀式があるのかみんなで集まっているシーン。
儀式自体が行われているのではなくて、似たようなのはお葬式でみんなが集まっているような、そんな感じ。別に何をするというわけでもなくて、ただ待っている時間を過ごしているというような、そんな感じ。寺みたいなところで平机を囲んでみんなで座っていました。

そして場所が移動します。白っぽくて清潔そうな、でも何もない部屋にたくさんの人、そしてわたしがいます。
そこでは何かが終わって何らかの「卒業」みたいな感覚。
そこにいるたくさんの人たちがみな祝福をしています。「おめでとう」「おめでとう」とみなが祝福しあっています。
わたしもとてもうれしくて「おめでとうー!」と叫んでいて、でも周りのテンションはわたしに比べてもっと落ち着いていて、にこにことおめでとうを言い合っています。
それを見てわたしは、「あ、こんなに叫ぶような必要もないか。でもとてもうれしい・・・。」とじっくりと、ハートに感じるその感情を味わいます。うれしくて涙がぽろぽろ出てきます。わたしの隣りにいた方がにこにこしながら、よしよしとわたしを包んでくれています。

部屋の中央にはそれぞれ違う色のベレー帽が3つ置いてあって、その上に白い鳥が3羽いました。
部屋にいた人たちはみな、その鳥をにこにこと見ています。
まだ生まれたてのようにふわふわの羽毛で、もこもこと動いています。ふわりと抜けた羽毛が床に落ちて、天使の羽みたいだなー、きれいだなー、とわたしは見てます。かわいらしい姿なのだけど、わたしはそのもこもこと動く様子に、生命というか、うまく言えないけれど昔感じたことのある、知っている感覚を感じました。
小学生の頃に、ひよこやハムスターを世話していた時のような、かわいいのだけど、死んでしまうと硬くなるし、手のひらでも感じられる自分以外の生き物の体温や鼓動、生々しさみたいな・・・そういうものを感じながら見てました。
そういう感覚を感じたことすら忘れていたのに、夢の中で出てきました。

そして、実際にもうれしくて涙を流した状態で夢から覚めました。
何だかよくわからないけど、とてもいい夢を見ました。夜になった今もずっと、そのうれしさが続いています。


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つらつら - 2009年01月18日(日)

ドラマ「ラブシャッフル」を見て、番組のサイトの野島さんのコメントを読んで、愛と相性についてぼんやり思っていました。

愛が疲れるってのは、自分の中に葛藤が起こるからなのかなあ、とか。

葛藤があまり起こらない関係が、「相性がいい」っていうのかなあ、とか。

確かに老後にまで葛藤して疲れていたくないなあ、とか。

相手を受け入れようとして疲れるのは、受け入れてないからなのかなあ、本当に受け入れたら疲れないのかもなあ、とか。

自分の葛藤をクリアにするのに、自分に存在しているその葛藤を見せて気づかせてくれるパートナー(これが相性が良くないってことかな?)を選ぶ場合もあるのかなあ、とか。

個人の葛藤がクリアで相性のいいパートナーを選ぶなら、その人はパートナーと共に何かをするために生まれてきたのかなあ、とか。

個人の葛藤がまだクリアでなく、相性のいいパートナーを選ぶなら、一緒に葛藤をクリアしようという感じなのかなあ、とか。
(2人ともがそれを見つめられないとだろうけど)

まあ、まだお話が展開を見せていないうちからいろいろ考え始めてます。 (^^;)

いちばんの目的、松田翔太くんを鑑賞するために録画をもう1度見ようと思います♪
きゃあきゃあ。


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つらつら - 2009年01月16日(金)

昨日の日記もそうですが、時々自分がイタコになってるように感じることがあります。別に何かを取り込んで、とかではなくて、自分から出てきた言葉なのだけど自分が「ほお〜」と思うという。

ふっと浮かんでくるのだけれどそれは儚くて、例えると起きたばかりの時は夢を覚えているけど、しばらくするとどんな夢かを忘れてしまうという、その感覚に似ています。
それなので、最近は手帳にメモったりしてます。


今日のイタコ。

意識を向けた方にエネルギーは流れる。
見ないようにすることは、そこで留めて持っておくということと同意。
経験すればいいだけで、ムダに苦しむ必要はない。
意識を向けて、流してしまえばいい。

にゃるほど。

わたしは「好きな人の死」について今日も考えていたのでした。解決したいから。

見つめるぞーということで、「サラとソロモン」のシリーズを思い出して、「このネガティブな出来事が、わたしのハートにうれしいと感じるようなアイディアはなにかな?」「もし浮かばなかったら他の楽しいことを考えよう」とやってみました。

そうしたら、
「この課題を乗り切ったことを証明する機会」
「その人の肉体と別れる経験であるというだけのこと」
という言葉に変換されました。

この辺もある意味イタコというか、頭で考えていません。質問して放っておくとハートの感覚と共に出てくるので楽ちんです。


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つらつら - 2009年01月15日(木)

楽しい時こそグラウディング。
辛い時こそグラウディング。

もっと強くグラウディングが必要なんだなあと、必要に迫られて意識を向けています。

わたしは、自分の大好きな人の死を恐れるところがあります。この気持ちはもう物心ついた時にはありました。
そしてその部分を、わたしはこれまでずっと見ようとしていなかったということに今日気づきました。
あるのは知ってるけど、見ようとしていませんでした。

それを解決したら次の段階、みたいな感じなので、解決したいと思います。
「サラとソロモン」を読み直してみよう・・・。(サラも解決してないけど・・・仲間意識というか)

これを書いていて、もうひとつ気づきました。
だからわたしは、はじめから自分の好きなものを諦めようとする思考が働いていたんだなあと・・・。そんなに好きじゃなければ怖くならないから。

でも、わかっちゃったから解決するしかないです。



体に痛みがあるのは、体を大切にするため。痛くならないように大切に扱います。

こころが痛いのは、大切なものを知るセンサーにするため。どうしてこころが痛むのかを見てみると、そこには自分の大切なものが関わっています。

ということは、「痛み」というのは知るためのものなんだなあ。

そして、痛みから学んで、自分の大切なものや自分の幸せの感覚を充分に味わっていれば、もうわざわざ「痛み」を経由する必要はないんだなあと思いました。


追記です。↓

風呂に入っていたら、幼い頃のことを思い出しました。小さい頃、わたしは父が出かけたりすると、帰ってくるまで心配していました。(口には出さなかったけれど)
言われてみればそういう時期があったなあ・・・でも、そんなすっかり忘れていた記憶が、今更なぜ出てくる?

大好きな人の死を恐れることに繋がるからです。

どうして恐れるのかなあと、問うてみました。
ひとりぼっちになるという風に感じるの?と聞いたら、NOという答え。ひとりなのは当たり前らしいです。
どうやら、自分の一部がなくなるという感覚らしいです。
ほう、そういえば小さい子は親は自分の一部と思っているとか読んだことあったなあ、と別情報に繋がります。

そうか、自分の一部がなくなる喪失感が大元なのか。
とぼんやり思っていたら。

「本当のところは、みんなの中に自分がいるのよ。わたしは調和のひとつの部分なのです。だから、なくならない。」

という答え。
うーん、なるほど。

そして、これを書いていたらまた繋がりました。今度は前世療法セラピスト講座受講時に。
前世だけでなくて、自分の魂の根源に帰って分離の体験を再体験する、ということもできます。根源から分離する際に傷付くと、孤独、自己否定、恐れ、が生じます。それを癒してくるセッションなのですが、その練習でわたしがクライアント役で受けた時に、その3つのうちの「恐れ」が出てきました。
(自分では自己否定を予想していたのですが、恐れが出ました)

何を恐れたのかといえば、「これっぽっちになって、これからどうやっていけばいいかわからない」という恐れでした。

あー・・・、これが「自分の一部がなくなる」に繋がって、「大好きな人の死を恐れる」に繋がるのか・・・と感心しています。 (^^;)


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つらつら - 2009年01月14日(水)

松田翔太くん目当てで(そして野島さん脚本だしー)金曜ドラマを心待ちにしています♪

「愛よりも相性の方が大事」という定義。
わたしは、愛のが大事ですねえ。どちらかといえば。
占い好きですし、相性も気になりはしますが、相性は情報っていうか、お互いがこういう面があるからどういう風になりやすい、って傾向がわかっていれば、気をつけたり愛情を深めたりできるその情報ってイメージですかねえ。今のところ。
相性がいいと惹かれやすいかもですが。

どちらにせよ、ハートが心地よければいいんじゃないかと思う現在です。これは愛だとか、これは相性がいいからとか、頭で分析する必要はないかなあ。


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つらつら - 2009年01月13日(火)

浄化中ですなー。
自分の知っているけどあまり見ないようにしてた部分を見る機会が増えました。そして、その回転率が早い。どのくらい早いかといえば、先日の日記に書いた「独り占め」の件は解決しました。というか、その原因のものから派生していた他のものに関わることも起きたためさらに急展開で、まだ完璧に解決してはないですが、表面に出てきたのでこの先はもう解決しかないという感じです。
現在、母を独り占めするのも、まあこれはこれでいいかと。

自分の中にあった思い込みを自覚したら、今度はパートナーシップやリレーションシップについて突然ネット検索しはじめてみました。少し前から気になってはいたのですが、実際に調べてみました。

おーもーしーろーいー。

マインドが未成長だと、自分自身を好きでないとか、コミュニケーションが苦手だとか。
結婚相談所の心得(結婚する為には自分を出すな的なもの)を読んでハートが閉まる感じを味わってみたりとか。

おもしろそうなので、今年は「関係性」を勉強していきたいと思います。


体調が芳しくないという人(病院で診てもらっても原因不明)にヒーリングをしたら何だか治ってきてたり、38度を越える熱が出てる人にヒーリングしたら平熱まで戻ったり・・・、肉体的な部分への効果は今までこれほど実感したことがなかったので(これまでは頭痛、肩こりや腰痛などの方にしか実施してなかった)、なんかすごいんだなあ、とヒーリングを取得してしばらく経っているのに、今頃実感してます。


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つらつら - 2009年01月10日(土)

ビタミン剤のCMで、いいところがある人がたくさんいるけど全部欲しくて、やっぱりひとりでいいやー、みたいなものを見て「え?」と引っかかって、そうしたら「妥協」という言葉が浮かんで、連想ゲームのようにある友人のことを思い出しました。
その友人は男性とこれから付き合うことに「妥協」をしたくないそうです。「紹介されること」が妥協と感じるそうでした。それで、そこはあまり重要でないのでは・・・という話をしていて、そういえばそうかーとその時は友人は言っていましたがどうでしょう。
何か解決するものがそこにある(あった)のだろうなあ。

CMを見てると時々、「え?」と思うことがあります。
あるカラオケのCMで「今日はあなたが主役」みたいなフレーズがありました。でもいつも主役だよねえ。作った人の、そして受け入れる人の価値観が見えるんだなあと思いながら見てます。


どうもいまだに、好きなものを諦めようと思考が行きがちです。
気づいているので、「あ、また癖が出た。好きなものは好きでいいんだよー。そんなに好きじゃないはず、なんて思い込もうとすることに意味はないよー。」と励ましています。


いまだにギャップに惹かれます。
食わず嫌いを見て、瑛太くんのひょうひょうとしていて、しかも地に足着いてるその感じにメロメロです。小松役とのギャップも素晴らしいなと。


プレゼントをあげて、「何で?」と聞かれると戸惑います。
え、いや、いつもお世話になってるし、買いたくなって、イベントとかではないのですが、ええと・・・。
神さまとかがいたら、そんな感じなのかなあとも思います。
幸運に「なんで?」って問うよりも、感謝した方がうれしいだろうなあ。

まあ、あげたきゃあげればいいんだよな、って思って、これまた神さまとかがいたらそんな感じなのかなあと思いました。
全く気づかないプレゼントが、わたしの周りにたくさんあるのかもなあ・・・。


好きな人・お気に入りの人を独り占めしたくなるときがありました。性別とか関係性とか関係なしに。
何か原因あるのかなあ、とぼんやり思っていました。
そうしたら、わたしはある意味、現在母親を独り占めしているなあ、とぼんやり思いました。
独り占めすると、お金もかけないとだし、わたしだけをあてにされる、他の楽しみをあまり見ないということだなあ、と思いました。
独り占めをすると、「独り占めができるその状態のその人は、わたしが好きなその人ではない」と思いました。
独り占めをしない方が、独り占めができない部分がある方が、わたしはその人を好きなのだろうなあと思いました。
そうしたら、独り占めしたいとあまり思わなくなりました。


なんだか、客観的に今回の文を眺めてたら、横恋慕的なことをしてる人みたいだなと思いました。 (^^;)
恋愛だとどうだろう・・・。わからんなー。


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つらつら - 2009年01月08日(木)

先日、テレビでモギさんが「(生き物の映像を見て、その生物は)右利きですか?左利きですか?右利きだったら、体の右側は左脳に繋がるから、言葉を発達させて人間のようになるかもしれない」みたいなことをおっしゃってました。

ぽーっと聞いていたのですが。
あれ?そういえばわたしは幼い頃、左利きだったなあ・・・。もしかして、右脳を使う方が得意なのか?そちらのが生かせるのか?
と思いました。

左脳は言葉・・・確かにわたしはあまり口が達者ではない・・・。おもしろいことをいうと褒められる場合があるが、それを狙って言ってるわけではない・・・。(^^;)

左脳は出力のちから。
右脳は入力のちから。
社会的に生きていくには、その両方のバランスが必要という話を京都の先生もおっしゃっていたなあと思い出しました。

もともとは、わたしは入力が得意なのかな?
そうして入力(右脳)したものを表現する(左脳)という方法を使うと、流れがうまく流れるのかな?

ちょっと意識してみようと思います。

それは楽だなあ。
ハートを開いて感じてみようっと。
そして、ハートを開くということが怖くなくなっていることに気づく今日この頃。
少なくとも、セラピスト講座に通っている時(11月)にはそれを怖がっていた証拠(発言)を覚えているのだけど。変化早いなー。

気づかないうちに変わっていくんだねえ。
一方で、自分の行動や、自分の人への対応の変化に気づいて、自分で「あれ?」と思うことも出てきてます。左脳の自分がびっくりしてる感じです。おもろいです。

「これがわたしです」って作っていたものをやめた感じがします。
周りに見せるために作っていた、お気に入りの自分。
今はただ、自分のセンサーを使って、それが心地よいものだったら近くに引き寄せて、そうでなかったら気にしない、それだけというかシンプルになりました。
そして、そうしたらとても変わっています。人の良い部分がたくさん見られるようになっています。良い部分を見よう、探そうとしているわけじゃなくて、こんな優しくしてくれるんだとか、こういうところに気を配ったりしてくれるんだとか、こういう笑顔で話してくれるんだとか、・・・なんだろ、気づくとかそういう自分の思考だけの部分ではないところで、周りの見え方が変化しているように感じます。

何度もいいますが、おもろいです。


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つらつら - 2009年01月03日(土)

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
素晴らしい年でありますように!

えー、休日出勤などありつつ、正月をいい感じでだらだらと過ごしております。
年末は友人宅にて年越しそばをいただいたり、いやあ幸せです。すごぉくリラックスしました。自分の忘れていた自分(少なくとも10年以上は忘れている自分の部分)をそこでまた思い出したりして、今年はそういう部分の自分にも意識を向けられるなあとわくわくしています。

さてさて。
先日読んで、とてもおすすめの本があるのでご紹介。

「サラとソロモン」 エスター&ジェリー・ヒックス著

引き寄せの法則をベースとした童話です。心の動きがとても繊細でおもしろく物語を楽しめるし、中に書いてあることを読み手が自らの日常で実践をしてみたり応用してみて楽しむということもできます。わたしは実験好きなので、そちらも楽しめます。

シリーズ物なので、1作目のこちらが気に入ったらどしどし次を読んで行けます。
おすすめー。


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