日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年12月31日(水)

言ノ葉迷宮さんのフリゲ「幽霊相談室」「変調・幽霊相談室」もクリアしました〜。「変調〜」の方はなかなかわからなかったのですが、一晩眠って自分の書いたメモを見直したらわかりました。
いやはや・・・あらゆる作り方をする作者さんだなあ。

「変調〜」の方は、今まで意識したことはなかったけど「生きがい」ってなんだろなーなんて、ふと疑問に思った作品でした。
(ゲーム内の)事件の関係者それぞれが「ゲーム製作」に思い入れを持っていました。それはエネルギーの源であり「生きがい」。そして、それはまだ物事の基本であるというか、自分の楽しめる生きがいを見つけることが出来たら次は、生きがいに自分が操られるのではなく、自分が自分の人生を動かす側になってその生きがいを広げていく、そういう課題になるんだよね、と・・・またなんかゲームの感想というのかというような感想が出てきました。

わたしは違うところに思いが派生するので、純粋に「ゲームが」おもしろかったというのかどうかわからなくなってきますが、それを含めてとても楽しめました。ゲームが楽しめたから派生するのだとも思います。
ありがとう。


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つらつら - 2008年12月30日(火)

言ノ葉迷宮さんのフリゲ、「かげろうは涼風にゆれて」をクリアしました。
にゃー。難しかった。一時はぐるぐると同じことをし続けて、迷宮入り・・・?と危ぶみました。

この作品は今年の9月上旬にDLしていたものの、その頃はゲームをする気になれなかった時期で、本格的にプレイを始めたのは今頃になりました。
というか、難しいことをこんこんと手をつけるには、そしてその能率は、ストレスがどのくらいあるかっていうのがとても重要だなということに気づきます。

そしてさらに、今頃やってよかったなあというか・・・。
なんか、感慨深い。

この感慨深さは、前世療法セラピストの勉強をして身についたことが、このゲームとリンクする部分があるからです。
9月上旬の時点ではその講座を開催することも発表されてなく、もしもその時にプレイしたとしても今のこの感覚は出てこなかったので、これまた、うーん、とうなる感じです。

状況的にどうであっても、わたしは「偽者」とは扱わないなあということを確認しました。
偽者にすると胸が痛むから、それが答えだとわたしは受け止めます。

ゲームの感想ではないなあ。


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つらつら - 2008年12月29日(月)

ヒーリングのパワーアップということで、次なることを視野に入れています。来年から始める予定なのですが、先日そのヒーリングのテキストが届いたので数ページぱらぱらと読んでみたら、それだけで強制睡眠状態になりました。
クラウンがぱかーっと開いて、たくさんのものをすでにいただいているような感覚。(まだ始めてないのに)
頭では何がどうなっているかわからないのですが、感覚では確実にそこにあるという代物。

そしてそれからというもの、夢とか現実とかで、「できた!」とか「わかった!」とか「今までそんな考え方したことなかった!」とか「情報はあるのにこの面からしか物事を見てなかった」とか・・・いろいろ気づく機会が増えました。
それまでも「気づきたい」と意識はしていたから、気づくことはたくさんあったんですけど、・・・増えてるなあ。成長期なのかもしれません。

「病院に行かないでヒーリングだけで治そうとする人に対しては、ヒーリングを断る」という意味もわかりました。

言葉そのままの意味で言っているとは限らない、ということも今更ながら確認しました。

相手の人が嫌なことをするかしないか、ではなくて、自分が愛を与えられるか与えられないか、なのだなあと思いました。

年末なので、ゲームしよかとフリゲDLしてちょこっとやってます。


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つらつら - 2008年12月26日(金)

自分自身に対してヒプノをできないのが残念なわたくしですが、夢を見た時はセラピスト講座で受け側になった時のことを思い出して、この夢はどういうことを象徴しているのかなあ、と意識したりしてます。

今日は、過去に本当にあったことがポンポンといくつか出てくる夢も見ました。

「その当時、そういう感じの関係性だったなあ」
「この時にこれこれこういう風に行動をしてその後こうなったけど、本当はこういうことがこの時点で起きていて、後から起きることもわたしの行動によって違うのかもなあ」
「今もこの性質があるなあ。あるということを意識してるといいかもなあ。」

など、反省とかではなくて、「そう思う」という軽い感じで見つめてみたりすることをしました。

ひとりの人の性を、何人もが取り囲んで楽しむという場面も、今日の夢で見ました。設定はTVのワンシーンという感じで、わたしは離れたところからそれを見ているという感じの夢でした。
モザイクなし。「嫌だ」というわたしから出る感覚。
これは過去に実際にあった場面というわけではないけど(少なくとも今生では)、これも見つめてみました。何が嫌なのかなあと。

どうやら、「直接的な表現」とか「取り囲んでひとりの性を楽しむ」ということが嫌なのだなあと思いました。
性の対象とされる方が喜んでいても嫌がっていても、その嫌な気持ちには関係がないみたいだなあと観察しました。

それが象徴するのは、「力がある状態で」「優位な位置で」というものに対する感情のようです。
1対1の差し向かいというのではない状態、ということに対する感情のようです。

ふーん。


夢をかなえるゾウの最終話を見ました。おもしろかったでーす。

1、「課題を受け続けていれば大丈夫」という、課題を貰うことに対する依存
2、「課題を出さなくていいから、わたしの側にいて欲しい」 その気持ちを伝えたら、後は相手がどうするかということには執着しない

そんなことを思いました。
1の状態になって、自分の役割(できること)を考えなくなったりしてては意味ない。
わたしの宗教に対する苦手意識はこれもあるなあ。


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つらつら - 2008年12月25日(木)

自分から出たある言葉に、「なんか違う・・・気持ち悪い・・・なんで気持ち悪いんだろう?」と考えていました。
いやあ、一昨日の日記なのですがね。あまりに気持ち悪くて消しました。

言葉が足りないのかな?と足してみても気持ち悪くて、うーん、何かわからないけどやっぱり何かが違うような気がする・・・、と意識を向けていました。

友人とメールをしていたら、わかりました。

相手の人生を選択する自由を阻むような言葉だったんだなあとわかりました。
あー出た出た。すっきりしたー。

それ自体が良くない言葉というわけではなくて(良い印象がしたからわたしはマネをしたわけだし)、使う人が使うととても素敵なものでも、今のわたしが使う言葉ではない言葉だったのだなあと思いました。
おもしろいもんだなあ。同じ言葉でもなあ。

やっぱり、マネだけじゃだめだな。今の自分をちゃんと見よう。


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つらつら - 2008年12月21日(日)

M1見ました〜。おもしろかったあ〜!
ラストが清清しいですね。決勝の3組、すっごいおもしろかった。オードリーは万人的ではないしなあ。わたしには納得の結果です。やっぱりいちばん声を出して笑ったもんなあ、NON STYLE。ってか、よしもとだったのね。NON STYLEって。(知らなかった)

カウスさんが「頭でなくハートで」と話してましたけど、その通りだと思いました。

今日は「M1だ!」と楽しみにしていたのだけど、先日のセラピスト講座のまとめファイルを作りながら見ている感じで、途中で電話もかかってきてテレビを消して、まあ録画もしてるし〜的な、どうも集中した感じではなく見てたんですね。
なのですが、審査員の得点が高かった方たちはやっぱり、ファイルを作る手を止めて漫才を見ようとしてしまう、もう1回もう1回!と録画を戻って見直してしまう、そういう感じが出てくるのですよね。

ネタが面白いかどうかというよりも、もちろんネタもおもしろいですがそれだけではなくて、そしてそれよりも、「楽しそう」「一緒に参加したくなる」という感じを出されると、わたしもわたしも〜♪と身を乗り出してしまう感じで・・・わたしが「もっと見たい!」という状態にさせられる原因は、まさしくハートだなあと思いました。

同じ人が同じようにやっているのに違うと感ずるのはそれかあ〜とわかりました。
参加したくなる空気、参加したくなるドラマを作れる人は魅力的です。


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つらつら - 2008年12月19日(金)

スピリチュアルなことに意識を向けて動いていたら、ふと思いました。
理解には何段階かあるなあと。

自分でもう当たり前のことになっていて、その価値観を持っていない人に伝えるということも上手に出来る段階。

自分では当たり前のことになっているけれど、人に伝える際にどういう言葉を使えば伝わりやすいかがいまいちでうまくいきにくい段階。

聞いたり読んだりして、ああそうですねえ、その通りですー、とその場では納得できるが、すぐ忘れてしまうという段階。
(自分の行動としてできていない段階)

良さそうなことだなあと感じつつも、ぴんとこない段階。

もはや、わけわからん段階。

どの段階もおもろいね。
そして、周りへの伝え方が出来るくらいの理解(地に足着いた行動)をしないうちに、「楽しいわあ〜どんどん深く深く〜」とたくさん入ってしまうと、あんまり意味ないなあとも思いました。これでは、ただ周りを不安にさせるという人になってしまうだろうなあと。

地に下ろすぞー。


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つらつら - 2008年12月18日(木)

京都の先生が、チャリティーヒーリングフェアをするそうです。

素晴らしいです!わたしも参加したいです!
ということで、でも福島県からえっちらおっちら行くのはおかしい(それなら交通費を募金したら?と思う)ので、こちらでマネという形で参加することにしました。

わたしの場合はヒーリングはいつも通りですが、料金を少し安くいただいて、安くした分からクライアントさんの手で募金をしていただく、という形にしてみました。

そうしたら、「ちょうど、年末の募金をしようかななんて考えてたところなの!」と言われました。
頭の中見られた?的な。
(安くした値段と一緒だったそうです)

自分の出来ることをして参加します。


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つらつら - 2008年12月11日(木)

はっ! 気づいたら木曜日!

京都でのセラピスト講座が終わって、ふうと一息ついている間に数日経過しました。

なかなかハードな日々でした。
人員不足だった中で仕事に追われ(おまちかねの増員・・・感涙)、時間のない中で、どうにかこうにか自分で納得できない程度にはなるけれど課題を行い、「きゃー!もう1週間経っちゃったー!練習しないとー!」と追い立てられながらの日々が先日の日曜で終わり・・・、ふうと一息ついていたら木曜日になっていました。
京都から帰ってきてから、まだ何も復習していません。ひたすら休んで(眠って)いました。今回の講座はエネルギーが重かったので(ちょうど、今年の11月のエネルギーの重い時期にも重なって)、とりあえずその拘束から離れた開放感を味わいました。

そろそろやろかな。練習と復習。

今回の講座を受けて、レイキヒーリングの素敵さ加減を再確認しました。
レイキの質をもっと高めたいなと思いました。

エネルギーワーク的・スピリチュアル的ヒプノを取得してきたわけですが、技術を取得してきたというよりも、自分の内側をもっと広げたい、と確認をしに行ったように思います。技術とは違ったもの、わたしにとってはそれよりも価値のあるものもたくさん得て帰ってきたような気がします。

自分の内側がもっと広がったら、もっと自由に、もっとわたしの求めるセッションができるということも、よーくわかりました。

先生はもちろんのこと、この講座で関わった方々に「すごーい!」とたくさん感じることができて、とてもわくわくと終えることが出来ました。

仕事として行う自信をつけるために、練習するぞー。


自分がもう1人いたら、ただで受けられるんだけどなあと思ってしまいます。
練習もしたいけど、わたしも受けたいー。

わたしにとっておもしろく感じることのひとつは、「意識してそういう物語がつむがれるのではない」というところです。
例えば、「母親との関係性」ということをテーマにしてクライアント役で受けた時に、わたしはこんな物語が出てきました。
今まで肉体を使って仕事をしていたけれど、何かで左足がなくなって、「自分は役に立たない」と思い込むことになった男性(30〜40代くらい)が出てきました。奥さんがお金を稼ぐために外に出たり、自分の世話、家のこと、と忙しくしていて、今までのように話す時間が取れなくなったことに対して、ほっとしていたりとか、子供の顔がまっすぐ見れない、扱い方がわからなくなっていて怖い、そういう、自分で壁を作っている感じの物語でした。
それをセッションにて癒してもらったわけですが。
セッションが終わって、左脳を使ってみて、「えーと、テーマとどういう関係があったのかな?」と意識してみると、なるほど、うちの母親は自分を「役に立たない」と思い込んでいるなと。「自分の出来ることをすればいいだけだよ」とわたしが何度言っても伝わらないということは多くて、セッションを受けて、・・・なるほど、母と同じことをセッションで出てきた物語のわたしはしてたなあ、みたいな。
左脳からはこんな風な感じで関連付ける物語は作りださないなあというか、出てきた物語に頭じゃないところで納得するのも楽しいです。

そういうわけで楽しいから(しんどくもあるけど)、わたしも受けたい・・・。
県内の人で誰か習いに行かないかなあと思いを馳せている次第です。 (^^;)


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